第47話 弟子デス!――英国が欲しがる“特級”と、契約の条件
九龍寨城公園を出たあと、俺の頭の中はずっと同じ音で満ちていた。
水音。
庭園の水音。
静かな場所ほど、火種の音がよく聞こえる。
ネクロマンスの声は落ち着いていた。
落ち着いているからこそ、怖い。
「条件は三つ」
「家族の保護」
「身分の保証」
「能力の使用範囲の契約」
「死体部隊は没収しない。没収するなら取引は終わり」
――この条件を、英国に通す。
正直に言えば、綱渡りだ。
英国が欲しがるのは確かだ。
だが“欲しい”と“受け入れられる”は違う。
ネクロマンスは政治そのものだ。
死体部隊は火薬庫だ。
それでも今は、戦うより先に盤面を冷やすべきだ。
中国が燃えれば世界が燃える。
世界が燃えれば日本が燃える。
そして燃えた世界は、優奈を食う。
だから、動く。
ホテルに戻ると、優奈は黙って荷物を整え始めた。
「帰る」でも「逃げる」でもなく、「次に備える」動きだ。
俺は端末を取り出し、連絡先を開く。
アメリア・テイラー。
英国編で育てた弟子。
そして今、英国側に“繋げる”最短の窓口。
通話ボタンを押す指先が少し冷たかった。
国際案件を、女子高生の弟子に投げるのか?
倫理より先に、現実がある。
――英国には時間がない。
呼び出し音が二回鳴って、すぐ繋がった。
『はい弟子デス!』
元気すぎる第一声が耳に刺さった。
思わず俺は眉を寄せる。
「どういう挨拶だ」
俺が言うと、向こうでアメリアが笑う気配がした。
『ユウマ、久しぶりデス!弟子は弟子デス!』
「……まあいい。さっそくだが相談がある」
声を整える。
ここから先は“会話”じゃない。
交渉の入口だ。
「家族をイギリスに亡命させたい」
俺は単刀直入に言った。
数秒、アメリアが黙った。
状況を飲み込もうとしている沈黙。
『……誰か次第ですが、多分大丈夫デス』
アメリアはすぐに現実へ戻ってくる。
『ちょっと待ってくだサイ。確認します』
通話の向こうで、人の動く音がする。
紙をめくる音。誰かに声をかける音。
英国の“現場”の音。
俺はその間、頭の中で条件を整理した。
ネクロマンスの要求は三つ。
俺が英国側に通すべき要件も三つ。
――保護。
――身分。
――使用範囲と監視。
そして、地雷。
死体部隊。
どこまで通るか。
通らないなら、別の枠組みが必要だ。
呼吸を整えながら待つ。
しばらくして、アメリアの声が戻った。
『ユウマ。魔法が使えるか、全員一般人かで手続きの難易度が変わるデス』
事務の声だ。
でも、その事務が命を分ける。
俺は答える。
「一人だけ魔法が使える」
「……特級だ」
少しだけ間を置く。
“特級”という言葉は、今は世界の刃だ。
刃を無造作に振ると、どこかが切れる。
だが、隠しても意味がない。
英国はこの情報に反応する。
反応するから、亡命の現実味が出る。
俺は言った。
「ネクロマンスがいる」
直球。
次の瞬間、通話の向こうで音が変わった。
『……ネ、ネクロマンスゥ⁉』
アメリアの声が一段高くなる。
そして――その背後。
英語の怒鳴り声。
椅子の軋む音。
誰かが走る音。
別の誰かが「何だって!?」と叫ぶ音。
大騒ぎだ。
俺は内心で舌打ちした。
(……これ、最初に言うべきだったな)
情報の出し方を間違えた。
交渉で一番危ないやつだ。
相手の心拍を乱した瞬間、条件が増える。
だがもう遅い。
遅いなら、次の最善を取る。
俺は声を落として言った。
「落ち着け。俺も落ち着いてない」
『落ち着けないデス!』
アメリアが素直すぎる。
背後の英語がさらに増える。
誰かがアメリアの端末に近づいてくる気配。
通話の向こうの空気が熱くなる。
アメリアが慌てて言った。
『ユウマ、後ろ、すごいデス!上の人たちが……!』
「聞こえる」
俺は短く答えた。
聞こえるどころか、英国の焦りがそのまま音になっている。
――英国は今、特級が欲しい。
最近スタンピードが出なくなったのは、平和になったからじゃない。
攻略が追いついてきただけだ。
初見殺しのダンジョンは変わらず殺意が高い。
そして最前線ほど、英国参加者の死者が増える。
生き残るのは外国からの探索者ばかり。
だから英国は参加基準を引き上げ続けた。
結果、強い探索者が不足している。
――特級が、一分でも早く、多く欲しい。
それが現実だ。
通話の向こうで、誰かがアメリアに何か指示している。
アメリアが「オーケー…デス」と返事する声が聞こえる。
そして、アメリアが戻ってきた。
『ユウマ。……許可、出るかもデス』
声が震えている。
興奮と恐怖が混ざった震え。
「“かも”じゃ困る」
俺は即座に言った。
「条件を聞かせろ」
アメリアがごくりと息を飲んだ気配がした。
『条件、三つデス』
その言い方が、ネクロマンスの「条件は三つ」と同じで、変に笑いそうになった。
笑えないのに。
『① ロンドン都心部で保護。住所は非公開』
アメリアが続ける。
『② 能力の使用範囲は契約。ダンジョン内限定、ログ提出』
そして三つ目。
『③ 家族は“本人の協力”が条件。単独行動禁止、護衛付き』
……予想通りだ。
保護と引き換えに監視。
自由と引き換えに安全。
囲われる。
でもそれが、いま一番“生き残る”可能性が高い。
俺は頷いた。
「それでいい」
アメリアが少し驚いた声を出す。
『いいデス!?』
「ネクロマンス本人も言ってた。安全は監視と引き換えだってな」
『……かしこいデス』
アメリアが素直に感心する。
今はその素直さが救いだ。
俺は続けた。
「あと、家族の保護は最優先だ」
ネクロマンスの動機はそこにある。
そこを守れなければ、革命は止まらない。
「ロンドンの都心部なら比較的安全だろう」
俺は言った。
「それで頼む。家族が傷つくなら取引は成立しない」
アメリアが頷く気配。
『わかったデス。ロンドン中心部、保護枠、押すデス』
そして少しだけ声を落とす。
『でもユウマ……英国は“タダ”では守らないデス』
「分かってる」
俺は即答した。
「だから契約だ。ログ提出も受ける。使用範囲も受ける」
ここまではいい。
問題は――死体部隊だ。
俺は慎重に言葉を選んで聞いた。
「死体部隊については?」
通話の向こうの空気がまた固くなる。
『……それ、めっちゃ揉めてるデス』
アメリアが小声で言う。
『上の人たち、ロンドンで“それ”動かされたら終わるって顔デス』
当然だ。
世論が燃える。
政治が燃える。
ネクロマンスが燃える。
全部燃える。
俺は言った。
「持ち込みは制限する」
まず譲歩。
「ロンドン市内での稼働は禁止。ダンジョン内限定。ログ提出。監視下」
『……うわ、めっちゃユウマっぽい条件デス』
アメリアが少し笑った。
その笑いが、逆に緊張を少し解く。
俺は続ける。
「“没収しない”をそのまま飲めないなら、“規格化”だ」
手順で縛る。枠で縛る。
それが俺の仕事。
『規格化……』
アメリアが繰り返す。
向こうの上層部に伝えるために、噛み砕いている声。
背後で英語が飛び交う。
議論が始まった音だ。
俺は待つ。
待つしかない。
ここは俺の領域じゃない。英国の領域だ。
数十秒後、アメリアが戻ってくる。
『ユウマ。結論、まだ出てないデス』
正直だ。
『でも、上の人たち“欲しい”気持ちの方が強いデス。ネクロマンス、今すぐ欲しいデス』
……そうだろうな。
英国は今、生き残るために何でも欲しい。
欲しいものほど危険。
危険だからこそ“契約”が必要になる。
俺は短く言った。
「じゃあ、次は俺の番だ」
『ユウマ?』
「ネクロマンス本人に、英国の条件を伝える」
そして釘を刺す。
「家族保護、住所非公開、使用範囲契約、ログ提出、単独禁止、護衛付き。この三つが英国の最低条件だ」
『了解デス』
アメリアが即答する。
背後の英語がまた強くなる。
それだけ英国が急いでいる。
俺は最後に確認した。
「アメリア」
『はいデス!』
「上層部に伝えろ。これは“戦力獲得”じゃない」
言葉を選ぶ。
「“内戦回避”だ。燃え方を変える作戦だ」
『わかったデス!』
アメリアが力強く返した。
『ユウマ、すごいデス。ほんとに軍師デス』
その言葉に、少しだけ胸が痛んだ。
軍師。
表に出ない。
出たくない。
でも今は、出なきゃ世界が燃える。
通話を切る直前、アメリアが小声で付け足した。
『ユウマ……ロンドン都心部、安全だけど……完全じゃないデス』
真面目な声。
『英国は、欲しいものを守るためなら何でもするデス。……それ、覚悟してデス』
「覚悟してる」
俺は短く返す。
覚悟がないと、ここまで来ない。
通話が切れた。
部屋の空気が戻る。
香港のネオンの音が、窓の外から押し寄せる。
優奈が小声で言った。
「……通りましたか?」
不安な声。
でも期待も混ざっている。
「半分な」
俺は正直に言った。
「家族保護と監視条件は通った。死体部隊はまだ揉める」
優奈が息を呑む。
「……死体部隊……」
言葉が重い。
俺は頷いた。
「そこが一番危ない」
だからこそ、運用で縛る。
枠で縛る。
ログで縛る。
俺は立ち上がり、優奈に言った。
「次はネクロマンスに返事をする」
「はい!」
優奈が頷く。
俺は心の中で、盤面をもう一度組み替えた。
英国という檻。
監視という鎖。
保護という餌。
それでも――燃えるよりはましだ。
(つづく)




