89 メシマズ以前の問題
冬の長期休暇を南のリゾート旅行で十分に楽しんだ三吾とエルオリーセは、漸くレーエフの自宅へ戻ってきた。
比較的温暖なレーエフの気候だが、それでも南国のワイアとの気温差はかなりある。
健康と体力にはそれなりに自信があった三吾だが、どうやらその温度差ですっかり風邪をひいてしまい、帰宅早々に熱を出してしまった。
「ごめん、迷惑かけて」
申し訳なさそうにベッドに入っている夫に、エルオリーセは優しく微笑む。
「気にしないで。私なんかもっと、三吾に迷惑かけてるじゃない?」
メタモルファルである彼女は、人が掛かるような病気にはならない。当然、風邪をひくことなどないが、今までに何度も怪我をして三吾に看病してもらっているのだ。
「だから、今回は私が三吾の看病をするわ。お薬はあるから、少し何か食べてから飲みましょうね。何が食べたい?これから作るけど」
「あ・・・ああ・・・ええと。ゴホッ・・・ゴホゴホ・・・」
最後は咳で少し時間稼ぎをして、三吾は考えた。
エルオリーセは、料理が・・・下手だ。
いや、歯に衣を着せずに言えば、壊滅的なのだ。
それは結婚してすぐに明らかになったのだが、要は料理に関する経験値がほぼ無いということに起因する。
考えてみれば、彼女はそれまでずっと、街中にいるときは外食だった。それ以外の時、つまりフィールドワークでアウトドア生活の時は、携帯食料か現地で採集したものを食べていた。
釣りで入手した魚などを焼いて、持っていれば塩を振る程度。
果実などは当然生食だし、野生の芋や豆などは茹でるくらい。
新婚当時、三吾はエルオリーセと一緒にキッチンに立って料理をしたことがあった。
彼女はそもそも、包丁の持ち方さえおかしかった。ハンターナイフ以外は使ったことがないのだと言う。そこで先ずは持ち方から教えたわけだが、もうその時点で、彼女は料理が出来ないということを察してしまった三吾である。
そして洗った人参やじゃが芋を切り始めたエルオリーセに、三吾はつい口を出してしまった。
「リーセ、もう少し丁寧に洗った方がいいよ。まだ少し泥がついているしね。それと、切る前に皮を剝いた方が・・・」
「え?」
彼女は驚いたように手を止めて、手に持った根菜を眺める。
「・・・解ったわ。キッチンで料理するときは、もっと丁寧に洗うのね」
おそらくアウトドアで行うときは、それこそ泥を手で払う程度のことしかしないのだろう。エルオリーセは素直に笑って芋と人参を丁寧に洗うと、そのままダンダンと威勢よく切り始める。
「あ、いや・・・その・・・皮は?」
「え?食べられるでしょ?」
確かにそのまま茹でても、食べられるけれど・・・
切った根菜を鍋の中のお湯に放り込む寸前で、三吾はハッと気が付いた。
「ちょっと待って!・・・せめて、じゃが芋の芽は取ってくれ」
古いじゃが芋は、保存中に芽が出ていた。
じゃが芋の芽には、ソラニンという有害物質が含まれている。摂取すれば食中毒を起こす場合が多い。ソラニンは熱に強く水溶性だが、茹でても芋や茹で汁の中に残ってしまう。それらを摂取した場合、吐き気・嘔吐・腹痛・下痢などの症状が出る。重篤な場合、頭痛、めまい、動悸、耳鳴り、意識障害、 けいれんなども起こり、呼吸困難になる場合もあるのだ。
三吾の説明を聞いて、エルオリーセは手に持っていた芋をパッと離し、両手を上にあげた。
「ええっ!・・・知らなかった」
済んでのところ、毒入りスープを作っていたのだと思い真っ青になる。
「私・・・ずっとこんな風に作って食べてけど、何ともなくて・・・」
「うん、まぁ・・・人には毒ってことなんだな」
メタモルファルであるエルオリーセにとっては、何の害にもならないのだろう。
おそらく人では、お腹を壊すような食材や衛生的にどうかと思うような物も、メタモルファルには問題なく摂取できる栄養源なのだ。
毒や病原菌などに、相当な耐性があるのだろう。なので、病気にも罹らずにいられるのだ。
「・・・そうなのね・・・これからもっと勉強しないと」
しょんぼりと項垂れたエルオリーセの頭を、三吾は優しく撫でた。
「ゆっくり覚えればいいよ。それまでは僕が料理をするから。時間に余裕があるときは、傍で見ていればいい。料理は科学実験みたいで、僕は大好きだから」
それ以来、料理担当は夫になった。
と言っても、共稼ぎ夫婦なので毎日用意するのは朝ご飯。出勤前なので簡単なもので済ませるから、大したものは作らない。昼は学院内の食堂で済ませるし、退勤後は一緒に『笑うぶちハイエナ亭』に行くのが常だ。
なので三吾が腕を振るうのは、休日に2人が一緒の時だけになる。
仕事に関しては、三吾の方が規則的で学院と自宅の往復になるが、エルオリーセの場合は採集で家を空けることもそれなりにある。
エルオリーセが料理に関する知識や技能を覚えることは、カメの歩みに近かった。
そんな状況で、彼女に食べたいものを聞かれても、何と答えれば良いのだろう。
「・・・ええと・・・喉が痛いから、林檎のすりおろし・・とか?」
火を使うわけでもないし、林檎なら毒性がある部分は無いし。
三吾の言葉に、エルオリーセはとびきりの笑顔で答えた。
「うん、ちょっと待っててね。確か林檎は1個だけあったはずだから」
ちょっと・・・とは言い難いくらい待たされた後で、三吾の前に出てきた「林檎のすりおろし」は、スプーン3杯ほどの少量だった。
「ごめんなさい、これだけになっちゃって・・・」
すりおろし器の存在は知っていた。林檎も丁寧に洗った。
けれど、最初はそのままいきなりすりおろしてしまって、皮も入ってしまう。慌ててこれじゃいけないと、皮を剥いてやり直したのは良かったが、上手くいきそうな嬉しさについ力が入り、指先まで擦ってしまった。
痛みに強いメタモルファルである彼女が気づいた時には、すりおろされた林檎が血で赤く染まってしまっていた。
指先は舐めただけで血も止まり傷も塞がったが、赤く染まってしまった林檎からその部分を取り除いたら、残った分は相当少なくなってしまったというわけだった。
(何をどうしたら、これっぽっちになるんだろう?)
三吾は不思議に思ったが、あえて追及はしないでおこうと思った。
「ありがとう、このくらいで十分だよ」
彼は彼女が頑張った証の「林檎のすりおろし」を食べると、薬を飲んで布団を被った。
(明日の朝までに、絶対に治す!)
固く心に誓いながら。
翌朝、三吾はキッチンに立っていた。
熱は下がり喉の痛みも消えて、多少咳は残るがほぼ治ったと言っていい状態だった。根性のなせる業だったのかもしれない。
「無理させちゃって、ごめんね」
自分に料理できないせいで、病み上がりの彼に無理をさせていると思うエルオリーセは、ただ申し訳なく思うばかりだ。
「もう大丈夫だから、無理なんてしてないよ。スープを作ってるだけだしね。サンドイッチと果物は、さっきアルバがお使いに行ってくれたじゃないか」
けれど、自分が何もしていないことに変わりはない。
エルオリーセは、ため息をつきながら話し始めた。
「せめて、三吾が具合が悪い時に食べられる料理は、急いで覚えておかないと。食材に関する知識もね。採集対象の動植物については、それなりにあるけど・・・」
毒性を持つ動植物に関しては、書物などからではあるが、ほぼ完璧な知識がある。
「でも、自分で確かめたことは無かったわ。ソラニンの話で気づいたけど、メタモルファルって毒物に対する耐性も高いから、それについても追々確かめようと思うの」
出来たスープをテーブルに置きながら、三吾はギョッとした。
「リーセ、頼むからそれはやめてくれ。万が一ってこともあるんだから。どうしてもって言うなら、せめて僕が傍にいるときにしてくれ」
「うん、解ってる。毒にも薬にもなる物質ってあるじゃない?それの研究に役立つんじゃないかとも思うの。三吾の研究の役に立つかもしれないし」
確かにそれはその通りだが、愛する妻を実験対象にするようで、流石にそれは素直に喜べない。
「リーセ・・・そこまでしなくて良いよ。確かに薬学は、色々と難しい。役に立ちそうな物質が見つかっても、それを人に使えるかどうかが解るまでには時間がかかる。だから、僕たち研究者は少しずつ前に進むために、日々研究をしている」
1人の研究者が先に進めたものを、誰かが引き継いで更に先に進める。
完成するまでには、それこそ何十年も掛かるものだってある。
「だから僕の研究も、いつかは誰かの役に立つはずだと思っているんだ。今すぐには、結果が出なくてもね。だからリーセは、僕の研究の役に立とうと思って毒耐性の実験なんてしないで欲しい。そもそも、人とメタモルファルではかなり違うだろうからね。それより僕は、リーセにやって欲しいことがあるんだよ」
エルオリーセは、悲しい顔になって頷いた。メタモルファルである自分では、役に立てない。けれど彼は、自分にやって欲しいことがあると言う。
「僕が進める研究が、これからずっと先に完成されることを見届けて欲しい」
一千年近くを生きるメタモルファルである彼女にしか出来ない。
人型メタモルファルである彼女でなければ、その記憶と知識を生かすことは出来ない。
エルオリーセにしか出来ないことを、三吾はして欲しいと願っていた。
エルオリーセは、大きく頷いた。
長い長いメタモルファルの寿命を、ただ悲しいとしか感じられなかったエルオリーセにとって、1つだけ使命ができたのだ。
それは小さな灯のようなものだったかもしれない。
それでも愛する彼は、少しでも妻の心を軽くしたかったのだろう。
これからまだまだ続く2人の時間を、エルオリーセが心から幸せだと感じるように。




