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第36話(前半) 環境魔力は“毒”だ

 フランスのパーティがムカデボスを沈めた瞬間、英国の空気が一度だけ“明るく”なった。


 歓声じゃない。

 ざわめきでもない。


 「生きて帰ってきた」――その事実に、人が安心しただけの音。


 英国では、それだけで価値がある。

 だからこそ、俺は逆に背筋が冷えた。


(……あの勝ち方は、綺麗すぎる)


 土魔法の棘で雑魚を面で刈り、硬度と回転で大型を一撃。

 床罠には低すぎる歩道橋。

 毒霧は浄化、被ダメは保護。

 そして、疲労しきった魔法使いが、いつの間にか“満タン”みたいな顔で前を向いていた。


 いちばん不自然なのは――そこだ。


 魔力は回復薬みたいに増えない。

 増えるなら代償がある。

 代償がない増え方は、政治案件になる。


 俺の視線の先で、フランスのシスターが微笑んでいた。

 俺に「yuma」だと突き止めてきた、あの女だ。


 優奈が小声で言った。


「結城くん……フランス、ずるいです……」

 “ずるい”は羨望と恐怖の混ざった言葉だった。


「ずるいんじゃない」

 俺は短く返した。

「代償を隠してるだけだ」


 アメリアが、珍しく真顔のまま頷いた。


「ユウマ、あれ……危ない匂い、デス」

 魔力感知が鋭いアメリアは、匂いで分かる。

 俺は匂いじゃなく“論理”で分かる。


 魔力の返却量が、貸した量より多い。

 そんなものは、ただ一つしかない。


(外から引っ張ってる)


 どこから?

 答えは、ここだ。


 ダンジョン。


 環境魔力。


 英国の指揮所の奥――“国際交流”用に用意された簡易のミーティングスペースに通された。


 救急班が動き、各国の担当が短い報告を交わす。

 表向きは国際交流。

 実態は、政治と契約とログの山だ。


 俺はできるだけ表情を動かさず、フランスパーティの様子を観察した。


 土魔法使いは、戦闘直後なのに息が整っている。

 さっきまで“魔力切れになりかけてた”はずなのに、今は肩が軽い。

 魔法使い二人も、疲労の波が引いている。


 そして、シスター二人だけが――最初から最後まで平然としている。


(あり得ない)


 回復役は、普通いちばん消耗する。

 浄化も保護も、燃費が重い。

 即時回復ヒールは特にそうだ。

 回復のたびに“対価”を支払い、HPを戻す。

 命は救うが、欠損は残る。

 燃費が重いから、回復役は削れる。


 削れない回復役は、回復役じゃない。


 ――支配者だ。


 俺はシスターの方へ歩いた。

 相手はすでに、俺が来るのを待っている顔をしている。


「さっきの」

 俺は単刀直入に切り込む。

「魔力を渡したな」


 シスターは驚かない。

 驚かないまま、曖昧に笑った。


「“渡した”というより、支えただけです」

 言葉が巧妙だ。

 嘘は言っていない。

 でも真実も言っていない。


 俺は続けた。


「返ってきた量が多かった」

 笑顔が、ほんの一瞬だけ薄くなる。

 反応が出た。図星だ。


 シスターは穏やかに言った。


「見ていましたね、yumaさん」

 その呼び方が腹立つ。

 名義に人格を付けるな。


 俺は質問を変えた。


「環境魔力を混ぜたな」

 シスターは、今度は首を傾げた。


「環境魔力?」

 演技じゃない。

 この反応は――“本人は操作していない”反応だ。


 俺の中で、仮説が形になる。


(シスター本人は環境魔力を操れない)

(だが、魔力の受け渡しができる)

(魔力量が異常に多い)

(だから、環境適性の高い味方に魔力を渡し、配合させた)


 配合。

 自前魔力と環境魔力の割合。


 その“安全圏”は、決まっている。


 俺は、シスターではなく土魔法使いの方を見た。

 土は環境と相性が良い。

 地面に触れる魔法は、環境魔力を引っ張りやすい。


 そして――土魔法使いの目の奥に、薄い影があるのに気づく。


 疲労じゃない。

 別種の揺らぎ。


(……魔力酔い)


 環境魔力は“毒”でもある。

 混ぜるほど強くなるが、混ぜすぎると体が拒絶する。


 症状は病気に似る。

 吐き気、悪寒、指先の痺れ、視界の滲み、思考の鈍化。

 戦闘中に出たら終わりだ。


 だから、誰もやらない。

 危険だから。

 “あまり使われない”のが普通だ。


 俺は確信に近い推測を口にした。


「割合は七対三が限界だ」

 自前魔力:環境魔力。

「それ以上は、病気みたいな症状が出る。お前たちは、そこを踏まないギリギリで回してる」


 土魔法使いが、ほんの僅かに眉を動かした。

 当たっている。


 シスターは、微笑んだまま一歩も退かない。


「あなたは知識が深い」

 褒めているふりで、牽制している。


 俺は言葉を重くする。


「環境魔力は毒だ」

「毒……」

 優奈が横で小さく呟いた。

 “毒霧”じゃない。概念としての毒だ。


 アメリアが、背筋を伸ばして言う。


「ユウマ、じゃあ……増えたように見えたのは……」

「環境の分が上乗せされただけだ」

 俺は短く答えた。

「永久機関じゃない。外から引っ張ってる。だから多くなって返ってくるように見える」


 ここまで言って、俺はもう一つの異常に辿り着く。


(それでもおかしい)


 環境魔力を混ぜる技術は、“理屈”としては存在する。

 だが、魔力そのものを他人へ渡す魔法は――俺の知識にはない。


 十年前。

 最初のダンジョンが隠蔽されていた頃。

 シュウたちが命を削っていた頃。


 あの頃、そんな魔法の話は一度も聞いたことがない。


(……10年前は、存在しなかった?)

(それとも、存在していたが隠されていた?)

(あるいは、欧州だけの系統?)


 どれでも、結論は同じだ。


 危険。

 そして政治案件。


 俺はシスターに低い声で聞いた。


「その受け渡しの魔法、名前は」

 シスターは、少しだけ首を傾げて笑った。


「今ここで、名前を言う必要がありますか?」

 答えない。

 答えない時点で、答えだ。


 優奈が不安そうに言った。


「……結城くん。これ、英国に共有しちゃダメなやつですか?」

「ダメだ」

 俺は即答した。

「EU内でも扱いが政治案件になる。英国に渡したら、戦争の火種になる」


 アメリアが、珍しく強い口調で言った。


「それ、ログに残したら終わりデス」

「残さない」

 俺は頷いた。

「少なくとも、英国共有ログには残さない」


 だが――問題はもう一つある。


 英国側へ共有されるログは、すでに“国際交流枠”でEU内に回っている。

 つまり、情報の流れは止められない。

 俺が口を滑らせた瞬間、その言葉は英国の外へ出る。


 俺は一度だけ深呼吸した。

 相良が頭の中で言う。


――言葉は刃だ。

――国境を越える。


 俺は、刃を鞘に戻すように言った。


「俺は今の現象を“確認した”だけだ」

 シスターを見る。

「それ以上は、ここでは言わない」


 シスターは微笑んだ。


「賢明です」

 その一言が、腹立たしいほど正しい。


 そして、その直後。


 土魔法使いが、ほんの少しだけ膝を折った。

 倒れるほどじゃない。

 だが、体勢が一瞬崩れる。


 周囲のフランスパーティがすぐに支える。

 シスターが手を添える。

 浄化とも回復とも違う、短い処置。


 土魔法使いは立ち直る。

 だが、顔色はわずかに白い。


(……やっぱりだ)


 環境魔力の割合が高い。

 七対三の限界に近い。

 踏み外したら、戦闘中に“病気”が出る。


 それを、フランスは“運用”で管理している。

 管理できるから強い。

 管理できるから死なない。


 でも、管理を真似した国は――たぶん死ぬ。


 俺は優奈にだけ聞こえる声で言った。


「覚えとけ。環境魔力は便利に見えて毒だ」

「……はい」

 優奈が頷く。

 怖がっている。

 でも目を逸らさない。


 アメリアが小声で言った。


「ユウマ……これ、イギリスに合うデス?」

「合わない」

 俺は即答した。

「英国は“殺意が高い”。毒の運用は、失敗した瞬間に死ぬ」


 そして、心の中で付け足す。


(だから、英国は回復を欲しがる)

(だから、英国は魔力の技術を欲しがる)

(だから――政治になる)


 俺は端末を取り出した。

 相良へ送るべき内容を頭の中で整形する。


 「EU政治案件」

 「環境魔力=毒」

 「7:3が限界」

 「シスターは混ぜてない。渡している」

 「受け渡し魔法は10年前の分類にない」


 書いた瞬間に刃になる。

 だから言葉を削る。

 危険な部分は暗号化する。

 それでも、記録は必要だ。

 記録しないと、次に守れない。


 ――その時だった。


 周囲のざわめきが、急に薄くなった。


 音が、遠くなる。


 人の動きが、ほんの一瞬だけ止まる。


 俺は顔を上げた。


(……何だ?)


 次の瞬間に何が起きるのかは、まだ分からない。

 だが“何か”が起きる直前の空気だけは、嫌というほど分かった。


 英国のダンジョンが見せる殺意とは違う。

 もっと大きい。

 もっと広い。


 世界そのものが息を止めたみたいな――異常な静けさ。


(つづく)

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