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第63話 六層は、魔力が尽きたら終わり

 アメリカから帰ってきて、数日。


 優奈の《携行許可リュック》が向こうに広まった件は、考えれば考えるほど胃が痛くなったが、だからといって時間が止まってくれるわけじゃなかった。


 ダンジョンは待たない。


 世界情勢も待たない。


 そして、階層も待たない。


 六層。


 次に進むべき場所の名前を口にしただけで、優奈は少しだけ背筋を伸ばした。


「次、六層ですよね」


 クラン施設のミーティングルーム。机の上に資料を広げながら、優奈が真面目な顔でそう言う。アメリカで一位を取った余韻はもうほとんど抜けていた。いや、正確には、余韻を残したまま次に向かう準備ができるようになった、と言った方が近い。


 強くなったな、と少しだけ思う。


「ああ」


 俺は短く答えて、相良が送ってきた六層の暫定資料を見た。


 資料に書かれていたモンスター名は、単純だった。


 ゴースト。


 名前だけ聞けばありふれている。だが、ダンジョンがありふれた名前を付けてくる時ほど、中身はろくでもない。


 相良が通話越しに説明を始める。


『六層の主要モンスターは、ゴーストです。最も厄介なのは、物理無効化に近い性質を持っていること』


 優奈が小さく「うわ」と呟いた。


 俺も同じ気持ちだった。


『厳密には“完全無効”ではありません。ただし、物理主体の攻撃はほぼ抜けません。魔力を通した攻撃でなければ、まともなダメージにならないと考えてください』


「……つまり」


 優奈が刀に視線を落とす。


「刀でも、ただ斬るだけじゃダメってことですよね」


『はい。魔力を刀身に流す必要があります』


 そこで俺が口を挟んだ。


「それでも半減されるんだろ」


 相良が少しだけ間を置いてから答えた。


『はい。現時点の観測では、魔力を込めた攻撃であっても、ダメージ効率はかなり悪いです。ゴーストは霊体ですから、流し込んだ魔力が拡散されるのでしょう』


 優奈が露骨に嫌そうな顔をした。


「……最悪ですね」


「最悪だ」


 俺も即答する。


 物理が通らない。魔力を乗せても減衰する。つまり、どの手段を選んでも効率が悪い。


 こういう階層が一番嫌いだ。


 火力不足は工夫で埋められることがある。だが、火力そのものに“税金”みたいな減衰がかかる階層は、戦えば戦うほど消耗だけが積み上がる。


「選択肢は二つだな」


 俺がそう言うと、優奈もすぐに頷いた。


「刀か、銃ですよね」


「正確には、魔力を乗せた刀か、エンチャントした銃弾か、だ」


 優奈は腕を組んで考え込む。


 六層で銃を使うなら、エンチャントの魔法が必要になる。銃弾そのものに魔力を付与して、疑似的に“魔力攻撃”へ変える必要があるからだ。だが、弾に魔力を乗せても、結局ゴースト相手には威力が半減する。


 刀に魔力を流しても半減。エンチャント弾でも半減。


 だったら、どちらを選ぶかは威力じゃない。運用だ。


 優奈はしばらく黙っていたが、やがて顔を上げた。


「刀にします」


 即答ではなかった。ちゃんと考えてから出した答えだ。


「理由は?」


「銃を使うなら、思考強化もほぼセットで必要になります」

 優奈は指を折るように言った。

「弾を無駄にしたくないし、ゴーストってたぶん動きも不規則ですよね。思考強化使って、銃にも魔力を通すか弾にエンチャントして、さらに立ち回るってなると……魔力の消費が重すぎます」


 正しい。


 俺は黙って続きを待つ。


「刀なら、必要に応じて《発射(自身)》を使うだけでいいです」

 優奈は続けた。

「それに、六層のボス戦を考えるなら、雑魚戦の時点で“魔力を込めた刀で戦う癖”を作っておいた方がいいと思います」


 相良が通話越しに感心したように言った。


『優奈さん、かなり冷静ですね』


「冷静じゃないです」

 優奈は少しだけむっとした顔で言う。

「でも、ここで銃を選んで楽したら、たぶん後で困る気がします」


 それは、優奈の感覚として正しい。


 六層は魔力の持久戦になる。だとしたら、雑魚戦からボス戦へ繋がる形を作った方がいい。弾薬に頼り切る運用は、六層ではかえって自分の首を絞める可能性が高い。


「刀で行く」


 俺は結論をまとめた。


「ただし、問題は魔力量だ」


 そこが、この階層の一番糞なところだ。


 魔力を乗せないとまともにダメージが入らない。

 魔力を乗せても半減する。

 つまり、普段の倍以上の感覚で魔力が減る。


 魔力が尽きたら、その瞬間に戦えなくなる。


 優奈もそれは分かっていたらしく、表情を引き締めた。


「……ですよね」

「うん。魔力が切れたら終わりです」


「だから、保険がいる」


 俺はそう言って、端末を操作した。

 画面に映したのは、数か月前にシュウが拾ったドロップアイテムの調査報告だ。


 優奈が首を傾げる。


「これ……薬草ですか?」


「ああ」


 数か月前、シュウが当時の最新層で手に入れたドロップ品。確定で落ちる薬草。だが、当初は効果が分からなかった。見た目はただの草だ。煎じても、噛んでも、塗っても、これといった反応が出なかった。


 最近になってようやく判明したのだ。


「はちみつと調合すると、変質する」


 優奈が目を見開く。


「はちみつ?」


「そうだ。あの草単体じゃ意味がない。でも、はちみつと一定比率で調合すると、ダンジョン持ち込み可能な回復薬になる」


『ただし、確率です』

 相良が補足する。

『魔力回復薬になるか、傷回復薬になるかは五分五分。完全ランダムです』


 優奈が顔をしかめた。


「五分五分ですか……」

「そう」

 俺は頷いた。

「魔力回復薬五十パーセント、傷回復薬五十パーセント。狙って作れない」


 それでも、六層では価値がある。


 魔力が切れたら終わる。

 なら、一度だけでも戻せる可能性がある薬は、保険として強い。


 相良が次の資料を出す。


『ただし、値段が高いです』

『市場に出回っている完成品は少なく、どちらの薬になるかも不確定ですから』


 画面に出た数字を見て、優奈が固まった。


「……えっ」


 俺も、見て分かってはいたが、改めて数字として出されると顔がしかめられた。


「一本、百万円か……」


 つい、口に出た。


 安くはない。安いはずがない。だが、六層の仕様を考えると“高すぎる”とも言い切れないのが腹立たしい。


「命が助かるなら、高いのか安いのか分からんな」


 そう呟くと、優奈が小さく笑った。

 笑ったというより、困った顔をした。


「その言い方だと、絶対買うやつじゃないですか」


「買う」

 俺は即答した。

「一本だけな」


 六層で何本も前提にした運用は違う。

 そうなると薬に依存する。

 依存は、いつか必ず破綻する。


 本当に詰んだ時の保険。

 それが正しい。


「一本だけ持つ」

 俺は優奈を見た。

「使うのは、本当に魔力が尽きかけて、撤退か継続かの境目になった時だけだ」


 優奈が真剣な顔で頷く。


「はい」

 それから、少しだけ躊躇って聞いた。

「もし、傷回復薬の方だったら?」


「その時は運が悪い」

 俺は切り捨てるように言った。

「でも、六層は傷も洒落にならない。完全な無駄じゃない」


 優奈は考え込んで、それから小さく息を吐いた。


「……わかりました」

「じゃあ、六層は刀と、魔力回復薬一本で行くんですね」


「そうだ」


 そして、その次が重要だ。


「雑魚戦で、魔力の消費感覚を掴む」

「どれくらい流せば一体倒せるか」

「どこまで節約すると危ないか」

「《発射》をどの頻度で混ぜると持たないか」

「全部、そこで覚えろ」


 六層は、火力の階層じゃない。

 魔力管理の階層だ。


 優奈はもう一度頷いた。


「はい」

 それから、少しだけ笑う。

「なんか、久しぶりに“地味に嫌な階層”って感じですね」


「地味じゃない」

 俺は訂正する。

「かなり嫌な階層だ」


 通話越しに相良が笑った。


『結城さんがそこまで露骨に嫌がるの、珍しいですね』


「嫌に決まってるだろ」

「魔力が尽きたら終わりの階層なんて、好きなやつがいるかよ」


 優奈がそこで、少しだけ目を細めた。


「でも」

「でも?」


「そういう階層、ユウマくん、嫌いなくせにちゃんと攻略法見つけるんですよね」


 ……なんだその信頼の仕方。


 だが、否定はできない。

 嫌いだからこそ、考える。

 嫌いな盤面ほど、穴を探す。


「だから準備するんだ」

 俺は短く言った。

「嫌いでも、突破しないと先がない」


 数日後。

 六層の入口。


 準備は整えた。


 黒刀。

 魔力回復薬一本。

 最低限の止血具。

 煙幕は持つが、六層では基本的に気休めにしかならない。

 ゴースト相手に煙がどこまで効くかは不明だし、そもそも視認戦かどうかすら怪しいからだ。


 優奈は刀を握りながら、軽く深呼吸をした。


「ちょっとだけ緊張します」

「当たり前だ」

 俺は言う。

「六層は、雑魚の時点で面倒だ」


 階段を降りる。


 空気が変わる。


 ひやりとした温度。

 音が少ない。

 そして、そこにいるはずのものの気配が、薄い。


 見えた。


 ゴースト。


 半透明。

 人型に近いが、輪郭が定まっていない。

 床から少し浮いている。

 そして、こちらに気づいた瞬間に、滑るように寄ってきた。


 優奈が刀に魔力を流す。

 黒刀の鍔に走る細い銀の筋が、わずかに光った。


 優奈が一歩踏み込み、斬る。


 手応えは――軽い。

 斬った感触はある。

 だが“切り裂いた”感じが薄い。


 ゴーストの輪郭がぶれ、ダメージは入ったようだが、一撃では落ちない。


 優奈が舌打ちしそうな顔になる。


「半減って、ほんとだったんですね……!」


「見たまんまだな」


 だが、逆に言えば通らないわけではない。

 霊体だから魔力を拡散される。

 でも、魔力を乗せた刀でなら確かに削れている。


 問題は効率だ。


 優奈は二撃目を入れる。

 三撃目。

 ようやく一体が消える。


 消えた後に残るのは、静けさだけだ。


 優奈がすぐに後ろへ下がり、呼吸を整える。


「……重いです」

 額にじわりと汗が浮く。

「一体で、思ったより使います」


「だろうな」

 俺は短く言った。

「雑魚相手にこの燃費だ。だからこそ、どこまで流すかを覚えろ」


 次のゴーストが来る。


 優奈は今度、魔力の流し込みを少しだけ抑えた。

 一撃の重さを減らし、手数で刻む形へ変える。


 悪くない。

 だが、時間がかかる。

 時間がかかれば囲まれる。


 六層の嫌なところはそこだ。

 効率を上げると魔力が減る。

 節約すると時間が減る。

 どっちに寄せても、別のところが死ぬ。


 優奈は数体捌いたところで、小さく言った。


「ユウマくん」

「何だ」

「これ……雑魚戦が、そのままボス戦の練習になりますね」


 俺は頷く。


「そうだ」

「だから刀を選んだ」


 銃にエンチャントして遠距離から削るやり方も、たしかにあった。

 だがそれだと、思考強化まで常時併用したくなる。

 そうなれば六層で一番怖い“魔力切れ”が、もっと近くなる。


 刀なら、必要に応じて《発射》を混ぜるだけでいい。

 接近戦のリスクはあるが、ボス戦に向けて立ち回りを作りやすい。


 優奈はゴーストの軌道を見ながら、魔力を流す量を調整していく。


「このくらい……」

 一撃。

 二撃。

「うん、これなら……」


 三撃目で落ちる。

 少しだけ手応えが見えてきた顔だ。


 俺はそれを見て、ようやく少しだけ息を吐いた。


 悪くない。


 六層は嫌いだ。

 だが、優奈はこういう“嫌な階層”で折れなくなっている。


 前なら、効率の悪さに気持ちが削られていたかもしれない。

 今は違う。


 嫌でも、やる。

 やるために、調整する。


 その地道さが、今の優奈の強さになっている。


 五体目を落としたところで、優奈がこちらを見た。


「まだ大丈夫です」

「薬は使うなよ」

 俺が言うと、優奈は笑った。


「まだまだです」

 笑えるなら平気だ。


 だが、六層は笑っている相手にこそ本気を出してくる。


 ゴーストの奥。

 薄暗い通路の向こう側に、明らかに気配の重い何かがいた。


 優奈もそれに気づいたらしく、笑顔がすっと消える。


「……いますね」

「ああ」

「ボスですか?」

「まだ分からん」


 だが、分からなくても一つだけ確かなことがある。


 この階層は、雑魚の時点で油断が許されない。

 ならボスはもっと糞だ。


 俺は内心でため息をついた。


(六層、ほんとに嫌いだ)


 だが、嫌いで済ませられるなら、軍師なんてやっていない。


 優奈が刀を構え直す。

 鍔の銀の筋が静かに光る。

 黒刀は、魔力を受け入れる準備ができている。


 問題は、使い手の方だ。


 魔力がどこまで持つか。

 どこで切るか。

 どこで薬を飲むか。


 六層は、その全部を問うてくる。


「今日はここまででいい」

 俺は言った。

「立ち回りの感覚は取れた。次は、もっと奥を見る」


 優奈は少しだけ悔しそうな顔をしたが、すぐに頷いた。


「はい」

 それから、小さく付け足す。

「でも、次はもう少し行けます」


「そうだろうな」


 優奈は確実に慣れている。

 嫌な階層に、少しずつ。


 それは良いことだ。

 でも同時に、六層が本気を出すのはこれからだ。


 地上へ戻る途中、優奈がぽつりと言った。


「一本百万円の薬、やっぱり持っててよかったですね」


「まだ使ってないだろ」

「そうですけど」

 優奈は少しだけ笑う。

「あるって思うだけで、気持ちが違います」


 それは、たしかにそうだ。


 保険は、使うためだけにあるんじゃない。

 あるだけで判断を支えることがある。


「使わないで済むのが一番だ」

 俺が言うと、優奈は頷いた。


「はい」


 六層は、まだ始まったばかりだ。


 そして、たぶん次はもう少し嫌なものを見ることになる。


(つづく)

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