第77話 八階層ボスは、倒した後が本番
八階層のボス戦は、資料を一枚見た瞬間に嫌な予感しかしなかった。
自爆するモブがいる。
それだけでも十分に嫌なのに、今回はそこへ“分裂”まで乗ってくる。
クランのミーティングルームで相良から送られてきた戦闘記録を見ながら、俺は思わず眉間を押さえた。
「……性格悪すぎるだろ」
その一言に、優奈が露骨に不安そうな顔をする。
「そんなにですか?」
「そんなにだ」
俺は端末の画面を指で叩いた。
「八階層ボスは、倒すたびにHP半分の個体二体に分裂する」
「二体に」
優奈が繰り返す。
「そう。しかも一回きりじゃない」
俺は続けた。
「分裂は三回まで。つまり、倒して終わりじゃない。倒した瞬間に、数が増える」
優奈が少しだけ首を傾げる。
「でも、三回までなら……」
そこで端末の横に置いたメモへ視線を落とし、計算するみたいに小さく呟く。
「えっと、一回目で二体、二回目で、三回目で……」
「そこにおまけがつく」
俺は言った。
優奈が顔を上げる。
「おまけ?」
「分裂が一回起きるごとに、爆弾モブが二体、無から生まれる」
「は?」
優奈の反応が正しい。
俺は淡々と続けた。
「ボス本体はそこまで強くない。問題は、分裂するたびに自爆する小型が増えることだ」
「分裂三回なら、ボスの増殖に付き合ってモブが二体ずつ増える。出現タイミングと残り方を全部拾うと、最終的に相手する自爆モブは合計十四体になる」
優奈が、今度こそ本気で嫌そうな顔をした。
「十四体……」
「そうだ」
俺は頷く。
「ボス自体はそんなに強くない。だが分裂する上、数と厄介さが異常だ」
優奈はしばらく黙っていたが、やがて少しだけ気を取り直したように言った。
「あれ?」
「何だ」
「最初ちょっとマジかって思いましたけど……十四体くらいなら、何とかなるかも」
そこで俺は即座に言い返した。
「いやいや、ボス倒した後の集中切れかかってる時にモブ十四体は死ぬから⁉」
優奈がぴくっと肩を揺らした。
「そんなにですか?」
「そんなにだ」
俺は言い切る。
「前半はまだいい。問題は後半だ。分裂対応で集中が削れて、探知のタイミングも、距離管理も、少しずつ雑になる。その状態で自爆モブがまとめて寄ってきたら普通に終わる」
優奈は「うっ」と小さく呻いた。
図星らしい。
八階層の自爆モブは、一発なら耐久強化で耐えられる。
だが二発、三発と重なれば話は別だ。
しかも“近づくだけで起爆する”以上、処理の順番を間違えた瞬間に事故る。
「じゃあ、方針は」
優奈が真面目な顔に戻る。
「基本は今まで通りだ」
俺は資料を閉じて言った。
「定期的に探知してモブを回避しながら、ボスを優先的に狙う」
「でも、モブも削る」
優奈が小さく復唱する。
「そう」
俺は頷いた。
「ボスだけ見てると終盤に対応できなくなる。分裂のたびに二体ずつ増えるんだから、削れる時に削る。残り全部を最後にまとめて、は絶対にやるな」
優奈は少しだけ苦笑した。
「やりたくなりそうです」
「だから先に言ってる」
「分かりました!」
返事はいい。
問題は、その返事を終盤まで覚えていられるかどうかだ。
俺はさらに細かく説明を重ねる。
「第一段階ではボス優先」
「二回目の分裂までは、探知で位置を切りながら、ボス本体を削るついでに近いモブを《延長(斬撃)》で巻き込む」
「三回目が見えたら、そこからは“ボスの数”と“モブの数”を常に数えろ」
優奈が「数える……」と小さく呟く。
「分裂回数の残りがゼロになった瞬間、ボスは増えない」
俺は言う。
「そこが勝負の切り替えポイントだ。その時に残ってるボスを一気に落とすか、モブを削るか、判断を間違えるな」
「はい」
「あと、最後に魔力が余ってたら、常時探知に切り替えろ」
俺は続けた。
「八階層で常時探知は基本贅沢だ。だが終盤の数体処理だけなら話は別だ」
優奈が少しだけ驚いた顔になる。
「え、使っていいんですか?」
「状況次第だ」
俺は答える。
「前半からやるな。終盤、もうこれ以上食らえないって場面でだけ使え」
優奈は小さく息を吐いた。
「……了解です」
それから、少しだけ笑う。
「なんか、今回は“勝ったと思った瞬間が一番危ない”って感じですね」
「その通りだ」
俺は頷いた。
「だから気を抜くな」
ボス部屋の前に立った時、八階層の空気は相変わらず乾いていた。
七階層の暗闇とは違う。
見える。
でも、見えるからこそ嫌だ。
視界の中にいる敵全部が、“近づいたら爆発する可能性がある”と分かった状態で戦うのは、たぶん暗闇より性質が悪い。
優奈は黒刀の柄に手をかけたまま、短く深呼吸した。
「行きます」
「ああ」
俺は壁から身体を起こした。
「最初は余裕でいい。余裕がある時ほど、モブも忘れるな」
「分かりました」
重い扉が開く。
ボス部屋は広かった。
中央に一体。
表面がひび割れた黒い甲殻を持つ大型魔物。
蜘蛛とも百足ともつかない形だが、どちらとも違う。
脚が多い。
だが、動きはそこまで速くない。
第一印象は、たしかに強くない。
強くないが――。
優奈が小さく呟く。
「嫌な見た目です」
「見た目に騙されるな」
俺は言う。
「面倒なのはそこじゃない」
戦闘開始。
優奈は最初から探知を薄く打ち、ボス本体の位置と周囲の魔力反応を拾う。
まだ自爆モブは少ない。
今はボス優先でいい。
《延長(斬撃)》。
刃が伸び、ボスの脚を払う。
同時に半歩横へずれる。
起爆圏へ不用意に入らないための位置取りだ。
優奈の動きに無駄はない。
七階層で覚えた探知の間合い管理が、そのまま八階層にも生きている。
ボスが咆哮し、甲殻の内側に赤い線が走る。
「来ます!」
優奈が叫んだ直後、ボスの身体が弾けた。
分裂。
巨大だった胴体が割れ、HP半分の個体が二体へ増える。
その左右に、小型の自爆モブが二体、まるで最初からそこにいたみたいに生まれた。
「右の小型、近い!」
俺が声を飛ばす。
優奈はボスへ踏み込もうとしかけた足を止め、《延長(斬撃)》を小型へ切り替える。
一体目が割れ、爆発。
二体目も間を置かず処理。
その判断が正しい。
ボスだけ見ていれば、いきなり二発食らって終わる。
優奈は息を吐き、すぐに残った二体のボスへ視線を戻した。
「今のところ、行けます!」
「そうだろうな」
俺は言う。
「最初は余裕だ。問題はここからだぞ」
優奈は苦笑しながら、二体になったボスへ切り込む。
片方に《延長(斬撃)》、もう片方へ近接で一太刀。
探知を挟みながら処理速度を落とさず回していく。
理想的だ。
二回目の分裂も、ほぼ危なげなく乗り切った。
ボスはさらに増え、小型モブがまた二体生まれる。
優奈は探知で小型の位置を拾い、近い個体から先に飛ばす。
残ったボスを削る。
必要以上に踏み込まず、でも逃げすぎもしない。
ここまでは、かなりいい。
だからこそ、俺は少し嫌な予感がした。
前半が綺麗すぎると、終盤に気が緩む。
八階層はそういう階層だ。
「優奈」
俺はわざと声を強めた。
「数を忘れるな。分裂回数、残り何回だ」
優奈はボスの爪を避けながら即答する。
「残り一回です!」
「モブは」
「今見えてるのが三体、さっき処理したので合計八体目です!」
「よし、そのまま」
まだ大丈夫だ。
だが、ここから先は疲労が溜まる。
探知の打ち方も、ほんの少しずつ甘くなる。
視界に映る情報が多い分、脳の消耗が七階層とは別の方向で重い。
三回目の分裂が起きた。
ボス本体が二体残る。
そして新しく生まれた小型が二体。
累計のモブ出現数は十四体に達する計算になる。
ここで、空気が変わった。
優奈の呼吸が少しだけ荒い。
足運びも、最初よりほんの少しだけ重い。
集中が切れているわけじゃない。
だが、集中を維持するための“余白”が削られている。
俺はそこであえて何も言わなかった。
今の優奈には、自分でそれに気づいてもらう方がいい。
案の定、小さなミスが出始めた。
探知の更新が半拍遅れる。
近接へ入る角度が少し浅い。
《延長(斬撃)》を振った後の離脱が半歩足りない。
そして、その半歩の足りなさを自爆モブは見逃さない。
右後方。
「来る!」
俺が叫ぶより半瞬早く、爆発が起きた。
優奈の身体が横へ振られる。
《肉体強化(耐久寄り・初)》が間に合っていたから倒れはしない。
だが、これで被弾二回目だ。
優奈が歯を食いしばったまま姿勢を戻す。
「……二回です」
「分かってる」
俺は短く返す。
「あと一発で死ぬと思え」
「思ってます!」
返事は強い。
だが、その強さの奥で、緊張が増しているのが分かる。
ここで焦ると終わる。
ボス二体。
分裂回数残りゼロ。
自爆モブ四体。
状況としては、かなり悪い。
だがまだ崩れてはいない。
「先にボス!」
俺は言う。
「増えないなら、ここで落としきれ!」
優奈は頷くと、残った二体のボスへ意識を絞った。
近い方へ踏み込み、斬る。
《延長(斬撃)》で二体目の脚も払う。
甲殻の割れ目を狙って、黒刀を差し込む。
自爆モブが周囲をうろつく。
だが今は無視するしかない。
ボス二体を残したままモブ掃除へ入る方が危険だ。
優奈は完全に切り替えた。
一体目を近接で落とし、返す刀で二体目へ。
《延長(斬撃)》で外殻を裂き、そのまま距離を詰めて最後は本体へ直接一閃。
ボス二体、撃破。
そこで、ほんの一瞬だけ空気が緩んだ。
勝った。
そう思ってしまうくらいには、ボス二体の処理は綺麗だった。
――だから危ない。
「まだ終わってない!」
俺が怒鳴る。
その声に優奈が顔を上げた直後、左足元で一体が起爆した。
爆発。
三発目。
優奈の身体が吹き飛びかける。
壁へぶつかる寸前で踏みとどまり、膝をつく。
残りモブ三体。
もう、次は食らえない。
優奈は数秒、動かなかった。
いや、動けなかったのかもしれない。
それでも目は死んでいない。
「……三体」
優奈が低く言う。
「魔力、割と残ってます」
その言葉で、俺は次に来る答えを理解した。
「常時探知か」
「はい」
それが最後の切り札だった。
前半からやれば魔力がもたない。
でも今、残り三体だけなら話は別だ。
しかももう一発も食らえない。
だったら贅沢でも、確実性を取るしかない。
「やれ」
俺が言う。
優奈は大きく息を吸い、《魔力探知》を常時発動へ切り替えた。
空間全体の輪郭が、優奈の中で繋がる。
断続的だった情報が連続になる。
重い。
だが、見える。
右壁際、一体。
左後方、一体。
天井近く、一体。
動線も分かる。
起爆圏も、追い込まれる角度も、全部。
優奈の表情が変わった。
「……行ける」
その一言は、強かった。
まず右壁際。
《延長(斬撃)》で割る。
爆発圏を外した位置で処理。
次、左後方。
探知で位置を掴んだまま半歩横へ。
近づきすぎる前に切る。
最後、天井近くの一体が落ちてくる。
常時探知だから、着地点も分かる。
優奈はそこへ《延長(斬撃)》を先置きするように振った。
割れる。
爆ぜる。
でも当たらない。
静かになった。
今度こそ、本当に。
優奈はその場で膝をついた。
肩が大きく上下している。
呼吸が苦しいのか、安堵したのか、その両方か。
俺は少しだけ息を吐いた。
「……だから言ったろ」
優奈が顔を上げる。
「何をですか」
「ボス倒した後の十四体が本番だって」
優奈は少しだけ悔しそうに笑った。
「……はい」
「その通りでした」
それから、床に手をついたまま続ける。
「でも、最後に常時探知へ切り替えたの、正解でした」
「そうだな」
俺は頷く。
「魔力が残ってたからできた。前半で無駄遣いしてたら無理だった」
優奈が小さく息を整えながら言う。
「八階層って、結局」
「うん?」
「勝ったと思った後に、死ぬ階層ですね」
その感想は、たぶん正しい。
最初は余裕がある。
中盤も、まだ回る。
でも終盤、集中が切れ、気が抜け、探知が鈍り、被弾が積み上がる。
そこで最後の数体が牙を剥く。
性格が悪い。
実にダンジョンらしい。
「帰るぞ」
俺が言うと、優奈は「はい」と答えた。
声は疲れているが、折れてはいない。
八階層は突破した。
肉体強化(耐久寄り・初)も、魔力探知も、ちゃんと役に立った。
そして常時探知という“まだ早い手札”も、最後の最後で使いこなせた。
成長としては十分だ。
ただし、余裕で勝ったわけじゃない。
そのことも、たぶん優奈にはちゃんと残ったはずだ。
ボスは倒した後が本番。
勝ったと思った瞬間が一番危ない。
その嫌らしさごと、八階層だった。
(つづく)




