62 私のテリトリー
向こう側の藪の中に突っ込んだエルオリーセとアルバは、もぞもぞと這い出しながら身体に着いた木の葉や枝を叩き落とす。
「アルバ、大丈夫?」
スルスルと変身を解いていつもの姿に戻ったアルバは、大丈夫ですと言うように短く吠えた。
「お疲れ様、ありがとう」
エルオリーセはアルバを労うと、先ずは橋があった方へと足を運んだ。遭難者と馬車の様子を確認しなければならない。先ずは、そこからだった。
三吾はエルオリーセ達の無事を確認すると、崖崩れの現場に戻った。
兄には、彼女たちの行動を伝えることは出来ないが、その後の状況を確認したかったのだ。
しかしイットリュウは、珍しくイライラした様子で腕組みをしていた。
「何かあったのか?」
三吾が声を掛けると、兄は三吾の腕を引っ張ってその場を離れる。聞かれたくない話のようだ。
「実は、たった今、エレから早馬が来て報告を貰ったんだが、妻の実家の侯爵家で大変な事が起こりそうなんだ」
兄は、縁を切ったと言っている弟に、詳しい話を始めた。
亡くなったバナジアの父は、急死に近かった。高齢ではあったが有力貴族である侯爵家を、しっかりと維持していたのだが、突然の出来事だった。一応跡取りは彼女の兄となっていたが、これが曲者だった。
父親は侯爵家の後継ぎとして息子を熱心に教育をしてはいたが、性格は自信過剰とも言える程で、取り巻きや友人たちもそれを抑えることが出来ないまま、現在に至っている。
そんな長男は、父親の死後侯爵を世襲する運びになっていたが、公的な手続きが済んだら、かねてから抱えていた野望を実現しようと考えていた。
クトロ公国に対するクーデターだ。
「以前から怪しい動きがあってな、うちの商会にも明らかに軍備だと思えるような品物について打診があったりしていたんだ」
どの程度の量を用意できるのかとか、用意できるまでにどのくらいの日数が掛かるのか、と。
「しかしどう考えても、成功するとは思えない。少なくとも、彼はそんな器じゃないからな」
妻の兄だし、関係を悪くすることは出来ないが、侯爵が元気なうちは取り敢えず当たり障りのない付き合いをしてきた。しかし念のため、彼の周囲には優秀な密偵を複数入れて、動向を常に把握していた。
そんな密偵から連絡が来て、5日後に決起するようだと言う。
イットリュウは、声を潜めて三吾に告げた。
「ここからは、お前の胸に収めて置いてくれ。他言無用だ、いいな」
三吾としては、関わり合いになりたくないところだが、それを許さない雰囲気が兄にある。
「今から直ぐにエレに戻って、対策を取る。クーデターは失敗に終わると確信しているので、プラチナム公爵家とは早急に縁を切らなければならない。つまりバナジアと離婚して彼女を実家に戻し、オキシロ商会は無関係だと公にする」
三吾の表情が引き締まった。
妻の意思など関係なく、夫は妻を離縁できるのがクトロ公国の法律だ。そして兄は、妻子よりオキシロ商会を選ぶのだ。
「それで頼みがある。宿に馬と伝令と伝書鳩を置いてゆくから、何かあったら適宜それらを使って連絡をくれ。こちらからも必要があれば同様に連絡する」
オキシロ家の当主は、深々と頭を下げた。
そういう訳か、と三吾は納得した。
事情を理解できて信用が置ける者として、三吾に白羽の矢を立てたのだ。個人的にバナジアに対して遺恨を抱えているのも、都合が良い。彼女に同情して、変な行動をとる事も無いのだから。
どのみちエルオリーセが、バナジアたちの元に向かっている。ここに留まって彼女を待つつもりの三吾には、特に断る理由も無かった。
兄が立ち去ると、三吾は再びエルオリーセと別れた場所に足を運んだ。
いつの間にか、向こう側の1本の木の梢に白い布が結びつけられている。三吾はこれから毎日、可能な限りここで過ごそうと決めた。
一方エルオリーセとアルバは、辺りの様子を調べながら落ちた橋のたもとに向かった。小さな川の流れが見つかったので、飲み水の心配は無いだろう。おそらく断崖のどこかから湧水が出ているのだろうと思う。ただ心配なのは、野生動物の痕跡が見つかったことだ。糞や体毛から、エルオリーセはその動物が何かということが解った。
(・・・ちょっと面倒かな。でも対処は出来るはず)
そんな事を考えながら目的の場所までやって来ると、彼女は足を止めて辺りを見回した。アルバは念のため、森の中に隠れていて貰った。
橋のたもとにある杭に引っ掛かっている馬車の本体は、傾いてはいたが取り敢えず大きな破損は無いようだ。馬が落ちた時に、咄嗟に馬具のつなぎ目を切ったのだろう。御者はその動作でバランスを崩して落ちたと思われた。
近くの大きな木の根元に、豪奢な衣装の女性と女の子が座っていた。
2人はエルオリーセとアルバを見て、酷く驚いているようだった。
「・・・見たことがあるわね。誰だったかしら?・・・まぁ良いわ。助けに来たのね」
わずか半年前だが、バナジアの記憶にエルオリーセは無いらしい。暇つぶしの対象の、下賤の者などいちいち覚えていないのだろう。
「助けに来たわけではありません。この森に掛かっている橋は2つとも落ちてしまったので、ここは孤立しています。助けは2週間以上、ここまで来ることは出来ません。まぁ、それまでの間、多少は手助けできるかもしれないですけどね」
エルオリーセは冷淡に現状を説明した。
「な、なんですって!」
思わず声を上げて狼狽するバナジアに構わず、彼女は冷ややかに問いかける。
「もう1人、侍女の方がいると聞いていますが?」
すると娘のジルコニアが母親に代わって答えた。
「マリアは助けを呼びに行ったわ。お母さまが命じて、あっちの崖を降りて行ったの。でも・・・悲鳴が聞こえたから・・・」
エルオリーセは無言で、ジルコニアが指し示す方向へ足を運ぶ。崖の縁から見下ろすと、遥か下の谷川の近くに女性の遺体が見えた。
女主人に命じられ、何とか崖を降りようとしたのだろう。けれど逆らうことなど許されないその命令は、彼女には荷が重かったのだ。
「生きているのは貴方たち2人だけですね。助けが来るまで、生き延びられるかどうかは解りませんが、出来るだけのことはしようと思います」
静かな怒りを滲ませて言うエルオリーセに、それでもバナジアは胸をそびやかして言い放った。
「仕方がありませんわね。お前に私たちの世話をする許可を与えます」
バナジアの言葉に、エルオリーセは鼻で笑って答えた。
「ここは自然の中。私のテリトリーです。貴女に命じる権利はありません」
そう、ここはオキシロの、或いはプラチナム侯爵家の力など及ばない区域だ。
きっぱりと告げるエルオリーセの姿こそが、威厳に満ちた王者のように思える。バナジアはグッと言葉に詰まり、やがて悔しそうに呟いた。
「助かった後は、覚えているが良いわ・・」
「助かるかどうかは、解りませんよ。貴女次第、と言っておきましょう」
エルオリーセは、不敵な笑みを浮かべた。
取り敢えず、あの馬車を何とかしようと、エルオリーセはアルバを呼んだ。
黒白の大型犬を見たジルコニアは、夏に一度だけ見たその姿を覚えていたようで、ハッと目を見開くが何も言わず大人しくしていた。
馬車の中にあったカーテンなどの布を使い、丈夫な太いロープを作ると、エルオリーセとアルバは少しずつ馬車を引っ張って移動させる。車軸や車輪に損傷が無かったのが幸いして、橋のたもとから少し離れた場所に移すことが出来た。
街道から外れず森に近いその場所で、エルオリーセは石を探して車輪止めにするとアルバに声を掛ける。
「これで、ヨシ。ありがとうアルバ。流石に力持ちね」
自分とアルバだけなら野宿で充分だが、あの2人ではそうはいかないだろう。
「取り敢えず、馬車の中に入っていいですよ。許可を与えます」
エルオリーセは意地悪そうな笑みを浮かべ、馬車の扉を開けてやった。
これから2週間くらい、3人と1匹で過ごすことになる。
あの夏の日に受けた虐めと虐待に、多少は報復しても罰は当たらないだろう。
(生憎、聖人君子じゃないんです。でも、餓死させたりはしませんからね)
自分の流儀で、自然の中のルールで生きる時間は、バナジア親子にとってはどんなものになるのだろうか。
エルオリーセは今後の行動を考えながら、2人が乗り込んだ馬車の扉を閉めた。




