34 メタモルファルに託された想い
雨の夜、初めての口づけを交わした三吾とエルオリーセは、翌日も学院の研究室でそれぞれ自分の仕事に入っていた。とは言え、どちらもなかなか集中できずにはいたのだが。
それでも三吾は、自分の研究室付きの助手に怪しまれながらも、新しい遠心分離機の前でその動きを見守っていた。いや、正しくは見守る振りをしながら昨晩の事を思いだしていた。
そんな研究室のドアを、何かが引っ掻くような音が聞こえる。
カリカリカリ・・・カリカリカリ・・・
控えめだが規則的な音なので、助手がそうっとドアを開けて見ると、そこには黒白の大型犬がお座りをしていた。
「・・・・え?・・・ハイドランジア教授の?」
この犬が彼女の飼い犬だということを知っている助手は、そのままドアを大きく開いた。
アルバは当然だというように、悠然と中に入って来る。そして三吾の白衣の裾を咥えると、来てくださいというように引っ張った。
三吾が連れて来られたのは、エルオリーセの研究室だった。室内に入ると、アルバは開いている窓から顔を出し、辺りに誰もいない事を確認する。
「アルバに引っ張ってこられたんだけど、何かあったの?」
昨晩のこともあるので、いささか面映ゆい三吾だったが、それはエルオリーセも同じだった。
「いえ、何も・・・急に出て行ったから、どこに行ったのかと思ってたの」
するとアルバは、壁際の棚の前に歩み寄り、ふわっと毛並みを逆立てるとシュルシュルッと尻尾を伸ばした。
「ええぇっ!」
驚く2人を尻目に、黒白のメタモルファルはファサッと尻尾を振り上げ、棚の上の文箱に絡めてそれを下ろした。長さも充分で器用さも抜群な尻尾は、人間の手と変わらない動きを見せる。
「アルバ!何時からそんな事が出来るようになったの?」
目を丸くするエルオリーセに、アルバは口角を上げて笑い顔になる。そして、これも出来ますというようにもう一度ふわっと毛並みを逆立てると、黒白の毛皮が色を変えた。
全身真っ黒な、黒犬。
そして魔法の様に、次は純白の白犬。
アルバは、毛の色を自在に変えられるようになっていた。
「す、凄いな・・・」
呆気に取られる三吾の横で、エルオリーセがアルバに問いかけた。
「緑とかピンクにもなれるの?」
白犬姿のメタモルファルは、彼女の言葉通りに色を変えて見せた。
「・・・ファンタスティック・・・だな」
「ねぇアルバ、尻尾以外も変えられるの?」
毛色を元の黒白に戻したアルバは、笑い顔もそのままにブルっと頭を振る。
そこに現れたのは、垂れ耳の気の良さそうな犬の顔だった。
まだ身体全体を変身させることは出来ないようだが、部分的な変化と体色変化は自由自在にできるようだ。それだけでも、全く別の犬に見えることは間違いない。
「初めて見たけど、見事なものだなぁ」
感心する三吾だが、エルオリーセも見たのは初めてだ。
「何時から出来るようになったんだろう・・・雰囲気が変わったなって、あの時思ったけど」
それは、アルバがひと晩彼女の傍を離れていた翌朝。
テルルと一緒にいたのだろうと思われた、あの時。
「ああ、そうか」
エルオリーセは納得したように、軽く肯いた。
「ん?」
「アルバがテルルと・・・その・・・交尾したでしょ?」
エルオリーセは言いにくそうに答え、それから淡々と説明を始めた。
アルバの先代、ナギ・ファルフォアは言っていた。
メタモルファルは、大人になると自分が変身獣であることを自覚して、その特性が次々に出て来る。元々寿命が長いので、人間からすれば時間が掛かるように思えるが、出来ることが増えてゆくのだ、と。
「大人になるっていう事は、成犬になることだと思ってたけど、犬だと個体差はあっても成犬になるのは早いでしょう?だから、アルバは成長が遅いタイプかと思っていたの」
大型犬の場合、平均して15カ月くらいで成犬になる。けれどアルバは、それが過ぎてもそんな気配は一向に無かった。
「大人になるって言うのは、一人前の雄犬として交配をするっていうことだったんだな、って」
生物種として子孫を残すと言うことは、種の存続として大事な命題だ。いささか露骨なことだが、交尾をすることが大人になると言うことだったのだろう。
成程、と三吾が頷いたところで、アルバは棚から降ろした文箱を前脚と鼻先で器用に開ける。
「この文箱は?」
「これって・・・ジーンがアルバにあげた物だったけど・・・アルバの物だから、勝手に開けちゃダメって言われてて、忘れてた。そんな所にあったんだ」
パカッと蓋が開くと、中に入っていたのは1通の手紙だった。
アルバはそれを咥えると、三吾の前に行って差し出す。
「え?・・・僕に?」
怪訝な顔で受け取った三吾は、その封筒の表書きを見た。
『新しい理解者へ』
そう書かれた手紙は、ジーンの筆跡だった。
『エルオリーセの新しい理解者様へ。この手紙は、メタモルファルであるアルバに託しました。私の後に彼女の理解者になった誰かに、それが相応しいとアルバ自身が認めたら渡すように、と。
エルオリーセは、身寄りがない私にとって娘のような存在であり、掛け替えのない大切な教え子でもありました。出来ればもっと長い間、彼女の理解者でありたかったのですが、それが出来ないと解った今、こうしてこの手紙を書いています。
今、この手紙を読んでいる貴方が男性なのか女性なのか、それは解りませんがアルバが認めた方ならば安心だと思っています。
エルオリーセが、少し変わった女性であることは、もうご存じだと思いますが、どうか彼女を理解してあげてください。私の愛するエルオリーセが、幸せな人生を送れることを、心から祈っています。
エルオリーセの最初の理解者 ジーン・ボロン』
三吾はジーンの手紙を読み終わると、それをエルオリーセに渡した。
彼女は手紙を読み終わると、胸に抱いて俯き、そっと呟く。
「ジーン・・・ありがとう・・・理解してくれて、愛してくれて」
三吾は、ふいにアルバに頼んだ。
「アルバ、窓の外を見張っててくれないか?」
一瞬怪訝そうな顔をしたが、アルバは素直に窓辺に寄り、両方の前脚を窓枠に掛けて顔を外に出した。誰もいない中庭を眺めながら、けれどその黒い両耳をピョコッと後ろに向けて室内の音を拾う。
「・・・?」
三吾とアルバのやり取りに気づいたエルオリーセは、怪訝な顔になった。
「君の半身であるアルバから認めて貰えて、光栄だと思ってる。託されたジーンの想いも、しっかりと受け取った。僕は、これからもずっとエルオリーセ・ハイドランジアの傍にいて、理解する努力を惜しまず愛し続ける。だから、これは誓いのキスだよ」
三吾はエルオリーセの肩に手を置いってそう言うと、返事をしようとする彼女の唇を奪った。
「・・・・んっ・・・・っ」
半ば開いた彼女の唇に重ねられた彼のそれは、彼女にとって初めてのディープキスになった。
優しく、けれど意志を持って入って来る彼の舌が、エルオリーセの思考を払拭する。
強く求められ、深く愛されている感覚に、頭どころか体全体が痺れるような気がした。
腰の辺りに熱が集まり、身体から力が抜けてゆく。
三吾が漸く唇を開放した時、エルオリーセは彼の胸の中に身体を預けていた。
とろりとした眼に、濡れて光る唇。
薄っすらと染まった頬に、恍惚とした表情。
「・・・なに・・・こんな・・・」
初めての感覚は、癒されるときのそれに似ていた。
気持ち良いと感じる以上に、不安が勝る。
「・・・変・・・」
「リーセ?」
三吾は彼女をギュッと抱きしめた。
微かに震える細い身体が、ただ愛しい。
「愛してる」
彼は彼女の耳元で、そっと囁いた。
そんな様子を、両方の耳でしっかりと聞き取っていた黒白のメタモルファルは、外を眺めたまま大きく溜息をついた。その気持ちを言葉にすることができたなら、こう言いたかったに違いない。
『これから先が、思いやられる』
この先も、何度も見張りをさせられそうな予感がしていた。




