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メタモルファルは寄り添う  作者: 甲斐 雫
第6章 メタモルファルは愛とともに
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88 飛び立つ鳥の群れ

『ナイト・ジャングル』の一件が終わって数日後、マークとフェルはオガネの自宅へ帰った。

 フェルが、少しでも早く帰って彫刻を始めたいと言い出したのだ。彫りたくて堪らないものが出来たのだ、と。そして、今まであまり手掛けてことがない大理石を使いたいとマークに頼み込んだ。

 頼まれたマークは、愛する相手の頼みを嬉々として引き受け、早速あらゆる伝手を辿って、良質の大理石を入手することにした。

 そんなわけで、そそくさとワイアから帰ってしまった2人だが、残された三吾とエルオリーセはまだもう少し滞在するつもりでいた。


 マークが誘ってくれた観光地や高級レストランも素晴らしいが、エルオリーセにとっては何もない砂浜の散歩も屋台の食べ歩きも、最高の時間になっている。特にトロピカルフルーツの屋台は、全ての種類を食べつくす勢いで味わっていた。

「また、買ったのかい?」

 散歩の途中でふいに離れていった彼女は、袋に入った緑色の果物と1本の大きなバナナを持って戻ってくる。

「うん、まだこれは食べたことがないから。アティスって言うんですって。こっちのバナナはおまけにくれたんだけど、こっちだとバナナも大きいのよね。半分食べない?」

 ニコニコ顔のエルオリーセから、三吾は赤ん坊の腕くらいの大きさはありそうなバナナを受け取った。

「うん、ちょっと待って」

 彼はバナナの両端を両手で持って、少し力を入れて引っ張った。

 パツンと軽い音を立てて、バナナは皮付きのまま綺麗に半分になる。

「へぇ、そうすれば良いんだ。知らなかったわ。これなら2人とも手を汚さずに食べれるわね。交互にひと口ずつ食べようかと思ってたけど」

 三吾は半分にしたバナナをエルオリーセに渡しながら、少し後悔した。

(・・・そっちの方が、良かったな)


 そんなある日の早朝、三吾とエルオリーセは街中を流れる大きな川の河口付近を散歩していた。

 河の土手には遊歩道があり、ゆったりと流れる河面と高い波を見せる海面が繋がって雄大な景色が広がっている。

「少し風が強いな。ホテルのフロントで、明日辺り嵐が来ると聞いたが、その前兆なんだろう」

 そんな他愛のない話をする2人の頭上を、鳥の群れが旋回していた。海側から吹いてくる強い風をうまく利用しているように見える。

「そうですね・・・そうするとその間はホテルに缶詰めかしら?」

 鳥たちは少しずつ砂浜に降りてきている。

「缶詰めも悪くないな。どこにも行かなくても、部屋にずっといれば良いさ。何なら、ずっとベッドの中にいても良いしね」

「・・・・・・」

 これは『ずっと眠っていれば良い』という意味ではないのだろう。エルオリーセは、何と答えたらよいか解らない。

 鳥の群れは、全て砂浜に降りていた。数十羽ほどはいるだろうか。白っぽい灰色の比較的大きな鳥だと見て取れる。

「ああ、あれはカモメかな。たくさんいるね」

 三吾は助け舟を出すように、話題を変えた。薄っすらと頬を染めた可愛い妻をもっと見ていたくもあったが、困らせるつもりはない。

「え、ええ・・・あれは、オオカモメじゃないかな。海の近くだと結構よく見る種類だけど、レーエフにいる鳥たちに比べたら大きいでしょ?」

 エルオリーセは、ホッとしたように答えた。

「そう言えば、ああいう鳥って飛び立つときに助走をつけるのよ。体の重さと翼の強さのバランスで、そうしないと空を飛べないの。白鳥とかもそうでしょ?水面を走りながら翼をバタバタして飛び立つのよね。アホウドリなんかは、助走した上に崖から飛び降りて体を浮かせるのよ」

 彼女は、こんな話をする時、本当に楽しそうだ。そしてそんな彼女の話を聞く三吾も、楽しく嬉しい気持ちになる。


 その時、三吾たちの目の前に、1人の男が土手から這い上がってきた。

 そして同時に、背後から大声が掛かる。

「その場を動くなっ!」

 息を切らせて駆け寄ってきたのは、衛兵だった。


 後ろめたいことなど何も無くても、こういう時はつい固まってしまう。

 三吾とエルオリーセは、そうっと首を巡らせて声の主を見た。かなり遠くから走ってきたらしい若い衛兵は、三吾たちより土手を上がってきた若い男が目当てだったようだ。

「おい、お前!さっきまで何をしていた!その膝の泥汚れはどうした!」

 掴みかからん勢いの衛兵に、若い男は慌てたように後ずさる。

「こ、これはさっき土手から落ちたんだ」


「何があったんですか?」

 差し出がましいかなとは思ったが、この場に居合わせたなら聞いてもいいだろう、と三吾が声を掛ける。

「あ、ああ・・・あっちの藪の中で、婦女暴行事件があって、逃げた犯人を追ってるところです」

 礼儀正しく説明してくれた衛兵だが、少し余裕を取り戻したらしい男が大声を上げた。

「俺じゃねぇよっ!ホントに土手から落ちたんだ」

 もじゃもじゃの頭髪で頬に傷跡を持つ男は、派手な原色模様のシャツにくたびれた作業ズボンを身に着けている。その膝には、泥と草の汁がはっきりとこびり付いていた。


「落ちたところは見ていませんが・・・」

 三吾の言葉に、男は食って掛かった。

「アンタが来る前に落ちたんだよ!しばらく落ちた先で呻いてたんだ。・・・ちょっと前に・・・そう、あのバカ鳥の群れがいきなりこっちに向かって飛んできたんだ。何かで驚いたんかもしんねぇけど、バサバサバサッって低空飛行で掠めてったんだ。それで、驚いて避けようとして落ちたんだ」


 彼が言う鳥の群れは、砂浜で休憩に入っていた。それを見たエルオリーセは、傍にいたアルバに屈んで何かを耳打ちする。賢い彼は直ぐに踵を返して走り去った。

「ん?・・・アルバは何を?」

 怪訝な顔の三吾と言い争う衛兵と男に向かい、彼女はきっぱりと告げた。

「見ていてください」


 アルバは川岸まで降りて少し上流まで移動すると、指示を待ってこちらを見る。3人の男たちがそれに注目したところで、エルオリーセは手を上にあげGOサインを出した。

 アルバはゆっくりと走り出しながら、鳥の群れに向かって吠える。それは牧羊犬が羊を追い立てる行動に似ていた。


 オオカモメの群れは、吠えながら向かってくる大型犬に気付くと、立ち上がって飛び立つための助走を始めた。

 砂の上に足跡をつけながら走り、オオカモメたちは次々と飛び立ってゆく。

 バサバサバサッと羽音を立てて飛んで行く先は、広がる海だった。


「オオカモメは、常に風上に向かって飛び立ちます。揚力を最大限に生かすんです。風は先ほどからずっと、海の方から吹いていましたよね」

 エルオリーセの説明は、三吾と衛兵を驚かせた。

 オオカモメは、風下である土手の方に向かって飛び立つことはない。


「おいっ!さっきのお前の説明は、嘘だったんだなっ!」

 パッと振り返った衛兵の前には、誰もいなかった。もじゃもじゃ頭で頬傷がある男は、鳥の群れが飛び立った瞬間に脱兎のごとく逃げ去ったようだ。


 衛兵はお礼の言葉もそこそこに、男を追って走り去った。

「成程ね・・・流石はリーセだ。鳥の習性にも詳しいね。・・・そうか、揚力か。物理学系の知識も豊富だとは知らなかったよ」

 手放しで褒める三吾に、エルオリーセは恥ずかしそうに笑った。

「聞きかじりなの。この前、採集依頼の件で物理のゲイザー教授と話した時に知ったのよ。あの方、趣味で紙飛行機の研究もしてるから」

「ああ、そうなんだ」

 三吾は、まだ20代の若い物理学教授の顔を思い出した。


 軽い嫉妬を感じたのは、自分の歳のせいだろうか。

 近頃どうも、こんな風に感じてしまうことがある。先に老いてゆくという現実が、心の底にあるのかもしれない。

 けれど、こればっかりは考えても仕方がないことだ。

 三吾は軽く頭を振って、徐に妻の顔を覗き込む。

「そろそろホテルに帰ろうか。嵐の間、籠城するためのフルーツでも買い込んでね」

 彼の笑顔には、限りない愛情が浮かんでいた。


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