第43話 二学期のはじまりと、中国の“ネクロマンス”
二学期が始まった。
それだけで、教室の空気が少しだけ変わる。
夏の終わりの湿気が、まだ残っているのに、みんなの顔は妙に引き締まって見えた。
――理由は一つ。
空下優奈が、イギリスのダンジョンを単独で突破した。
日本のネットが騒いだのは当然として、海外まで燃えた。
“番外編”のはずが、世界の教材になりかけた。
特級魔法の解禁で世界が揺れた直後だったから、余計に燃えた。
当然、学校でも話題になる。
「え、マジでイギリスのボス倒したんだって?」
「死者めっちゃ出てる国だろ?ヤバくね」
「しかも一人で?」
「yumaってやつが裏にいるんだろ」
「兄妹説あったよな」
「彼氏じゃね」
「軍師が同級生ってのが一番怖い」
……いつもの流れだ。
何回目だよ、と心の中で思う。
俺は机に頬杖をつきながら、教室のざわめきを右から左へ流した。
慣れたわけじゃない。
慣れなきゃ、折れるだけだ。
優奈は――笑っていた。
笑っているが、いつもより「!」が少ない。
無理してるのが分かる。
世界が特級で壊れた直後の空気は、明るいだけじゃ済まない。
休み時間の終わり際、優奈が小声で言った。
「ユウマくん……放課後、ミーティングですよね?」
敬語じゃない。
学校の時だけの呼び方だ。
その呼び方は、距離が近い分、怖さも近い。
「ああ」
俺は短く頷いた。
「相良が待ってる」
優奈が頷き、いつものように笑顔を作る。
「はい!行きます!」
やっぱり「!」が戻る。
戻ると安心する。
安心するのが、怖い。
世界はもう、以前のままじゃない。
放課後。
クラン施設のミーティングルーム。
扉を開けると、相良がもういた。
いつもの笑顔。いつもの圧。
ただし今日は、笑顔の奥の焦りが隠せていない。
俺と優奈が座る前に、相良が言った。
「二学期、おめでとうございます――と言いたいところですが」
笑顔のまま、切り替える。
「国際案件です。しかも重い」
来た。
特級解禁後の世界が、俺たちの日常に踏み込んでくる。
相良は資料を投影した。
中国語と英語が混ざった文面。
公的な文書の形式をしているが、ところどころが不自然に曖昧だ。
相良が言った。
「中国からの依頼です」
優奈が目を丸くする。
「中国……!?」
相良が頷く。
「はい。中国側ギルド――正確には政府とギルドの共同チャンネルから」
俺は眉を寄せた。
「……なんで日本のクランに」
相良が即答する。
「“yuma”がいるからです」
笑顔のまま、現実を刺す。
「あなたが、今一番“国境を越えて使える”人材として見られています」
最悪だ。
表舞台に出ないつもりが、勝手に“外交カード”にされる。
相良が続けた。
「依頼内容は単純です」
資料の一部を拡大する。
「中国に、特級魔法がいます」
優奈が息を呑む。
「ね、ネクロマンス……」
名前だけが解禁された、あの五つ。
死体操作――そう連想するのが普通だ。
俺は反射で言った。
「……なんでそんな情報を、あっさりばらす」
相良が答える。
「答えも単純です」
笑顔が薄くなる。
「その人物が、中国国内で革命を起こそうとしているから」
……は?
一瞬、思考が止まる。
でも止まったのは、情報が重すぎるからじゃない。
重い情報ほど、俺の脳は動く。
(ネクロマンス)
(死体)
(支配)
(恐怖)
(暴動)
(革命)
相性が良すぎる。
というより、最悪だ。
ダンジョンだけでも手一杯の国で、死体操作の特級が政治に噛んだら、社会が壊れる。
俺は思わず声を荒げた。
「ふざけんな。自分でやれよ⁉それくらい!」
ミーティングルームの空気が一瞬凍る。
優奈が「ユウマくん……」と小さく言う。
相良の笑顔が、ほんの少しだけ鋭くなる。
でも――俺の気持ちも分かるだろ。
「俺は外交官じゃない」
俺は続けた。
「国が動く案件を高校生に投げるな」
相良が、珍しくすぐ返さなかった。
数秒、沈黙。
その沈黙は「正論だから」だ。
相良は、ゆっくり言った。
「……仰る通りです」
笑顔のまま。
「だからこれは“お願い”です。断る自由はあります」
俺は即座に言った。
「断る」
言い切りたかった。
でも言えない。
気持ちは分かるのだ。
死体を操るチートを持つなら、革命くらい起こせてもおかしくない。
いや、目標にしているなら――むしろやりかねない。
それが中国の内部で起きれば、中国だけの問題で済まない。
世界が揺れる。
日本も揺れる。
相良が畳みかけてきた。
「結城さん」
声が少し低い。
「今回の依頼は“ネクロマンスを何とかしてほしい”ですが、殺せという依頼ではありません」
俺は眉を寄せる。
「……捕えろでもない?」
「はい」
相良が頷く。
「捕えろでもない。つまり――仲介に立って、彼を中国から遠ざけるのも“あり”だということです」
優奈が小声で言った。
「遠ざける……」
それはつまり、亡命。隔離。国際管理。
言葉にすると一気に重くなる。
俺は相良を睨む。
「それ、簡単に言うけど……」
「簡単ではありません」
相良が即答する。
「だからこそ、あなたの“運用”が必要だと言っています」
運用。
またそれだ。
相良が資料を切り替えた。
「中国側が情報を公開した理由は、二つあります」
「一つは、国内で火種が燃え始めていること」
「もう一つは――外に助けを求めた方が“安い”という判断です」
安い。
国が人を“コスト”で見始めた時、最悪が近い。
相良が続ける。
「彼はすでに“象徴”になりかけています」
資料には、曖昧な映像と噂レベルの証言が並ぶ。
確定情報は少ない。
だが、確定していないからこそ怖い。
優奈が不安そうに言う。
「……でも、ネクロマンスって……」
言葉が詰まる。
言いたいのは「人を殺して死体を増やすのでは?」だ。
俺が代わりに言った。
「革命って言うなら、死体が必要だ」
相良が頷く。
「はい。だから中国側も焦っています」
相良の声が少しだけ早い。
「ここで都市部の暴動と噛み合えば、最悪の絵になります」
最悪の絵。
想像するだけで吐き気がする。
俺は机に指を置き、短く言った。
「……罠の可能性は?」
相良が一瞬だけ目を細める。
俺がそう言うと思っていた顔。
「あります」
相良は即答した。
「中国側が“yumaを引っ張り出したい”可能性。情報を餌に、あなたを表舞台に出す狙い。あるいはネクロマンス本人が“国外へ逃げたい”可能性」
俺は息を吐く。
「どっちもあり得る」
「はい」
相良が頷く。
「だからこそ、戦略が要る。あなたが得意な領域です」
俺が得意な領域――運用。
殺さず、捕えず、盤面を動かす。
優奈が小さく言った。
「ユウマくん……やるんですか?」
怖がりながら、逃げない目。
その目が、最近の優奈だ。
俺は一拍置いて言った。
「……条件次第だ」
相良がすぐ返す。
「条件はもう出ています」
資料の一行を指す。
「中国側は“yuma本人が来い”と言っています」
……やっぱりか。
俺は椅子に深くもたれ、天井を見上げた。
「ふざけんな」
声が低い。
「完全に俺を引っ張り出す気じゃねえか」
相良は笑顔のまま、淡々と言った。
「はい。だから交渉します」
何でもないことのように。
「“yuma本人が行く”のではなく、“yumaの運用を輸出する”形に」
優奈が息を呑む。
「運用を輸出……」
「現地に行かない選択肢を作る」
相良が頷く。
「第三国の場を用意する。会談形式にする。監視下に置く。公開しない。ログも整形する」
相良の言葉は、冷たいほど現実的だ。
でもそれが、今の世界で人が死なない方法でもある。
俺は短く言った。
「……ネクロマンス本人を“人”として扱えるかが勝負だな」
相良が頷く。
「はい。彼をモンスターとして扱えば、革命は加速します」
優奈が小さく言った。
「……英雄にしたら、終わりです……」
その言葉が、重い。
優奈は配信者だ。
英雄化の怖さを知っている。
俺は思考を回し始める。
(革命を止めるには)
(燃料を断つか)
(役割を与えるか)
(国外へ逃がすか)
殺せ、捕えろではない。
つまり、運用で“矛先を変える”話だ。
俺は相良に言った。
「まず情報の確度を確認しろ」
相良が頷く。
「既に確認しています。名称解禁直後、同一症例が複数出ています。死体の挙動異常、ダンジョン外での残存、目撃証言。――確度は高い」
俺は舌打ちした。
「期限は」
「短いです」
相良が即答する。
「中国側は“数日以内”と言っています。都市部での集会が増えています」
数日。
短すぎる。
国際案件を高校生に投げる時間じゃない。
俺は再び言った。
「ふざけんな……」
でも、言いながら分かっている。
ふざけているのは、中国だけじゃない。
世界がふざけている。
特級がそういうものだ。
優奈が小さく言った。
「ユウマくん……」
俺は優奈を見た。
優奈の目は、逃げない。
俺は息を吐いて、結論だけ言った。
「やる」
短く。
「ただし、俺は行かない。行かせるな。交渉は相良がやれ。俺は“型”を出す」
相良が、ほんの少しだけ安心した顔をした。
笑顔のまま、圧を戻す。
「承知しました」
そして、釘を刺す。
「ただし、相手は“あなた”を求めます。あなたが出ないなら、代わりに差し出すものが必要です」
差し出すもの。
外交カード。
俺が嫌いな言葉だ。
俺は目を細めて言った。
「……差し出すのは“情報”じゃない」
「ええ」
相良が頷く。
「“枠組み”です。管理の枠組み。監視の枠組み。逃げ道の枠組み」
運用の枠組み。
それなら、俺がやることは一つだ。
――革命を“革命でなくする”。
ネクロマンスが欲しいのはたぶん力じゃない。
力はもうある。
欲しいのは承認か、恐怖支配か、居場所か、復讐か。
どれでもいい。
矛先を変えれば、燃え方が変わる。
俺は机に指を置き、言った。
「相良。まず第三国の会談を提案しろ」
「どこにします?」
「日本はダメだ」
俺は即答した。
「日本に来た瞬間、俺が引っ張り出される。英国もダメ。EUもダメ。……中立で、監視が強い場所」
相良が少し考え、頷く。
「承知しました。候補を出します」
そして、笑顔のまま爆弾を落とした。
「もう一つ」
「何」
「ネクロマンス本人から、接触がありました」
……は?
俺は眉を寄せた。
「中国側じゃなく?」
「はい」
相良が頷く。
「本人です。“yumaに話がある”と」
優奈が息を呑む。
「本人が……」
声が小さい。
怖さが滲む。
相良が続けた。
「彼は、亡命を希望している可能性があります」
相良の笑顔が、いつもより薄い。
「つまり――仲介は“もう始まっている”」
俺は椅子の背にもたれ、ゆっくり息を吐いた。
世界はもう、俺たちに準備の時間をくれない。
特級は、名前だけで人を動かす。
そして人は、動いたら止まらない。
俺は短く言った。
「……面倒が増えたな」
相良が笑顔のまま言う。
「増えました。ですが――逃げられません」
まるで、どこかで聞いた言葉だ。
俺は心の中で思った。
巫女服の彼女と向き合ったばかりなのに、次は国の盤面だ。
盤面が大きくなるほど、俺の“言い訳”は薄くなる。
でも、やるしかない。
俺は優奈を見る。
優奈は静かに頷いた。
「……ユウマくん」
小さな声。
「私も、できることします」
俺は頷いた。
「やることは一つだ」
短く。
「燃やすな。燃やさせるな。――盤面を冷やす」
相良が笑顔で頷いた。
「では、準備します」
そして、最後に言った。
「ネクロマンスとの“初回接触”の台本を作りましょう」
――台本。
また台本だ。
世界が壊れても、結局人間は台本で生き延びる。
(つづく)




