第54話 岩山の陣地戦と、“届く”発射
ロシアダンジョンに入って、最初に気付いたのは――木がないことだった。
森がない。
草原もない。
あるのは岩。岩。岩。
岩山が剥き出しで連なり、斜面は大きく凸凹している。
足を置く場所を間違えれば、そのまま転げ落ちるような角度。
隠れる場所はある。だが“移動”の最中だけは、隠れようがない。
そしてここは、制空権ダンジョンだ。
上を見上げると、天井――いや、空間の高いところを白い影が滑っている。
天使型の魔物。
羽。
光槍。
上空待機。
急降下。
上にいる限り、こちらは常に先手を取られる。
ロシアが詰む理由が、肌で分かった。
この地形は“陣地戦”にしかならない。
岩山を拠点にして、拠点を移しながら広げる。
拠点が増えれば守りは固くなる。
岩山の陰に入れば、天使の視界から外れる。攻撃も減る。
――問題は、拠点間だ。
岩山から岩山へ移るために、必ず斜面を降りる。
降りた瞬間、遮蔽物が消える。
地上がむき出しになる。
そしてその“動く影”に、天使は反応する。
ロシア側の戦闘員が短く言った。
「動くものを狩る」
通訳が追いかける。
「天使は“移動中の影”を追って光槍を落とす」
なるほど。
だから拠点から出た瞬間が一番危ない。
だから中間経路の維持が難しい。
岩山の陰にいれば守れる。
だが岩山同士を繋ぐ“道”が維持できない。
道が維持できなければ拠点は増えない。
拠点が増えなければ攻略は進まない。
ロシアは、最初から詰んでいた。
俺は思考を回す。
(拠点維持はできる)
(移動が死ぬ)
(つまり“移動の瞬間”だけ守ればいい)
(守る方法は二つ)
(上を落とすか、見えなくするか)
上を落とす。
――カチューシャ。
見えなくする。
――煙。
53話で作った入口突破の煙は、ここでも使える。
煙は味方の視界も奪うが、移動の瞬間だけなら許容できる。
ロープで隊列を固定し、笛で合図を取る。単純に動く。
そして上を落とすなら、カチューシャだ。
だが、カチューシャは万能じゃない。
重工業化の格納庫は不可逆。
取り出したら戻せない。
弾数も無限ではない。
――一日あたり、一つの兵器につき三回まで弾薬交換ができる。
三回。
三回は強い。
でも三回しかない。
だから使いどころが重要になる。
俺はロシア側に言った。
「経路の一番危険な区間だけに置け」
「全域を守ろうとするな。三回が溶ける」
ロシア側の担当者が眉を寄せる。
「危険区間とは」
「斜面」
俺は即答した。
「岩山から降りる瞬間と、次の岩山に登る瞬間。その二点が一番晒される」
通訳が伝える。
ロシア側が頷く。
優奈が小声で言った。
「……じゃあ、斜面を短くできれば……」
賢い。
「できる」
俺は頷く。
「重工業化でワイヤー滑走路を作れ。移動時間を短縮する。晒される時間を減らす」
ワイヤー。
滑車。
固定具。
武器じゃない。仕組みだ。
仕組みは入口で弾かれにくい。
重工業化の本領がここにある。
ロシア側の工業士が、短く答えた。
「……できる」
目が少しだけ熱を帯びる。
役割が見えた目だ。
拠点を作る。
岩山の陰に簡易の防壁。
ロープ固定。
煙幕の準備。
そして、次の岩山へ移るための段取り。
陣地戦の運用が始まる。
仮拠点を作っている時、思わぬ収穫があった。
優奈が天使を見上げて、ぽつりと言ったのだ。
「……届くかもしれません」
小さな声。
でも目は真剣。
「何が」
俺が聞くと、優奈は言った。
「発射で」
敬語が消える。
「天使の高度に、届くかもしれない」
俺は一瞬、思考が止まった。
届く?
空中戦メインの相手に?
地上の人間が?
――優奈だけなら、可能だ。
《発射(自身)》は速度と跳躍を作れる。
そして優奈には《クールタイム0(移動系)》がある。
空中で方向転換できる。
それができるのは、優奈だけだ。
ただし、リスクがある。
空中で止まれない。
落ちたら即死。
高空での迎撃を食らったら終わり。
つまり“綱渡りの対空”になる。
俺は短く言った。
「試すな。まず条件を揃えろ」
優奈が少しだけ不満そうに眉を寄せる。
「でも……」
「でもじゃない」
俺は言い切った。
「空中で止まれない。落ちたら死ぬ。お前の強さは“勝つために生き残る”ことだ」
優奈は唇を噛んだ。
でも頷いた。
「……はい」
悔しそうな声。
その悔しさは成長だ。
条件を揃えるとは何か。
簡単だ。
天使が低い高度に降りた瞬間に、優奈が上を取る。
単独で飛び込ませない。
地上から牽制して、天使の動きを“固定”する。
そして優奈が発射で到達する。
つまり――優奈は“最後の刃”。
刃を振るための柄を、陣地戦で作る。
それが運用だ。
試験的に、天使を一体釣る。
ロシア側が拠点の陰から出て、わざと影を動かす。
天使が反応する。
上空から光槍が落ちる。
……狙いが正確すぎる。
動く影を追ってくる。
地上戦など許さないという意志がある。
ここで煙だ。
煙班が霧を撒く。
視界が白くなる。
天使のロックが乱れる。
光槍が少し逸れる。
逸れた一瞬が、地上の勝ち筋になる。
ロシア側の槍兵が突き上げる。
当たらない。天使は高い。
そこで工業士が、格納庫から小型の投網装置を取り出す。
重工業化の初期獲得兵器。
派手ではない。だが運用には必要だ。
網が天使の片翼に絡む。
天使が高度を落とす。
――今だ。
優奈が一歩踏み込み、《発射(自身)》で跳ね上がる。
速い。
直線で上へ抜ける。
だが空中で止まれない。
迎撃されたら死ぬ。
天使が光を溜める。
迎撃の兆候。
優奈は空中で《クールタイム0》を使い、方向を僅かにずらす。
その動きが綱渡りだ。
光槍が頬を掠める。
優奈の髪が一筋だけ焼ける匂いがした。
――生きてる。
優奈の刀が、天使の羽の付け根へ入る。
落ちる。
地面に叩きつけられた瞬間、ロシア側が止めを刺す。
一体討伐。
格納庫が更新される。
兵器が増える。
拠点が増えれば、移動が楽になる。
移動が楽になれば、討伐が増える。
討伐が増えれば、兵器が増える。
――回り始めた。
優奈は着地した瞬間、膝をついた。
息が荒い。
でも目は笑っている。
「……届きました……!」
小さな声。
誇らしい声。
俺は短く言った。
「今のは成功例だ」
優奈が顔を上げる。
「成功例?」
「条件が揃ったから成功した」
俺は言う。
「お前が強いのは前提だ。でも強さだけで飛び込むな。飛び込ませない」
優奈が頷く。
「……はい!」
悔しさが少し薄れ、理解が入る。
当然、第二の案も出た。
ロシア側の現場指揮官が言う。
「発射を持った近接特化型を増やせばいい」
「優奈のように高度へ届くなら、数で押せる」
ごり押し特攻。
それは軍の発想として自然だ。
そして、最も危ない発想でもある。
優奈が一瞬だけ黙る。
自分が“特攻のモデル”になる怖さを感じたのだろう。
俺は即座に否定した。
「無謀だ」
短く。
「相手は即死トラップを仕掛ける知恵を持っている」
ロシア側が眉を寄せる。
「だが数なら――」
「数は誘導される」
俺は言い切った。
「特攻が増えれば、相手は“特攻狩りの罠”を置く。天井ビームの増加がそうだ。学習している」
相手が賢い。
それがロシアの地獄だ。
賢い敵に、同じ手を繰り返すのは死ぬ。
俺は続ける。
「優奈が届くのは“個人技能”じゃない」
「《クールタイム0》と《発射》と近接精度、そして状況制御が揃った結果だ」
「量産できない」
言い切る。
「量産したいなら、まず死ぬ」
現場指揮官が黙る。
黙るしかない。
ロシアはもう、死に過ぎている。
俺は結論を出す。
「優奈は“最後の刃”として使う」
「拠点を広げるのは、煙と工業とカチューシャでやる」
「移動の中間経路は、短く、早く、見えなくする」
「そして危険区間だけ、対空で抑える」
陣地戦の設計図。
ロシア向けの答え。
優奈が小さく言った。
「……私、無双ってほどじゃないです」
控えめ。
「落ちたら死にますし……」
「それでいい」
俺は頷く。
「無双に見える強さほど危ない。お前の強さは“生き残る強さ”だ」
優奈が頷いた。
納得した目。
岩山の陰で、次の拠点移動の準備が始まる。
煙幕の配置。
ロープ。
ワイヤー滑走。
危険区間の観測。
そして上空では、天使が静かに旋回している。
制空権はまだ敵にある。
だが、地上に“奪い返す手順”が生まれた。
ロシア側の担当者が低い声で言った。
「……進む」
小さな言葉。
だがこの国にとって、進むことは希望だ。
俺は心の中で呟いた。
(燃やすな。燃やさせるな)
拠点を広げれば、攻略は進む。
攻略が進めば、重工業化が回る。
重工業化が回れば、政治が動く。
政治が動けば、公開が近づく。
公開は火種だ。
火種を運用で抑えないと、世界が燃える。
陣地戦の先には、別の戦争が待っている。
それでも、今は進んだ。
(つづく)




