第44話 香港の夜と、動かない使者
中国のネクロマンス――。
相良から届いた資料を読み返すたび、俺は同じ結論に辿り着いた。
「革命を起こそうとしている」
それだけで十分に厄介なのに、相手は特級だ。
しかも《ネクロマンス》という名前が世界中に配られた直後。
欲しがる国が出ないわけがない。
――イギリス。
英国はアンデッドの地獄を抱えている。
床罠と初見殺しに加えて、アンデッドという“死者が動く”前提の戦場。
あの国の運用は、回復と火力の両方が足りない。
そこにネクロマンスが入ったらどうなる?
最悪だ。
でも同時に、英国の視点で見れば――喉から手が出るほど欲しい。
死を支配できるなら、アンデッド地獄に“ルール”を持ち込める。
死体を回収し、敵を減らし、情報を集め、前線を維持できる。
ネクロマンス本人にとっても、もし「居場所」が欲しいなら悪くない。
英国は協力者を歓迎する文化がある。
スタンピードを経験して、外からの助けを拒まない。
――亡命。
中国から遠ざける。
中国は内戦の火種をひとまず外に出せる。
英国は戦力を得る。
本人は囲われる代わりに生き残れる。
丸く収まる可能性がある。
問題は、どうやってそこに持っていくかだ。
そもそもネクロマンスが亡命する理由がない。
革命を起こせる力があるなら、国内でやればいい。
勝てば王だ。負けても象徴だ。
それでもなお“国外へ出る”には、動機が必要になる。
(……情報がない)
情報がなければ戦略は立たない。
交渉は相手の欲しいものを知らないと始まらない。
欲しいものが分からないなら、“怖いもの”を作るしかない。
でも、いきなり脅すのは下策だ。
特級相手に脅しは自殺だ。
だからまず――会う。
会って、目を見て、言葉を拾う。
拾った言葉で、運用を組む。
相良に言われた。
「結城さん、現地接触は危険です」
笑顔の圧が強かった。
「中国本土に入るのは論外。監視と拘束のリスクが高すぎる」
だから、場所は香港にした。
本土ほど監視が厚くなく、人の出入りが多い。
“中立の顔”で会える余地がある。
情報の流れが速い。
――そして何より。
俺が動くなら、ここしかない。
香港行きの便に乗る直前、優奈が小さく言った。
「……ほんとに行くんですね」
敬語に「!」がない。
怖さがある。
「行く」
俺は短く答えた。
「情報がないと、何もできない」
優奈は唇を噛んで、すぐに顔を上げた。
「わかりました!」
「!」が戻る。
怖がりながら前に出るのが、優奈だ。
優奈を連れていく理由は、護衛だけじゃない。
優奈は《携行許可》を持っている。
必要な装備、物資、緊急用のアイテム――全部、持ち込める。
それに、優奈は“配信者”という顔を持っている。
取材、観光、番外編。
それらしい建前で動けるのは大きい。
俺が前に出るほど危険が増える。
だから、表に立つのは優奈。
俺は影。
いつもの運用だ。
飛行機の窓の外に海が広がる。
雲の下に、別の国の空気がある。
世界は広い。
広いのに、特級のせいで一斉に狭くなっていく。
(……やるしかない)
俺は心の中で繰り返した。
香港は眩しかった。
湿気。
ビルの密度。
ネオンの色。
言語が混ざった看板。
人の波が、東京より速い。
ここなら“人混み”に紛れられる。
だが同時に、ここは“監視”の国でもある。
チェックインを済ませて、部屋に入る。
優奈がベッドに荷物を置きながら、スマホを覗き込んで声を上げた。
「見てください!ホテル代、高いです!」
久々に元気な「!」が出た。
その明るさがありがたい。
「まあ観光で栄えてるからな」
俺はスーツケースを開けながら答える。
「その分、安全だと思えば納得できる金額ではある」
優奈が頬を膨らませる。
「安全、ですよね!?」
「安全“だと思いたい”」
俺が言うと、優奈が「うぅ……!」と呻いた。
窓の外の景色は綺麗だ。
でも綺麗な景色ほど、足元が怖い。
俺は机に資料を広げた。
相良が送ってきた中国側の情報。
ネクロマンス本人からの接触の断片。
どれも確定には足りない。
(まずは“本人の意図”を拾う)
亡命したいのか。
革命したいのか。
ただ自由が欲しいのか。
誰かに復讐したいのか。
その一つで戦略は変わる。
優奈が小声で言った。
「ユウマくん……ネクロマンスって、ほんとに死体を動かすんですか?」
「名前だけならそう見える」
俺は答える。
「でも“名前だけ”が怖い。想像が先に走る。想像が暴走すると死ぬ」
優奈が頷く。
「……じゃあ、会うんですね」
「ああ」
俺は頷いた。
「会って、確かめる」
その時だった。
部屋のチャイムが鳴った。
優奈がびくっと肩を跳ねさせる。
俺も反射で息を止めた。
予定していない訪問。
ホテル。
海外。
嫌な条件が揃いすぎている。
俺は優奈に小さくジェスチャーした。
後ろへ。
リュックはすぐ取れる位置へ。
端末は握る。
優奈が黙って頷いた。
こういう時の優奈は、ちゃんと強い。
俺はドアスコープを覗く。
男が立っていた。
中年。
スーツ。
無表情。
ホテルのスタッフではない。
名札もない。
でも武器も見えない。
――不気味。
俺は鍵をかけたまま、ドア越しに言った。
「何の用だ」
英語で。
相手は間を置かずに答えた。
「届け物」
声も平坦。
抑揚がない。
「誰から」
「……使いだ」
言い方が曖昧だ。
でも次の一言で、確定した。
「ネクロマンスから」
優奈が息を呑む音がした。
俺の背中が冷える。
(来た)
こんなに早く?
いや、早いのは当たり前だ。
俺たちが動いた瞬間、相手も動く。
俺はドアを少しだけ開けた。
チェーンをかけたまま。
隙間から手を出す。
「手紙だけ寄越せ」
男は無言で封筒を差し出した。
白い封筒。
シンプルすぎるほどシンプル。
俺は封筒を受け取り、すぐドアを閉めた。
チェーンも外さず、そのまま鍵を二重に確認する。
優奈が小声で言った。
「……本物ですか?」
「分からない」
俺は短く答えた。
「だから確認する」
封筒を開ける。
中には一枚の紙。
手書きではない。印刷だ。
フォントが整いすぎている。
文章は短い。
『yumaへ』
『手を引け』
それだけなら普通の脅しだ。
だが、紙を読み進めた瞬間、俺の喉が冷えた。
最後に一文がある。
――『“yuma”は未来予知ではない』
優奈が目を見開く。
「……えっ」
声がひっくり返りそうになる。
「なんで、それを……!」
俺は紙を握りしめた。
(……見られている)
未来予知ではない。
そんな情報は公表されていない。
そもそも“未来予知の正体不明”が政府案件なのに、なぜ相手がそこまで断言できる?
答えは一つ。
中国側の上層に、すでに手が入っている。
もしくは、最初から政府の動きを覗いている。
――つまり、情報収集能力が異常だ。
俺はドアの方を見た。
さっきの男は、まだ廊下に立っている。
無表情。
動かない。
優奈が小さく言った。
「……帰らないんですか?」
「……変だな」
俺は言った。
ホテルの使いなら、届けたら帰る。
人間の使いなら、届けたら何か反応がある。
視線が動く。呼吸が変わる。苛立つ。焦る。
あの男は、変わらない。
まるで――“置物”。
俺はドアを開けた。
今度はチェーンを外して、廊下へ出る。
優奈が「ユウマくん!?」と息を呑むが、俺は手で止めた。
廊下の男がこちらを見る。
目は開いている。
でも、光がない。
俺は一歩、距離を詰めた。
相手の呼吸を確認するために。
……呼吸の動きがない。
胸が上下していない。
近づいた瞬間、匂いがした。
消毒液の匂いに似ている。
でもその奥に、冷たい肉の匂いがある。
(……人間じゃない)
俺の背中がぞわっとした。
「……お前」
俺が言いかけた瞬間、男の首が少しだけ傾いた。
機械みたいな動き。
瞬間、確信した。
死体だ。
ネクロマンス。
まさか、ここまでできるのか。
俺は喉の奥が乾いていくのを感じながら、頭の中で組み立てた。
仕組みは単純だ。
ネクロマンスはアンデッドだけでなく、人間の死体も操れる。
つまり――中国上層部に“死体を人間のふりで”潜り込ませ、情報収集している。
だから俺たちの動きに、いち早く反応できた。
中国政府がギルド経由で依頼を投げた瞬間に、相手も知った。
そして「手を引け」が届いた。
――最悪だ。
革命を起こせるだけじゃない。
国家の情報機関より早く動ける可能性がある。
優奈が廊下に出てきて、男を見て固まった。
「……えっ……」
声が消える。
目が恐怖で揺れる。
俺は優奈の前に立ち、低い声で言った。
「見るな」
「……でも……」
「見てもいい。だが近づくな」
俺は言い直す。
「死体だ。操られてる」
優奈の顔が青くなる。
「死体……って……」
言葉が震える。
男――死体は、まだ動かない。
命令がないと動けないのだろう。
手紙を渡す。観察する。それだけの役割。
俺は視線を落として、封筒をもう一度見た。
『手を引け』
そして
『“yuma”は未来予知ではない』
この一文の意味が重い。
相手は俺が未来予知ではないと断言できる。
断言できるということは――未来予知に関する情報も握っている可能性がある。
優奈の親戚の存在。
未来予知の正体。
政府が隠そうとしているもの。
ネクロマンスは、そこへも手を伸ばせる。
俺は歯を食いしばった。
(……これは、革命どころじゃない)
国家の内側に死体を潜り込ませている。
それが本当なら、もう“国内の火種”じゃない。
情報戦だ。
そして、世界戦だ。
俺は優奈に言った。
「部屋に戻る」
短く。
「今夜は動かない。動いたら相手の思う壺だ」
優奈が震える声で言った。
「……でも、ユウマくん……」
手紙を見ている。
「“手を引け”って……」
「引かない」
俺は即答した。
「引いたら中国が燃える。燃えたら世界が燃える。燃えたら――次は日本だ」
優奈が唇を噛み、頷いた。
「……はい!」
部屋に戻り、鍵をかけ直す。
机に紙を置く。
俺は椅子に座って、深く息を吐いた。
相良に連絡すべきだ。
だが、言葉は刃だ。
ここで送った情報がどこへ漏れるか分からない。
それでも、送らないと守れない。
俺は端末を握りしめ、最低限だけ打ち始めた。
“接触あり”
“使いは人間ではない可能性”
“手紙内容:手を引け/yumaは未来予知ではない”
送信ボタンの上で、指が止まる。
(……相手は、俺の動きを見ている)
送った瞬間、さらに動かれる。
でも送らなければ、こちらが動けない。
俺は結局、送った。
送った瞬間、胸の奥が冷えた。
優奈が小声で言った。
「……ユウマくん」
俺を見る。
「これ、どうなっちゃうんですか……?」
俺は答えた。
答えは短い。
「……本物の戦いが始まった」
ネクロマンスは、ただの特級じゃない。
情報を握り、死体を動かし、国家の内側に入り込む。
俺は紙をもう一度見た。
『“yuma”は未来予知ではない』
その一文が、喉に刺さる。
未来予知の正体を、相手が知っているなら。
優奈の親戚が狙われるなら。
――次は、優奈だ。
俺は椅子から立ち上がり、優奈に言った。
「優奈。明日から動く」
「はい!」
「観光の顔を作れ。配信者の顔を使う」
「わかりました!」
「そして」
俺は声を落とす。
「絶対に単独行動するな」
優奈が強く頷いた。
「はい!」
窓の外の香港のネオンが、やけに綺麗に見えた。
綺麗なものほど、危ない。
俺は心の中で決めた。
ネクロマンスを英国へ――という案は、まだ捨てない。
だが、この相手は「説得」だけで動く相手じゃない。
動かすなら、盤面ごと動かす。
(つづく)




