第51話 二学期の噂と、ロシアの“制空権ダンジョン”
第四層ボス――大魔女アシランテを倒した翌日。
教室の空気が、やけに熱かった。
夏休み明けのだるさが残っているはずなのに、誰もが落ち着かない。
理由は単純だ。
空下優奈が、第四層ボスを単独で討伐した。
しかも――十五分。
十五分という数字は、噂にしやすい。
短い。派手。分かりやすい。
“短期攻略”という言葉を知らない連中でも、数字だけで異常さを理解する。
「やばくね?四層ボスだろ?」
「しかも十五分って、早すぎだろ」
「止まらねえな、あいつ」
「どうなってんだよ」
「……軍師がいるって噂、マジっぽいよな」
「yumaの台本通りとか言われてるけど、もう本人が化け物だろ」
「一人でボス倒すやつが“初心者配信者”なわけない」
ざわめきは廊下にも広がっている。
別クラスの連中まで覗きに来る。
優奈は、笑っている。
笑っているが、いつもより笑顔が硬い。
自分が噂の中心になる重さに、少しだけ慣れていない。
俺は机に頬杖をついたまま、心の中で呟いた。
(いい加減、慣れろよ)
何回目だよ、この下り。
それでも慣れない。
慣れないから胃が痛い。
それに――噂は噂で終わらない。
特級魔法の解禁で世界が揺れた直後だ。
四層ボス十五分討伐なんて、余計に国の耳に入りやすい。
国は“数字”が好きだ。
数字は予算になる。
数字は兵器になる。
だから俺は、教室のざわめきを聞きながら、別の音に耳を澄ませていた。
端末の振動。
相良からの連絡。
放課後のミーティング。
嫌な予感しかしない。
放課後。
クラン施設のミーティングルームへ向かう途中、優奈が小声で言った。
「ユウマくん……今日も、忙しいですか?」
学校の時だけの呼び方。
距離が近くて、怖い。
「忙しい」
俺は短く答えた。
優奈が唇を噛んで、それでも笑顔を作る。
「……ですよね!」
語尾に「!」を付ける。
自分を奮い立たせるための「!」だ。
扉を開けると、相良が待っていた。
いつもの笑顔。いつもの圧。
でも今日は、圧がさらに硬い。
相良は席につく前に言った。
「まず、優奈さん。第四層ボス討伐、おめでとうございます」
笑顔。
でも目は仕事の目。
優奈が背筋を伸ばす。
「ありがとうございます!」
返事は明るい。
でも肩が少しだけ強張っている。
相良はすぐ切り替えた。
「……そして」
資料を投影する。
「国際案件です。今度はロシアから」
俺は小さく息を吐いた。
(来たか)
中国、英国――と来て、次はロシア。
特級が解禁された世界が、国境を越えて俺を引っ張る。
相良が言う。
「ロシア政府は、特級魔法使いを“合意の上”抱え込むことに成功しました」
優奈が目を丸くする。
「合意の上……」
つまり、監視と引き換えに保護。
英国と同じ構図だ。
国がやることはどこも似る。
相良は続ける。
「特級魔法名は――《重工業化》」
五つの名称解禁の一つ。
資本主義と並んで、社会を変える匂いが強い名前。
だがロシアは、それを活かせていない。
相良が言った。
「《重工業化》を利用するためのダンジョン攻略が進まない」
「理由は単純です」
画面に映るのは、羽を持つモンスターのシルエット。
――天使。
優奈が息を呑む。
「……天使……?」
「はい」
相良が頷く。
「ロシアダンジョンには“天使型の魔物”がいます。空中戦に特化しています」
相良は淡々と言葉を重ねる。
「常に制空権を取られた状態で戦う」
「上空からの狙撃、急降下、移動妨害」
「戦う前に、まず空が敵になります」
俺は眉を寄せた。
(制空権ダンジョン……)
聞いただけで嫌なやつだ。
地上の運用が全部崩れる。
逃げる場所も、隠れる場所も“上から見える”。
相良が続ける。
「今までは人海戦術で何とかしていました」
「しかし死者が増え続けています」
「そして《重工業化》を活かすために、攻略が必要なのに攻略が進まない」
優奈が小さく言った。
「……重工業化って、作れるってことですよね?」
彼女なりに噛み砕こうとしている。
相良が頷く。
「はい。ですが、作る前に死ぬ」
結論が残酷だ。
相良は俺を見た。
「そこで依頼です」
笑顔で圧をかける。
「yumaに、ロシアへ来てほしい」
直球。
俺は思わず口に出した。
「……これ、どうしようもなくないか?」
声が低い。
「ダンジョン内には対空装備を持ち込めないんだろ」
相良が頷く。
「はい。入口で弾かれます」
「だから詰んでいる」
相良の笑顔が薄い。
「ロシアはそう判断し始めました」
優奈が不安そうに俺を見る。
「ユウマくん……」
助けを求める目じゃない。
一緒に考える目。
俺は机に指を置き、思考を回し始めた。
対空装備が持ち込めない。
なら、持ち込まなければいい。
――中で作る。
ロシアは《重工業化》を抱え込んだ。
なら、それを“ダンジョン攻略のため”に使うしかない。
入口で弾かれるのは、持ち込み物。
なら、ダンジョン内の素材から組み立てれば持ち込みにはならない。
俺は顔を上げて言った。
「……持ち込めないなら、中で作れ」
相良が一瞬固まる。
優奈が目を見開く。
「中で……作る……!」
優奈の声に「!」が戻る。
相良が慎重に聞き返す。
「……具体的には?」
「バリスタ」
俺は即答した。
「巨大弩。ハープーン。網射出機。――落とすための仕組みを作る」
相良の目が鋭くなる。
「重工業化で?」
「そう」
俺は頷く。
「持ち込みじゃなく“現地製造”。なら入口で弾かれない」
優奈が興奮した声で言った。
「すごい……!それなら確かに……!」
でもすぐ不安が混ざる。
「でも……材料、あるんですか?」
「ダンジョン内にある」
俺は短く答えた。
「岩、金属、骨、木。何でもいい。必要なのは設計と運用だ」
相良が息を吐いた。
「……確かに理屈は通ります」
そして、少しだけ苦い顔になる。
「ですが、ロシアは“今月中に成果が必要”と言っています」
期限。
国際案件はいつも期限を付ける。
期限を付けないと誰も責任を取らないからだ。
相良が続ける。
「このまま攻略が進まなければ、《重工業化》保持者を“無能”として処分する動きが出る可能性があります」
優奈が顔を青くする。
「そんな……!」
相良は淡々と言う。
「国は、資源を守るために資源を捨てます」
真理だ。
気持ち悪い真理。
俺は舌打ちしそうになるのを飲み込んだ。
「……ふざけんな」
低い声が漏れる。
「政治の尻拭いを高校生にさせるな」
相良は笑顔のまま言った。
「だから“yuma”なんです」
圧が強い。
「あなたなら、武器ではなく“型”で解ける」
俺は息を吐いた。
型。
運用。
結局そこに戻る。
優奈が小声で言った。
「ユウマくん……行くんですか?」
怖い声。
でも逃げない声。
俺は一拍置いて言った。
「行くかどうかは、条件次第だ」
相良がすぐ返す。
「条件はこれです」
画面に出る。
「“yuma本人が来い”」
……またそれか。
俺は椅子にもたれ、天井を見た。
「俺を表に出したいだけだろ」
「半分はそうです」
相良が即答する。
「半分は切迫です。ロシアは本当に困っている」
俺は短く言った。
「設計図と運用だけ渡す」
「現地に行かなくても?」
相良が聞く。
「理屈だけなら行かなくてもいい」
俺は答える。
「だが、現地のダンジョンは見ないと分からない。“天使の動き”を見ないと設計が詰む」
相良が頷く。
「つまり……視察が必要」
「そう」
俺は息を吐く。
「……最悪だな」
優奈が小さく言った。
「私も……行きます!」
即答。
怖いのに、前に出る。
俺は優奈を見る。
「護衛としてか?」
「はい!」
優奈が頷く。
「私、もう足手まといじゃないです!」
その言葉が少し嬉しくて、少し怖い。
相良が笑顔で言った。
「では、ロシア側と交渉します」
「“yuma本人が行く”のではなく、“yumaの運用を持ち込む”形で」
相良は続ける。
「そして、最初の提案は――“中で作る対空”」
俺は短く頷いた。
「天使に対空するのは武器じゃない」
俺は言った。
「仕組みだ。網でもいい。落とせば地上戦に持ち込める」
相良が頷く。
「ロシアの特級《重工業化》が活きます」
「活かせなければ、彼らは捨てられる」
優奈が顔を曇らせる。
俺は息を吐いて言った。
「……じゃあ、活かす」
短く。
「燃やすよりはマシだ」
相良が笑顔で、最後に言った。
「ロシア側から、追加の条件が来ています」
嫌な予感しかしない。
「何だ」
俺が聞くと、相良は淡々と答えた。
「彼らは“成果”を配信で示したい」
笑顔の圧。
「つまり――“監視用の非公開”ではなく、公開を求めています」
俺の背中が冷えた。
公開。
それは火種だ。
特級が解禁された世界で、“天使を落とす型”を公開する。
燃える。
確実に燃える。
俺は低い声で言った。
「……ふざけんな」
今度は飲み込めなかった。
相良は笑顔のまま言う。
「交渉します」
でも目は真剣だ。
「あなたの運用で、“燃やさずに示す”方法を考えましょう」
燃やさずに示す。
そんな都合のいい話があるか?
――ある。
あるから俺はここにいる。
都合のいい“枠”を作るために、俺は軍師をやっている。
俺は机に指を置き、短く言った。
「まずは現地を見る」
「天使の癖を見て、落とす仕組みを決める」
「公開は最後だ。最後まで出さない前提で動く」
相良が頷いた。
「承知しました」
そして笑顔で締める。
「ロシア行き、準備しましょう」
優奈が強く頷いた。
「はい!」
敬語に「!」が戻る。
怖がりながら前に出る。
俺は心の中で呟いた。
(また盤面が広がる)
中国、英国、ロシア。
特級の名前が解禁されただけで、世界が俺を引っ張る。
でも――逃げない。
天使が制空権を取るなら、地上で奪い返す。
武器じゃない。
仕組みで。
(つづく)




