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メタモルファルは寄り添う  作者: 甲斐 雫
第6章 メタモルファルは愛とともに

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85 南への船

 秋という季節が静かに過ぎてゆき、レーエフに冬が訪れた。

 冬の長期休暇を前にして、三吾とエルオリーセは2人きりで過ごせる大切な時間をどこで送ろうかと話し合っていた。


「また、どこかに旅行に行こうか?」

「そうね・・・どこに居ても三吾と一緒なら、家に居たって良いけど、折角長い休暇だし・・・」

 エルオリーセは、今一つ乗り気になれないようだ。

 何しろ夏の長期休暇では、自分は2回も怪我をして、そのうち1回は仮死状態にまで追い込まれた。三吾も体調を崩したし、アルバも限界近くまで消耗する羽目になった。

「僕もそう思う。だから今回は、危なくない・・・のんびりすることだけを目的にするような、リゾートっぽい旅行はどうだろう?先日マークから手紙が来ていただろう?旅行するなら、手配するって言ってきたんだよ」

 マークは三吾の親しい友人で、向こうはこの夫婦に恩を感じている節がある。時折手紙を寄越しては、近況を報告し合っているが、マークの方は凄い実業家でホテル王の異名をとっているほどなのだ。

「南の方はどうかな?クロス河を船で下ったワイアという町には、マークのホテルがあるようだし」

「いいですね。あまり南の方には行ったことが無いし、そのワイアという町は初めてだわ」


 この大陸の南方は、あまり文化程度が高くない小国が集まっている。いや、部族と言った方が良いだろう。エルオリーセが昔、保護者であったジーンの探索旅行に同行して訪れたのも、そんな土着民の部落だった。

 けれど西や東の商人たちが、大陸伝いに南下してあちこちに小さな町を作った。大陸最南端のワイアという町もそこから発展して、今は大陸中央にあるレーエフからも、様々な人々が訪れていた。大河であるクロス河を利用する船旅は、安全なこともあって流通の要ともなっている。


「南国の珍しいフルーツが、美味しいらしいよ」

 エルオリーセはパッと目を輝かせた。

 けれど夫の少し悪戯っぽい瞳に気づくと、急いで落ち着いた表情に戻し、穏やかな笑みを浮かべた。

「・・・それは、楽しみだわ」

 学院教授の妻らしい、微笑みだった。



 クロス河を下るエライザ号は、なかなかに大きく立派な客船だった。乗客は基本富裕層で、観光目的がメインのため、船内設備はしっかり整っている。人気があるため予約をとることも難しかったが、たまたまキャンセルが出ていたので、今回乗船が叶った三吾とエルオリーセだ。


「気持が良い風・・・こんな船で河を旅するなんて初めて」

 エライザ号の最上階はサンデッキになっており、そこに上がると河の両岸の景色や行き交う船を眺めることができる。

 栗色の髪をなびかせながら、エルリーセは楽しそうに流れてゆく景色を楽しんでいた。

「ワイアまで2日かかるけど、退屈しないで済みそうだな。ちょっとした店もあるし、図書室もあったからね」

 仕事の事は忘れるつもりだったエルリーセは、モスグリーンのワンピースと薄手のコートを着ている。レーエフを出航してからまだ数時間しか経っていないが、真冬なのにもうこれでも暖かすぎるくらいだ。明日になればコートは不要になり、到着する頃には長袖のワンピースでも暑くなるのだろう。


「あっ!見てみて、三吾。アルカの群れが、水を飲みに来てるわ!あの蹄って、結構貴重なそ・・・」

 そこまで言って、彼女はハッと口を噤んだ。

 素材だの採集だの、そんな仕事の事は忘れるつもりだったのに。

「・・・そ?・・・素材?・・・蹄じゃ採集に苦労しそうだな」

 三吾はクスクスと笑いながら、エルリーセの言葉を拾い上げる。

「う、うん・・・じゃなくて、ええ」

「リーセ、何だか無理してない?」

 近頃彼女は、こんな風に言葉を言い換えたり、態度を急に変えることがある。気になっていた三吾は、愛する妻に聞いてみることにした。


「無理?・・・無理はしてないけど、ちゃんと自覚しないとって思って」

 結婚して半年以上が経っている。もういい加減、子供っぽい言動は相応しくない。妻として、大人の女性としての振る舞いが大事だと思っていた。

「三吾の、学院教授の妻らしくしないとって考えたの」

 身体だけ大人になっても、中身が伴わなければ人間社会の中では眉を顰められることが多いのだから。

「僕は、無理に変えなくても良いと思うけどね。君の可愛らしい言動は大好きだし、それにこういう風に素のままで無邪気に話すのって、僕にだけだろう?」


 確かにエルリーセは、三吾以外には礼儀正しい口調で話す。初めて三吾と言葉を交わした時から親しくなるまでは、丁寧な言葉遣いだった。

「そうね、三吾がその方がいいならそうする」

 彼に合わせて、落ち着いた妻を目指すことはしない方が良さそうだ。夫の前では。

 エルリーセの大きな瞳に、無垢な輝きが見えた。

 そんな妻が愛しくて、三吾は彼女の肩を抱きしめてその頬に優しくキスをした。


 エライザ号の船内には、小さな図書館やいくつかの店舗もあり、様々なサービスが整っている。規模こそ小さいが、豪華客船のような空間だった。

「失礼、素敵な犬ですね。ボーダーコリーですか?」

 図書室で先に本を借りて、外の椅子に座って三吾を待っていたエルオリーセに声が掛かった。

「え?・・・ええ、はい」

 彼女は開いていた本を閉じて、顔を上げる。そこにはにこやかな表情を惜しみなく浮かべる、若い男性の姿があった。身なりは良く礼儀正しく振舞ってはいるが、どことなく軽い感じがする。

「僕も犬が好きでしてね、家にも3頭ほど飼っているんですよ。よろしければ、あちらでお茶でもいかがでしょう?」

 自信たっぷりに右手を伸ばす男は、断られることなど思ってもいないのだろう。


 エルオリーセは、ふぅと小さくため息をつくと、図書室の方に視線を投げる。

 丁度、三吾が手に本を持って出てくるところだった。

「主人が来ましたので、失礼します」

 スッと立ち上がって穏やかな笑みを残し、エルオリーセはアルバと一緒に立ち去った。

「・・・え?既婚者?」

 男の呟きが小さく聞こえた。


「お待たせ・・・また、声を掛けられてたの?」

「うん、また、お茶でもどうかって。暇な人が多いのね」

 エルオリーセは屈託なく微笑むが、三吾の方は穏やかではない。

(船に乗ってから、何回目だろう・・・)

 三吾が少し彼女の傍から離れると、まるで待っていたかのように男性が声を掛ける。

 彼女の方は、失礼の無いように断るのが常だし、アルバが守るように傍にいるのでそれ以上のことはないのだが。

(妻が魅力的なのは、確かに嬉しいことだけど・・・)

 それでもやはり、どこか不安になるのは仕方がないことだろう。

 若く美しい妻を持つ夫は、誰もが多かれ少なかれそんな気持ちを抱くのだろうから。

 そんな夫の複雑な思いには気づかず、エルオリーセは彼の腕にそっと手を置いた。


 やがて客船は、河口近くにあるワイアの港に到着した。

 そこから南国風の馬車でホテルに着くと、ロビーに待っていたのはオーナーであるマーキュリー・コルムと、その想い人であるフェル・ミウだった。

「やあ、久しぶり。長い船旅、お疲れ様。ようこそホテル・グランドワイアへ」

 大実業家であるマークは、以前と変わらぬ明るさと気さくな態度で声を掛けてきた。

「マーク!君がここに来てるとは、思ってもいなかったよ」

 驚く三吾に、マークは自分たちが座っているソファーの前の席を指し示した。

「はは、まぁ座ってくれ。エルオリーセさんも、ますますお美しくなられて、三吾は気が気じゃないんだろうな」

 図星を刺されて一瞬顔をしかめた三吾の横で、エルオリーセは笑顔で挨拶を返した。


「それにしても、忙しい君が何故ここまで来ているんだ?フェル君も連れて」

「ああ、ここに君たちが来ると連絡をもらってフェルにその話をしたら、珍しく会いたいって言ってくれてね」

 マークの恋人であるフェルは、彫刻師だ。オガネにあるマークの自宅にある作業場で、日々制作に取り込んでいる。口が利けないのもあって慣れない所に行くことは好きではない彼だが、ワイアに行ってエルオリーセと三吾に会いたいとマークに伝えたのだった。


 南国風の品の良い調度と、観葉植物に囲まれた心地よいロビーには、薄っすらと甘い香りが漂っている。

 これから続く南国リゾートの日々は、どのように過ぎてゆくのだろう。



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