第81話 逃げる値札と、受けるしかない依頼
カナダの式神ダンジョン一階層から地上へ戻った時、空気は妙に静かだった。
静か、というより、誰も軽々しく口を開けない感じだ。
それもそのはずだった。
優奈が「番外編です!」などと明るい声で始めた配信は、最初こそただの現地調査扱いだった。
だが途中から、あれは明らかに“調査”の域を超えていた。
式神十体。
そこからの生贄召喚。
死期舞枚、安居楽業一式。
百パーセント全反射。
常時属性付与。
一時間限定。
そして、HP五〇%を削るまで退路封鎖。
誰が、一階層の先であんなものが出ると思う。
少なくとも、カナダ側は思っていなかった。
アメリカ側も、たぶん本気では想定していなかった。
だからこそ、ボス部屋から戻った俺と優奈を待っていた連中の顔は、みんな似たようなものになっていた。
言葉を失っている。
さっきまで「固定化できる最低限のラインを探る」とか「雑魚処理の最適運用を見つける」とか、それっぽい顔で言っていたくせに、現実を見せられた瞬間に全部吹き飛んだ顔だ。
リアムだけが、口元にいつもの薄い笑みを残していた。
だがあれは余裕じゃない。
状況を飲み込むまでの時間稼ぎだ。
俺はその場で椅子に座る気にもなれず、仮設会議室の壁にもたれながら言った。
「……で?」
誰もすぐには返さなかった。
代わりに、優奈が小さく俺の横に立つ。
顔色はまだ完全には戻っていない。
ボス戦の途中で回復魔法まで使っていたのだから当然だ。
それでも、ちゃんと立っている。
リアムがようやく口を開いた。
「とりあえず一つ、はっきりしたことがある」
通訳がすぐ追う。
「ボス以外なら、この戦い方で行ける」
そこは同意だった。
銃を中心に置き、付与担当を混ぜる。
銃五名、付与担当一名。
今のところ、それが式神ダンジョンに対する一番現実的な雑魚〜中層用の構成だ。
銃を撃てばゴーストが出る。
なら弾に魔力を付与して、半減でもいいから通す。
近接ばかり見せればガーゴイルかゴーレム。
中距離ならウィッチや自爆。
銃以外の遠距離なら盾持ちや高速接近型。
それでも、対応の流れは見えた。
だが。
俺はわざとらしくため息を吐いた。
「いやいや、待て」
リアムがこちらを見る。
俺は言った。
「俺が求められたのは、このダンジョンで通用する運用と戦術だ。ボス攻略テンプレを作ることじゃないんだが」
会議室がまた静かになる。
カナダ側の担当者が、何か言いたそうに口を開きかけて、閉じた。
たぶん自覚はあるのだろう。
今の空気が、完全に「じゃあボスもどうにかできる方法を示してくれ」に傾いていることに。
俺はそこで、あえてはっきり言い切った。
「というか、あれを“誰でも倒せる形”に落とすのは無理だ」
優奈が横で小さく頷いた。
ボス部屋に一緒に入った当事者として、そこは実感があるのだろう。
リアムが腕を組む。
「理由は?」
通訳が訳す。
「必要な魔法が偏りすぎてる」
俺は即答した。
「最低限、《貫通》が要る。付与もほしい。できれば付与拡張まであると話が早い。しかも一つ持ってるだけじゃ足りない。近接で扱えて、実戦で重ねられて、ボスの全反射と属性付与を相手にしても立ち回れる人間が必要だ」
その言葉に、アメリカ側の一人が露骨に顔をしかめた。
カナダ側も、分かっていたけど聞きたくなかった現実を言語化された顔になる。
当然だ。
理論上は可能。
でも量産はできない。
そこが一番厄介なのだから。
「だったら、必要魔法持ちを揃えればいい」
リアムがあっさり言う。
それが言えるのは、さすが《資本主義》持ちだと思う。
金で揃える。
買う。
集める。
そういう発想が最初に来る。
だが、今回はそこが甘い。
「今、魔法ガチャ飴が安定して大量に生み出せる国は限られてる」
俺は言った。
「一位は日本。二位が中国。三位がアメリカ」
リアムが少しだけ目を細める。
その数字は把握している顔だ。
俺は続けた。
「日本産はイギリスに買い占められてる」
「中国産はロシアが押さえてる」
「アメリカは高値で売ってくる」
会議室の空気が、じわじわと重くなる。
「安い値段で、しかも安定して、必要な魔法を揃える手段がない」
俺は淡々と並べた。
「だから量産前提は無理だ。少なくとも今すぐはな」
リアムは黙った。
たぶん反論はいくつか思いついている。
だが、そのどれも“現場で今すぐ使える答え”にはならないのだろう。
金で解決できる段階を、少し超えている。
「このダンジョンで現実的なのは量産じゃない」
俺は結論を出した。
「少数精鋭化だ」
カナダ側の担当者が顔を上げる。
「少数精鋭……」
「ああ」
俺は頷いた。
「ボス前までを安定して回せる中核部隊を作る。銃五、付与一の運用を軸にして、式神の適応パターンを逆に固定させる。ボスはその中でも条件を満たした連中だけが挑む。それ以外は攻略じゃなく研究対象として扱え」
誰もすぐには口を挟まなかった。
たぶん、筋は通っている。
だが筋が通っているからこそ、聞こえ方が厳しい。
つまりそれは、「今いる人員ではボス攻略を一般化できない」と言っているのと同じだからだ。
優奈が、ぽつりと呟いた。
「ルクセンブルクより、もっと“分けて考える”感じですね」
「そうだ」
俺は答える。
「ルクセンブルクは銃と数でかなり押せた。でもこっちは適応型だ。全体を均質化するより、“どこまでを標準化するか”を先に決めた方がいい」
それが軍師としての結論だった。
つまり。
勝てる奴はいる。
でも、それを国家運用できるとは限らない。
リアムがようやく口を開く。
「つまり君は、ボス攻略を切り離せと言うわけか」
「そうだ」
俺は即答した。
「少なくとも今はな。雑魚〜中層を安定化させる方が先だ。ボスまで含めた完全攻略は、必要魔法と人材が揃ってからじゃないとテンプレ化できない」
「なるほど」
リアムはそこで、少しだけ笑った。
納得した時の笑い方ではない。
“面白くなってきた”時の笑い方だ。
嫌な笑い方でもある。
「なら、君の役目は終わりか?」
通訳の後を待たずに意味が分かった。
「現時点の運用指針は渡した」
俺は答える。
「ボス以外なら、この戦い方でいける。そこまでは言える。だったら俺は日本に帰る」
そう。
本来なら、ここで終わりのはずだった。
必要な情報は渡した。
戦術の暫定解も作った。
少数精鋭で行くべき理由も説明した。
それ以上は、カナダとアメリカが自分たちでやるべき範囲だ。
それに――。
あと一億。
その数字のために動いているのは事実だが、だからといって全案件に際限なく縛られていい理由にはならない。
今の結論を持ち帰って、次の選択肢を探す。それが理性的だ。
……そのつもりだった。
リアムが言うまでは。
「P-Dropを知ってるか?」
その単語が出た瞬間、思考が止まった。
優奈が隣で「え」と小さく声を漏らす。
カナダ側は何の話か分からない顔をしていたが、そんなのはどうでもよかった。
プロメテウス・ドロップ。
通称P-Drop。
アメリカで研究が進み、最近になって市場に出始めた、あの十億の薬だ。
母を救うために、俺がずっと手を伸ばしていたもの。
十億という値段ごと、全部知っている。
俺は表情を動かさないようにしながら返した。
「知ってる」
「そうか」
リアムは頷いた。
「なら話は早い」
その声に、嫌な予感しかしなかった。
「P-Dropの素材が特殊らしい」
リアムは淡々と続ける。
「研究機関が公式に発表した。生成の核になる素材が、どうやっても量産できないと」
喉の奥が、また乾く。
分かっている。
リアムはわざとこの話を出している。
俺がその単語に反応することも、たぶん知っている。
それでも聞くしかない。
「……それで」
「値上がりしてる」
リアムは言った。
「月に一億ずつ」
会議室の音が消えた気がした。
優奈が、ゆっくりと俺を見る。
何も言わない。
でも、その意味は分かった。
あと一億。
そう思っていた。
もう少しだと。
今手に入れなくても、金ならいずれ届くと。
だが違う。
向こうの値段の方が逃げ始めている。
一ヶ月で一億。
つまり、俺が追いついたつもりの瞬間に、向こうがまた一歩上へ上がる。
それが続くなら、いずれ手に入るという前提そのものが壊れる。
リアムはさらに言った。
「プロメテウス・ドロップは万能薬じゃない」
「だが、魔力由来の不適応症状には高い効果がある。肉体に魔力を適応させ、定着させることができる。しかも副次効果で、微量の永続回復まで残る」
知っている。
資料では知っていた。
だからこそ、欲しかった。
魔力を肉体へ適応・定着。
余剰の魔力を全身回復へ回す。
怪我の治りが早くなる。
リハビリも短くなる。
母のような“魔力が原因と疑われる病”に対して、完全治癒確定ではない。
でも、賭ける価値がある。
そう思えるだけの希望があった。
そして今、その希望が毎月一億ずつ遠ざかっている。
俺はしばらく何も言えなかった。
今すぐ手に入れなくても、金ならあるいずれ届く。
そう理性では思っていた。
でも、その理性はもう安全じゃない。
いずれ、が通用しないなら。
遅れるほど、母を救える未来そのものが遠ざかるなら。
なら、答えは一つになる。
「……受ける」
声は、自分でも驚くくらい静かだった。
優奈が横で息を止める。
リアムは、やはり予想していた顔で笑った。
「そう来ると思った」
通訳が訳す。
心底腹が立つ。
それでも、間違っていないのも分かるから余計に腹が立つ。
俺ははっきりと言い直した。
「この依頼、受ける」
「ただし条件がある」
カナダ側の担当者が、慌てたように前のめりになる。
「条件、ですか」
「俺を何でも屋だと思うな」
俺は冷たく言った。
「ボスまで含めた完全攻略テンプレは約束しない。やるのは、式神の適応ルールの整理と、現実に回せる少数精鋭部隊の設計。それ以上は、必要魔法と人材が揃ってからの話だ」
リアムがゆっくり頷く。
「妥当だな」
「あと」
俺は続ける。
「P-Dropの件、知ってる情報は全部寄越せ。研究機関の公式発表も、流通量も、今の市場価格も、今後の値動き予測もだ」
リアムの目が、少しだけ面白そうに細くなる。
「仕事の話か、私情の話か」
「両方だ」
俺は即答した。
「今の俺には、それがもう分けられない」
会議室の空気が、そこでようやく定まった気がした。
依頼は受諾。
ただし範囲は限定。
目標は明確。
時間的猶予は、ほとんどない。
優奈が、小さく、でもはっきりと言った。
「じゃあ、やることは決まりましたね」
俺はそちらを見た。
優奈は不安そうでも、怯えてもいない。
むしろ、腹を括った顔をしている。
「あと一億じゃなくなったかもしれませんけど」
優奈は言う。
「でも、取りに行くしかないです」
その言葉に、俺は少しだけ息を吐いた。
「ああ」
「取りに行くしかない」
値札は逃げる。
希望は待ってくれない。
だったら、こっちが追うしかない。
弱くても。
金で動いていると自覚していても。
みっともなくても。
現実がそうなら、やるしかなかった。
リアムが最後に言う。
「歓迎するよ、ユウマ」
「歓迎される覚えはない」
「あるさ。君が一番、このダンジョンを面倒くさがっている」
通訳の後でも意味は十分伝わった。
「面倒な相手を嫌う人間ほど、攻略法を見つけるのが上手い」
それは褒め言葉じゃない。
でも、否定もしづらい。
俺は端末を閉じながら、心の中でだけ思った。
あと一億。
そう思っていたのは、もう昨日までの話だ。
今は違う。
逃げる値札を追うために、カナダの式神ダンジョンを相手にする。
最悪で、面倒で、しかもたぶん割に合わない。
それでも、受ける。
受けるしかない。
(つづく)




