63 サバイバル生活
太陽が西の地平線に沈んでゆく。夕焼けの綺麗な橙色が、明日の晴天を告げていた。
「・・・日が暮れるな」
三吾は座っていた崖の傍の岩から立ち上がり、眼下の森をまた眺めた。
あそこにエルオリーセがいる。向こう側に降りてから、一度もその姿を見ることは出来なかったが、きっと出来る限りの事をして頑張っているのだろう。
少しでも近くに居たくてこの場に留まっていたが、陽が落ちれば危険だろう。野生動物もいるし帰り道も足元が危ない。何の準備も無く、野営などの経験も殆ど無い自分がここで夜を過ごすことは出来ない。自分に何かあっては、かえって迷惑になると解っていた。
三吾は斜面を下り、崖崩れの現場に行ってみたが、既に復旧作業をしていた人々も帰り支度をしていた。
(明日の朝は、水と食べ物を持って来よう)
そして何でも良いから、自分に出来ることを見つけよう。
三吾はしっかりとした足取りで、カーボ村に戻った。
「お母様、喉が渇いたわ。お腹も空いてきたの・・・」
馬車の中のジルコニアが、母親に向かっておずおずと口を開いた。子供にとっては、無理のない事だ。けれどバナジアはピシャリとはね付けた。
「はしたない!大人しくしていらっしゃい!」
気位の高い彼女は、手に持った扇をイライラと振って呟く。
「全く気の利かない・・・」
何か御用はございませんかとか、お入り用の物はありませんかとか、伺いに来るべきではないか。身分の低い物は自分たちに対してそうあるべきだと信じている貴族の奥方は、眉を顰めて苛立っていた。
(今度、馬車のドアが開いたら、その顔をこの扇で叩いてやりましょう)
召使の折檻用鞭が無いのは残念だが、躾の必要がある。
けれど、ドアは開く気配も無かった。
「お母様・・・煙くて、臭いわ」
再びジルコニアが訴えた。
馬車の中を見回すと、先ほどの事故でヒビが入った窓ガラスから、白い煙が流れ込んでいた。
「馬車に火を点けられたっ!」
淑女らしからぬ大声を上げて、バナジアとジルコニアは転がるように馬車から出た。
「なっ、何なのこれはっ!」
馬車の周りには、ブスブスと大量の煙を吐いて燃えている塊が何個も置いてあった。
「獣除けです。市販品では無いので煙が多いですが、これから夜になるので焚いておかないと危険です」
エルオリーセは淡々と説明した。
つい先ほどまで辺りを歩き回って、材料を採集してきたのだ。
「ちなみにこの森には、デビルズラクーンが生息しています。アライグマの仲間と言われていますが、真っ黒な体と鋭い牙を持つ獰猛な動物です」
「デビルズラクーン?」
ジルコニアは聞き慣れない名前に、怯えたように聞き返す。
母親の方は、涙と鼻水と煤で汚れた顔を、袖で必死に拭っている。
「はい」
エルオリーセは、学生たちに講義をするように丁寧に説明を始めた。
デビルズラクーンは中型犬サイズの夜行性動物で、家族単位で行動する。大体5~6匹の群れだが肉食で、獲物を狩る時は協力して行うのが普通だ。
この森には、少なくとも1つのファミリーの縄張りになっているようだ。左程広くはない森だが、周囲を囲む断崖絶壁など、鋭い爪と見かけによらない力で簡単に上り下り出来る。
「生きた獲物を好むので、見つけると集団で攻撃を始めます」
獲物の脚に咬みつき、動きを封じて地面に倒す。後は一斉に飛び掛って食い始めるのだ。
「先ずは腹を食い破って内臓を食い、それから他の部分も、骨さえも噛み砕いて飲み込みます。後に残るのは、髪の毛くらいでしょうか」
そしてエルオリーセは、薄暗くなってきた森の奥を指さす。
「ほら、見えますか?」
闇の中に浮かぶ、真っ赤な目が2つ。
「1匹が、偵察に来たみたいですね」
バナジアは声にならない悲鳴をあげると、娘の手を掴んで馬車の中に飛び込んでいく。その姿は、侯爵家の孫娘のプライドなどかなぐり捨てたものだった。
その夜は馬車の傍で焚き火を作り、エルオリーセとアルバは交代で番をしながら過ごした。獣除けの臭いと焚き火の炎で、デビルズラクーンは近寄って来ることは無く、無事に朝を迎えることが出来た。
翌朝、念のためアルバを見張りに残し、エルオリーセは昨日見つけて置いた小川に向かう。手には水筒を2つ持っていた。
昨日、馬車を移動させたときに、御者台に縛り付けてある粗末なバッグを見つけていた。谷底に落ちた御者のものであろうバッグの中には、食べ残しの鳥の骨が入った弁当箱と水筒、小さな鍋などが入っていたので、エルオリーセはありがたく使わせてもらうことにしたのだ。
水筒に水を詰めた後、流れで顔を洗い川の様子を見ると、小さな魚が数匹泳いでいるのを見つけた。
(後で、獲りにこようっと)
食いでのある魚では無いが、多少の栄養補給にはなるはずだ。エルオリーセは立ち上がって、空を見上げた。
(三吾は、どうしているかしら・・・)
夜が明けると三吾は、昨日宿屋に帰る途中で買い求めた作業着に着替えた。
着慣れない衣服に気恥ずかしさを覚えたが、いつもの恰好では何も出来ないと気を引き締める。今日は、崖崩れ現場の復旧作業を手伝うつもりだった。
慣れない肉体労働だが、石を拾って袋に詰めたり、小さな岩なら運ぶことも出来るだろう。村の女衆もやっている事なのだ。大した助けにはならないだろうが、やらないよりはマシだ。
少しずつエルオリーセたちに近づけれのだと思えば、幾らでも頑張れそうな気がする。
三吾は朝食を摂ると、宿に頼んで弁当を作ってもらい、現場に向かった。
エルオリーセは馬車に戻ると、焚火を小さくして石を組み、簡単な竈を作る。御者の持ち物だった小さな鍋に水を入れて火にかけた。
ガッ・・・ガッ・・・ガッ・・
何かを砕くような音に、馬車の中の貴族母娘は目を覚ました。喉の渇きと空腹、そして馬車内に漂う異臭と煙のせいで安眠は出来なかったが、それでも明け方からはウトウトしていたらしい。
最初にジルコニアが、スルリと馬車から降りて来た。バナジアは、そんな娘の行動を窘めるような気力も無いのだろう。
「あの・・・喉が渇いて・・・」
石の上で残り物の鳥の骨を砕いていたエルオリーセが振り返る。
「そうですか」
それだけを答えて、砕いた鳥の骨を鍋の中に入れる彼女に、ジルコニアは唇を噛んだ。
ジルコニアの教育は、主に家庭教師によって行われていたが、父親の意向で女学院にも通っていた。女学院とは言ってもサロンの延長のようなもので、寮などは無く生徒は全員馬車での送り迎えが必須だったが、様々な爵位を持つ家の子女が通学していた。
母親は反対したが、父イットリュウがどうしても譲らなかった。バナジアとの夫婦生活で、ジルコニアに続く子供が産まれる可能性が低かったからだ。彼女にオキシロ家を継がせるために、どうしても必要だと説き伏せた。
ふと、ジルコニアは昨日の事を思いだした。
(この方は、女学院の先生みたい)
デビルズラクーンの説明を聞いた時に、そう思った。
通っている女学院では、こんな時どうすれば良いのか教えて貰ってはいない。喉が渇いたと言えば、直ぐに飲み物が運ばれて来るのが常なのだ。
けれど、先生と生徒の間には身分の上下は無いと教わっていた。まだ低学年の生徒ゆえに、ジルコニアはそれを素直に受け入れている。
ジルコニアは、別の言い方を考えた。
「飲み物が欲しいのです。何か運んできていただけませんか?」
エルオリーセは黙って水筒と地面に置いた。
「どうぞ。水が入っています」
ジルコニアは、ハッと気が付いた。
(自分で取りに行かないと、いけないのだわ)
水筒に近づき手を伸ばした彼女の手を遮ったのは、エルオリーセの手だった。
「何か、言うことは?」
一瞬手を引いたジルコニアだったが、相手を敬う気持ちは確かにある。
「・・・ありがとう」
エルオリーセは、にっこりと笑って水筒を差し出した。
少女は何故だか嬉しくて、頬を染めながら馬車に戻った。




