第52話 口外禁止の《重工業化》と、天井の“頭狩り”
ロシアの空は、冷たい。
空気の温度そのものが違う。
息を吸うと肺が少し痛くなるような冷たさで、街の音がどこか硬い。
歓迎されている――というより、“急いでいる”空気だった。
「困っている国」が見せる顔は、どこも似ている。
礼儀は整っているが、視線が忙しい。
言葉が短い。
余裕がない。
俺と優奈は、空港からそのままギルド施設のような場所へ通された。
軍施設に近い。
入口の検問が重い。
銃器は見えないが、目が銃器より怖い。
廊下を抜けた先の会議室で、まず最初に言われた。
「口外禁止」
ロシア側の担当者――スーツの男が、無表情のまま言う。
通訳が付いているが、言葉の温度は同じだ。
「本件は、国内政治に直結する」
「そして、特級魔法《重工業化》に関わる」
「情報が漏れれば、国が燃える」
燃える。
今の世界では、燃えるという言葉が比喩じゃない。
俺は短く頷いた。
「理解した」
相良がいない分、俺が代表で返す形になる。
表に出ないと言い張っても、こういう場では結局前に出る。
優奈も背筋を伸ばし、丁寧に言った。
「わかりました!よろしくお願いします!」
敬語と「!」がある。
緊張しているほど、優奈は明るく振る舞う。
ロシア側の男は、その明るさを特に評価も否定もしなかった。
淡々と本題に入る。
「《重工業化》の説明をする」
資料が投影される。
図面のようなもの、格納庫の概念図、ログの規格、契約文言。
俺は眉を寄せた。
――魔法なのに、契約書みたいな顔をしている。
だが名前が《重工業化》なら、それも当然だ。
魔法が“産業”になる。
産業は契約になる。
ロシア側の男が淡々と言う。
「重工業化の保有者、あるいは重工業化で生み出す武器で魔物を倒すごとに」
「確定で兵器が手に入る」
優奈が目を丸くする。
「確定で……!」
驚きの「!」。
男は頷く。
「手に入った兵器は、重工業化の能力に付随する格納庫に追加される」
画面に“格納庫”と書かれた仮想空間の図が出る。
棚。番号。兵器のカテゴリ。数量。耐久。
ロシア側は続けた。
「格納庫から取り出すことはできる」
「だが、格納しなおすことはできない」
「新たに格納することもできない」
優奈が思わず聞き返す。
「えっ……戻せないんですか?」
ロシア側の男は淡々と頷く。
「戻せない」
「格納庫は保管庫ではない。あくまで“取得した新規装備を格納するだけの仮想空間”だ」
「取り出した時点で、現実側の物体として扱われる」
……つまり、取り出しは不可逆。
運用ミスが致命傷。
無駄撃ちすれば資源が消える。
慎重になりすぎれば前に進めない。
軍師向きの魔法だ。
いや、軍師がいないと崩壊する魔法だ。
俺は短く言った。
「詰みやすい設計だな」
ロシア側の男は表情を変えずに言う。
「だから進まない」
優奈が不安そうに言った。
「でも……倒せば増えるなら……」
「倒せない」
ロシア側の男が即答する。
画面が切り替わる。
天使型魔物の映像。
高い天井。
上空を滑るように飛ぶ白い影。
地上の探索者を嘲笑うように、光の槍を落とす。
「ロシアダンジョンの主要敵は天使だ」
男が言う。
「常に制空権を取られる。地上で戦う者は不利」
優奈が小さく呟く。
「……ずっと上……」
「上から撃たれ、上から見られ、上から落とされる」
男が淡々と言う。
「剣や槍、弓で倒そうとするのは無理がある」
そして、男は結論を言った。
「だから兵器が増えない」
「増えないから重工業化が回らない」
「回らないから国が困る」
……綺麗な詰み。
俺は頭の中で盤面を広げた。
対空装備は持ち込めない。
なら中で作る。
重工業化で作る。
だが、その前に“初手”がある。
初手がなければ何も始まらない。
ロシア側の男が、少しだけ声を落とした。
「下見をしたいと言ったな」
俺が頷く。
「したい」
「止める」
即答。
「作戦を練ってから入るべきだ」
優奈が驚いた。
「入るだけでも危ないんですか!?」
「危ない」
男が淡々と言う。
「ロシアダンジョンは“入場”の瞬間に殺しにくる場合がある」
俺は眉を寄せた。
「入場の瞬間?」
「天井に仕掛けられた魔術センサーだ」
男が資料を切り替える。
魔石と魔術回路の図。
「魔石に仕掛けたセンサーが、入った対象の“頭の位置”を捉える」
「そして天井から一点照準の光槍――ビームが落ちる」
「頭部を破壊する」
優奈の顔が青くなった。
「頭……」
言葉が震える。
男は淡々と続ける。
「それが一層から仕掛けられていることが“まれにある”」
「そしてその“まれ”は、時間が経過するごとに増えている」
俺は息を吐いた。
(もう無理だろ、これ)
入った瞬間に頭を撃ち抜かれる。
しかも“まれにある”。
つまり、いつ来るか分からない。
運用で最も嫌なタイプだ。
確率罠。
初見殺し。
しかも即死。
優奈が小さく言った。
「……どうしたら……」
声が弱い。
でも逃げない。
俺は思考強化を入れた。
頭が冴える。
でも冴えた頭が出す結論はいつも冷たい。
(対策は必要)
(だが対策を持ち込めない)
(なら中で作る)
(しかし入場で死ぬ)
(入場で死ぬなら、入場で対策が必要)
矛盾している。
矛盾しているが、矛盾の中に穴があるはずだ。
ロシア側の男が言った。
「我々はこれまで人海戦術で突破してきた」
「入場で死ぬ者が出ても、次が入る」
淡々とした声。
国の冷たさが滲む。
優奈が歯を食いしばる。
「……そんなの……」
正義じゃない。
でも国家の運用としては成立してしまう。
俺はロシア側の男に聞いた。
「そのセンサーは、何に反応する」
男が少しだけ考える。
そして答えた。
「頭の位置」
「……正確には、侵入者の“生体の頭部”に近い魔力反応」
「天井の魔石がロックし、光槍が落ちる」
生体。
頭部。
魔力反応。
俺の中で、ひとつの可能性が浮かんだ。
(煙)
視認なら煙で潰せる。
魔力反応なら、煙で“乱せる”可能性がある。
煙や霧は、魔力を含ませれば“魔力のノイズ”になる。
ノイズが増えればロックが外れる。
外れなくても精度が落ちる。
ロックが外れれば生き残る。
精度が落ちれば頭部直撃を避けられる可能性が上がる。
俺は口に出した。
「……煙か」
優奈が俺を見る。
「煙……?」
ロシア側の男も眉を僅かに動かす。
「煙幕?」
「そう」
俺は頷く。
「センサーが頭部の反応を拾うなら、空気中にノイズを作ればいい。煙か霧でロックを潰す」
ロシア側の男は、すぐには肯定しなかった。
ただ、否定もしなかった。
「……理屈は分かる」
やっと言う。
「だが煙幕を持ち込めない」
「持ち込まない」
俺は即答した。
「中で作る。重工業化で」
優奈が目を丸くする。
「重工業化で煙を作るんですか!?」
「作れる」
俺は短く答える。
「煙幕弾でも、燃焼剤でも、霧発生器でもいい。必要なのは“初手”だ」
ロシア側の男が淡々と言う。
「だが初手の前に死ぬ可能性がある」
「だから煙が必要だ」
俺は言い返す。
「入場の瞬間に煙を張る。センサーのロックを潰す。数秒稼ぐ」
優奈が小声で言った。
「……数秒……」
数秒で生きるか死ぬかが決まる。
ダンジョンはそういう場所だ。
ロシア側の男が言った。
「煙を張る前に撃たれたら終わりだ」
「その“前”を潰す」
俺は言う。
「入場の瞬間に煙が出ている状態にする。つまり――先に煙を“入れておく”」
男が目を細める。
「どうやって」
優奈がすぐに口を挟む。
「《携行許可》で!」
言い切った。
「リュックの中に煙幕を入れて、入場した瞬間にばら撒けば……!」
……優奈、賢い。
俺は頷いた。
「それもありだ」
ただし、と心の中で付け足す。
煙幕を“持ち込む”扱いにならないか?
入口の判定がどうなっているか次第だ。
だがロシアダンジョンの入口判定は「対空装備は弾く」と言っていた。
煙幕が弾かれるかどうかは未知。
未知なら“運用で回避”するしかない。
俺はロシア側の男に聞いた。
「入口の判定は何を弾く」
「銃器、爆発物、対空用と判断される装備」
男が答える。
「一般的な道具や、医療品は弾かれない」
……なら、煙幕はグレーだ。
“対空用”ではない。
だが“戦闘補助”だ。
弾かれる可能性はある。
俺は結論を急がない。
急ぐと死ぬ。
急ぐのは作戦にして、判断にしない。
ロシア側の男が言った。
「結城“yuma”」
名指し。
「あなたは、下見なしで作戦を立てるのか」
俺は息を吐いた。
「下見はしたい」
「だが入場で頭を撃ち抜かれる可能性があるなら、下見の前に対策が必要だ」
そして言い切る。
「まず煙。煙で“入場死”を潰す。それが最初の作戦だ」
優奈が頷く。
「はい!煙ですね!」
「!」が戻る。
怖いのに、前に出る「!」だ。
ロシア側の男は無表情のまま言った。
「成功すれば、次に進める」
「失敗すれば死ぬ」
淡々とした事実。
俺は短く答えた。
「いつも通りだ」
会議室の空気が少しだけ硬くなる。
だが硬い空気の中で、作戦の芽が生まれる。
煙でセンサーを潰す。
霧でロックを乱す。
数秒を稼ぐ。
数秒稼げれば、天使に対空する“仕組み”へ繋げられる。
重工業化の格納庫を回し始められる。
――詰みは、詰みのままではない。
詰んでいるように見える盤面には、必ず穴がある。
穴を見つけるのが軍師の仕事だ。
俺は心の中で、次の手順を組み始めた。
(煙)
(入場死対策)
(最初の一体を倒して兵器を獲得)
(格納庫の初期を回す)
(対空の仕組みを作る)
そして最後に、もう一つだけ思った。
(ロシアが求めているのは、勝利じゃない)
(“進捗”だ)
(重工業化を活かせるという証拠だ)
証拠を見せるなら、燃やさずに見せる方法も必要になる。
相良がいない会議室で、俺は一人で盤面を増やしていく。
優奈が小声で言った。
「ユウマくん……行けそうですか?」
怖い声。
でも逃げない声。
俺は短く答えた。
「まだ分からない」
正直に。
「でも、無理じゃなくなった」
煙という穴が見えた。
穴が見えたなら、次は形にするだけだ。
(つづく)




