第39話 神社にいる“元凶”と、十年ぶりの約束
未来予知能力者と会った翌日、相良はオンライン会議の画面越しに、こめかみを押さえた。
いつもの笑顔はない。
いつもの淡々とした声も、ほんの少しだけ乱れている。
「……結城さん」
相良は、ゆっくり言葉を選ぶみたいに続けた。
「あなたが“自覚のない未来予知”だという話、私は今どう処理するのが正解か分かりません」
俺は椅子に深く座り直し、短く返した。
「処理しなくていい」
「それができれば苦労しません」
相良が即答する。
「公にするのが正解だ、と言う人はいます。ですが自覚がないなら確証を得られない。確証がないなら政府は動けない。動けないなら“監視”に切り替える」
相良の口から“監視”が出た瞬間、空気が冷えた。
未来予知能力者本人は正体を隠したい。
政府は正体を把握したい。
この二つは、正面からぶつかる。
その衝突点に立たされるのは、俺だ。
相良は続けた。
「そして最悪なのが、国際情勢です」
相良の視線が一瞬だけ外れる。
「《未来予知》という名前が世界中に配られました。今後、“予知っぽい人間”は全員疑われます。あなたも例外ではありません」
分かってる。
分かってるから、腹が立つ。
俺は息を吐いて言った。
「だから俺は表に出ない」
「その“言い訳”がいつまで通じるか、です」
相良が静かに刺す。
言葉は柔らかいのに、切れ味は鋭い。
俺は一拍置いて、別の話を持ち出した。
「こんな時になんですけど」
相良の眉がわずかに上がる。
「優奈と旅行に行くので、1週間不在にします」
相良の顔が固まった。
「……今、このタイミングで?」
声が一段低い。
笑顔がない相良は、普通に怖い。
「取る」
俺は言い切った。
「夏休み中にやるべきことがある」
相良がこめかみを押さえたまま、深く息を吐く。
「結城さん……あなた、本気で言ってます?」
「本気だ」
「今、政府案件です」
「分かってる」
「EU案件です」
「分かってる」
「戦争案件です」
相良が言い切った。
俺は短く返す。
「分かってる。だから行く」
相良が黙った。
数秒、沈黙が流れる。
その沈黙の中で、相良は計算している。
俺が何をしに行くのか。
どれだけ危険なのか。
止めるべきか。
止められるのか。
相良は最後に、苦い声で言った。
「……どこへ?」
「東京郊外」
俺は答えた。
「神社」
相良の目が細くなる。
その一瞬だけで、相良が察したのが分かった。
「……“元凶”ですね」
「そうだ」
相良はゆっくり頷いた。
「分かりました。休みとして処理します」
“処理”。
「ただし条件があります」
「何」
「連絡は途切れさせないこと」
「……」
「位置情報は共有しない」
相良が言う。
「共有すれば政府に漏れる可能性があります。あなたの安全のためではなく、相手の安全のために」
俺は頷いた。
「分かった」
「それから」
相良が最後に言う。
「黒刀は持ち込まないでください」
「持ち込まない」
即答した。
あれは別の火種だ。
通話が切れる直前、相良がぽつりと言った。
「……死んで帰ってこないでください」
珍しく、感情が出た声だった。
「死なない」
俺は短く返して、通話を切った。
“旅行”という名目は、半分本当で半分嘘だ。
優奈にとっては、旅行だ。
少し遠出して、気分転換して、神社に行って、お守りでも買う――それだけでも十分旅行になる。
でも俺にとっては、決戦前の準備だ。
未来予知能力者は言った。
「会えば分かる」と。
巫女服の少女は、そこにいる。
近くに住んでいる。
だからこそ怖い。
いつでも会えたのに、十年間会わなかった。
会わなかった理由は一つだ。
怖かった。
それを、ようやく真正面から認めた。
認めたからには、逃げる理由はない。
優奈は荷物を抱えながら、駅のホームで明るい声を出した。
「結城くん!ほんとに旅行ですね!」
敬語に「!」が戻ってきている。
無理にでも明るくしようとしているのが分かる。
「旅行だ」
俺は短く答えた。
「……たぶん」
「たぶん!?」
優奈が即座に突っ込む。
そのツッコミが、ありがたい。
空気が少しだけ軽くなる。
電車に乗る。
東京の中心から外れるほど、景色が変わる。
ビルが減り、木が増え、空が広くなる。
“郊外”という言葉の中に、逃げ道がある気がして嫌だった。
逃げない。
今日は逃げない。
神社は、思っていたより静かだった。
鳥居。
砂利道。
苔むした石段。
手水舎の水音。
観光客もいる。
でも騒がしくない。
むしろ、みんな声を落として歩いている。
優奈が小声で言った。
「……落ち着きますね」
敬語のトーンが柔らかい。
俺は頷いた。
落ち着く。
落ち着きすぎて、怖い。
未来予知能力者は言った。
「会えば分かる」と。
つまり、探す必要はない。
向こうから来る。
俺は拝殿の前で立ち止まり、息を吐いた。
優奈も横に立つ。
何も言わない。
言えない。
数分。
風が葉を揺らす音だけが聞こえる。
そして、聞き慣れない軽い声が背後から落ちた。
「はろー」
日本語じゃない挨拶。
でも軽い。
軽すぎる。
振り返ると、巫女服の女性が数人、境内を歩いていた。
祭事の準備なのか、掃除なのか、仕事の途中のような雰囲気。
その中の一人が、こちらへ向かって手を振っている。
巫女服。
髪は長く、結ばれている。
笑い方が――あの頃と同じだ。
でも、目が違う。
目が、怒っている。
彼女は近づきながら、軽い声で言った。
「久しぶり」
そして、俺の名前を呼ぶみたいに口を動かしたが、音にはしなかった。
名を呼ぶ必要がない、とでも言うみたいに。
俺の喉が乾く。
手が勝手に震えそうになる。
息が詰まりそうになる。
俺は、震えそうな指を握りしめて抑えた。
「……おお。久々」
声が少しだけ掠れた。
「十年ぶり」
巫女服の少女――いや、少女じゃない。
もう同い年くらいに見える。
でも俺の中では、ずっと“少女”のままだ。
彼女は笑った。
笑っているのに、怒っている。
「なんだ。私と会いたくないわけじゃなかったんだ」
声が軽い。
「私にちょっと負けたくらいで顔見せなくなったから、もう戦うのやめたのかと思った」
優奈が息を呑む。
俺の隣で、小さく背筋を伸ばした。
俺は短く言った。
「……情報収集は俺の仕事だからな」
言い訳みたいな言葉。
でも、半分は本当だ。
巫女服の彼女は、笑いながら言った。
「へえ」
その笑いが刺さる。
「なのに女子高生ひとりで戦わせて、自分は軍師面してるの?」
優奈の肩がぴくりと動いた。
反射で言い返しそうになるのを、必死で抑えている。
巫女服の彼女は続ける。
「本ッ当、笑える」
笑っていない目で言う。
「安定して勝てる攻略法、偉くガチで考えてるけど。そんな面倒なことするなら自分でやればいいのに」
俺の中で、何かが熱くなった。
手の震えが戻ってくる。
息が詰まる。
声が上手く出ない。
――まただ。
16話の時と同じ。
切れそうで、切れない。
切れたら負ける。
切れたら、十年前に戻る。
巫女服の彼女は、最後に小さく付け足す。
「結果やることがそれ?」
首を傾げる。
「たった一回、ボス討伐記録と、PvPで私に負けたくらいでさ」
優奈が思わず声を出した。
「PvP……?」
でもすぐ口を押さえる。
言ってはいけない、という直感が働いた。
俺は震える声を抑えながら言った。
「なあ」
喉が痛い。
「なんでそんなに怒ってんだ? 落ち着けよ」
巫女服の彼女は、笑いが消えた。
目だけが残った。
俺は続けた。
自分でも、言葉が危ないのが分かる。
でも、止まれない。
「お前にとって所詮他人事だろ」
……言ってしまった。
言った瞬間、世界が静かになった気がした。
鳥の声も、風の音も、遠くなる。
巫女服の彼女は、小さな声で言った。
「……他人事?」
その声が、逆に怖い。
彼女は一歩だけ近づき、囁くように言った。
「……したくせに」
優奈が目を見開く。
俺も目を見開く。
彼女の声が、少しずつ強くなる。
「約束したくせに!」
怒りが、ようやく形になる。
「強くなる手伝いするって!多少なら教えられるって!」
俺の頭が真っ白になる。
(……約束?)
そんな約束をした記憶は、ある。
あるはずだ。
でも、その“重さ”を俺は十年間、忘れたふりをしてきた。
彼女の目が、痛い。
「なんで……」
声が震える。怒りと悲しみが混ざった震え。
「なんで、いなくなったの」
――想像と違う。
俺が想像していたのは、余裕で俺を嘲笑う化け物だった。
でも目の前にいるのは、“裏切られた”顔をしている。
俺の中で混乱が暴れる。
そして、その混乱が俺を救った。
切れそうだった怒りが、混乱にすり替わる。
「……」
息が詰まる。
喉が乾く。
でも、声は出さないと終わらない。
俺はゆっくり言った。
「……なら」
声が掠れる。
「勝負で決めよう」
優奈が「えっ」と声を漏らす。
巫女服の彼女も、一瞬だけ動きを止めた。
俺は続けた。
言葉が短くなる。
短くなるほど、本音に近づく。
「俺はまともに戦うの、何年ぶりか分からない」
息を吸って吐く。
「情報収集しかしてない」
彼女の目が揺れる。
揺れても怒りは消えない。
俺は言い切った。
「お前が勝てば、お前の要求を可能な限り聞き入れる」
そして、続ける。
「俺が勝てば――」
喉が詰まる。
言うのが怖い。
でも言わないと、この十年は終わらない。
「俺に負けを認めて」
息が痛い。
「そして――俺のクランに入ってくれ」
言った瞬間、巫女服の彼女の怒りが一瞬だけ止まった。
「……え?」
混乱の声。
それだけ?という顔。
「それだけ?」
彼女が本当に言った。
怒りが一瞬だけ迷子になる。
優奈が慌てて言う。
「だ、大丈夫ですか!?ユウマさん!」
敬語が崩れている。
「まともに戦えないなら、日を改めたり……!」
俺は首を振った。
「今やる」
短く。
逃げないために短く。
巫女服の彼女は、まだ混乱している。
でも目の奥に、別の光が宿る。
――戦いの光。
「……いいよ」
彼女が言った。
怒りのままじゃない。
どこか、懐かしい声。
「ダンジョンで」
彼女は笑った。
「あなた、そういうの好きだったでしょ?」
その一言が、胸に刺さった。
好きだった。
戦うのが楽しくて好きだった。
勝つために考えるのが好きだった。
生き残る手順を作るのが好きだった。
なのに、俺は降りた。
降りて、軍師をやっている。
彼女の怒りは、そこに向いている。
優奈が小さく言った。
「……結城くん……」
俺の名前を呼ぶ声。
怖がっている。
でも、止めない。
俺は息を吐いて言った。
「……行くぞ」
神社から少し離れた場所に、ダンジョンの入口があった。
都市部の入口とは違う。
警備も少ない。
その分、空気が生々しい。
俺は入口の前に立ち、手を握った。
震えが来る。
息が詰まる。
声が出ない。
でも、今日は逃げない。
「……一回限りだ」
俺は巫女服の彼女を見て言った。
「勝負をしよう」
彼女は笑って頷いた。
「いいよ」
優奈が息を吸う音が聞こえた。
怖いのに、立っている。
それが優奈だ。
俺は目を閉じて、カウントを始めた。
「5」
心臓が跳ねる。
「4」
息が痛い。
「3」
指先の震えが増す。
「2」
声が掠れる。
「……1」
裂け目が光った。
「スタート」
勝負開始の合図が、鳴った。
(つづく)




