第7話 刀と銃、そして台本の檻
相良の笑顔は最後まで崩れなかった。
「配信は“明日から”お願いします。初回はうちで台本を作ります」
その言葉が落ちた瞬間、優奈の顔から色が抜けた。
目の前に、見えない枠が生まれたみたいに。
「……台本、ですか?」
相良は頷く。優しい先生みたいに、当たり前のことを教える口調で。
「はい。言葉の事故は、取り返しがつきませんから」
俺はその横顔を見ながら、別の意味で胃が重くなるのを感じていた。
言葉の事故。情報の事故。
それは確かに取り返しがつかない。だから“守る”という名目で縛るのも分かる。
――でも。
縛られるのは、優奈だけじゃない。
同伴を許可された時点で、俺もこの枠の中に入った。
優奈の行動が“影響力”として扱われるなら、俺の行動もまた、優奈の首に繋がる。
説明会が終わり、施設の廊下を歩く。
ガラス越しに見える訓練室、編集ブース、会議室。全部が整っている。整っているほど、逃げ道がない。
優奈が小声で言った。
「結城くん……わたし、明日から、台本どおりに喋るんですよね……?」
「そうなる」
「……こわいです」
「こわいなら、守れる」
優奈は「はい……!」と返しながら、すぐに言い直した。
「でも!こわいです!」
「!」が増えた分だけ、少し戻ってきた。
戻ってきたからこそ、俺は次の問題を口に出せた。
「優奈。もっと現実的な問題がある」
「えっ、まだあるんですか!?」
「ある。攻撃手段だ」
優奈の歩きが止まった。
「……あ」
答えは優奈にも明白だったらしい。
目が泳ぎ、そしてまっすぐ俺を見る。
「わたし、戦闘経験……ほとんどないです」
「近接戦は危険だ。特に、体格差のある相手は」
低層のコボルトは、まだ“人間の延長”で済んだ。
でもダンジョンには、そうじゃないのがいる。
巨体。装甲。腕の一振りで壁が砕けるやつ。ああいうのは、刀の届く距離がそのまま死の距離になる。
優奈は唇をきゅっと結ぶ。
そして、震えながら言った。
「……じゃあ、銃、ですか?」
言った瞬間、自分でも怖くなったみたいに肩をすくめる。
「でも、持ち込めないんですよね!?入口で弾かれますよね!?」
俺は答えない。
代わりに、優奈の背中のリュックを見る。
優奈の《携行許可》。
“中身が入っていても”持ち込めるという意味は、ただの物資だけじゃない。
入口で弾かれるはずのものを、弾かれなくする――穴を空ける。
シュウが後ろから、低い声で笑った。
「その顔。ようやく分かったか」
軽口なのに、目は笑っていない。
「銃は早い。コスパもいい。だからこそ、扱いが一番面倒になる」
「……面倒」
優奈が復唱する。
「面倒って、どのくらい面倒ですか!?」
「“ここ”が動くくらい」
シュウが施設の天井を指で軽く叩く。
「ギルドじゃなくて、もっと上が」
優奈が息を飲む。
俺も息を吐いた。
これを口にした時点で、もう元の線には戻れない。
相良が廊下の先で立ち止まり、こちらを振り返った。
笑顔のまま、言う。
「……話、聞こえてます」
「でしょうね」
シュウが肩をすくめる。
「どうする、相良」
相良は笑顔のまま、優奈を見る。
「空下さん。確認します」
「は、はい!」
「あなたは“銃を使いたい”のではなく、“死にたくない”のですよね」
「……はい!」
優奈が強く頷く。
「死にたくないです!あと、結城くんを困らせたくないです!」
相良が小さく頷いた。
「分かりました。では結論です」
笑顔が、少しだけ固くなる。
「銃の話は、明日の配信では存在しません」
優奈が固まる。
「……えっ?」
「存在しません。言わない、映さない、匂わせない。台本にも出しません」
相良は淡々と言う。
「ただし――準備としての訓練は必要です。あなたの命を守るために」
優奈の目が揺れる。
嬉しいのか、怖いのか、分からない。
「訓練って……どこで……?」
「こちらで」
相良が指したのは、廊下の突き当たりにある扉だった。
カードキーがないと開かないタイプの、重い扉。
「メンバーシップ限定で、練習配信……とかじゃだめですか!?」
優奈が勢いよく言って、すぐに口を押さえる。
「……あっ、すみません!いま“配信”って……!」
相良は笑った。否定しない笑いだ。
「メン限でも、内部に誰がいるか分かりません」
その一言で、優奈の背筋が凍る。
相良は続ける。
「ですが、あなたが“表に出す情報”を厳密に管理できるなら、部分的に許可します。――ただし、こちらの監修のもとで」
優奈の口が開いた。
「……監修」
「台本、ですね」
相良が微笑む。
「言葉が先です。技術は後。技術を隠せなくても、言葉で隠すことはできます」
それは正しい。正しいが、怖い。
優奈が小さく呟いた。
「……言葉の方が、武器みたいです」
「そうです」
相良は即答した。
「今のあなたにとって、一番の武器は言葉です。――一番の弱点も、言葉です」
優奈が俺を見た。
助けを求める目。
でももう、俺が「大丈夫」と言える段階じゃない。
俺は、現実のルールを提示する。
「優奈。選ぶ」
「……はい」
「小型や雑魚は、刀で戦う。これは“許可された武器”だ。見せてもいい。運用も作りやすい」
「はい!」
「ボスみたいな巨体は、刀だと危険が跳ね上がる。――その時だけ、銃を使う」
優奈の喉が鳴る。
「……使い慣れてないのに、ですか?」
「だから訓練する」
「……こわいです!」
「こわいまま使うな。こわいから訓練する」
シュウが、俺の言葉を継ぐように言った。
「雑魚は刀。巨体は銃。分かりやすい」
そして、少しだけ笑う。
「お前ららしい“等価交換”だな。安全と自由を、半分ずつ削る」
優奈が「半分……」と復唱する。
収益配分の五対五を思い出した顔だ。
この世界は、何でも取引にする。
相良が扉にカードキーをかざし、開けた。
中は、想像より静かだった。
コンクリートの匂い。遮音材の壁。ライト。カメラ。
訓練室――というより、管理された箱。
「本日は“確認”だけです」
相良が言う。
「空下さん。あなたは、銃を“持ち込める”可能性があります。――その事実だけを、私たちは把握し、ログに残します」
優奈が小さく頷く。
「……はい」
「結城さん」
相良が俺を見る。
「あなたは“止める役”です。空下さんが一線を越えそうなら、止めてください」
「分かった」
「止められなかった場合、空下さんの活動停止に直結します」
「……分かった」
優奈が顔を青くする。
「えっ……わたし、止められるんですか!?」
「あなたが止まらなかった場合です」
相良は笑顔のまま言う。
「だから台本が必要なのです」
台本。
またその言葉が出る。
優奈の指が、無意識に俺の袖を掴む。
「結城くん……」
「大丈夫にする」
俺は同じ言葉を繰り返す。
繰り返すしかない。
相良が、机の上のケースを指した。
中身は見えない。見せない。
「“ここ”で扱うものは、あなたのものではありません」
相良が言う。
「クランの管理物です。使用の判断は、あなたではなく、監督者が行います」
優奈が息を止める。
「……わたし、持ち込めるのに……?」
「持ち込めるからこそ、です」
相良は即答した。
「あなたが持ち込めるなら、あなたが狙われる。狙われるなら、あなたの判断を奪う必要がある」
奪う。
言葉が鋭い。
優奈が顔を歪める。
「……自由が、なくなります」
「生存率が上がります」
相良は笑顔のまま、同じ温度で返した。
残酷なほど合理的だ。
シュウが、少しだけ前に出た。
「優奈」
呼び捨て。
でも優奈は怒らない。シュウの声には重みがあるからだ。
「ここで嫌だって言ってもいい」
「……」
「ただし、嫌だって言った瞬間から、守りは薄くなる。お前は覚悟を決める必要がある」
優奈は震えながら、頷いた。
「……決めます」
小さい声。
「雑魚は刀で戦います。ボスは……銃を使う覚悟、します」
その言い方が、優奈らしくないほど硬かった。
優奈が“明るい敬語”を置いてきた瞬間だ。
相良が微笑む。
「結構です。では、明日に向けて準備しましょう」
そして、端末を操作して言う。
「台本は今夜中に送ります。明日の配信は“初回”ですから」
優奈が思い出したように叫ぶ。
「明日!そうです!明日から配信なんです!えっと、初回って何をするんですか!?」
「あなたが思う“初回”です」
相良は笑顔で言った。
「安全で、分かりやすくて、視聴者が真似しにくい内容。――つまり、雑魚戦です」
優奈が「刀!」と言いかけて、すぐに口を押さえる。
言葉の癖が出る。危ない。
俺は優奈の肩に手を置いた。
「明日は刀だけ。銃は存在しない」
「……はい!」
優奈が頷く。
頷いて、ふっと不安そうに言う。
「でも、もし……明日、ボスみたいなのが出たら……?」
相良が即答した。
「出ません」
「えっ」
「出ないようにします」
笑顔のまま、さらっと言う。
「活動エリアはこちらが指定します。あなたが偶然ボスに遭遇しないよう、導線を作ります」
優奈が目を丸くする。
「……そんなことまで……」
「できます。クランですから」
守られている。
同時に、動かされている。
優奈が小さく呟く。
「わたし、ほんとに……商品みたいです」
相良は否定しない。
ただ、優しい声で言う。
「商品は守ります。売り出す前に壊したくありませんから」
その言葉が、優奈の背中を冷たく撫でた。
訓練室を出る廊下で、優奈はずっと黙っていた。
黙ったまま、俺の袖を掴んでいる。
「優奈」
「……はい」
「刀は見せていい。銃は見せない。使うのは最後」
「……はい」
「迷ったら、刀」
「……はい!」
返事に「!」を無理やり付けた。
優奈なりの抵抗だ。
エントランスに戻ると、相良が最後に言った。
「空下さん」
「はい!」
「配信は“明日から”お願いします。初回はうちで台本を作ります」
さっきと同じ言葉。
でも今度は、鎖の音が聞こえた気がした。
優奈は一歩だけ後ろに下がり、乾いた声で聞いた。
「……台本、って……わたし、どこまで喋っていいんですか?」
相良は微笑んだまま答える。
「台本に書いてあることだけです」
優奈の喉が動いた。
声が出ない。
俺は思った。
銃より怖いのは、銃を隠すための言葉だ。
刀より危ないのは、刀を振るう前に喋ってしまうことだ。
明日の初配信は、戦闘じゃない。
――言葉の戦いになる。
(つづく)




