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メタモルファルは寄り添う  作者: 甲斐 雫
第2章 犬型メタモルファルは覚醒する

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33 理解者の口づけ

 土砂降りの雨は、レーエフでは珍しい天気だ。

 風こそ強くないが、激しい雨足に辺りが白く煙っている。そんな出歩く人などいない街中を、三吾は急ぎ足になっていた。


(雨が強いから出られなくて、家にいるのかもしれない)

 そうは思ってみても、何故か薄っすらと不安を感じるのだ。

 エルオリーセの下宿に着くと、呼び鈴を鳴らす。出て来たのは大家である初老の女性で、三吾が彼女の保証人であることを思い出して微笑んだ。

「あら、こんな酷い雨の中、どうされました?ハイドランジアさんに、何か御用?」

「すみません、彼女はいますか?」

 大家さんは、見てきますねと言って中に入ってゆく。びしょ濡れの三吾は、中に入るのが憚られてそこで待つことにした。


「部屋に居ないみたいだわ。今日は早く帰って来ていたけど、いつの間に出て行ったのかしら?こんな雨の中・・・」

 ややあって戻って来た女性は、首を傾げている。

「すみません、部屋に入れてもらってもいいですか?」

 ただならぬ三吾の雰囲気に気圧されて、大家さんはどうぞと彼を招き入れた。


 彼女の部屋の机の上には、封を切られた封筒と数枚の便箋があった。悪いとは思ったが、三吾はその手紙に眼を通す。

 それは、ジーン・ボロン博士の訃報だった。


 三吾は雨の街に飛び出した。

 以前、彼女が言っていたことを思い出す。


 ジーンはチェア湖の近くの病院にいると言っていた。エルオリーセにとって彼女がどれほど大切な存在であったかは、いつも身近に置いている細密画(ミニアチュール)の肖像を見れば解る。


 チェア湖は遠く北に連なるテーブル山脈の麓にある。

 三吾は、レーエフをぐるりと囲む城壁の北門に向かった。


 雨粒は小さくなったが、雨はまだサァサァと降り続いていた。

 三吾が北門に近づき、門を守る衛兵に問いかけると彼は犬を連れた娘が来たと答える。

「閉門する時間だったからそう言ったら、物見台に上がっていったな。ほら、あそこに在るヤツさ。その後、雨が降って来たから帰ったんじゃないか」

 衛兵が示す方向には、木で組み立てた階段付きの構造物がある。雨の夜で辺りは暗かったが、かなりの高さがあった。あの上に登れば、城壁越しに遠くが見渡せるはずだ。


 三吾は雨に濡れる階段を、静かに上がってゆく。

 思った通り、エルオリーセとアルバは物見台にいた。板敷の床に膝を立てて座るエルオリーセと、傍に寄り添うアルバは雨の中で遠くを見ていた。


「・・・リーセ」

 彼の呼びかけに、エルオリーセはゆっくりと振り返る。

「三吾・・・何故、ここに?」

 三吾は彼女の隣に腰を下ろして答えた。

「ルビーの店に来ないから、心配になって部屋に行った・・・ジーン・ボロン博士が、亡くなったんだね」

 エルオリーセは彼から視線を外し、再び遠くを見る。

「・・・北の空が、見たくて」

 レーエフの街中では、遠く北の空を眺めることが難しい。だから、ここまで来た。

「明日にでも、チェア湖の病院に行くの?」

 もし行くのなら自分もついてゆくつもりで三吾が問いかけると、エルオリーセはいいえと頭を振った。

「もう、お別れは済ませているから・・・」


 そして彼女は暫く黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。


「私は、しゃべらない子だったの・・・」

 子供の頃からずっと、人とのコミュニケーションが苦手で1人でいることが多かった。祖母と一緒にニオブ島に移り住んでからもそれは変わらなかったが、サマリ農園の夫婦だけは2人に優しく接してくれた。

「島で暮らすうちに、ハイとかイイエとか、最低限の言葉は話すようになったけど、その程度だった・・・」

 ジーン・ボロン博士が2人をレーエフに来るよう提案したのは、祖母がリバモリ族の巫女だったので、研究のため色々話を聞きたかったと言うこともあったが、無口な少女に興味を惹かれたからでもあった。


「レーエフに来てから、ジーンは毎日来てくれて・・・」

 ジーンは祖母と少し話をすると、後はエルオリーセの傍で様々な事を教えた。祖母は孫のような拾い子を大切に思っていたが、彼女にはエルオリーセのそんな個性をどうすることも出来なかったので、ジーンに感謝をしていた。


「時には城壁の外に連れて行ってくれて、動物や植物や・・・色々な自然の事を沢山教えてくれた・・・」

 動植物の生態から鉱物の見分け方まで、ジーンは言葉が極端に少ない少女に、根気よく丁寧に語り掛けた。そして少しずつ言葉を引き出し、同時に少女の才能も伸ばしてゆく。

「ジーンが導いてくれたから、今の私があるの。だから一度だけ、聞いたことがあった・・・」


『ジーンは私の何なのかな?』

 親兄弟でも無く、親戚でもない。年齢的には、母と娘に近いと思った。だから、お母さんみたいなもの、という言葉を期待していたのかもしれない。

 けれど、ジーンは微笑んでこう答えた。

『私はオリーの理解者よ』と。

 エルオリーセをオリーと呼んだ彼女は、母親よりも特別な存在だったかもしれない。


「ジーンは私の、理解者なんです。祖母でさえ解らなかった私のことを、正しく理解して導いてくれた・・・」

 普通とは違っていた少女の本質を理解し、その成長を助けてくれたジーンは、肉親以上の存在だった。だからエルオリーセは、この聡明で優しく愛情深い女性の傍にずっと居たいと思っていた。


 けれどジーンは、不治の病を得た。

 それを知った彼女は、冷静に今後の事を考え、それをエルオリーセに告げた。


 遠いチェア湖の病院に入る事。

 まだ途上の研究は、引き継いでもらいたいという事。

 そして、病院に会いに来ることは禁止するという事。


 ジーンは言った。

「オリー、私は貴女の肉親でも親戚でもないの。だから、私のお見舞いのために貴女の時間を割く必要はないわ。私としては、弱ってゆく自分を、貴女に見せたくないっていう気持ちもあるのよ」

 彼女の理解者として、出来ることは全てやったという自負もある。彼女の才能を開花させたという誇りもあった。

「手紙は書くわ。オリーも書いて欲しいけど、良い事も悪い事も全部教えてね。どんな事があっても、それは貴女の成長に繋がると信じているから」

 遠く離れても、会えなくても、時間に限りがあっても、自分はエルオリーセの理解者でいる。

 そう言って、ジーンは去って行った。


「ツラかったけど、ジーンの言った通りすることが私の務めだと思って・・・そう思って・・・」

 エルオリーセは顔を上げて、夜空を見た。まだ降り続く雨が、彼女の顔に洗うように流れている。

「でも・・・もう、ジーンはいないの。たった1人の・・・理解者で、私を愛してくれたジーンは、もういないの」

 彼女の碧の瞳から、涙が溢れ出していた。



「リーセ・・・」

 三吾は彼女の肩を掴んで、自分の方を向かせた。

「僕は、君の理解者になりたい。ジーンの後を継いで、君の理解者になりたい・・・いや、なる。未熟なのは解っているけど、ジーンのレベルには至らないだろうけれど・・・」

 それでも、彼女がそれを必要とする限り、ずっと傍にいて努力を続ける。


「ずっと、何時までも・・・傍にいる」

 三吾は軽く息を吸って、エルオリーセの1つだけの碧の瞳を見つめた。

「愛してる・・・リーセ。それだけは、ジーンにも負けない」


 彼の唇が、彼女のそれと重なった。

 雨の帳に包まれたその場所で、エルオリーセの冷えた身体にその暖かさが沁みとおる。

 涙と雨に濡れた彼女の瞼が、そっと下ろされた。


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