第9話 初手ボスと、銃の噂
《延長(斬撃)》――。
その単語がネットの海に浮かんでいるのを見た時、優奈は机に突っ伏した。
「うぅ……!やっぱり噂になってます!なってますよね!?わたし、言っちゃいましたもんね!?」
スマホの画面には、切り抜き職人の短い動画と、コメントの洪水。
『えんちょ…って聞こえた』
『斬撃って単語だけ残ってた気がする』
『刀飛ばしてたぞ』
『確定じゃないけど怪しい』
確定じゃない。
でも、疑われている。
疑いは火種だ。火が付いたら、勝手に燃える。
優奈が涙目で俺を見る。
「結城くん……どうしましょう!?」
「燃えてる火を、消そうとするな」
「えっ!?消さないんですか!?!?」
「消そうとすると、余計に目立つ。こっちが“火の向き”を変える」
優奈の眉が動く。分からないけど、聞く姿勢だ。
「……火の向き、ですか?」
「話題の主導権を取る」
俺はスマホを置き、指を一本立てた。
「第一階層ボスを倒す」
優奈が、文字通り飛び上がった。
「え⁉ もうボス⁉ 配信始めたばかりなのに大丈夫なんですか⁉ 倒せるんですかぁ⁉」
敬語の「!」と「?」が一気に増えて、久しぶりに優奈が“優奈”になった気がした。
でも、俺は頷く。
「むしろ今だ」
「むしろ!?むしろって何ですか!?」
「他の配信者と差別化するなら、初手で“普通の配信者ができないこと”を、安定してできるようになる必要がある」
優奈が口を開けたまま固まる。
言葉は強いけど、理屈は分かる。今は“疑い”のフェーズ。疑いを追わせるより、別の“事実”を見せてしまえばいい。
「それに、第一階層ボスはコボルトの上位個体だ」
「こ、コボルトのボス……」
「オオボルト」
言って、俺はすぐ言い直した。
「……と呼ばれてる大型個体。HPと防御が高い。ひるみにくい」
優奈がごくりと唾を飲む。
「ひるみにくいって……つまり、近づいたら……」
「近づいたら終わる」
俺は淡々と言った。
「今までの近接戦が通じない。防御が高くて、近づくことが危険にしかならない。だから遠距離が必須」
優奈の視線が、俺の背中のリュックに吸い寄せられる。
そして、言った。
「……遠距離って……」
「言うな」
「うっ……!でも、分かります!分かっちゃいます!」
その時、調整室のガラス越しに相良が現れた。笑顔は相変わらず整っている。
「本日の配信企画、承認します」
相良は淡々と告げる。
「ただし、台本を更新します。銃という単語は使用禁止。配信上は“遠距離装備”です」
優奈が勢いよく頷く。
「はい!分かりました!遠距離装備です!銃は言いません!」
言いかけて、優奈がハッとする。
「……あっ」
相良がにこやかに指を立てた。
“いま言った”。
優奈が両手で口を覆う。
「す、すみません!!」
「今のはリハーサル扱いです」
相良は笑顔で許した。
許し方が、逆に怖い。
ガラスの向こうで、シュウが腕を組んでいた。
軽口はない。目が、静かにこちらを測っている。
「やるなら、やり切れ」
短い一言。
それだけで、空気が締まった。
配信開始。
画面の右上に、クランのロゴと注意書きが表示される。
『※当配信はクラン監修のもと、安全管理を実施しています』
優奈は台本一行目を読み上げた。
「みなさん!こんにちは!空下優奈です!今日は……えっと!第一階層のボスに挑戦しようと思います!」
『いきなりボス!?』
『初手で草』
『台本なのに攻めてる』
『刀で行く?』
『例の斬撃は?』
優奈は笑顔を作る。台本どおりの笑顔。
「安全第一でやります!無理はしません!そして、詳しい情報は伏せます!」
『伏せますw』
『それが一番怪しいw』
『でもボス楽しみ』
ダンジョンに入る。
湿った空気。暗い岩肌。足音が吸われる通路。
インカム越しに、俺が言う。
「焦るな。いつも通り」
「はい!」
優奈は配信用の声で返す。
「いつも通り行きます!……いつも通りでボスなんですか!?ほんとに!?!」
その「!?」が、逆に視聴者の心を掴む。
『不安で草』
『そこがいい』
『頑張れ』
ボス部屋へ向かう途中、オオボルトは“前座”を寄越してくる。
小コボルトの群れ。
いつものサイズ。いつもの速さ。
でも今日は違う。背後に“本体”がいる。ここで乱れると終わる。
優奈が呼吸を整え、刀を構えた。
そして――迷わず、振った。
刀身は届いていない距離の小コボルトが、遅れて倒れた。
『え?今の何?』
『刀、届いてないよな?』
『昨日の噂のやつでは』
優奈はすぐ台本に戻る。
言葉で誤魔化すんじゃない。言葉で“触れない”。
「えっと!安全のため詳細は伏せます!でも、ちゃんと練習してきました!」
笑顔。
でも、額に汗。
小コボルトが二体、三体と出る。
優奈は同じ動作を繰り返す。
振る。
倒れる。
振る。
倒れる。
慣れている――そう見える。
実際、優奈は“動作”だけは何度も練習した。斬る意志と、腰の入れ方。台本の外で、体に叩き込んだ。
『慣れてるの草』
『初心者じゃないだろw』
『名前言わないのが逆に怖い』
群れをさばき切った瞬間、奥の扉が震えた。
低い唸り。
床を叩く重い足音。
オオボルトが姿を現した。
コボルトの面影を残したまま、体格が倍どころじゃない。肩が壁に擦れる。腕一本が優奈の胴より太い。
肌は分厚く、鎧みたいに硬そうだ。目だけが、妙に冷たい。
『でっっっっっか』
『無理だろこれw』
『ひるまなそう』
『近づいたら死ぬやつ』
優奈が一歩、反射で下がる。
「うわ……!」
台本の範囲で、精一杯声を整える。
「お、大きいです!大きいですけど!落ち着いていきます!」
落ち着け。
俺はインカムで言う。
「近づくな。刀は見せ場じゃない」
「えっ……刀……」
「刀は“守る”。倒すのは――」
「遠距離装備、ですね!」
優奈が言って、慌てて口を押さえる。
「……言っちゃいました!?」
「台本だ。いい」
俺は短く返す。
この瞬間、言葉を迷わせると死ぬ。
オオボルトが吠えた。
ただの音じゃない。空気が揺れる。足元が震える。
優奈のカメラがぶれる。
『こわ』
『咆哮やば』
『揺れてる』
そして突進。
巨体が、距離を壊しに来る。
「優奈、横!」
「はいっ!!」
優奈が転がるように横へ逃げる。
地面に爪が叩きつけられ、岩が砕ける。
近接が“危険”じゃない。
近接は“死”だ。
優奈は息を乱しながらも、台本の一行を絞り出す。
「み、みなさん!無理はしません!無理はしませんが!いま、めっちゃこわいです!!」
『それはそうw』
『頑張れ!』
『ここからどうするんだ』
俺はインカム越しに言った。
「遠距離装備。許可」
短い言葉。
これ以上は言わない。
優奈が震える指で、リュックの口に触れる。
中身があるのに、持ち込めた“穴”。
優奈がそれを開く動作をした瞬間、視聴者のコメントが一段ざわついた。
『今リュック開けた?』
『中身あるの?』
『え、それ、持ち込み…』
優奈は答えない。
答えられない。
台本にない。
オオボルトが再び突進しようとした瞬間。
遠くで乾いた音がした。
オオボルトの肩が、わずかに揺れた。
完全には止まらない。ひるまない。
でも、進行線がずれた。
優奈が息を吸う。
「……い、いまの……効いてます!?」
「効いてる。崩すな」
「はいっ!」
オオボルトが怒ったように吠え、今度は小コボルトを呼んだ。
部下が、優奈の周囲に湧く。
近接を強制してくる配置。
『雑魚きた!』
『囲まれるぞ!』
優奈が焦りそうになる。
でも、優奈はもう“それ”に慣れている。
振る。
届かない距離の小コボルトが倒れる。
もう一振り。
もう一体が倒れる。
『早っ』
『処理うま』
『あれ、噂のやつ確定では』
優奈は笑顔を作りながら、台本の万能ワードを吐く。
「えっと!安全のため詳細は伏せます!でも、練習の成果です!」
部下が消え、視界が開ける。
オオボルトが、再び突進の姿勢に入る。
――ここだ。
「優奈。距離を維持」
「はい!」
「近づかれる前に、止める」
「と、止める……!」
「止めるんじゃない。“ずらす”。相手の線をずらす」
「はいっ!」
優奈が動く。横へ。後ろへ。柱を挟む。
オオボルトの巨体が柱にぶつかり、動きが一瞬鈍る。
乾いた音が続く。
オオボルトの動きが、少しずつ乱れる。
それでも倒れない。ひるまない。
硬い。重い。しぶとい。
優奈の息が、どんどん荒くなる。
「結城くん……!これ、いつ……!」
「焦るな。崩れたら死ぬ」
「は、はい!」
視聴者のコメントが流れる。
『これ倒せんの?』
『削れてる?』
『硬すぎ』
『銃の音したよな?』
――まずい。
優奈が焦って喋れば、もっとまずい。
俺は短く言う。
「喋るな。呼吸」
「……はいっ!」
優奈は台本の“沈黙”を守る。
喋らない時間が、逆に緊張を生む。
視聴者が息を止める。
オオボルトが大きく身を起こした。
突進じゃない。振り下ろし。
広範囲に来る。
「優奈、下がれ!」
「はいっ!!」
優奈が後退し、振り下ろしが空を切る。
床が砕け、粉塵が舞う。
その瞬間、オオボルトの胸元が露わになった。
硬い鎧の“隙間”。
「今」
俺が言う。
乾いた音が一つ。
オオボルトが、初めて膝をついた。
『うおおおおお』
『効いた!』
『倒れる!?』
優奈が叫びそうになるのをこらえて、台本通りに言う。
「……い、いけます!いけます!落ち着いて、最後までいきます!」
オオボルトが最後の咆哮を上げようとした瞬間、もう一つ乾いた音。
巨体が、倒れた。
岩が揺れ、部屋が震える。
ボスが沈黙する。
数秒。
優奈が、やっと息を吐いた。
「……た、倒しました……!」
声が震える。
でも、笑っている。
「第一階層ボス、討伐です!!」
コメント欄が爆発した。
『マジで倒したwww』
『初手ボス成功やば』
『新人じゃないだろw』
『今の音、絶対銃だろ』
『なんでダンジョンで銃使えてんだ?』
優奈が固まる。
“銃”という単語が出た瞬間、相良のモデレーターが素早く流れを変えるコメントを差し込む。
『※危険情報・推測の断定はお控えください』
『※配信者への個人特定につながる投稿は削除対象です』
でも、遅い。
視聴者の興奮は止まらない。
優奈は台本の締めの言葉を絞り出す。
「み、みなさん!今日はここまでです!ご視聴ありがとうございました!」
「えっと……安全第一で、また次回も頑張ります!」
配信終了。
ダンジョンの外。
夜風が、汗を冷やす。
優奈はその場にしゃがみ込み、震える声で言った。
「結城くん……!倒せました!倒せましたけど……!コメント、見ました!見ちゃいました!銃って……!」
「見なければいい」
「見ちゃいましたぁ……!」
その時、優奈のスマホが震えた。
通知が連続で跳ねる。
クランの公式アカウント。
ギルド支部。
そして――見知らぬ切り抜きアカウントの投稿が、すでに回っていた。
『【検証】空下優奈、ダンジョン内で“銃の発砲音”がする瞬間まとめ』
『【速報】ダンジョン内で銃?入口検知どうなってる?』
『【拡散希望】規制破りでは?』
優奈が青ざめる。
「えっ……えっ……もう切り抜き!?早すぎませんか!?!?」
「早い」
俺は短く答えた。
「だから言っただろ。火消しじゃない。主導権だ」
優奈が涙目で言う。
「主導権……取れてないです!むしろ燃えてます!!」
「燃えた。だが、狙い通りだ」
「えっ!?」
「《延長(斬撃)》の噂は薄まる。今みんなが追うのは、“なんで銃が使える”かだ」
優奈が顔を歪める。
「……そ、それ、もっとまずい話題じゃないですか!?」
「まずい。だから“管理”が必要になる」
背後で、シュウがスマホを見ながら低く笑った。笑ってない笑いだ。
「……動きが速いな」
シュウの視線が上がる。
「相良、もう知ってるだろうな」
俺の端末が震えた。
相良からのメッセージは短い。
『至急、戻ってください。会議室。今すぐ』
優奈が俺を見る。
涙目のまま、でも逃げない目。
「結城くん……わたし、また呼び出されます!?またですか!?!」
「今度は、ギルドじゃない」
「えっ……」
「クランの中が本番だ」
優奈が小さく息を吸う。
「……台本、以上のこと、言わないです!絶対です!」
「それでいい」
「でも……わたし、怖いです!」
「怖いまま来い。怖いって言えるうちは、生きてる」
優奈は震えながら立ち上がった。
俺たちは、クラン施設へ戻る。
背中のどこかで、視聴者の熱狂がまだ燃えている。
そして俺は思った。
銃の噂は、最悪の方向に転がれば“国家案件”になる。
だから相良は笑顔で言うだろう。
――「台本を更新します」と。
(つづく)




