表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
79/122

第78話 あと一億と、式神ダンジョン

 八階層を突破してからも、休める感じはしなかった。


 体力の話じゃない。

 時間の話でもない。


 気持ちが、止まれなかった。


 母のこと。

 唯のこと。

 あと一億という数字。

 そこまで見えてしまったせいで、逆に一歩も無駄にできないような焦りが強くなっていた。


 だからその日のミーティングで相良が「今回は少し特殊です」と切り出した時、俺は最初から嫌な予感しかしていなかった。


「今度はどこだよ」


 最近、もうこの一言が挨拶みたいになっている気がする。

 そして大体、その嫌な予感は外れない。


 相良はいつもの柔らかい笑顔のまま、端末の画面を切り替えた。


「カナダです」


 優奈が小さく「カナダ……」と繰り返す。

 興味はある。

 でも今の流れだと、たぶんそれだけで済まない。

 俺も同じことを思っていた。


「正確には、カナダとアメリカからの合同依頼です」


 そこで、さらに嫌な予感が強くなった。


 カナダ単独じゃない。

 そこにアメリカが乗っている。

 つまりカナダ側の問題でありながら、アメリカですら単独処理を嫌がった案件、ということだ。


「嫌な言い方するな」

 俺は眉を寄せた。

「どうせろくでもないんだろ」


「ろくでもないですね」

 相良が即答した。


 優奈が少しだけ困ったように笑う。


「最近、相良さんの“ろくでもない”って信用できますよね」

「したくねえ信用だな」


 俺がぼそっと言うと、相良はそのまま説明を続けた。


「カナダに新規ダンジョンが出現しました」

「カナダ側も、まったくの無準備というわけではありません。具体的には、これまでアメリカのダンジョン攻略を部分的に手伝ってきました」


「多少はノウハウがあるってことか」

「はい。ただし、自前の人員はそこまで多くありません」

 相良が頷く。

「国土に対して、攻略者の絶対数が足りていない。だから本来なら、アメリカへ本格的に依頼を出すつもりでした」


 そこまでは分かる。


 アメリカはダンジョン攻略の経験値が高い。

 企業も軍も動きが早い。

 人も装備も回せる。

 だったらカナダがアメリカへ支援を求めるのは自然だ。


 問題は、そこから先だった。


「ですが、今回のダンジョンが少し特殊です」

 相良は端末の画面をさらに切り替えた。

 そこに表示された単語を見て、俺は本気で顔をしかめた。


「……式神?」


 優奈も目を瞬かせる。


「しきがみ……?」

 それから、ほとんど俺と同時に言った。

「私も聞いたことも見たこともないです!」


「俺もだよ!」

 思わず声が出た。

「何それ⁉ 初めて聞いたんだけど⁉ なんだその魔物⁉」


 相良は少しだけ肩をすくめる。


「日本語だとそう訳すのが近いだろう、ということで現在はそう呼ばれています」

「カナダ側の報告では、“核になる存在が、状況に応じて別種の魔物を召喚する”タイプのダンジョンです」


 俺は少し黙った。


 嫌な予感が、嫌な形で当たる時の沈黙だった。


「……召喚型か」

「はい」

 相良は頷く。

「しかも、かなり適応力が高い」


 優奈が真面目な顔になる。


「適応力、っていうと」

「同じ手が通じにくい、ですか?」

「その通りです」


 相良は画面に、現地から届いた簡易ログの抜粋を表示した。


「近接を増やすと飛行型を多めに呼ぶ」

「遠距離主体で削ると、高速接近型と盾役を優先して出す」

「同じ攻撃手段を続けると、次の波ではそれに明確に相性のいい個体を呼ぶ傾向がある」


 優奈が顔をしかめる。


「うわあ……」

 その一言に全部入っていた。

 俺も同感だ。


 式神ダンジョン。


 なるほど。

 固定の最適解が通じにくい。

 戦い方そのものを見て、次の札を変えてくる。


「アメリカは、正攻法で攻略法を見いだせないわけじゃありません」

 相良が続ける。

「ただ、正確には“割に合わなさすぎる”」


 俺はその意味をすぐ理解した。


 アメリカの強みは、運用だ。

 人数。

 装備。

 物流。

 そして一度型が決まったあとの反復。


 でも式神ダンジョンは、その“一度決めた型”をずらしてくる。


「勝てるけど、コスパが悪いってことか」

 俺が言うと、相良は頷いた。


「はい。人員と装備を増やせば押し切れる可能性はある」

「ただし、そのたびに呼び出される魔物構成が変わる。毎回最適化し直さないといけない。アメリカの得意分野である“固定化して回す攻略”と相性が悪いんです」


 優奈が小さく言う。


「それは……嫌ですね」

「かなり嫌だ」

 俺も即答した。


 つまり、相手がこちらの正攻法に対して“はい、その対策です”を返してくるわけだ。

 真正面からやっても勝てる。

 勝てるが、かかるコストが見合わない。


 そして、そういう時に限って話がこっちへ来る。


「そこでyumaに依頼を出せば、何とかしてくれるだろう、と」

 相良が穏やかに言った。


「何とか出来るわけねえだろ⁉」

 俺は本気で言った。

「式神って何⁉ 初めて聞いた魔物なんだけど⁉ こっちは召喚型とか適応型とか、その辺のゲームみたいな単語だけで話されても困るんだよ⁉」


 優奈もすかさず乗る。


「私も何も分かってません!」

 勢いよく手を挙げるみたいに言う。

「見たことないです!」


「だろ⁉」


 思わず優奈と変なところで息が合う。

 けれどそれで状況が楽になるわけじゃない。


 俺は端末の画面を見ながら、内心でため息を吐いた。


 聞く限り、かなり厄介だ。

 しかもカナダとアメリカの合同案件。

 つまり規模もでかい。

 嫌な予感しかしない。


 断る。

 普通に考えれば、そう言うべきだった。


 母のために急がないといけないのは事実だ。

 だからこそ、不確定要素の多い案件に飛びつくべきじゃない。

 そう理屈では分かる。


 だが。


 相良が、そこで間を置いてから言った。


「今回の依頼は、数億規模です」


 俺の思考が、一瞬だけ止まった。


 優奈が「え」と小さく声を漏らす。

 相良は、そのまま静かに続けた。


「yuma個人には、最低でも一億が支払われます」


 喉の奥が、ほんの少しだけ乾く。


 最低一億。


 その数字の意味を、今の俺は嫌というほど知っている。


 あと一億。

 十億の薬。

 九億まで来ている。

 そして唯に、「あと少しなんだ」と言ってしまったばかりだ。


 だから、話が変わる。


 変わってしまう。


 何とかできるわけがない、と思った。

 思ったのに、一億と聞いた瞬間に、断れなくなった。


 そのことに、自分で少しだけ吐き気がした。


 金で態度が変わるのか。

 そう言われたら、否定できない。


 でも、否定できないからこそ、目を逸らせない。


「……最低一億」


 自分の声が少し低くなる。

 優奈が横で、ちらっとこっちを見た。


「ユウマくん」


「分かってる」

 俺は短く返す。

「分かってるよ」


 何を分かってるのか、自分でも曖昧だった。

 危険な案件だということか。

 金額に引っ張られてる自分の醜さか。

 それとも、ここで断ったら唯に言った“あと少し”が遠のくことか。


 たぶん全部だ。


 相良は、そんな俺の顔を見ても何も言わなかった。

 ただ事実だけを並べる。


「カナダ側の狙いは、初期の適応ルールを見抜きたいこと」

「アメリカ側の狙いは、どの条件でどの召喚反応が起きるのかを解析し、攻略を“固定化できる最低限のライン”を知りたいこと」


「固定化できる最低限のライン、か」

 俺は繰り返した。


 それなら意味は分かる。


 式神ダンジョンが完全に自由適応するなら、どんな攻略も割に合わない。

 でも、適応にもきっとルールがある。

 そのルールが分かれば、“完全固定”じゃなくても、“この辺までは安定”という形は作れる。


 それを読む役に、俺を使いたいわけだ。


「ようするに、相手の反応条件を見抜けってことだな」

「はい」

 相良が答える。

「まさに結城さん向きかと」


「嬉しくねえ」

 反射みたいに言った。

「全然嬉しくねえ」


 でも、その後に「やらない」とは続かなかった。


 優奈が小さく聞く。


「……行くんですか?」


 その問いが妙に重かった。

 たぶん優奈も分かっているのだろう。

 この依頼が“面白そうだから行く”類じゃないことを。

 そして今の俺にとって、一億の意味がどれだけ重いかを。


 俺は少しだけ目を閉じた。


 母の病室。

 唯の顔。

 あと一億。

 待つ、と言った妹。

 今度こそ間に合わせる、と言った自分。


 そこまで思い出したら、もう答えは最初から決まっていた。


「……行く」


 声にすると、思ったより淡々としていた。


 優奈は何も言わなかった。

 ただ、小さく頷いた。


 相良が続ける。


「正式には、カナダ現地でアメリカ側の初動部隊と合流、その後現地政府と合同で調査開始になります」

「リアムも来ます」


 そこで俺は思わず顔をしかめた。


「うわ、面倒くさいのまでセットかよ」

「資本主義の人ですか?」

 優奈が聞く。


「そうだ」

 俺が言うと、優奈は少しだけ納得した顔をした。

「アメリカ側も本気なんですね」


「本気だろうな」

 俺は頷いた。

「金になるかどうか以前に、ああいう“固定化しづらいダンジョン”は放置すると面倒だ。隣国のカナダなら、なおさらだろ」


 カナダ側としても、アメリカを全面的に頼るのは微妙だ。

 アメリカ側としても、完全ボランティアで抱える気はない。

 だからyumaが間に入る。


 理屈としては、まあ分かる。


「出発は?」

 俺が聞く。


「かなり早いです」

 相良が答える。

「明日には動けるようにしておいてください」


 当然だ。

 数億の依頼が、のんびりしているわけがない。


 優奈が「カナダって寒いですよね……」と少しだけ現実的なことを言い、俺は「そこからかよ」と返した。

 けれど、そういう小さな会話のおかげで、ほんの少しだけ空気が和らいだ。


 それでも、俺の中は和らがない。


 一億。

 最低一億。


 その数字が、ずっと頭の後ろに引っかかっている。


 嫌でも意識する。

 意識したくなくても、今は意識しない方が嘘だ。


 ミーティングが終わり、資料を回収しながら、優奈がそっと言った。


「ユウマくん」


「何だ」


「……頑張りましょう」

 その言い方は、励ましというより確認に近かった。

「あと一億、ですよね」


 俺は少しだけ息を止めた。

 そして、短く答える。


「ああ」

「あと一億だ」


 優奈は真面目な顔で頷いた。


「じゃあ、取りに行きましょう」


 簡単に言う。

 でも、その簡単さが今はありがたかった。


 俺は端末を鞄に入れながら、小さく息を吐いた。


 式神ダンジョン。

 初めて聞く魔物。

 アメリカでも割に合わない適応型。

 何とかなるとは、正直まだ思えない。


 それでも行く。

 行かない理由が、今の俺にはもうない。


 何とかできるわけがない、と思ったのに、一億と聞いた瞬間に話が変わった。

 その事実はたぶん、今の俺の弱さだ。


 でも同時に、それが今の俺の現実でもある。


 弱くても、現実なら、やるしかない。


 あと一億。


 その数字のために、今度はカナダだ。


(つづく)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ