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第64話 霊王ハデス・ヴァルハイト

六階層のボス部屋の前は、静かだった。


 五階層までとは違う。

 弓の音も、魔女の詠唱も、ゴーストの薄気味悪い気配もない。

 ただ、冷たい空気だけがじわじわと肺の奥に溜まっていく。


 優奈は黒刀の柄に手を置いたまま、深く息を吐いた。


「……ボス、ですよね」


「ああ」


 俺は壁にもたれたまま短く答えた。

 ここまでの雑魚戦で分かったことは多い。

 ゴーストは物理を通さない。魔力を通した攻撃でもダメージは拡散される。

 つまり六階層は、魔力を削るために存在しているような階層だ。


 そして、その頂点にいるのが――霊王ハデス・ヴァルハイト。


「先に整理するぞ」


 優奈が小さく頷く。

 顔色は悪くない。だが、六階層の空気そのものが魔力を使わせる。ここまで来るだけでも負担はある。


「霊王は通常時、属性魔法以外ほぼ通らない」

「刀に魔力を流しても、直接本体を斬るのは厳しい。ゴースト以上に拡散されると思っていい」


 優奈が露骨に嫌そうな顔をした。


「またそれですか……」

「六階層だからな」

 俺は肩を竦める。

「ただし、例外が二つある」


 優奈の目が少しだけ鋭くなる。


「二つ?」


「第一段階。霊王の背後にある巨大な魔石」

 俺はボス部屋の扉を一瞥した。

「本体というより、あいつの“核”だ。遠隔操作の中心。あれを壊せば勝ちになる可能性が高い」


「可能性、ですか」

「見たことないからな」

 俺は正直に言う。

「でも、わざわざ背後にでかい魔力反応を置いてるなら意味がある。しかもシールド付きだ。怪しすぎる」


 優奈が「なるほど……」と小さく呟く。


「第二段階」

 俺は続ける。

「霊王がこちらに物理的な干渉をしようとした瞬間だけ、触れてくる部位が“生身”になる」


「生身……?」

「魂を掴む、首を絞める、腕を突き出す……そういう“実際に触る”動きだ。霊体のままだと干渉できないから、一瞬だけ実体化するんだろう」


 優奈が黒刀を見下ろした。


「そこが狙い目……」

「そうだ」

 俺は頷く。

「ただし順番がある。まずは弾幕を処理しながら魔石のシールドを削る。接近されたら、物理干渉してくる部位を斬って隙を作る。最後に魔石を壊す」


 優奈はしばらく黙っていたが、やがて苦笑した。


「……実質、弾幕ゲーですね」


「六階層のボスなんだから、それくらいはやってくる」


 優奈がむっとした顔で言う。


「笑って言うことじゃないです」


 俺は少しだけ口元を緩めた。

 こうやって軽口を叩けるなら、まだ余裕は残っている。


「一つだけ救いがある」

「何ですか?」

「攻撃は完全ランダムじゃない。パターンがある」

 俺は十年前の記憶を引きずり出しながら言った。

「昔の俺でも読めた。思考強化があれば、お前ならもっと楽に読める」


 優奈が即座に突っ込む。


「それ、yumaさんは高速移動使えたから行けただけなんじゃないですか⁉」


「高速移動なしでも読める」

 俺は言い切った。

「避けるだけならな。問題は、その上で近づいてシールドを割ることだ」


 優奈は小さく息を吸って、それから真面目な顔で頷いた。


「わかりました」

「魔力回復薬は?」

「まだ使いません。本当に詰んだ時だけ」

「正解だ」


 六階層で一本百万円の保険を雑に使うほど余裕はない。


 俺は扉の前に立った優奈の背中に向かって最後に言う。


「躱せる。読める。焦るな」

「はい」

「それと――無理だと思ったらすぐ切り替えろ」

「……切り替え?」

「避けるだけで勝てないと思ったら、別の答えを探せ」

 俺は短く言った。

「お前は、それができる」


 優奈は少しだけ振り返って、笑った。


「信頼、重いです」


「勝て」


「はい!」


 扉が開いた。


 ボス部屋は、王座の間だった。


 六階層らしく、ひどく静かで、ひどく冷たい。

 広間の中央には黒い霧が渦巻き、その奥に巨大な玉座がある。玉座には、影のような王が座っていた。


 霊王ハデス・ヴァルハイト。


 王冠を被っているのに、その輪郭は曖昧だ。顔すらはっきりしない。

 だが、背後に浮かぶ巨大な魔石だけは異様にはっきりしていた。


 人の胴体ほどでは済まない。

 柱一本分くらいある、青黒い結晶。

 その周囲を半透明の球状シールドが包み込んでいる。


 優奈が一目で気づく。


「でか……」

「当たりだな」

 俺は呟いた。


 霊王がゆっくりとこちらを向いた。


『生者か』


 声が、広間全体から響く。

 耳で聞くというより、骨の内側に直接落ちてくるような声だった。


『よくぞ、ここまで辿り着いた』

『ゆえに褒美をやろう』

 そこで、王座の背後と左右と床の隙間から、無数の光が灯る。


 優奈が一歩引き、叫んだ。


「攻撃の数おかしくないですか⁉」


 次の瞬間、それは一斉に放たれた。


 霊槍。

 霊弾。

 刃のような半透明の刃片。

 火力特化というより、数で圧殺するための攻撃。


 しかも速い。


「これ本当に躱せるんですかぁ⁉」

 優奈の悲鳴混じりの声が飛ぶ。


「躱せる!」

 俺は怒鳴り返した。

「完全ランダムじゃない! 横三列の後に斜め二段、次に中央圧縮だ!」


 優奈の《思考強化(速度寄り)》が走る。


 視界が開き、攻撃の流れが“帯”として見える。

 右へ。

 沈む。

 半歩前。

 《発射(自身)》で斜めへ。


 霊弾が頬を掠める。

 床に刺さった霊槍が青白く弾ける。


 優奈が息を切らしながら言う。


「これ、避けるだけでも結構しんどいです!」

「避けるだけで終わるな!」

 俺は叫ぶ。

「シールドを削れ! 薄い列を抜けた瞬間だけ振れ!」


 優奈が黒刀に魔力を流す。

 鍔の細い銀の筋が光る。

 短く踏み込み、球状シールドへ一閃。


 斬れる。

 だが、浅い。


「硬っ……!」

 優奈が顔をしかめた。

「これ、何回いるんですか⁉」


「数えるな! 弾幕の切れ目で一刀ずつだ!」


 優奈は舌打ちしそうな顔で、再び動く。

 右。

 左。

 前。

 《発射》で足場を飛び越える。


 霊王の攻撃はパターンがある。

 だが、読めても楽ではない。

 読んだ上で、その“薄い道”を通り続けなければならない。


 広間全体が避け場のない弾幕に見えて、実際には細い生存ルートがある。

 そこを繋ぐのが、思考強化と優奈の反射だ。


 二度。

 三度。

 四度。


 優奈の斬撃がシールドを削っていく。


 ところが、五度目の接近でパターンが変わった。


 霊王が初めて、玉座から身を起こしたのだ。


『届くと思うか』


 黒い靄の中から、腕が伸びる。

 腕と言っても、霧の塊のようなものだった。

 だが優奈が魔石のすぐ前まで接近した瞬間、その指先だけが急に“重く”なった。


 実体化。


「来る!」

 俺が叫ぶ。


 優奈が反応するより早く、霊王の手が優奈の喉へ伸びた。

 魂を掴む。首を絞める。

 そういう“物理的な干渉”をするためだけに、その部位だけが生身になる。


 優奈は咄嗟に身を捻った。

 完全には避けきれない。


 だから――斬った。


 黒刀がその手首を切り飛ばす。


 霧ではない。

 ちゃんと“切った”感触があった。


 霊王の腕が崩れ、広間に低い咆哮が響く。


「本当に切れた……!」

 優奈が叫ぶ。


「だから言っただろ!」

「言ってないです! 今初めて見ました!」


 優奈は半歩退き、息を荒げる。

 だが次の瞬間、また弾幕が来る。

 避ける。

 《発射》で位置を変える。

 シールドへ一刀。


 少しずつ、少しずつ削れている。


 だがここで、予想外のことが起こった。


 優奈が霊弾を避けきれず、咄嗟に刀で受けたのだ。


 避けられない。受けるしかない。

 その瞬間の、本能的な一振り。


 霊弾が――切れた。


 青白い光が、真っ二つに割れて散る。


 優奈の目が見開かれる。


「……え?」


 もう一発。

 今度は意図して刀を合わせる。

 斬れる。

 霊槍も、刃片も、魔力を通した黒刀に触れた瞬間、裂けて霧散する。


「これ、魔力込めた刀なら切れます!」


 思わず優奈が叫ぶ。

 俺も一瞬、本気で言葉を失った。


「……嘘だろ⁉」

 本当に、そうとしか言えなかった。

「俺も知らなかった……というか、切ろうと思わないし……!」


 すぐに頭を回す。


 雑魚ゴースト本体は、霊体そのものだ。魔力を通しても拡散される。

 だが、この弾幕は違う。

 これは霊体ではなく、高密度の魔力を圧縮して作った“疑似物質”だ。


 だったら――。


「優奈!」

「はい!」

「それ、本体じゃない! 霊王の攻撃は圧縮魔力だ! 霊体じゃないから切れる!」


「最初からそう言ってくださいよぉ!」


「今気づいたんだよ!」


 優奈が半泣きみたいな声で返しながら、しかし動きは速い。


 ここから戦い方が変わった。


 避けるだけじゃない。

 斬り落とす。


 右から来る霊槍を切る。

 正面の刃片を薙ぐ。

 足元から湧く青白い杭を半歩でかわし、次の弾を斬る。


 弾幕の中に、自分で道を作る。


 思考強化でパターンを読み、刀で“薄い道”そのものを切り開いていく。


 優奈は言った。


「これなら、避けるより楽です!」

「そのまま押し込め!」


 霊王が再び腕を伸ばす。

 今度は両腕。

 魂を掴みに来る。


 優奈がそれを待っていたかのように、実体化した片方を斬り落とし、もう片方を《延長(斬撃)》で切り裂く。


 霊王の姿勢が崩れる。

 背後のシールドが揺らぐ。


 そこだ。


 優奈は《発射(自身)》で踏み込み、ぐっと低く入る。

 近い。

 巨大魔石が目の前だ。


 球状シールドはまだ残っている。

 だが薄い。

 ここまで削れば、後は押し切れる。


 優奈は魔力を刀へ流し込む。

 黒刀の銀の筋が強く光る。

 レベル三。魔力伝導も許容量も伸びた刀。

 それでも、六階層のボス相手では余裕などない。


 優奈の額に汗が浮く。

 魔力が削れていく感覚が、刀越しに分かる。


 それでも振る。


 一刀。

 二刀。

 三刀。


 シールドが軋む。


 霊王が咆哮し、最後の弾幕を全方位へ放つ。

 優奈はその場から退かない。


「切れます!」

 叫びながら、迫る弾幕を四方八方へ切り落とす。


 まるで雨の中で道を作るみたいに。

 いや、違う。


 弾幕そのものを拒絶している。


 優奈の周囲だけ、霊王の攻撃が届かない空間が生まれる。

 そこが優奈の道だ。


 そして、最後の一閃。


 シールドが砕けた。


 青黒い巨大魔石が露出する。


 優奈が息を吸う。

 ここで躊躇したら終わる。

 魔力はもう軽くない。

 一本百万円の回復薬が脳裏を過るが――まだ、使わない。


 ここで終わらせる。


「――っ、らぁぁぁ!」


 黒刀が、巨大魔石へ突き立った。


 硬い。

 だが、切れ味は通る。

 優奈がさらに魔力を流し込む。


 黒刀の銀の筋が、今度は鍔から刃へと細く走った。


 そして、魔石がひび割れる。


 一本。

 二本。

 三本。


 次の瞬間、霊王ハデス・ヴァルハイトの全身が、まるで糸を切られた操り人形みたいに崩れた。


 王座ごと。

 霧ごと。

 全部が、光になって散る。


 静かになった。


 あれほど満ちていた圧力が、嘘みたいに消える。


 優奈はその場で膝をついた。

 肩が大きく上下している。

 吐きそうなのを堪えている顔だ。


 俺はすぐ近づき、しゃがみ込む。


「飲むか」

 百万円の瓶。

 優奈は少しだけ目を閉じて、それから首を振った。


「……まだ、平気です」

 声は細い。

 でも意識ははっきりしている。


「無理するな」

「無理はしてません……」

 優奈は苦笑した。

「でも、勝てたので」


 それだけ言って、優奈はようやく床にへたり込んだ。


 しばらくしてから、俺は小さく息を吐いた。


「……切れるなら先に言ってくれよ」


 優奈が少しだけ顔を上げて、唇を尖らせる。


「だから、私も今知ったんですってば」

「俺も知らなかった」

「知ってたらもっと楽だったのに……」

「俺だってそう思う」


 二人して、ようやくそこで少しだけ笑った。


 六階層は、やっぱり嫌いだ。

 魔力は削られるし、攻撃は多いし、普通に正面から殴り合うのを許してくれない。


 だが――。


 優奈は、ちゃんと勝った。

 刀に魔力を流し、思考強化で読み、弾幕の中に自分の道を作って。


 それはきっと、六階層の正しい勝ち方だった。


「帰るぞ」

 俺が言うと、優奈が頷く。

「はい」


 立ち上がる前に、優奈はちらりと砕けた巨大魔石の残骸を見た。


「……ほんとに、本体だったんですね」

「ああ」

「最後、ちょっとだけ気持ちよかったです」

「分かる」

 俺も頷いた。

「あそこまで行ったら、後は壊すだけだったからな」


 優奈は立ち上がり、黒刀を軽く振った。

 鍔の銀の筋が、うっすらと光を残して消える。


 六階層は突破した。

 だが、世界は変わらず燃えやすいままだ。


 それでも今は、一段上がった。


(つづく)

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