第46話 死体は口が堅い――革命より先に守りたいもの
九龍寨城公園の水音は、妙に耳に残る。
観光客の笑い声も、子どもの足音も、遠くで鳴っているのに――俺の周囲だけ空気が薄く重い。
そこだけ、見えない膜が張られているみたいだった。
目の前の男が、その膜の中心にいる。
ネクロマンス。
護衛は数人。
一見すると普通の人間。
だが呼吸がない。
瞬きが遅い。
表情が固定されている。
死体だ。
死体を並べて人混みに立つというだけで、こいつの危険さが分かる。
倫理の問題じゃない。
“やれること”の幅が、常識の外にある。
俺が名乗った時、男は日本語で返した。
「……ようやく来たか、yuma」
その声は低く、落ち着いていた。
焦りがない。
追い詰められている側の声音じゃない。
むしろ――盤面を握っている側の声音だ。
優奈が半歩後ろで息を止めている気配がする。
俺は優奈の存在を意識しつつ、視線を外さずに言った。
「話をしよう」
短く。
「燃やしたくないなら、なおさらだ」
ネクロマンスは小さく頷き、口元だけで笑った。
「いい」
そして、淡々と聞いてくる。
「……だが先に確認する。“yuma”――お前は、誰の味方だ?」
質問の形をしているが、これは試験だ。
ここで答えを誤れば会話は終わる。
終わり方は、平和ではない。
俺は迷わず答えた。
「生き残る側だ」
それが運用の答えだ。
正義でも国家でもなく、生存。
ネクロマンスは鼻で笑った。
「……便利な答えだな」
しかし否定はしない。
「なら、話は早い」
彼は歩き出した。
公園の奥、水音が少し強い場所へ。
護衛の死体が無言でついてくる。
優奈が小声で言った。
「ユウマくん……」
怖さが滲む。
でも逃げない。
俺は小さく頷いた。
逃げたら終わる。
今ここで逃げれば、中国が燃える。
燃えれば世界が燃える。
俺たちは数歩、離れたベンチの前で止まった。
ネクロマンスが座らずに立ったまま言う。
「まず訂正しておく」
声が冷たい。
「俺は革命を“目的”にしているわけじゃない」
優奈が目を丸くする。
俺は眉を寄せたまま、黙って続きを待った。
ネクロマンスは言った。
「革命は手段だ」
淡々と。
「壊されたくないものがあると、人は壊す側に回る」
その言い方が、妙に刺さった。
こいつは自分を正義だと思っていない。
正義で飾っていない。
だから、厄介だ。
彼は視線を横に逸らし、木々の隙間から見える空を見た。
香港の空は狭い。
ビルと木に切り取られている。
「……父は強かった」
突然、話が個人的になる。
「強いダンジョン攻略者だった」
俺は息を止めた。
この男が自分の父の話をするのは、説得のためだ。
説得は弱さじゃない。
武器だ。
ネクロマンスは続ける。
「だが強すぎた」
自嘲の色が混じる。
「当時、特級魔法は存在しなかった。だから父は“特級”ではない」
その言葉は、世界のねじれを示している。
特級は制度の名前だ。
制度がない時代にも、強者はいた。
ネクロマンスは淡々と語った。
「父の強さはフィジカルだ」
「生まれつき強かった。鍛えてもっと強くなった」
「そして――フィジカルが強いほど有利になる魔法を引いた」
……分かる。
運がいい。
努力が報われる。
その組み合わせは、英雄を作る。
ネクロマンスは少し笑って言った。
「父は“守れる”と思ったんだろうな」
笑いが薄い。
「家族も、国も、全部」
そこで彼の表情が一段冷えた。
「政府が来た」
言い切る。
「交渉という名の命令だ」
優奈が息を呑んだ。
ネクロマンスは淡々と続ける。
「家族と安全に過ごしたいなら、政府に従え」
「能力は差し出せ」
「言うことを聞け」
「それが“国のため”だ」
その言葉は、どこでも同じだ。
国が個人に言う言葉は、いつも同じ形をしている。
ネクロマンスは一拍置いて言った。
「父は署名しなかった」
静かに。
「翌週、ダンジョンで“事故”扱いで死んだ」
空気が冷えた。
“事故”。
言葉は便利だ。
便利だから怖い。
事故にしてしまえば、誰も責任を取らない。
誰も悪者にならない。
優奈が震える声で言った。
「……そんな……」
敬語が抜けている。
感情が剥き出しだ。
ネクロマンスは表情を変えずに続けた。
「父は死を選んだわけじゃないかもしれない」
淡々と。
「ただ――署名しなかった。だから戻らなかった」
彼は俺を見た。
「俺は父みたいに」
声が低い。
「いや、父より強くなりたくてダンジョンに潜った」
その言葉は、俺の胸にも刺さる。
父を失った後、強さに飢えるのは“普通”だ。
普通だから、悲しい。
ネクロマンスは言った。
「俺は誰かを支配したいわけじゃない」
「人を殺したいわけでもない」
言いながら、背後の死体護衛に目を向ける。
矛盾を隠さない目。
「……でも、壊されたくないものがあった」
声が僅かに揺れる。
「それなりの生活で満足している奴だって多い。静かに暮らしたい奴だっている」
彼の声が少しだけ強くなる。
「それが壊されそうだから」
「壊されたくなくて、こうなった奴もいる」
そして彼は、俺を刺すように言った。
「お前だって今のままだと、いつかはこうなる」
言い切り。
「人前に出ていい奴ばかりじゃない。……お前は分かるだろ」
心臓が一拍遅れた気がした。
俺は表舞台に出ない。
出られない。
出れば燃える。
燃えれば周りが死ぬ。
こいつは、その“逃げ方”を見透かしている。
そして、その理由も。
ネクロマンスが小さく言った。
「情報は集まる」
視線が護衛へ滑る。
「死体は口が堅い」
ぞわっと背中が冷えた。
こいつは情報を集めている。
死体をスパイにしている。
だから俺の動きも政府の動きも見える。
彼は続けた。
「君が“未来予知じゃない”のも、政府の動きも、全部見える」
淡々と告げる。
「だから言った。手を引けと」
優奈の肩が震えた。
俺は優奈の前に立つように半歩出た。
視線を外さず、短く言う。
「……だから何だ」
声が低い。
「脅しなら無駄だ。ここに来た時点で引かない」
ネクロマンスは頷いた。
「分かってる」
あっさり言う。
「だから“話”をしてる」
俺は息を吐いた。
ここからが交渉だ。
盤面を冷やすための交渉。
俺は言った。
「知ってるよ」
自分の胸を押さえるように。
「俺の父親も強かった。でもダンジョンで死んだ」
ネクロマンスの目がほんの少しだけ動く。
同類を見る目。
俺は続けた。
「当たり前の生活が、理不尽な理由で壊されそうなら戦うのが正解なのも分かる」
正直な言葉だ。
「けど、今この瞬間は戦うのが正解じゃない」
ネクロマンスが眉を寄せる。
「……じゃあ何が正解だ?」
苛立ちが混ざる。
でもまだ会話を切らない。
切らないのは、こいつにも選択肢がないからだ。
俺は答えた。
「俺からの提案は一つ」
短く。
「イギリスに亡命しろ」
優奈が「えっ」と息を呑む。
相手が同じ反応をすると思ったが、ネクロマンスはすぐに笑った。
「英国?」
笑いが薄い。
「英国に行けば安全?監視と引き換えだろ」
……当然の反応だ。
亡命は自由じゃない。
囲われる。
俺は頷いた。
「そうだ」
否定しない。
「安全と監視の交換だ」
ネクロマンスは腕を組んだ。
「中国の檻から、英国の檻へ移れって?」
皮肉。
「それが“丸く収まる”って顔か」
俺は言った。
「丸くは収まらない」
正直に。
「でも燃え方を変えられる。中国国内の内戦の火種を外へ出す。英国は戦力が欲しい。お前は生き残れる」
ネクロマンスの目が細くなる。
計算している目。
革命家の目じゃない。
生存者の目だ。
彼は静かに言った。
「条件は三つ」
すぐに出た。
つまり、考えていた。
亡命を“選択肢”として既に持っていた。
ネクロマンスは指を一本立てる。
「家族の保護」
二本目。
「身分の保証」
三本目。
「能力の“使用範囲”の契約」
優奈が小さく息を呑む。
“使用範囲”。
言い換えれば、暴走防止。
そして監視。
ネクロマンスは最後に、もう一つだけ足す。
「あと、俺の死体部隊は没収しない」
声が冷える。
「没収するなら取引は終わりだ」
……当然だ。
死体部隊は、こいつの武器であり盾であり、情報網だ。
それを捨てろというなら、亡命した瞬間に殺されるのと同じになる。
俺は考えた。
英国がそれを飲むか?
飲まない。
飲むはずがない。
死体部隊は政治的に危険すぎる。
国内世論が燃える。
だが、ここで重要なのは“全部を飲む”ことじゃない。
交渉は、着地点の形を作ることだ。
形ができれば、現実は後から合わせられる。
俺は短く言った。
「条件は理解した」
ネクロマンスの目が鋭くなる。
「理解だけで終わらせるな」
「終わらせない」
俺は即答した。
「ただし、その条件は“そのまま”は通らない」
ネクロマンスが笑う。
苛立ちが混ざった笑い。
「だろうな」
でも、笑いながら言う。
「だからyumaを呼んだ。お前が“運用”で穴を埋めるって聞いたからな」
……どこまで知ってる。
俺は息を吐く。
「死体部隊は“没収しない”じゃなく“規格化する”」
俺は言葉を慎重に置いた。
「英国が受け入れられる形にする。移動、保管、稼働、全てログ化。第三者監視。……それができるなら、残せる可能性はある」
ネクロマンスが目を細める。
「可能性、ね」
皮肉。
「都合のいい言葉だ」
「国際案件は都合のいい言葉で動く」
俺は淡々と返した。
「現実を動かすためにな」
優奈が小さく言った。
「……ユウマくん」
不安な声。
「それ、イギリスが本当に受け入れるんですか……?」
「受け入れないなら別の枠を作る」
俺は答える。
「第三国管理。国連みたいな枠。――今は名称解禁直後で、どの国も“特級の扱い”に正解を持ってない。だから枠組みを作れる」
ネクロマンスが、少しだけ興味を見せた顔になる。
「枠組み……」
呟く。
「お前らは、檻を作るのが好きだな」
「檻がないと人は死ぬ」
俺は言った。
「檻があると自由は死ぬ。……どっちを取るかだ」
ネクロマンスが黙る。
黙って、木々の隙間から見える空を見た。
さっきと同じ仕草。
狭い空を見ている。
その背中が一瞬だけ、寂しそうに見えた。
彼はゆっくり言った。
「……革命が目的じゃないと言ったな」
自分で繰り返す。
「本当だ。俺が欲しいのは、父が奪われた“普通”だ」
普通。
普通が欲しいのに、死体を連れて歩く。
矛盾。
でも、矛盾は人間の証明でもある。
俺は頷いた。
「なら、今は燃やすな」
短く。
「燃やすほど、お前の普通は遠ざかる」
ネクロマンスが俺を見る。
「……お前は、俺を救う気か?」
挑発のような質問。
でも本音も混ざっている。
俺は答えた。
「救う気はない」
正直に。
「盤面を冷やす気はある。結果としてお前が生き残るなら、それは“副作用”だ」
ネクロマンスが小さく笑った。
「嫌いじゃない」
そして、低い声で言う。
「じゃあ見せろ。お前が本当に“通せる”のか」
「何を」
俺が聞くと、ネクロマンスは淡々と言った。
「証拠だ」
「英国が本当に欲しがるって証拠」
「そして、俺の家族を守れるって証拠」
……当然だ。
口約束で動くほど、こいつは甘くない。
甘くないから生き残っている。
甘くないから革命の火種になれる。
俺は息を吐いた。
「分かった」
短く。
「俺は英国に話を通す」
ネクロマンスが目を細める。
「期限は短い」
「知ってる」
俺は頷く。
「だから今夜中に動く」
優奈が小さく言った。
「……ユウマくん、私も……」
「優奈は表に出るな」
俺は即答した。
「ここからは火花が散る。火花が散る場所にお前を置かない」
優奈が唇を噛み、頷いた。
「……はい」
ネクロマンスが最後に言った。
「yuma」
名前が重い。
「お前は俺を止めたいんだろ」
「止めたい」
俺は認めた。
「でも殺したいわけじゃない」
ネクロマンスが静かに頷く。
「なら、取引は成立する可能性がある」
淡々と。
「……だが覚えとけ。俺が燃えたら、中国が燃える。中国が燃えたら世界が燃える」
俺は息を吐いた。
「分かってる」
だからこそ、盤面を冷やす。
水音が、やけに大きく聞こえた。
庭園は静かだ。
でも静かだからこそ、火種の音が聞こえる。
(つづく)




