第85話 煙の向こうは、こちらだけ見えている
安居楽業一式を倒すための高リスク編成は、準備の段階からすでに“少しでも噛み合わなければ終わる”代物だった。
前衛三名。
全員が《貫通》持ちで、なおかつ《敵探知》を使えること。
後衛三名。
全員が付与と煙幕を兼任し、しかも一人分ではなく、それぞれ担当の前衛一名へ継続して魔力を流し続けながら、広いボス部屋を煙で覆えること。
さらに武器。
リアムの《資本主義》で引っ張ってきた、現世で用意できる最高クラスの高硬度・高密度槍穂。
重い。
普通なら使い手を選ぶ。
だが今回に限って言えば、軽さより“壊れないこと”の方がよほど重要だった。
頑丈付与は、柄と穂先の接合部へ重点的に重ねる。
ボスの属性反撃で槍そのものが焼けようが凍ろうが、折れるより先にもう一撃通せればいい。
雑魚〜中層を抜けるまでに、六人はほとんど口を利かなかった。
理由は単純だ。
喋る余裕がない。
式神ダンジョンは、こちらの手札を読む。
読まれる前に読ませる形を整える必要がある。
そのため、雑魚処理までは従来通り銃五・付与一で進み、ボス部屋前でだけ六人編成へ切り替える。
引継ぎは済んでいる。
役割も共有済みだ。
それでも、誰の顔にも緩みはなかった。
今回の報酬は、P-Drop実物。
それを知っているのは、俺と優奈とリアム、そしてアメリカ政府の担当官だけだったが、たとえ知らなくても、この作戦が“試験”ではなく“本気”だと分かる空気があった。
ボス部屋前。
俺は六人を前にして、最後に一度だけ確認した。
「目的は二つ」
低い声で言う。
「第一に、安居楽業一式の撃破。第二に、それが無理でも再召喚を絶対に許さないこと」
前衛三名が短く頷く。
呼び名は単純に、左槍、右槍、背槍。
三人とも《貫通》と《敵探知》を持ち、今回のために数日で無理やり慣らされた顔をしていた。
後衛三名も同じだ。
左後衛、右後衛、背後衛。
それぞれが担当の前衛へ通常付与を流しつつ、煙幕の展開範囲を分担する。
そのうち背後衛だけは頑丈付与寄りだ。
背槍役の槍と防具に最も厚く頑丈を通す。
理由は単純。
背後からの二撃目が、この作戦の鍵になるからだ。
優奈が、俺の一歩後ろから小さく言った。
「ユウマくん」
「何だ」
「勝ってください」
その一言だけだった。
でも今の俺には、それで十分だった。
「ああ」
短く返して、俺はボス部屋の扉を見た。
「行け」
重い扉が開く。
広い石造りの空間。
中央に、式神十体。
相変わらず、最初だけ見れば拍子抜けする光景だ。
だが、もう誰も油断しない。
開幕と同時に後衛三名が動いた。
左右と中央から、濃い煙が一気に広がる。
普通の煙ではない。
視界を奪うだけではなく、探知や照準補助のような機能そのものを乱す特殊魔法《煙幕》。
式神たちの輪郭が薄れていく。
その煙が広がる最中、前衛三名はまだボス本体へは行かない。
最初の目的は別にある。
――残り式神を四体へ減らすこと。
安居楽業一式の初回召喚は防げない。
だが、その後の二体目召喚は、残り式神が五体揃っていなければ成立しない。
だから、初回召喚が通るその瞬間に、残る側の一体を落とす。
煙の向こうで、前列の五体が崩れた。
紙片の体がばらばらに裂け、黒い炎みたいに燃えながら一点へ吸い込まれていく。
初回召喚、開始。
その直後、左槍役の穂先が横へ走った。
一体の式神が、ちょうど後列へ残る位置にいた。
そこへ迷いなく刺突。
紙の肉体が裂け、式神が消える。
残る式神は四体。
これで少なくとも、二体目召喚の“材料”は足りない。
「一体処理完了!」
左槍役が叫ぶ。
「そのまま第一段階!」
俺が返す。
黒い炎が膨張し、死期舞枚・安居楽業一式が姿を現した。
四本腕。
全身に札を縫い付けたような装束。
そして胸の中央に、以前はそこまで気に留めていなかった風車のような模様。
気味が悪い。
だが今は、その気味の悪さに時間を割かない。
「敵探知、固定!」
前衛三名が同時に魔力を起動する。
一度視認した対象に限り、その位置を把握し続ける《敵探知》。
強敵相手では消耗が重い。
だが今回は三人で分担する。
煙の中で見失わないことの価値は、その消耗を上回る。
そして次の瞬間、三方向から同時に踏み込んだ。
左。
右。
背後。
三本の槍が、別角度から《貫通》を重ねて安居楽業一式へ突き込まれる。
全反射の膜が、一斉に明滅した。
処理が追いつかない。
中央、肩口、脇腹。
三本の穂先が、それぞれ反射を抜いて通る。
突き刺さった。
安居楽業一式の身体が初めて大きく揺れる。
「通った!」
右槍役の声。
「離脱、再突入!」
俺が叫ぶ。
前衛三名は欲張らない。
一撃刺したらすぐ外す。
属性付与された腕に触れれば、その瞬間にこちらの方が壊れるからだ。
煙幕の中、敵探知で位置だけは掴めているのはこちらだけ。
それがこの作戦の最大の優位だった。
二度目の同時突入。
三度目。
角度を少しずつ変え、同じ場所を避けて内部へ負荷を蓄積させる。
安居楽業一式は見えていない。
それでも直感で腕を振るい、風を裂き、雷を散らす。
だが、煙の中では精度が落ちる。
前衛三名は頑丈付与の残りと姿勢制御だけで、その隙間を縫う。
かなりうまくいっていた。
実際、予定以上にうまくいっていたと思う。
だからこそ、次の変化は嫌だった。
安居楽業一式のHPが、おそらく五〇%近くまで削れた、その時。
胸の中央にある風車のような模様が、ゆっくりと回り始めた。
「来る!」
俺が言うより先に、部屋全体へ鈍い圧が走る。
衝撃波。
ただの風ではない。
魔力そのものを叩き散らすような圧だった。
前衛三名がそれぞれ踏ん張る。
左槍役は穂先を床へ突き立て、右槍役は槍を横にして構え、背槍役は身体を低く落としてやり過ごす。
「この程度なら……!」
誰かが歯を食いしばって言った。
たしかに、吹き飛ばされはしない。
だが、安居楽業一式の目的はそこではなかった。
煙が、晴れる。
部屋いっぱいに満ちていた特殊煙幕が、衝撃波に巻かれて一気に拡散した。
視界が開く。
前衛三名と安居楽業一式の位置関係が、互いに丸見えになる。
情報優位が消えた。
優位を一気にイーブンへ縮められた。
優奈が後ろで息を呑む。
「煙幕対策……!」
「胸の風車がその機能か」
俺は即座に理解した。
環境を吹き払う器官。
視界妨害、探知妨害、そういった“場の支配”を解除するための中枢。
八割方間違いない。
そして最悪なことに、HP五〇%前後でそれを切ってきたということは、こいつは“撤退権が発生するタイミングでこちらの優位を剥がす”ように調整されている可能性が高い。
部屋の圧が少し緩んだ。
HP五〇%を切ったからだろう。
撤退はできる。
だが――。
安居楽業一式を前にして、ここで引くのか。
P-Dropの現物が、脳裏をよぎる。
けれどそれ以上に、ここで退けば次に同じ再現ができるか怪しい、という直感があった。
煙幕一回目は通った。
全反射の処理限界も読めた。
なら、次に必要なのは。
「風車を止めろ!」
俺が叫んだのと、背槍役が動いたのはほぼ同時だった。
安居楽業一式の背後にいた背槍役が、ためらわずその胸の風車模様を狙う。
首ではない。
心臓でもない。
あくまで機能だけを潰すための一撃。
《貫通》を乗せた槍穂が、風車の縁を抉るように叩いた。
鈍い音。
札が数枚、千切れて飛ぶ。
完全破壊には至らない。
だが、回転が一瞬鈍った。
「もう一回煙幕!」
俺は迷わず命じた。
後衛三名が即座に二度目の煙幕を起動する。
ただし今度は、さっきより狭く、濃く。
部屋全体ではなく、安居楽業一式と前衛三名の周辺だけを優先して覆う。
煙が再び広がる。
そして、今度は完全には晴れなかった。
風車模様がもう一度衝撃波を放つ。
だがさっきほどの規模が出ない。
背槍役の一撃で、あの器官の機能が鈍っている。
十分だ。
「敵探知、再固定!」
左槍役。
「固定済み!」
右槍役。
「背面取れる!」
背槍役。
煙の中で、またこちらだけが位置を知る。
優位が戻る。
安居楽業一式も本能で危険を感じたのか、四本腕を広げて乱打を始めた。
火、氷、雷、風。
属性が空間を裂く。
見えていれば避けやすい。
だが煙の中では向こうも雑になる。
こちらは《敵探知》で位置を掴んでいる。
もう一度だけ。
もう一度、三方向から同時に処理を溢れさせる。
「三位一体――行け!」
俺の声で、三人が同時に踏み込む。
左から関節。
右から首元。
背後から胸の正中。
三本の槍が、別々の角度で、別々の致命点を狙う。
全部に《貫通》が乗っている。
反射の膜が、今度こそ明確に悲鳴を上げたみたいに明滅する。
一つ。
二つ。
三つ。
処理が追いつかない。
最初の一撃で、首元へ入った右槍役の穂先が半ばまで埋まる。
同時に、左槍役の一突きが浮き気味の下半身を抉り、姿勢を崩す。
そして背槍役の胸への一撃が、傷ついた風車模様ごと体幹の中心を貫いた。
安居楽業一式が初めて、明確に崩れた。
四本腕が空を掻く。
属性の光が乱れ、札が剥がれ、黒い目の奥で何かが砕ける気配がする。
「押し込め!」
俺が怒鳴る。
三人は引かなかった。
さっきまでの“一撃ごとに離脱”とは違う。
今だけは、押し切る。
頑丈付与が槍を支え、煙幕が敵の認識を鈍らせ、敵探知が位置を固定し、《貫通》が反射を抜く。
理屈で積み上げた全部を、ここで使い切る。
右槍役が首へ捻りを加える。
左槍役が崩れた下半身をさらに押し込み、背槍役が胸を抜かずにそのまま抉る。
次の瞬間、安居楽業一式の身体に縫い付けられていた札が一斉に剥がれた。
遅れて、胴体が内側からほどけるように崩れ始める。
首。
胸。
四本腕。
全部が黒い霧と白い紙片に変わっていく。
「……討伐、確認」
誰かの声が震えていた。
それと同時に、残っていた式神四体も力を失ったように沈み、床へ落ちた瞬間に燃え尽きた。
静寂が来る。
煙が薄れていく。
後衛三名はその場へへたり込み、前衛三名も槍を支えにしないと立っていられない顔をしていた。
ボス部屋の重圧が完全に消えたのを確認して、俺はようやく息を吐いた。
「……勝ったな」
言った瞬間、自分の膝からも力が抜けそうになる。
それでも立っている。
優奈が小走りで隣へ来た。
「ユウマくん」
「何だ」
「今の、かなり危なかったですよね」
「かなりな」
俺は正直に答えた。
「でも、理屈は通った」
全反射は無敵じゃない。
煙幕は一度剥がされても、器官さえ傷つければ二度目が通る。
《敵探知》があれば、煙の中で見えているのはこちらだけになる。
そして、三位一体の同時貫通は成立する。
リアムたちが遅れてボス部屋へ入ってくる気配がした。
たぶん向こうは向こうで、今のログを見て顔色を変えているだろう。
だが今は、それより先に一つだけ確かめたいことがあった。
俺は部屋の奥――ではなく、もう既に運び込まれていた保冷ケースのことを思い出す。
P-Drop。
現物。
討伐成功。
条件達成。
だったら。
そこで優奈が、俺の横顔をちらりと見て、小さく笑った。
「……取りに行けますね」
その一言で、胸の奥が少しだけ熱くなる。
「ああ」
俺は短く答えた。
「ようやく、な」
ダンジョンのボスを倒した達成感より先に、別の場所へ心が向いている。
それを恥ずかしいとは、もう思わなかった。
欲しいものがある。
救いたい人がいる。
だから勝った。
それで十分だった。
(つづく)




