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メタモルファルは寄り添う  作者: 甲斐 雫
第2章 犬型メタモルファルは覚醒する

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32 アルバがパパで、リーセが給仕娘

「テルル、ちょっと触るわね」

 エルオリーセは黒灰色のシェパードの傍にしゃがみ込み、そっとその腹に手を伸ばした。

「・・・な、解るだろ?」

 ゲンが声を掛けると、彼女は頷いて立ち上がった。

「僅かだけど乳腺が張ってるし、乳首も腫れてるみたい。・・・アルバ?」

 エルオリーセが寝そべったままのパートナーに視線を投げると、舌をベロンと出したままアルバは口角を上げた。

『てへぺろ』ならぬ『てへベロン」というところか。

「・・・パパになるのね。おめでとう・・・じゃなくて!」


 エルオリーセはゲンに向き直って、真面目な顔になった。

「この場合アルバ・・・と私は、どんな責任を取れば良いのでしょう?・・・慰謝料・・・とか?」

 つい、人間の場合で考えてしまう。

「は?・・・いや、俺の方は寧ろ父親がアルバで良かったと思ってる。そもそもテルルは相手の選り好みが激しすぎて、交配は難しいと思ってたからな。アルバくらい優秀な犬なら、こっちが種付け代を払ってもいいくらいだ」

 種付け代・・・確かに犬の場合もそういうケースはあるが、アルバが急に家畜になったような気分になるエルオリーセだ。けれど、そう言って貰えるのはありがたい。

 おめでたい事に違いは無いから、と乾杯をしてエルオリーセと三吾は店を出た。


「まさかアルバが父親になるとはなぁ・・・」

 彼女を送る帰り道で、三吾は前を行くアルバに聞こえないように小さな声で呟いた。

「私も、驚きました。アルバの先代、ナギ・ファルフォアと話した時、世代交代と言われて単性生殖なのかと思いこんじゃって、交配については聞いていなかったんです。でも、近縁種だと異種間配合と言うのもあるんですよね」

 エルオリーセも囁くように説明する。

「例えば、ライオンとトラの間でも飼育下では子供が出来る場合もあって、ライガーとかタイオンって呼ばれるんですって。身近だと、馬とロバでラバが生まれますよね」

「・・・でも、異種間配合だと子供は不妊になるんだろう?」

 ラバに生殖能力が無いことは三吾も知っているし、以前彼女から聞いたこともある。

「ええ、ですからテルルが産む子供はきっとそうなるでしょうし、そもそもどっちに似るのか、まるで解らないですよね・・・」


 気掛かりなことは色々あるが、こうなると今はただ見守るしかないのだろう。

 歩みが遅くなった2人を残し、先に行ってしまったアルバは、振り返ってワンと吠えるだけだった。




 それ以来、テルルは居酒屋にいることになった。エルオリーセはそんなテルルが気になって、殆ど毎晩顔を出している。お客として夕飯をそこで食べているのだが、1人で切り盛りをしているルビーを見て、忙しい時間は店を手伝った。

 最初は皿洗い程度だったが、やがていつの間にか給仕娘のようになっていた。


 エルオリーセの男性恐怖症のような症状は、今ではほぼ無くなっている。三吾のお陰かもしれない、と思っていた。急に触られたりすればビクッと身体が硬直するが、今までのように気分が悪くなったり血の気が引いたりするような事にはならない。

 寧ろ彼女のそんな様子が初々しいと、お客の間では好評だった。


『笑うブチハイエナ亭』に来るのは常連客が多く、ルビーの躾が行き届いているのか行儀のよい常識人ばかりだ。狩人の割合が多かったが、羽目を外すことも無く酒と料理を楽しんで帰る。

 給仕をするエルオリーセに対しては、顔の覆い布さえも寧ろ勲章だと考える狩人たちにとっては、親近感があった。

 彼らはエルオリーセを可愛がり、彼女が忙しい時間にしか働かないのを知ると、わざわざ混んでいる時間を狙って来て、席が空くまで待つようにもなっていた。


「ねぇエルちゃん、居酒屋なんかで給仕娘してて、学院の方で何か言われたりしないの?」

 ここまでの状況になってしまうと、学院に伝わってしまうのではないか、とルビーは心配になる。

「あ、それは大丈夫。ただのお手伝いだし、ゲンさんも早番の時は手伝ってるじゃないですか」

 エルオリーセは、あっけらかんと答えた。


 お給料を貰っているわけでは無いし、色々とお世話になった方の手伝いだと言えば問題はない。衛兵隊の小隊長をしているゲンだって、やっていることなのだから。

「それに、採集に関する情報とかも、こういった居酒屋で入手できることも多いんですよ」

 狩人たちが話している内容から、採集のヒントが得られる場合は結構多いのだ。


 そんな訳で、何も問題は無いと給仕娘を続けるエルオリーセだが、寧ろ三吾の心労の方が激しかったかもしれない。

 店内を忙しく、けれど笑顔で立ち働く彼女の姿は確かに魅力的で、三吾の目も楽しませてはくれるが、あちこちのテーブルから彼女に掛けられる言葉に嫉妬も感じてしまう。


 そんな『笑うブチハイエナ亭』の日常だが、たまにはあまり性質が良くない一見さんが来ることもある。そんな相手には一応先手を打って、ルビーが釘を刺しておくのだが、それでも給仕娘に対して妙な言動があったりした。

「ネェちゃん、可愛いじゃねぇか。こっち来て、お酌くらいしろよ」とか

「こっち、座んな。年は幾つだ?」とか

 腕を捕まえられて固まるエルオリーセを、初心だと言って更に引き寄せたり、とか。


 そんな時、アルバはサッと動いて不埒な奴らを威嚇しに行き、三吾も席を立って駆けつけようとする。

 けれど、誰よりも早く反応するのはルビーだった。


「この馬鹿っ!」

 声と同時に、その時ルビーが手に持っていた物が飛ぶ。

 料理の乗った皿だったり、シチューを掻き回していたお玉だったり、料理途中のフライパンが飛んだこともあった。

 かつて狩人として活躍したルビーは、飛び道具の狙いも正確で、店内を真っすぐに飛んだ物は相手の顔面にめり込んだ。そして彼らは、二度と顔を見せなくなるのだ。



 たまにそんな騒ぎもあるが、『笑うブチハイエナ亭』は概ね平和に営業を続けている。

 そんなある晩、閉店後にゲンがテルルを伴って2階から店に降りてきた。


「あのな・・・テルルの腹がな・・・」

 歯切れの悪い話し方に、エルオリーセはサッと動いてテルルの腹部を触ってみる。

「・・・あれ?・・・腫れが引いてません?」


「偽妊娠・・・だったみたいだ」


 人間でいうところの想像妊娠に近いのだろうか。けれど犬には割とよくある事だという。

 交尾後のホルモンの影響で、個体差はあるが妊娠時と同じように乳房や乳首が腫れたようになるのだ。けれど妊娠が成立していなければ、その変化は徐々に治まって来る。


 明らかにガッカリしている様子のゲンに、周囲としては慰めるしかない。

 結局、アルバがパパになる機会は無くなってしまった。


「やっぱりメタモルファルのハーフって言うのは、出来ないものなのかな」

 その晩、いつもの様にエルオリーセを送る帰り道で、三吾が呟いた。

「その可能性は高いかも・・・文献には1つも無いし。でも、まだ断定はできないから・・・」

 いつかは、アルバが父親である可愛い子犬が見たいと思う2人だった。




 翌日の晩、エルオリーセは『笑うブチハイエナ亭』に姿を見せなかった。

 テルルが衛兵隊の犬舎に戻ったからかもしれないが、三吾は居酒屋の椅子に腰かけながら、何か不安な気持ちになった。


 今日の午後、彼女はいつもより早めに学院から帰宅していた。

 仕事がちょっと早く済んだから、部屋の掃除をしたいと言っていた。

 その後の事については何も言っていなかったが、様子も普段とは変わりが無かったと思う。

 だから三吾は、ルビーの店で待ってると言ったのだ。


(何かあったのかな?)

 三吾は席を立って外に出る。彼女の家に行ってみるつもりだった。

 土砂降りの雨が降っていた。


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