第98話 入学式と、話しかけやすい実力者
四月ではない。
桜が咲いているわけでもない。
けれど、その日行われたものは、どう考えても実質的な入学式だった。
国立ダンジョン学園。
名前だけ聞けばまだ冗談みたいな響きがある。
だが、目の前に広がっている光景は冗談では済まなかった。
新しく整えられた講堂。
壇上には学園長だの政府関係者だの、肩書きだけはやたら重そうな大人たちが並んでいる。
左右の壁には大きなモニター。
魔力反応の安全監視装置まで備え付けられていて、入学式にしては物騒すぎる。
「やっぱり学校って感じしないな」
俺がそう呟くと、隣にいた優奈が小さく笑った。
「でも、前よりはちゃんと学校っぽいですよ」
「前って何だよ」
「受験会場のときです。あれは学校っていうより、ほぼ実験場でしたし」
それは否定できない。
むしろよく受験会場なんて呼んでいたなと思う。
あんなもの、実質的には各国の若手戦力と監視枠を一斉に並べた見本市みたいなものだった。
俺たちは新入生用の列の中でも、少しだけ前寄りの席に座っていた。
成績順でなんとなく並べられているのか、それとも単に政府側が“目立つやつは前へ置きたい”だけなのかは分からない。
どちらにしても、ろくな理由ではなさそうだった。
優奈は制服姿だ。
学園指定のものだが、あいつが着ると妙に似合う。
本人は少し落ち着かないらしく、何度も袖口を気にしていた。
「似合ってるぞ」
何となく言うと、優奈が一瞬だけ固まった。
「……え」
「何だよ」
「いえ、その……」
優奈は視線を泳がせて、少しだけ頬を赤くした。
「急にそういうこと言うんですね」
「思ったから言っただけだろ」
「そういうの、慣れてないので困ります……」
困ると言いながら、嫌そうではない。
その反応を見ていると、少しだけ肩の力が抜けた。
だが、すぐに視線は別の場所へ引っ張られる。
数列離れた位置。
唯がいる。
唯も同じく学園指定の制服だ。
家で見る時より少しだけ“外向き”の顔をしている。
それでも、本人がこういう場を得意としていないことくらいは、兄の俺には分かった。
問題は――。
「見ましたか⁉」
優奈が小声で俺の袖を引いた。
「唯ちゃん、すごい人気ですね!」
見た。
嫌でも見える。
唯の周りに、めちゃくちゃ人が集まっている。
前の席から、後ろの席から、横の列から。
男女問わず、しかも日本人だけじゃない。
あのイタリアのサイドテールまで混ざっている。
イギリスのツインテールは輪の外から静かに見ているだけだが、少なくとも興味は持っている顔だ。
唯は、完全に困っていた。
「……見た見た」
俺は顔をしかめながら答える。
「なんだあの人気。おかしいだろ」
唯は一人に話しかけられ、二人目に話しかけられ、三人目が横から質問してくるたびに、明らかに処理が追いついていない顔をしていた。
でも逃げるわけにもいかず、妙に律儀に一つずつ答えようとしている。
その結果、余計に捕まっている。
「たしかに、唯ちゃん本人は大変そうですけど……」
優奈が楽しそうに言う。
「でも、すごく話しかけやすいんだと思います」
「それは分かる」
正直、俺だってそう思う。
唯は試験で三十分以内に三階層ボス撃破まで持っていった。
普通に考えれば十分おかしい。
でも、ネットで大々的に知られているわけじゃない。
配信者でもない。
しかも見た目は、ごく普通の日本の女子高生っぽい。
だから、実力は高いのに、遠すぎない。
その上、試験映像で見せた戦い方が独学っぽかった。
糸。
環境魔力。
自分なりの組み立て。
“このレベルにどうやって一人で辿り着いたのか”が、みんな気になって仕方ないのだろう。
「まあ、三十分でボス討伐は異常な結果だもんな」
俺がそう言うと、優奈は深く頷いた。
「はい。しかも唯ちゃんの場合、私たちみたいに分かりやすく有名じゃないですし」
「それなのに急にあの結果だから、みんな余計に気になるんだと思います」
その通りだ。
俺と優奈は、もともと話しかけづらい土台がある。
優奈はネット上で有名だ。
ソロなのに強すぎることで知られている。
配信の切り抜きもかなり広まっているし、あの三階層試験の二位も、本人の“ただ強い”をさらに補強した。
そして俺に関しては、もっと面倒だ。
配信はしていない。
でも、あの優奈といつも一緒にいる。
そのうえ、受験では一位。
しかも試験中の動きがあまりにも異常だったせいで、“あれが噂のyumaなんじゃないか”という空気まで半ば広がっている。
疑惑。
噂。
断定はされない。
でも、みんな薄々思っている。
だから気軽に来られない。
近づいてくるやつはいる。
けれど、その内容は大体決まっていた。
「結城先輩、ちょっといいですか」
ほら来た、と思った。
式典が始まる前の微妙な空き時間。
一人の男子生徒が、おそるおそるこちらへ来る。
背筋は伸ばしているが、目が妙に泳いでいる。
雑談をしに来た顔ではない。
「何だ」
「えっと……二階層の、盾持ちゴブリン系に対して、もし近接しかない場合、どう崩すのが一番効率いいですか」
やっぱりそれだ。
俺は一瞬だけ空を見たくなった。
話しかけられないわけじゃない。
むしろ“必要な時には”話しかけられる。
でもそれは、対等な会話じゃない。
雑談。
世間話。
入学したての空気を埋める適当な会話。
そういうものは飛んでくる前に消える。
代わりに来るのは、攻略相談。
ベストアンサーを求める質問。
“この人なら知っているはず”という視線。
つまり俺は、人間というより答えの出る箱みたいな扱いを受けている。
「近接しかないなら、正面から盾ごと割ろうとするな」
俺は仕方なく答える。
「足を止める方が先だ。視線を上へ釣るか、低い位置の関節狙いに切り替えろ。真正面で打ち合うと損する」
「あ、ありがとうございます!」
男子生徒は、露骨にほっとした顔で頭を下げて戻っていく。
優奈が小さく笑った。
「またアドバイスでしたね」
「そうだな」
「でも、ちゃんと聞きに来てくれるだけすごいと思います」
「お前は優しいな」
「だって、みんな緊張してるんですよ」
優奈は言う。
「ユウマくん、たぶん思ってる以上に“話しかけると何か見抜かれそうな人”になってますから」
「何だそれ」
「そのままです」
優奈は容赦なく続ける。
「強すぎるし、変に有名だし、しかも私と一緒にいるから、余計に“多分すごい人だ”ってなってるんです」
否定しづらい。
というか、たぶん図星だ。
俺はふと、講堂全体を見回した。
確かに視線は感じる。
でも、その大半が“話しかけたい”ではなく、“見ていたい”に近い。
それは憧れかもしれないし、警戒かもしれない。
どちらにせよ、距離はある。
少しだけ、胸の奥に妙な感覚が残った。
学園に入ったら、少しは普通に話せる相手が増えるのかと思っていた。
いや、思っていたわけじゃない。
そんな都合のいいことは期待していなかった。
でも、入学式みたいな場なら、もう少しくらい“同級生っぽい空気”があるのかと思っていたのだ。
実際には違う。
優奈は有名すぎて近寄りづらい。
俺は正解を求められるだけで、対等な立場で話しかけられにくい。
その一方で唯は、質問攻めにされて困りながらも、輪の中心にいる。
変な話だった。
「ユウマくん?」
優奈が少しだけ不思議そうにこちらを見る。
「何だ」
「ちょっと、さみしそうです」
「は?」
「ほんのちょっとだけ」
そんな顔をしていた自覚はなかった。
けれど、即座に否定もできなかった。
「別に」
そう言いかけて、やめる。
完全な嘘になるからだ。
さみしい、というほど大げさじゃない。
でも、学園に入っても結局俺はそういう立ち位置か、という感覚は確かにあった。
必要な時に聞かれる。
答えを求められる。
役に立つ。
でも、そこまで。
それは別に悪いことじゃない。
今さら慣れていないわけでもない。
ただ、思っていた以上に変わらないのだなと思っただけだ。
「まあ……」
俺は小さく息を吐いた。
「想像通りではある」
優奈は少しだけ目を細めた。
「じゃあ、私が普通に話しかけます」
「お前は元からだろ」
「もっと話しかけます」
「うるさいな」
そう言うと、優奈は少しだけ嬉しそうに笑った。
その笑い方に、ほんの少しだけ救われる。
結局、完全に一人というわけでもないのだ。
その時、唯の方で軽い騒ぎが起きた。
また誰かが話しかけたのかと思ったら、今度は二人同時に質問してきたらしい。
唯が露骨に固まっている。
答えようとして、どっちから返せばいいのか分からなくなっている顔だ。
「見てられないですね」
優奈が半笑いで言う。
「でも、行ったら余計に増えるぞ」
俺は答える。
「兄が動いたら、また違う意味で目立つ」
「それもそうですね……」
結局、少し離れた場所から見ているしかない。
唯はかなり困っている。
でも、嫌がって逃げるほどではない。
あれはたぶん、“困っているけど、自分が必要とされているのは分かるから切れない”顔だ。
兄としては複雑だった。
試験の時もそうだったが、あいつは俺の知らないところで、自分の居場所の作り方を少しずつ選び始めている。
その居場所が危険の側に近いから、なおさら複雑だ。
式典が始まる直前、ようやく唯の周りの輪が一度ばらけた。
唯はその隙にこっちをちらっと見て、ものすごく疲れた顔をした。
「……見た?」
とでも言いたげな目だった。
俺は小さく肩をすくめる。
優奈はぶんぶんと手を振った。
それを見て、唯は余計に疲れた顔をして視線を戻す。
たぶん後で文句を言われる。
でも、今の時点で俺にできることは少ない。
壇上のマイクが入る。
入学式が始まる合図だった。
政府の人間が長々と話す。
学園長が理念を語る。
周辺諸国との連携だの、次世代探索者の育成だの、建前としては正しいことばかり並ぶ。
その間も、俺の頭の片隅には、さっきの光景が残っていた。
唯は人気者だ。
少なくとも、今この場では。
優奈は有名人だ。
でも近寄りづらい。
俺は相談窓口みたいな立ち位置だ。
質問はされるが、対等な雑談はあまり飛んでこない。
この学園の人間関係の初期配置は、たぶんもうある程度決まってしまったのだろう。
面倒だ。
だが、嫌いとは言い切れない。
式典が終わり、各クラスごとの移動案内が始まる頃には、また少し人の流れができていた。
そして、さっきまで唯へ群がっていた連中の一部が、今度は優奈にも少しずつ話しかけ始めている。
ただし、優奈のところへ来る連中の最初の一言は、大体似ていた。
「配信、見てます」
「すごかったです」
「どうやって一人であそこまで」
やっぱり、少し距離がある。
憧れと質問の混ざった入り方だ。
俺の方へ来るやつは、もっと分かりやすい。
「先輩、ちょっと相談いいですか」
「低層で一番効率いいのって」
「もしパーティ戦なら」
雑談じゃない。
最初から相談だ。
俺はもう半ば諦めて答える。
その間も、何となく思う。
学園へ入ったからといって、急に普通の高校生活みたいなものが始まるわけではない。
当然だ。
そもそも集まっている時点で、普通からは外れている。
でも、その“普通じゃなさ”の中でも、また別の距離感が生まれる。
それを最初に見たのが、今日だった。
式典が終わって講堂を出る時、優奈が横に並んで言った。
「でも、これから変わるかもしれませんよ」
「何がだ」
「話しかけられ方です」
優奈は少しだけ笑う。
「最初はみんな緊張してるだけです。きっとそのうち、普通に雑談してくる人も出ます」
「そうかね」
「そうです」
きっぱり言う。
「だって、みんなずっと緊張してるのも疲れますし」
それは、そうかもしれない。
ずっと“正解を持っていそうな人”として扱われるのは、相手にとっても疲れるだろう。
いずれ慣れれば、少しずつ雑な会話も増えるのかもしれない。
ただ、その“いずれ”まで何日かかるかは分からない。
前を歩く唯は、また二人くらいに捕まっていた。
しかも今回は質問というより、普通に自己紹介されている。
唯は唯で、逃げられずに固まっている。
「……あれはあれで大変そうだな」
俺がそう言うと、優奈が吹き出した。
「はい。あれはもう、人気者の苦労です」
「本人は絶対そう思ってないだろ」
「思ってないですね」
その会話で、ほんの少しだけ気が楽になった。
結局、俺たちはそれぞれ別の意味で面倒くさい立場に置かれている。
ただ、孤立しているわけでもない。
誰にも必要とされていないわけでもない。
むしろ逆だ。
必要とされ方が、少しずつ違うだけだ。
それが分かっただけでも、今日ここへ来た意味はあったのかもしれない。
国立ダンジョン学園。
実質的な入学式の日。
俺はそこで、学園生活が始まる前からすでに、自分たちの立ち位置が決まり始めているのを見ていた。
たぶんここから、また面倒なことが増える。
でも、その面倒の中でしか見えないものも、きっとあるのだろう。
(つづく)




