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第80話 首を落とすまで終われない

死期舞枚、安居楽業一式――《アンラクギョウ・イッシキ》。


 その異形は、完全に地に足をつけているわけではなかった。


 ほんのわずか。

 ほんのわずかに、床から浮いている。


 だが、その「ほんのわずか」が最悪だった。


 下半身には届く。

 少なくとも、脚には届く。

 けれど上半身、とくに首や頭部へ普通に斬りかかれるかと言われると、かなり怪しい。


 高く飛べば届くかもしれない。

 だが、相手は百パーセント全反射。

 しかも常時属性付与。

 下手に無理な角度で踏み込めば、触れた瞬間に焼かれるか、凍らされるか、感電させられるか、その全部かもしれない。


 最悪な相手だった。


 俺は片手剣を構えたまま、目の前の召喚獣を見上げる。


 四本腕。

 装束めいた外殻。

 全身に縫い付けられた札。

 空洞みたいな黒い目。


 その向こうで、まだ五体の式神が静かに浮いていた。

 あれが次の召喚をするのか、それともこの大技の維持に回っているのかは分からない。

 だが少なくとも、放置して気持ちのいい存在ではなかった。


「ユウマくん」


 背後から優奈の声が飛ぶ。


「正面から行くんですか?」


「それしかない」

 俺は短く返す。

「上半身は高い。飛び道具は反射。魔法も反射。なら、届く脚からだ」


 優奈が息を呑む気配がした。


「援護は」

「モブが動いたらそっちを見ろ」

 俺は言う。

「この部屋は、まだ何が追加で来るか分からない。俺に直接援護はするな。全部返ってくる」


「……はい!」


 返事を聞いて、俺は呼吸を整えた。


 魔力は無限じゃない。

 《貫通》も、高速移動も、雑に切ればすぐ底が見える。

 しかも今回は、一時間という制限がある。


 だから、最初から全部は使わない。


 付与も、後半まで取っておく。


 武器に属性や特殊効果を重ねる付与系は便利だが、消費が軽いわけじゃない。

 今ここで切って、後で首を落とす時に魔力が足りない、では話にならない。


 まずは脚だ。


 脚を落として、動きを鈍らせる。

 それから首へ行く。


 ただ、それだけのはずだった。


 俺は床を蹴った。


 高速移動。


 視界が流れる。

 安居楽業一式の右脚、その膝下へ潜り込む。

 片手剣を振り抜く直前、《貫通》を刃へ通す。


 反射の膜が、わずかに裂けた。


 刃が通る。


 だが――浅い。


 思っていたより、ずっと重い。


 硬い。


 全反射が厄介なのは分かっていた。

 だから《貫通》でそこを抜ける前提で考えていた。

 だが、抜けた先にある“本体そのものの防御力”までは想定より上だった。


「硬っ……!」


 思わず歯を食いしばる。


 安居楽業一式の右腕に火が走る。

 遅れて左腕に氷。

 下の二本に雷と風。

 全部が近い。


 俺は一撃で離脱した。

 深追いはしない。

 今は削るだけでいい。


 背後で優奈が叫ぶ。


「通ってます!」


「見れば分かる!」


 一撃では切れない。

 だが通らないわけじゃない。


 だったら、繰り返すしかない。


 二撃目。

 三撃目。

 四撃目。


 高速移動で脚の角度をずらし、同じ場所へ刃を通す。

 毎回《貫通》を合わせる。

 反射だけを無効化し、物理として斬る。


 消耗は重い。


 《貫通》は相手の防御魔法に掛かっている魔力量を上回る魔力を乗せないと意味がない。

 つまり、強い防御ほど、こちらの消費もでかい。


 しかも高速移動と併用している。

 魔力の減り方が、あまり気持ちよくない。


 それでも、続けるしかない。


 数分間、俺はほとんど右脚だけを狙い続けた。


 切って。

 離れて。

 角度を変えて。

 また切る。


 安居楽業一式も、ただ立っているだけじゃない。

 四本腕を振るい、属性の爪撃を撒き、こちらの踏み込みに合わせて足の位置を微妙にずらす。

 鈍い相手じゃない。

 ちゃんと戦う。


 でも――。


 十三撃目あたりで、ようやく変化が出た。


 片手剣の刃が同じ裂け目へ深く入り、硬い感触の奥で何かが断ち切れる。


 安居楽業一式の右脚が、膝から下ごとずれた。


 遅れて、巨体が傾く。


「切れた!」


 優奈の声が飛ぶ。


 俺はその瞬間、確信した。


 脚は落とせる。


 だが、その確信と同時に別の事実が腹に落ちる。


 ――遅い。


 思っていたより、ずっと時間がかかっている。


 たかが脚一本。

 しかも《貫通》と高速移動を重ねて、ようやく。


 つまりこの安居楽業一式、全反射を抜いた先の素の防御力が、元々高い。


「面倒な……!」


 安居楽業一式は片脚を失ってなお倒れなかった。

 浮いているせいで、完全に崩れない。

 傾きながらも、まだ戦える姿勢を保っている。


 俺は一旦距離を取り、息を整えた。


 脚を落とした。

 それでHP五〇%に届いたか?


 たぶん、届いていない。


 仮に届いていたとしても、そこで逃げるという選択肢は取れなかった。


 日本ダンジョン二階層ボス、キングゴブリン。

 あの時以来、俺の中には一つの前提がある。

 ダンジョンは、基本的に「ボスを倒す」ことを攻略条件に置いている可能性が高い。


 今回は、HP五〇%削れば出られる、とわざわざ条件を教えられている。

 だから半分で済むのかもしれない。

 だが、そこに安心はできない。


 もし時間切れ後に、インドの監獄ダンジョンみたいに“捕らえられる”類の罠があるとしたら。

 もし中途半端に削って出ようとした瞬間、別の拘束条件が噛むとしたら。


 さすがに、倒した相手がそのまま生き返るような難易度だとは思わない。

 だが、思わないことと、賭けられることは別だ。


 だったら、結論は一つ。


 ――ここで仕留める。


 俺は片手剣を握り直した。


「次、首だ」


 優奈が小さく息を呑む。


「届きますか?」


「届かせる」


 それしかない。


 脚を失って姿勢が崩れた今なら、上半身への角度も少し甘くなる。

 浮きはしている。

 だが、今さっきよりは低い。


 俺はもう一度踏み込んだ。


 高速移動。

 右から。

 次は左から。

 わざと脚へ行くふりをして、最後に軌道を上げる。


 片手剣が首元をかすめる。


 浅い。


 やはり硬い。


 その次の一撃も、甲殻と装束のような外殻を深くは割るが、首を断つには足りない。


「……駄目だ、まだ足りない」


 ここで、ようやく温存していた札を切る決断をした。


 付与。


 正確には、付与の拡張魔法。


 付与は、単純に武器へ魔力を乗せるだけじゃない。

 属性魔法と組み合わせて変化させれば、特殊効果へ形を変える。


 火。

 氷。

 頑丈。

 切断。

 デバフ。

 強化。

 例外。


 大別すると、その七種。


 全部を使えるわけじゃない。

 俺が得意なのはその中の一つ。


 ――切断。


「付与、展開」


 小さく呟き、片手剣へ魔力を流し込む。


 《貫通》を通した刃へ、さらに“切断”の性質を重ねる。

 防御を抜いた先で、切ることだけを極端に尖らせるための付与。


 昔から考えていた奥の手だ。

 実戦で雑に切るには重い。

 でも今は、その重さを惜しんでいられない。


 優奈が背後で息を呑む。


「ユウマさん、それ……」


「後で説明する!」


 それだけ返して、俺は最大速度へ入った。


 高速移動。

 いや、さっきまでのそれより、さらに一段上。


 直線。

 最短。

 首だけを狙う。


 片手剣が空気を裂く。


 《貫通》で反射を無効化。

 切断の付与でそのまま刃を押し込む。

 速度の乗った一撃は、確かに今までと違った。


 首が裂ける。


 半分くらいまで、一気に入った。


 だが――落ちない。


 安居楽業一式が見えていたわけではない。

 それでも、最後の最後でわずかに身をずらした。


 人間なら反応できないはずの速度。

 でもこいつは、直感で避けた。


 そのわずかな回避のせいで、斬撃が半歩ずれた。


「っ、避けたのかよ!」


 首の半ばまで断たれ、血ではなく黒い霧みたいなものを噴き上げながらも、安居楽業一式は死なない。


 人間なら死んでいる。

 でも、召喚獣だから死なない。


 そこが最悪だった。


 俺はその一撃で決めたつもりになっていた。

 ほんの一瞬だけ。

 それが、致命的に甘かった。


 高速移動を解いた瞬間、安居楽業一式の下腕が振り抜かれる。


 蹴り。


 正確には、脚と腕の複合動作だったのかもしれない。

 とにかく、重かった。


 まともに食らった。


 視界が横へ吹き飛ぶ。

 肺から空気が抜ける。

 床を転がり、背中を打ち、そこでようやく止まる。


 声が出ない。


 息が吸えない。

 頭の奥で変な音が鳴る。


「ユウマさん!」


 優奈の叫び声が遠く聞こえた。


 大丈夫だと言おうとして、喉が動かない。

 肋骨がいったかもしれない。

 少なくとも、内側をかなりやられている。


 優奈が駆け寄ってくる気配。

 止める余裕もない。


 次の瞬間、腹の辺りへ温かい魔力が流れ込んだ。


 やわらかい。

 熱ではない。

 でも、壊れたところを無理やり繋ぎ直すみたいな感覚。


 回復魔法。


 しかも、初級とはいえちゃんとした。


 息が、戻る。


「……っ、は」


 ようやく空気が入ってきた。

 声が、掠れながらも出る。


「習得してたのか……いつ」


 優奈は真顔だった。


「後で言います」

 短く、きっぱりと言う。

「今は集中してください」


 その言い方に、少しだけ驚いた。


 いつの間にか、そんな顔をするようになったのか。

 前ならもっと慌てていたはずなのに、今は必要なことしか言わない。


 俺は咳き込みながらも、なんとか膝をついた。


 安居楽業一式はまだ立っている。

 首は半ばまで断たれている。

 それでも倒れない。


 だったら、もう一回だ。


 魔力残量は、かなり減っている。

 でも、まだ大半を使い切ったわけじゃない。


 使うべきだ。


 ここで終わらせる。


 俺は立ち上がりながら言った。


「……今の回復、どこまで持つ」


「応急です!」

 優奈が即答する。

「でも、多少の無茶ならさっきよりましです!」


 十分だ。


 本来なら、次の手は使わない。

 高速移動をさらに上へ押し上げる方法。

 肉体そのものへ反動が返る。

 骨や筋肉が、速度に追いつかずに壊れかねない。


 だから、追い詰められていないと使えない。

 使わない。


 でも今は優奈の回復がある。

 多少なら、その場で繋げられる。


 だったら、賭ける価値はある。


「優奈」

「はい!」


「次で終わらせる」

 俺は片手剣を構え直した。

「終わらなかったら、その時は引け」


 優奈は何か言いかけた。

 でも結局、短く返す。


「……了解です」


 その返事を聞いて、俺は魔力を全部一点へ寄せた。


 《貫通》。

 切断の付与。

 そして、高速移動。


 さっきより速い。

 無理やり、速くする。


 身体の内側で嫌な音がする気がした。

 脚が悲鳴を上げる。

 でも無視する。


 安居楽業一式も、今度は警戒していた。

 首を守るように腕を上げ、わずかに下がる。

 だが、その程度で足りる速度じゃない。


 俺は一直線に踏み込んだ。


 床を蹴る。

 世界が細くなる。

 首の断面だけを見る。


 片手剣が、半分まで裂けた首筋の続きへ吸い込まれる。


 今度は避けさせない。


 反動で右肩が軋む。

 脚に焼けるような痛みが走る。

 でも、刃は届いた。


 残っていた首が、完全に切断される。


 安居楽業一式の頭部が、遅れて宙へ浮いた。


 空洞みたいな黒い目が、最後までこちらを見ていた気がした。

 だが次の瞬間、頭と胴体が同時に崩れる。


 札。

 黒い霧。

 光にも見えない塵。


 全部がほどけるみたいに散っていく。


 そして、静かになった。


 俺はその場に片膝をついた。

 片手剣の切っ先が床に触れる。


 息が荒い。

 全身が痛い。

 優奈の回復がなかったら、たぶん今ので俺の方が先に壊れていた。


 それでも。


「……ようやく終わった」


 喉が焼けるみたいに痛かったが、ちゃんと声にはなった。


 優奈が駆け寄ってくる。

 今度は慌てていた。


「ユウマさん!」

「生きてる」

 俺は先に言った。

「たぶん」


「たぶんって何ですか!」

 優奈が半泣きみたいな声を出す。


 その声を聞きながら、俺はようやく部屋の奥へ目を向けた。


 残っていた五体の式神は、安居楽業一式の消滅に引きずられるように、すでに形を失い始めていた。

 ボス部屋を閉ざしていた見えない圧も、少しずつ緩んでいる。


 どうやら、これで本当に終わりらしい。


 俺は片手剣を鞘へ戻しながら、もう一度だけ小さく息を吐いた。


 最悪な一時間。

 その始まりを、どうにか終わらせた。


(つづく)

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