第92話 妹がゲートの向こうへ消える日
国立ダンジョン学園の実技試験は、思っていた以上に“強さの見本市”だった。
俺が三階層で圧倒的一位を叩き出し、イギリス枠の金髪ツインテールが魔物使役で異質さを見せつけ、イタリア枠のサイドテールが俺の戦闘思想をなぞるみたいな動きで二位へ食い込んだ。
そこまで来ると、もう学園の受験というより、小規模な国際実験場に近い。
誰がどんな魔法を持っているか。
どういう思想で戦うか。
その結果、どこまで点を伸ばせるか。
全部がモニターへ映され、全部が評価される。
だからこそ、試験が進むにつれて、会場の空気も少しずつ変わっていた。
最初はただ緊張していた受験生たちが、今はもう完全に“他人の戦い方を盗む目”になっている。
いい傾向ではある。
あるけれど、だからといって俺がこの場を好きになれるかは別だ。
俺はモニターの前に立ったまま、小さく息を吐いた。
「面倒な場所だな、本当に」
隣で優奈が苦笑する。
「でも、見てるだけで勉強にはなります」
「お前はそういうとこ真面目だよな」
「真面目ですから」
即答だった。
相良は少し離れた位置で腕を組みながら、次々に切り替わる受験者の映像を見ている。
相変わらず顔には何も出さないが、実際には一人一人の戦い方をかなり細かく見ているのだろう。
クランに引き込める素材がいないか、学園側の教育リソースに使えそうな人材がいないか、その辺まで考えていそうな顔だ。
そして試験はまだ続いていた。
次にモニターへ映ったのは、今までの海外枠みたいな分かりやすい異物感のない、ごく普通の女子高生っぽい見た目の少女だった。
黒髪。
少しだけ長め。
顔立ちも、服装も、派手さがない。
今まで見てきた金髪ツインテールやピンク髪のサイドテールに比べると、本当にその辺の日本の高校にいそうなタイプに見える。
「珍しいな」
俺は思わず呟いた。
優奈が首を傾げる。
「何がですか?」
「普通だ」
「はい?」
「いや、見た目がな。ここまで来ると逆に珍しく感じる」
優奈は少しだけ納得した顔になった。
「たしかに……今のところ、印象強い人ばかりでしたし」
その少女が選ばれたのは二階層。
ゲートへ入る前までは、本当に特別なところが見えなかった。
だからこそ、戦闘開始直後の映像が逆に異様だった。
最初に現れた中型魔物へ、彼女は正面から突っ込んだ。
回避でも誘導でもない。
真正面。
そのまま拳を振るう。
鈍い音。
中型が一発で横へ吹き飛んだ。
「……は?」
思わず声が出た。
優奈も目を見開いている。
「え、殴りました……?」
「殴ったな」
俺は呆れたように答える。
「しかもかなり重い」
次の魔物も、蹴り。
その次も、拳。
武器の扱いが雑なわけじゃない。
最初から使うつもりがない戦い方だ。
「《肉体強化(極)》か」
口に出した瞬間、少しだけ納得が行く。
あの出力は、普通の肉体強化じゃ出ない。
しかも“極”まで行っているなら、本人の格闘技量が最低限あれば、武器なしでも十分に戦える。
だがそれだけじゃなかった。
魔物を殴り殺した直後、少女が自分の右手を軽く押さえる。
皮膚が裂けていた。
普通の人間なら、大型個体を素手で殴ればそうなる。
その直後、彼女は短く呟く。
「《回復魔法(極)》」
傷が閉じる。
完全に、とは言わないまでも、次の一撃に支障がない程度にはすぐ戻る。
俺は少しだけ眉を寄せた。
「なるほどな……」
「どういうことですか?」
優奈がすぐに聞いてくる。
「《肉体強化(極)》と《回復魔法(極)》、その二つだけ異様に完成してるタイプだ」
「たぶん他の魔法はほとんどない。だからこそ、殴って壊して、壊れた手をまた直してる」
優奈が「うわあ……」と素直に引いた。
「なんか、すごく力技ですね」
「でも強い」
俺はモニターを見たまま言った。
「やってることは単純だが、単純だからこそ、崩しづらい」
肉体強化の極級なんて、普通はそれ一つで一生の当たりだ。
そこへ回復魔法の極級まで重なれば、多少自分の身体を壊しながらでも押し切れる。
たぶん、本人としてはかなり真面目に“自分に一番合った戦い方”を詰めたのだろう。
見た目の普通さと、やっていることの物騒さがまるで噛み合っていない。
「学園って、本当に色んなタイプがいますね……」
優奈が半ば感心したように呟く。
「ああ」
俺も認める。
「思ったより層が厚い」
そのあとに出た生徒も面白かった。
今度は逆に、真正面から武器の相性だけで押し切るタイプだ。
弓。
遠距離特化。
そして《貫通》。
モニターの向こうで、その男子生徒はほとんど動かない。
位置を取り、呼吸を整え、矢を番える。
放つ。
刺さる。
次。
また次。
《貫通》を弓へ乗せて連射する、かなり贅沢な戦い方だった。
燃費は悪い。
でも、低〜中層の魔物相手なら十分な速度で数を捌ける。
「遠距離に振り切ってるな」
俺が言うと、優奈も頷く。
「でも、こういうのって珍しくないですか?」
「珍しい」
俺は答えた。
「《貫通》は近接で使われることが多い。矢に乗せるのは単純に消耗が重いし、外した時の損がでかい」
「なのに、あえて弓で」
「当てる自信があるんだろうな」
実際、点は高かった。
俺ほどじゃない。
イタリア枠ほど尖ってもいない。
だが、学園に一人いてほしいタイプではある。
こうして見ていると、国立ダンジョン学園という場所が、ただ若い探索者を集めただけの箱じゃないことが分かる。
極端な当たり魔法を引いたやつ。
魔法同士の噛み合わせで勝っているやつ。
戦闘思想そのものが歪んでいるやつ。
いろんなタイプがいる。
そして、そういう連中を一カ所へ集めて、互いに見せ合うことに意味があるのだろう。
分かる。
分かるが、やっぱり面倒だ。
そう思っていた時だった。
試験官が次の受験者を呼ぶ。
「次――結城唯さん」
その名前が耳へ入った瞬間、思考が止まった。
「……は?」
声が出た。
小さくでも何でもない。
ちゃんと声になって出た。
優奈が俺の方を見る。
相良も一瞬だけ視線を寄越す。
でも、そんなのどうでもよかった。
モニターの下、待機列の中から一人の少女が立ち上がる。
見間違えるはずがない。
見慣れた背格好。
見慣れた髪。
結城唯。
俺の妹だった。
「なんで……」
口の中だけでそう呟く。
でも声になりきらない。
唯は受付から規定装備を受け取り、静かに前へ出る。
変に震えている様子もない。
怯えている顔でもない。
最悪だった。
母は助かった。
目を覚ました。
リハビリは必要だが、少なくとも“もう駄目かもしれない”という一線からは戻ってきた。
だから、終わったはずだった。
あれだけ俺は言った。
あと少しなんだと。
もしお前まで死んだら、俺は何のためにここまでやったのか分からなくなると。
だから待ってくれと。
それなのに。
「なんで?」
今度はちゃんと声が出た。
優奈が小さく息を呑む。
俺はそのまま続けてしまう。
「母さんが助かったのに、どうしてだ?」
「なんで?」
「一体何のために⁉」
喉が熱い。
頭の奥がぐらつく。
戦う必要なんてない。
少なくとも、もう“家族を助けるために命を賭けるしかない”段階じゃないはずだ。
だから、理解が追いつかない。
唯は俺の声が聞こえているのかいないのか、一度もこちらを見なかった。
ただ静かに、試験官の説明を受けている。
それが余計に苦しかった。
声をかけろ。
止めろ。
こんなのやめさせろ。
そういう衝動が一気に膨らむ。
でも、足が動かない。
動いたところで、ここで試験を止めたら、それこそ全部が壊れると分かっているからだ。
「……いや」
その瞬間、理性がわずかに戻る。
違う。
分かっている。
あそこまで俺が言ったのに、それでもここにいるということは。
唯は、自分の意思で選んだ。
誰かに無理やり連れてこられた顔じゃない。
泣きながら引きずられてきた顔でもない。
自分で来て、自分で立っている。
だから、止める言葉が出ない。
でも、受け入れることもできない。
だったら何だ。
こうなるなら、一体俺は何のために。
父を失った。
母を助けたくて走った。
P-Dropを手に入れた。
母は目を覚ました。
なのに、今度は妹が、俺のいないところで勝手に危険の側へ立っている。
そうなるなら。
俺は一体、何のためにここまで必死に。
思考がぐちゃぐちゃになる。
その時だった。
温かい感触が、右手に触れた。
優奈が、俺の手を握っていた。
「落ち着いてください!」
かなり強い声だった。
思わず、そっちを見る。
優奈の顔は真剣だった。
ただ慰める顔じゃない。
必死に止める顔だ。
「今ここでユウマくんが動いたら、余計に唯ちゃんを追い詰めます!」
その言葉が、ぎりぎりで俺を現実へ引き戻した。
たしかにそうだ。
ここで俺が試験を止めようと叫べば、唯の立場は最悪になる。
周囲の目も集まる。
本人の意思も、全部、兄の感情で踏み潰すことになる。
そんなことは、したくない。
したくない。
でも、見たくもない。
矛盾している。
それでも、今は立ち止まるしかなかった。
「……なんでだよ」
掠れた声で、もう一度だけ言う。
優奈は手を離さなかった。
「理由は、後で聞けます」
「でも今は、まず見てください」
「唯ちゃんが自分で何を選んだのか」
それが、優奈にしては珍しく厳しい言い方だった。
でも、たぶん正しい。
結局、俺は何もできないまま立ち尽くした。
試験官が唯の名前を再確認する。
唯は短く返事をする。
そして規定装備を受け取り、ゲートの前へ立つ。
その背中を見た瞬間、胸の奥がまた痛んだ。
小さい頃から知っている背中。
家で見ていた背中。
病院の帰り道で見ていた背中。
それが今、ダンジョンのゲートの前にある。
信じたくない。
でも現実だ。
唯は一度だけ深呼吸して、そのまま前を向いた。
結局、最後までこっちを見ない。
俺は唇を噛みしめたまま、その姿を見送ることしかできなかった。
妹がゲートの向こうへ消える。
その一歩がやけに遅く見えたのに、実際には一瞬だった。
光が閉じる。
結城唯の姿が、画面の向こう側へ消える。
会場のざわめきも、試験官の声も、何も耳へ入らなくなった。
ただ一つだけ、はっきりと残ったのは。
――ここから先、もう“知らなかった”では済まない。
唯が自分の意思で、この世界へ足を踏み入れた。
それを、俺は目の前で見た。
優奈の手の温度だけが、まだ右手に残っていた。
(つづく)




