第79話 式神十体と、最悪な一時間の始まり
カナダのダンジョンは、入ってすぐに嫌な手触りを寄こしてきた。
空気が重いとか、魔力濃度が高いとか、そういう分かりやすい不快さじゃない。
もっと、頭を使わされる感じだ。
こちらを見て、合わせてくる。
そういう嫌さだった。
カナダ側が仮設した前線基地の会議室で、俺たちはアメリカ側の初動部隊――というより、ほぼアメリカそのものみたいな連中と顔を合わせた。
リアム・アンダーソン。
《資本主義》持ち。
それに銃運用に慣れた探索者たち。
前にルクセンブルクで見た時よりも、さらに“実験部隊”としての色が濃い。
「今回は固定化できる最低限のラインを探る」
リアムが言う。
「だから最初は色々試す。遠慮はしない」
「遠慮しろよ」
俺は即答した。
「こっちは式神とかいう初見の魔物に付き合わされてるんだぞ」
リアムは笑うだけだった。
こういう時のこいつは、本当に面倒くさい。
優奈は俺の横で、端末に表示されたログを真剣な顔で見ていた。
カナダ側の報告は断片的だったが、それでもいくつか共通点は拾えている。
式神ダンジョン。
核になる個体がいて、戦況に応じて別種の魔物を呼び出す。
しかも、その呼び方が露骨にこちらへの対策になっている。
最初の実験で、それはすぐに確認できた。
広い石畳の通路。
天井は高い。
視界も悪くない。
なのに、戦い方を一つ決めると、向こうがすぐに答えを返してくる。
「優奈、試しに銃だ」
俺が言うと、優奈は即座に頷いた。
「はい!」
アメリカ側から借りたライフルを構え、正面の式神へ向けて撃つ。
最初の一体は普通に消える。
だが次の瞬間、空中に薄い紙片みたいな符が散って、その背後から新しい魔物が現れた。
半透明。
浮遊。
輪郭が曖昧。
「……ゴースト」
優奈が嫌そうに言う。
「銃だとゴースト……ダメージゼロってすごく面倒です」
「だろうな」
俺は眉を寄せた。
銃に対して、ほぼ確定でゴーストを出す。
つまり物理の飛び道具を見たら、あっちもすぐに“それに効かない札”を切ってくるわけだ。
じゃあ近接はどうだ。
今度は優奈が黒刀に持ち替えて踏み込む。
式神を一体落とす。
すると次に出てきたのは、石の翼を持つガーゴイルだった。
その次はゴーレム。
どちらも近接相手に嫌らしい。
中距離を試すため、《延長(斬撃)》だけで削ってみると、今度はウィッチ。
そこへ自爆モンスターまで混ざる。
銃以外の遠距離寄りにすると、盾持ちと高速接近型。
明らかだった。
近接なら近接を潰す札。
銃なら銃を殺す札。
中距離なら、その中間を崩す札。
優奈が一度下がって、肩で息をしながら言う。
「嫌な意味で、ちゃんと頭いいです」
「そういうダンジョンだ」
俺は短く返す。
リアムも腕を組んだまま、わずかに眉を上げていた。
さすがにこの露骨な適応には、アメリカ式の運用でも面倒くささを感じているらしい。
「固定の最適解は作りづらい」
リアムが言う。
「少なくとも、“銃で全部片づける”は無理だな」
「でも、銃を捨てるのも違う」
俺はすぐに答えた。
「ゴーストを出されるなら、銃弾に付与するしかない」
部屋の空気が少しだけ止まった。
カナダ側の担当者が聞き返す。
「付与、ですか?」
「ああ」
俺は頷いた。
「弾そのものを魔力攻撃扱いにする。ダメージ半減になるだろうが、それでもゼロよりはマシだ。銃五名、付与担当魔法使い一名。現状、それが仮のベストだと思う」
優奈が小さく「あ」と声を漏らした。
アメリカで銃を使った時の感覚と、六階層のゴースト処理が頭の中で繋がったのだろう。
「なるほど……」
それから、少しだけ難しい顔になる。
「でも、ボスはどうするんですか」
そこだった。
雑魚処理の暫定解が見えたとしても、それで終わりじゃない。
この構成でどこまで行けるのか。
ボスまで通用するのか。
そこが分からない限り、意味がない。
相良の事前共有にも、カナダ側の報告にも、ボスの情報はなかった。
当然だ。
ここまで潜って戻れた者がいないか、戻れても情報を持ち帰る余裕がなかったのだろう。
「誰も潜ったことがない、か」
俺は小さく呟いた。
ガチの情報なし。
それが一番嫌だ。
リアムがこちらを見る。
「行くか?」
軽く言う。
そういう問題じゃない。
だが、試すしかないのも事実だった。
「今回は俺が戦闘役だ」
俺は言った。
「優奈はモブがいたらそっちの処理。あくまで試験的だ。もしもの時に引ける形で行く」
優奈は一瞬だけ驚いたが、すぐに頷いた。
「はい」
「私が前に出すぎると、式神に余計な札を切らせる可能性がありますしね」
「そうだ」
俺は答える。
「今回は“何を出してくるかを見る”のが優先だ」
リアムは口元だけで笑った。
「慎重だな」
「そっちが割に合わないって逃げた案件なんだよ」
俺は言う。
「慎重にもなる」
そうして俺と優奈だけで、ボス部屋前まで進んだ。
通路の空気が、また少し変わる。
カナダのダンジョンはどこか冷たい。
乾いた石と、紙片みたいな魔力の臭いが混ざっている。
ボス部屋の扉は、意外と素朴だった。
巨大でもなければ禍々しくもない。
ただ静かで、向こう側に何かが待っていることだけが分かる。
「行きます」
優奈が小さく言う。
「ああ」
扉を押す。
中は、広かった。
そして、拍子抜けするくらい静かだった。
中央に、式神が十体。
それだけ。
人型に近い。
白い和紙を折ったみたいな体に、黒い文字がびっしり走っている。
どいつも同じ大きさで、同じ形で、同じようにこちらを向いている。
俺も優奈も、一瞬だけ止まった。
「……あれ?」
優奈が小さく言う。
「それだけ、ですか?」
俺もまったく同じことを思った。
十体。
たしかに数は多い。
でも、今までの嫌らしさを考えると、それだけで終わるとは思えない。
その違和感が、答えだった。
式神十体のうち、前列の五体が同時に崩れた。
倒されたんじゃない。
自分から、形をほどいたのだ。
紙片の体がばらばらに裂け、その一枚一枚が黒い炎みたいに燃え上がる。
まるで自壊。
いや、もっと露骨だ。
生贄。
「下がれ!」
俺が叫んだ瞬間、五体分の“命”が薪にされるみたいに一点へ吸い込まれた。
部屋の中央。
残った五体の背後。
空間そのものが歪む。
そして、巨大な魔物が現れた。
人型。
だが、人とは呼びたくない形だ。
装束めいた外殻。
四本腕。
全身に札のようなものが縫いつけられ、目だけが空洞みたいに黒い。
その姿が完全に定まるより先に、頭の中へ名前が流れ込んできた。
『死期舞枚 安居楽業一式〈アンラクギョウ・イッシキ〉』
優奈が息を呑む。
「名前……?」
「ダンジョン側の情報開示だ」
俺は即座に理解した。
同時に、さらに情報が流れ込んでくる。
双命召喚。
同能力者五人の命を対価にした百パーセント全反射。
常時肉体に属性付与。
一時間限定召喚。
そして最後に、最悪の条件。
――安居楽業のHPを五〇%削らない限り、このボス部屋からは出られない。
優奈が顔を引きつらせる。
「……最悪じゃないですか」
「最悪だ」
俺も即答した。
条件を敵に伝える。
その縛りを設けることで、召喚の持続時間と条件緩和を行う。
つまり本来はもっと短いか、もっと重い代償の召喚を、“こっちにルールを教える”ことで無理やり使いやすくしている。
性格が悪い。
ダンジョンらしくて吐き気がする。
俺は一瞬で状況を整理した。
物理・魔法・飛び道具。
全部全反射。
ただし、例外が一つだけある。
《貫通》。
防御魔法へ掛けられた魔力量を上回る魔力を叩き込めば、防御そのものを無効化する俺の魔法。
あれだけは通る。
しかも、付与した武器に《貫通》を乗せた場合、ダメージが倍になる。
――たぶんそこが、唯一の突破口。
でもその事実に安心なんて欠片もなかった。
全反射。
属性付与常時。
退路封鎖。
そして制限時間一時間。
倒さなくていい。
でも半分は削らないと出られない。
その代わり、削れなかったら一時間、この怪物と同じ部屋に閉じ込められる。
最悪な一時間の幕開けだった。
「ユウマくん」
優奈の声が少し硬い。
「分かってる」
俺は短く答えた。
「今はまだ撃つな。全部返ってくる」
「はい」
安居楽業一式が、ゆっくりと腕を上げる。
その動きだけで、空気の色が変わる。
右腕には火。
左腕には氷。
下の二本には雷と風。
常時属性付与の情報は本当らしい。
しかも後ろには、残った式神が五体。
召喚役を兼ねたまま、まだ立っている。
ボスだけでも十分面倒なのに、取り巻きまで残っている。
どう考えても、一筋縄じゃいかない。
俺は片手剣の柄に手をかけながら、頭の中で高速で盤面を組み立てた。
遠距離は論外。
魔法も反射。
普通の斬撃も弾かれる。
《貫通》を乗せた接近戦だけが通る。
だが相手は全身に属性を纏っている。
触れるだけでも危険な可能性がある。
優奈が小さく言う。
「……これ、かなり嫌なやつですね」
「八階層よりよっぽど嫌だな」
俺は言った。
ボス部屋の外から、扉を叩くような低い音が一度だけ響いた。
たぶん外ではアメリカ側が待機している。
でも意味はない。
半分削るまで出られない。
ルールがそう言っている以上、ここから先は俺たちだけの問題だ。
安居楽業一式の空洞みたいな目が、真っ直ぐこちらを向く。
気配だけで圧がある。
そして俺は、ようやく剣を抜いた。
「優奈」
「はい」
「モブの処理と位置取りは任せる」
「了解です」
「俺が前に出る」
そう言って、俺は一歩だけ踏み出した。
「まずは、《貫通》がどこまで通るか試す」
優奈は息を呑んだが、止めなかった。
今は止めても意味がないと分かっているのだろう。
安居楽業一式が、ゆっくりと笑ったように見えた。
気のせいかもしれない。
でも、そう見える程度には不気味だった。
一時間。
たった一時間。
でも、ここから先はたぶん長い。
そう確信できるだけの最悪が、もう目の前に立っていた。
(つづく)




