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第57話 【銀嶺の狙撃手】アルテミス・レイ――矢の雨の下で

第五層のボス部屋の扉は、やけに静かだった。


 軋まない。

 風も漏れない。

 外の矢の音すら、ここでは聞こえない。


 ――静かすぎる場所ほど、危ない。


 優奈が刀の柄を握り直した。

 昨日よりも落ち着いている。

 だが落ち着きの奥に、緊張がある。


「ユウマくん」

 小さな声。

「……準備、できてます」


 準備とは、武器の話じゃない。

 頭の準備だ。


 第五層は処理速度。

 その頂点が、ボス。


 俺は短く頷いた。


「入ったら止まるな」

「はい!」

 語尾に「!」が付く。

 でも無理に明るい「!」じゃない。

 覚悟の「!」だ。


 扉が開く。


 ボス部屋は、広い。


 床一面が白い霜で覆われ、空気が冷たい。

 天井は高く、見上げた先に“雲”があった。


 雲――いや、魔力雲。


 ただの演出じゃない。

 雲が固定生成されている。

 雲がそこにあること自体が、ボスの領域だ。


 雲の上は見えない。

 でも“いる”のは分かる。


 空気が支配されている。

 目に見えない圧力が、上から押し付けてくる。


 優奈が小さく息を呑んだ。


「……雲……」

 敬語が消える。

 驚きと理解の間の声。


 そして、空気の奥から声が落ちてきた。


「――ようこそ」

 澄んだ声。

 冷たいのに美しい。

「地上の騒音が、よく届くわ」


 姿は見えない。

 雲の上に君臨し、姿を見せないまま殺すタイプ。


 名がある。


 【銀嶺の狙撃手】アルテミス・レイ。


 “矢の雨”を気象現象として扱う、美しくも残酷な存在。


 雲の上で、指を鳴らす音がした。


 ――パチン。


 次の瞬間。


 上空の水分が一斉に変質した。


 氷。


 そして氷が“矢”の形になる。


 氷の矢が、空から降る。


 雨ではない。

 串刺しだ。


 フロア全体が攻撃範囲。

 逃げ場はない。


 しかも――シールド貫通属性。


 防いだ瞬間に終わる。

 受けたら終わる。

 つまり、避け続けるしかない。


 優奈が息を吐く。


「……来ました!」

 そして、迷いなく動く。


《思考強化(速度寄り)》


 優奈の目が変わる。

 視界が広がる。

 矢の密度が“帯”として見える。


 降る範囲は全域だ。

 だが密度は均一ではない。

 “薄い帯”がある。

 そこを走る。


 優奈は反射で避けない。

 判断で避ける。


 矢の密度が薄い帯へ。

 そこから次の薄い帯へ。

 一歩、半歩、二歩。


 床の霜が割れる音が連続する。

 氷の矢が突き刺さる音が背中を追う。


 俺は短く言った。


「いい」

 余計な言葉を足すな。

 足した瞬間、集中が切れる。


 優奈が叫ぶ。


「なるほどー!そういうことですね!」

 明るい声なのに、焦りが混ざっていない。

 理解が追いついている声だ。


「発射がカギになる!」

 優奈が続ける。

「矢を交わしながら、雲の上へ行けばいいんですね!」


 ――その通り。


 俺は言った。


「そうだ」

 短く。

「アルテミス攻略は、思考強化と発射をどれだけ持続できるかにかかっている」


 雲に近づくほど矢が密になる。

 つまり接近が難しい。

 だから接近手段が必要。


 優奈は既に持っている。


《発射(自身)》


 優奈が一気に加速し、薄い帯から薄い帯を飛び越える。

 矢の雨が背中を掠めるが、当たらない。


 ――第一フェーズは突破。


 全域の矢の雨。

 位置取りテスト。


 優奈は合格した。


 だが、アルテミスはここで終わらせない。


 空気が変わった。


 矢の落ち方が変わる。


 上からだけではない。


 正面から“撃ってくる”。


 氷の矢が水平に走る。

 狙撃。


 雲の上にいるはずなのに、正面から来る。

 つまり雲の中に“角度を変える屈折”がある。


 遮蔽物は意味がない。

 作っても上からの圧で粉砕される。


 優奈が歯を食いしばる。


「正面……!」

 声が少しだけ強張る。


 だが優奈は止まらない。


 刀を抜く。


 矢を切る。


 氷の矢が砕け、粉雪のように散る。

 美しい。

 美しいほど怖い。


 アルテミスが雲の上から笑う声がした。


「……切れるのね」

 楽しそうな声。

「でも、何本切れる?」


 数が増える。

 矢の速度も上がる。

 密度も上がる。


 処理速度の勝負になる。


 優奈は思考強化で判断する。

 切るべき矢と、避けるべき矢。

 そして――捨ててもいい矢。


 全部切らない。

 全部避けない。

 全部掴まない。


 優奈は最短の手順を選ぶ。


 切る。

 半歩ずらす。

 発射で位置を変える。


 《クールタイム0(移動系)》で空中の方向転換。

 上へ向かう角度を作る。


 雲が近い。


 だが雲に近づくほど、矢が密になる。


 優奈の額に汗が浮く。

 冷たい空気なのに、汗が出る。

 脳が熱い証拠だ。


 優奈が息を吐きながら呟く。


「……世界が、うるさい……」

 思考強化の副作用。

 処理速度が上がるほど、情報が増える。


 情報が増えるほど、疲れる。


 それでも止まらない。


 優奈が叫んだ。


「あと少し……!」

 雲の縁が近い。


 その瞬間――。


 床が光った。


 氷の鏡。


 床に薄い氷の膜が張り、鏡のように反射する。

 いや、床だけではない。

 周囲の氷壁が一斉に鏡面になる。


 ――幻術。


 アルテミスの第三フェーズ。


 氷鏡は相手の“もっとも攻撃したくない相手、あるいは大切な人”を映す。


 優奈の視界の端に、映った。


 白い氷の壁に――“誰か”が映る。


 俺。


 結城悠真――yuma。


 優奈の喉が詰まる。

 一瞬、足が止まる。


「……ユウマくん……?」


 声が震えた。

 確認の声。

 否定してほしい声。


 氷鏡の中の俺は、表情がない。

 目だけがこちらを見ている。


 大切な人。

 攻撃したくない人。

 その像が、優奈の刃を鈍らせる。


 アルテミスの声が、愉快そうに落ちてくる。


「迷うのね」

 冷たい声。

「矢より、人の方が鈍いのよ」


 優奈の指先が震えた。

 ほんの一瞬。

 ほんの一瞬だけ。


 その一瞬に、氷の矢が密度を増す。

 薄い帯が消えかける。


 ――ここで止まったら死ぬ。


 優奈は息を吸った。

 胸が上下する。

 泣きそうな呼吸。


 でも、優奈は――動いた。


「……違う」

 小さく呟く。

「これは……違う」


 優奈は氷鏡を見ない。

 見ないで、前を見る。


 攻撃したくない相手が映るなら――映る壁を見なければいい。


 優奈は《発射(自身)》で踏み込む。


 雲へ。


 雲の縁へ飛び込み、空中で《クールタイム0》を使って角度を変える。


 雲の中は視界が白い。

 真っ白で、何も見えない。


 だが優奈は、思考強化の速度で“矢の発生源”を逆算する。


 矢は雲の一点から生まれている。

 矢の角度の集まりが“芯”を示す。


(そこだ)


 優奈が《延長(斬撃)》を放つ。


 雲そのものを割るような一閃。


 白い雲が裂けた。


 裂けた瞬間、雲の上の“足場”が露出する。


 そしてそこに――アルテミスがいた。


 銀色の髪。

 冷たい瞳。

 指先が矢を呼ぶ。


 美しい。

 美しいほど残酷。


 アルテミスが驚いた顔をする。


「……ここまで来るの」

 声が僅かに揺れた。


 優奈は答えない。


 答える暇はない。

 ここが勝負の瞬間だ。


 優奈が刀を構え、踏み込む。


 アルテミスが最後の悪あがきをする。

 氷鏡が再び光る。


 今度は雲の上の氷の床が鏡になる。


 鏡に映るのは、やはり“yuma”。


 優奈の目が一瞬だけ揺れる。

 揺れるだけ。

 止まらない。


 優奈が叫ぶ。


「……ごめんなさい!」

 誰に向けた言葉か分からない。

 鏡の中の俺か。

 それとも自分か。


 優奈は迷いを切る。


 刀が走る。


 首を落とす。


 銀嶺の狙撃手――アルテミス・レイの首が、氷の床を転がった。


 矢の雨が止まる。


 雲が解ける。


 空気が軽くなる。


 優奈が、その場に膝をついた。

 思考強化を切るのが遅れたせいで、頭が熱い。

 吐き気が喉まで上がってくる。


 それでも――笑っている。


 優奈が震える声で言った。


「……勝てました……」

 小さな声。

「……届いた……」


 俺は息を吐いた。


「届いたな」

 短く。


 優奈はゆっくり顔を上げた。

 その瞬間、優奈の視界に“氷鏡”が残っていた。


 床の一部が、まだ鏡面になっている。

 そこに映ったのは――優奈自身の顔だった。


 泣きそうで、でも決めた顔。

 必死で、でも逃げていない顔。

 怖いのに、前に出た顔。


 優奈は思った。


(ひどい顔だ)


 でも、そのひどい顔が――今の自分の勝ちだ。


 優奈は小さく笑った。


「……ひどい顔」

 声が震える。

 でも笑っている。


 俺は何も言わなかった。

 言える言葉が見つからない。


 勝利は数字じゃない。

 勝利は、この顔だ。


(つづく)

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