86 ナイト・ジャングル
「フェルさん、バレッタありがとうございました」
上着のポケットから紙とペンを取り出そうとしている赤毛の彫刻師に、エルオリーセは先に声を掛けた。そして彼に背を向けると、後ろ髪に着けたバレッタを見せる。
レア素材の貝殻に、カメオのように彫られた鳥が美しい髪飾り。
フェルは、満面の笑みになり紙にサラサラと走り書きした文字を見せた。
『思っていたより、ずっとお似合いです。あの時は、本当にありがとうございました。お礼を言ってバレッタを渡したかったけど、送りつけちゃってすみません』
「僕も、ピンブローチをありがとう。2人とも、愛用させてもらっているよ」
胸元に留めた彼女とお揃いのそれを指さして、三吾も嬉しそうに礼を言う。
フェルは、ホッとしたように明るく微笑んで、新しい紙に書き記した。
『気に入っていただけて、良かったです。お2人には、お会いしてちゃんとお礼を言いたかったので』
「ところで、今晩予定がなかったら、一緒に『ナイト・ジャングル』に行かないか?」
マークの誘いに、三吾とエルオリーセはそれは何だろうと首を傾げた。
「観光名所だよ。結構人気があるけど、今日あたりは空いてるんじゃないかな。昨日、ちょっとしたフェスティバルが終わったところだしね」
『ナイト・ジャングル』とは、夜だけ開園する動植物園だという。
熱帯に近い気候のこの辺りでは、夜行性の動物が多い。そんな動物たちを出来るだけ自然に近い環境で飼育していて、それらを涼しい夜に観光客に見せている。
「フェルも興味があるようだし、どうせなら一緒にどうだろう?」
マークの隣で、赤毛の彫刻家はコクコクと頷いている。彼の作品には、自然の動植物をモチーフにしたものが多い。折角ここまで来たのだから、珍しい南の生き物を見ておきたいと思うのだろう。
興味深そうな表情になったエルオリーセに気づいた三吾は、彼の申し出をありがたく受けたのだった。
夜までかなり時間もあるし、と三吾とエルオリーセはワイアの街をぶらぶらすることにした。
日差しが強くかなり暑いが、日陰に入ってしまえば風が心地よい。湿度が低いせいもあるのだろう、街中にはそれなりに人が多い。
男性は派手な色彩の開襟シャツを、女性は露出度高めのワンピースを着ているが、どれも極彩色の花や鳥などが描かれていた。こんな南の太陽の下では、そんなけばけばしい程の柄が、むしろ似つかわしく思える。
そんな人々の中で、エルオリーセは地味に見える無地のワンピースを着ていた。
(最初に着てみた時は、下着みたいだと思ったけど・・・)
淡い空色のワンピースは、普段の彼女に比べたら下着並みに露出度が高い。首も肩も腕も露わで心許無い気がしたが、周りの女性はもっと派手で出せる肌は全て出している感じだから、これで良いのだろうと思った。
(確かに、暑いしね)
メタモルファルであるエルオリーセにとって、暑さ寒さは人ほどダメージを受けない。けれど気持ちよく過ごせるなら、それに越したことはないのだ。
「ねぇ、ひとり?俺らと、遊ばない?」
三吾が少し席を外している間、ショッピングモールの中庭のベンチに腰かけていたエルオリーセに、あまりガラの良くない若者が声を掛けてきた。
「楽しいトコ、行こうぜ~~」
「美人さん、大歓迎~~ってね」
20歳目前といった感じの3人の男は、軽いノリで、息をするように自然にナンパしてきた。
「ねっ、行こ行こ。行きつけのカクテルバーに、美味い・・・」
眉をひそめたエルオリーセに構わず、無遠慮に手を伸ばす。
「バゥッ!」
すかさずアルバは間に割って入って、威嚇の声を上げた。
「うわっ!なんだ、コイツ!」
それまで大人しく、通行人の邪魔にならないようベンチの下に入っていた大型犬が急に飛び出してきたからたまらない。
手を伸ばしていた真っ赤なシャツの若者は、飛びのきざまにアルバを蹴飛ばそうとした。
「バウッバウッバウッ!」
アルバはヒョイッと男の足を交わし、さらに激しく吠えたてる。バランスを崩して転んだ男の悲鳴も加わって、ちょっとした騒ぎになってしまった。
近くにいた人々は、何事かと足を止めて見ている。
「チクショウッ!」
これはマズイと思った若者たちは、捨て台詞を吐いて逃げ出していった。
「リーセ?何があった?アルバが随分吠えていたが」
そこにちょうど戻ってきた三吾は、あたりの様子を見まわしながら心配そうに尋ねた。
「ええと・・・ナンパ?ちょっと強引な・・・未成年みたいだったけど」
エルオリーセは、何事もなかったかのように穏やかな笑みを浮かべた。
三吾は男たちが逃げ去った方向を見て、険しい顔で舌打ちをする。
「全く、近頃の若い・・・」
そこまで呟いて、ハッと気づいた。
(なんだ、これじゃ僕が年寄りみたいじゃないか!)
近頃の若い者は、というセリフは中年以降の人間の常套句だ。
そんな言葉がすんなりと出てきた自分に、三吾は愕然とした。
昔から、若さがないとか老けているとかはよく言われていた。身なりにかまわず最低限のコミュニケーションしか取らず、自分の研究だけに没頭していた頃だ。
けれどエルオリーセと出会ってからは、少なくとも年相応にはなっていたはずだ。それなのに、自分では自分を、そんな風に位置付けていたのだろうか。確かにもう、30歳も半ばにはなっているが。
「どうしたの、三吾?・・・あ、ごめんなさい。私に付け込まれる隙があったんだと思う。もっと気を付けるから・・・」
険しい表情のままの彼に、エルオリーセは素直に謝った。
「えっ・・・ああ、いや・・・うん・・・」
歯切れの悪い返事をしながら、とりあえず三吾は自分の頭の中の嫌な考えを振り払った。
「・・・本格的な施設ですね」
エルオリーセは目の前にある暗いジャングルに通じる通路の前で、感心したように呟いた。
『ナイト・ジャングル』の華やかに明るく飾られたゲートを通り、暗い密林に入るところまで来ている。マークが言っていた通り、今晩は空いているようで辺りに人は殆どいない。
動物たちを驚かせないように、明かりは持ち込み禁止になっているが、これから歩いてゆく小道には、誘導するようにごく小さなランタンが置いてあった。
「明かりを辿って、ゆっくり歩いていけばいいらしいよ。動物たちの観察スポットには、弱い照明があって目が慣れれば十分観察できるそうだ」
野生に近い環境で飼育されている動物たちは、その習性に合わせて、観光客が通る小道とは隔てられている。水路を作ったり、場合によっては丈夫な柵や金網を置いたりして、危険がないように工夫を凝らしていた。
大型の動物たちも、ここが安全であることを知っていて、また狩りが不必要になるくらい餌も十分に与えられているので、近くにいても威嚇さえせずに悠然と歩いているらしい。
灯りも大声も禁止で、お菓子などさえ持ち込み禁止。
飼育している動物たちに気を使っているこんな場所では、当然ペット類も一緒に入ることはできない。なので、アルバはゲート付近で留守番するしかなかった。
実際、メタモルファルは他の動物たちとの親和性が高いので、アルバを連れて入っても問題はないのだが、そのためだけにメタモルファルですと明かすわけにもいかないだろう。
三吾とエルオリーセ、マークとフェルの4人で、それでは夜の密林を楽しもうと歩き出した時、後ろから声が掛かった。
「あのぅ、すみません」
振り返った薄暗がりに、2人の若い女性の姿があった。
「私たち、2人で来たんですが、こんなに暗いとは知らなくて・・・なんだか怖いので、後ろから付いて行ってもいいでしょうか?」
丁寧な口調ではあるが、2人とも甘ったるい香水の匂いがプンプンと漂っている。観光客らしいようだが、服装は水着と大差ないくらい肌を露出していた。
正直言って迷惑以外の何物でもないのだが、ここで突き放すほどでもない。文明的な礼儀を持ち合わせている4人は、仕方なくではあるが了承した。
離れて付いてくるくらいなら、特に問題はないだろう、と。
「ありがとうございます。あ、ワタシはネリよ」
「よろしくね、ワタシはハロア」
嬉しそうに近づいて、ついでに自己紹介をした女たちに、マークと三吾ははっきりと思った。
(しまった!失敗した!)




