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メタモルファルは寄り添う  作者: 甲斐 雫
第4章 犬型メタモルファルは気遣う
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64 生き延びるために

「なっ、何なの、この臭いモノは!」

 バナジアが悲鳴に近い声を上げた。


 彼女は御者の物だった弁当箱を持ち、その娘は蓋の方を持っている。薄い金属製の弁当箱の中には、暖かく濁った液体が入っていた。

「今、用意できるものはこれだけです」

 エルオリーセはそう言って、ついでにどういうものかを説明した。

「御者の残飯である鳥の骨を砕いて鍋で煮ただけのもので、調味料も香辛料もありませんから仕方がないですね。多少出汁は出ていますから、お湯を飲むよりマシでしょう」

「何ですって!下賤の者の残飯なんて、臭いを嗅ぐのもおぞましいわ!」


「ジルコニアさんにお願いされたので、貴女の分も分けましたが、飲まないのなら返しなさい。勿体ないので、私がいただきます」

 怒りで震えるバナジアの手から弁当箱を取り上げ、エルオリーセは出汁だけのスープを飲み干した。それを見て、ジルコニアは片手で鼻を摘んで一気に飲み下す。アルバは、鍋に残った分を綺麗に胃に収めていた。


「そんな物を口にするくらいなら、死んだ方がマシですっ」

 悔し気に言い放ち、馬車に閉じこもったバナジアに、エルオリーセは小さく溜息をついた。

「お母様が、ごめんなさい」

 母親に代わって謝るジルコニアは、エルオリーセを頼れる存在だと認めていた。

「『死んだ方がマシ』というのは、死ぬほど辛い目に遭ったことが無い人間が言う言葉ですから、あの人はまだ大丈夫です」


 飢えと渇きで死ぬ寸前まで苦しんだものなら、あんな言葉は出ないだろう。つまり、バナジアはまだ耐えられる状態だと言うことだ。エルオリーセはジルコニアに淡々と告げると、片付けを始める。そんな彼女に、未だに態度を変えない母親に代わって娘が姿勢を正した。


「ジルコニア・オキシロと申します。お名前を伺ってもよろしいですか?」

 女学院で教わったマナーを思い出して、ジルコニアは尋ねた。

「エルオリーセ・ハイドランジアです。レーエフのユニバース学院で専任探索者をしています」

 ユニバース学院の名前は、ジルコニアでも知っていた。女学院の先生のようだと思ったのは確かだった、と納得する。けれど、探索者という仕事を聞くのは初めてだ。

「学院の研究に必要な物を、依頼を受けて採集しに行く仕事です」

 エルオリーセが付け加えてくれた説明に、彼女が何故この森にいたのかが解った。

「それでは、ここにいらしたのは、偶然なのですね?」

 何かを採集しに来ている時に、自分たちと同じように偶然ここに居合わせたのだろう。エルオリーセの様々な知識や慣れた行動にも納得できる。

 そんなジルコニアに、エルオリーセは黙って微笑みを浮かべた。

(メタモルファルに乗って来た、なんて言えませんよねぇ)



 そして数日が過ぎた。

 三吾は日々筋肉痛と戦いながら、崖崩れの復旧作業を手伝っていた。毎日高台に上り、エルオリーセが約束した布の合図を確認しに行く。一度も彼女の姿を見ることは出来なかったが、布は毎日きちんと交換されていた。

(今日も、頑張っているんだろうな)

 休憩時間や夜になると、考えるのは彼女の事ばかりだ。


 脳裏に浮かぶ、鮮やかに変わる表情のどれもが愛しい。

 どんな格好でも、どこに居ても、生き生きとしたしなやかな姿が懐かしい。

 そしてあの晩の、ボート小屋での出来事も。


 暖かく柔らかく、自分を包んでくれていた肢体。

 彼女の匂いを感じる肌の、しっとりとした感触。

 吐息も涙も、彼女の全てを覚えている自分の肌。

 短い時間だったが、思い出すとあの時ほど、彼女を女性として強く感じたことは無かったような気がする。愛していると何時も思っていたが、精神的な、プラトニックな傾向が強かったのかもしれない。

(いい年をして、これじゃ思春期の青少年みたいじゃないか)

 ここに来てようやく、彼女が欲しくてたまらなくなるなんて。

 三吾は自嘲気味に笑うしかない。


 思い返せば、自分はいつも待っていたような気がする。

 エルオリーセが依頼を受けて採集に行く時は、いつもレーエフで彼女の無事な帰りを待っていた。彼女の行動を待つという事に慣れ過ぎて、積極的にこちらから働きかけることをしなかったかもしれない。

 そしてこのままでは、これからも、そんな日々が続くのだろうとも思う。


「リーセは、結婚したらどうするのかな・・・」

 三吾は、ふと思いついたことを言葉にした。

 仕事を辞めて家庭に入りるのだろうか。それとも今まで通り、仕事を続けてゆくのだろうか。

 そして、自分はどうあって欲しいのか。

(今のうちに、ちゃんと考えておかないといけないな・・・)

 婚約者同士という状況になった今こそ、しっかり考えて伝えなければならない。三吾は彼女を待つ間、時間が許す限り考えておこうと思った。



 孤立した場所の3人は、何とか食料を確保して生き延びていた。

 木鼠が貯蔵した木の実を探し当てたり、山芋などを見つけて掘ったり、小川の小魚を獲ったりして、味は酷いがギリギリ必要なカロリーは摂取できている。

 木の実の中にあった栗を焼いた時だけは、バナジアも嫌な顔をせずに食べた。そしてそれ以降は不承不承という態度もあからさまだったが、娘が差し出す食料を黙って食べるようになっていた。


 ジルコニアは、自分も食料探しを手伝うと申し出たが、エルオリーセはあっさりとそれを却下する。

「足手まといにしかなりません」

 きっぱりと断られた少女は、ガックリと肩を落とす。

「適材適所、という言葉があります。貴女には、貴女にしか出来ない事をしてください」

「え?」

「貴女のお母様のお世話です。こっそりどこかに行ってしまったり、危ない事をしないように見張っていることですね」

 バナジアは、そろそろ何をしでかすか解らない状態ではないだろうか、とエルオリーセは危ぶんでいた。我慢も限界で、ヒステリーを起こしかねないと。

「解りました」

 ジルコニアは、しっかりと肯いた。


 この少女は、母親よりも父親に似ているのだろうとエルオリーセは思った。

 幼いながらも柔軟な思考と対応ができ、状況に応じた行動がとれる。理性的な判断で、納得すればそれに従うことが出来るようだ。今までは母親の庇護下で、その才能を発揮することも無かったのだろうが、自分で考えて行動するようになれば、その未来の可能性も広がるだろう。

 エルオリーセは、教師のような笑みでジルコニアを見ていた。




 そして1週間後、復旧作業が大分進み、現場から落ちた橋の様子が見通せるようになる。

 森近くに移動させられた馬車の近くに3人の姿を発見した村人たちは、その無事に安心し、更に作業を急ぐ。三吾も、兄が用意してくれた伝令で、その事を報告した。3人は、有力貴族の妻子とその侍女だと思われていたが、三吾はそれを訂正はしなかった。


 兄からは、返事と1人のハンターを送って来た。ヘビィボウガンの使い手だという狩人は、ボウガンの矢に少量の食物や手紙を括りつけて対岸に飛ばすことが出来た。

 手紙は三吾が担当して送ったが、バナジアの実家の件には触れないで置いた。ただ、あとどのくらいで仮橋が出来るかだけを伝え、それまで頑張るようにとだけ書いた。


 食料の供給に目途がたったことでもあり、作業する村人たちの姿も見ることが出来て、3人はホッとしていた。バナジアさえ、眼に見えて元気になったようだ。


「助かりそうですね。そう言えば、助かった後、私は何を覚えておけば良かったのでしたっけ?」

 エルオリーセは、至極真面目な顔つきで、バナジアに話しかけた。

「・・・・・・」

 キッと睨みつけた貴族の奥方だが、エルオリーセの事は娘に聞いて思い出していた。

「・・・忘れたなら、それで結構」

 少しばかり悔し気な声で答えたバナジアに、エルオリーセは初めて彼女に笑顔を向けた。

「世の中、何が起こるか解りません。違うテリトリーの中に入ってしまうことも、そこでどんな相手に出会うのかも予測できないものです。でも、そうなるかもしれないと想像することは出来ますよね」


 エルオリーセの言葉を聞いて、傍にいたジルコニアは何度も頷いていた。

 バナジアは、フンと顔を背けたが、反論を口にすることは無かった。


 そして12日後、予定よりも2日早く3人は救出されたのだった。


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