第27話 番外編――イギリス一階層単独攻略(優奈視点)
――落ち着け、空下優奈。
結城くんの声が頭の中で反響する。
今はインカムを叩いても、何も返ってこない。電波が死んでるのか、距離が離れすぎてるのか、そもそもこのダンジョンが通信を殺してるのか――分からない。
でも、分からないことを数え始めたら、足が止まる。
(まずは生き残る)
(無理に探さない)
(安全な場所で待つ)
(宝箱は開けない)
飛行機の中で、結城くんが何度も繰り返したルール。
英国ダンジョンは“床”で殺しに来る。
だから、足元と壁沿い、そして急がない。
急がない、って言っても……心臓だけは勝手に急いでる。
「……っ」
吐き気がするほど静かな通路。
湿った石壁。
足音だけが響く。
その足音すら、できるだけ小さくしたいのに、靴底が濡れていて、ペタッと嫌な音が出る。
そして、出た。
アンデッド。
骨と皮だけみたいな影が、ぬるりと曲がり角から現れた。
眼窩は空っぽなのに、こっちを“見てる”感じだけはある。
怖い。怖いけど……結城くんの説明を思い出せ。
(物理に弱い)
(防御が低い)
(でも、時間が経つと回復する)
(だから、迷わず倒す)
刀を構える。踏み込みすぎない。
《延長(斬撃)》は最小。
近づくほど危険なのは、相手がアンデッドでも変わらない。
――斬る。
届かない距離のアンデッドが、崩れるように倒れた。
骨がカタカタと床に散らばって、動きが止まる。
「……よし」
声が出てしまった。
慌てて口を押さえる。
(声は敵を呼ぶ)
(呼ぶのは敵だけじゃない。罠も呼ぶ)
怖い。
でも……倒せる。
倒せると分かっただけで、指先の震えがほんの少しだけマシになる。
歩く。壁沿い。
足元を見る。床の色の違いを見る。
湿った石の上に、妙に乾いた線が一本走っている。
(……これは踏んだらだめなやつ)
結城くんがいないと、答え合わせができない。
でも“違和感”は、いつも結城くんが拾ってくれていたものだ。
なら、自分でも拾えるはず。
慎重に迂回しようとして――
ズルッ、と足が滑った。
視界が一瞬で落ちる。
床が消える感覚。胃が浮く。
「……っ!?」
落とし穴。
咄嗟に《発射(自身)》を発動した。
体が前に跳ぶ。空中で体勢を戻す暇がない。
でも今は戻すんじゃない。戻るより先に、止まる場所を作れ。
着地――ギリギリで縁に手がかかる。
膝が石にぶつかって、痛い。
「……っ、いた……」
声が漏れた。
泣きそうになるのを飲み込む。
(落ちたら終わってた)
(でも、発射で戻れた)
(戻れたってことは、次も戻れる)
……いや、次がある前提で考えるのは嫌。
でも英国ダンジョンは、そういう国だ。
“次がある”前提で殺しに来る。
呼吸。
吸って、吐いて、もう一回吸う。
歩く。
またアンデッド。最小斬撃で処理。
床の違和感を踏まない。
宝箱らしき木箱が見えた。
心臓が跳ねた。
(……宝箱)
開けたい。
ほんの一瞬だけ、開けたい。
でも、その欲が死を呼ぶ。
「……スルーします!」
自分に言い聞かせるみたいに小声で言って、通り過ぎた。
その直後、遠くで“ガシャリ”という音がした。
誰かが開けた音。
続けて、鈍い衝撃音。
悲鳴は聞こえない。
聞こえないからこそ、怖い。
(……開けた人、帰れてるのかな)
考えるな。
考えると足が止まる。
――そして二回目。
落とし穴は、ちゃんと二回目が来た。
今度は床の色が同じで、境目が分からない。
足が沈む感覚が一瞬遅れて来る。
「うわっ……!」
落ちる。
落ちると思った瞬間、体が勝手に《発射(自身)》を選んでいた。
前へ跳ぶ。
着地。
今度はちゃんと膝を曲げて、衝撃を逃がす。
(学習してるの、私だって同じです!)
……でも、汗が止まらない。
魔力が減るのも怖い。
《発射(自身)》は便利だけど、使うほど魔力が溶ける。
だけど――。
(厄介と言えば厄介だけど)
(魔力さえあれば、割と何とかなる)
思ってしまった。
思った瞬間、自分が少し怖い。
だってこれ、“余裕”じゃない。
魔力という命綱を握ってるだけだ。
命綱が切れた瞬間、ここは終わる。
でも逆に言えば――命綱があるうちは、理不尽を踏み越えられる。
感圧板らしい、妙に平らな石もあった。
床の一枚だけ、汚れ方が違う。
周囲の石より少しだけ新しい。
(踏んだら死ぬやつ)
結城くんがいなくても分かる。
分かるのは、結城くんが今まで何度も「違和感を見ろ」って言ってくれていたからだ。
宝箱は開けない。
変な床は踏まない。
走らない。
角は慎重に曲がる。
壁沿いに進む。
敵は最小斬撃で処理。
魔力は温存。
事前にルールを決めれば回避できる初見殺しは、確かにある。
なら――残るのはボスだけだ。
(アメリアさんが攻略できたのも、納得できます)
アメリアさんは魔力が多い。
炎も氷もある。
そして何より、英国の地獄を知っている。
“死ぬ前提”のダンジョンの空気を知っている。
私は……まだそこまでじゃない。
でも、ルールは持ってる。
型は持ってる。
結城くんがくれた型で、生き残っている。
――だから、進む。
――アメリア視点。
扉をくぐった瞬間に、世界が切れた。
足元が消えて、白くなって、音が消えて、次に見えたのは暗い通路。
ユウマと優奈、いない。
通信、繋がらない。
「……え?」
心臓が一拍遅れて跳ねた。
(このダンジョン、一階層にランダム転移なんてあったんだ……!?)
そんな話、聞いたことない。
資料にも、クランの報告にも、確率表にも載ってない。
アメリアは眉を寄せて考える。
(おそらく……ランダム転移したパーティは、生きて帰らない)
(だから広まらなかったのだろう)
英国では、そういうことが起きる。
“情報がない”のは、誰も持ち帰れなかったから。
死んで終わるから。
アメリアは杖を握り直す。
自分はどうにかできる。魔力がある。炎も氷もある。
力押しでも、生き残れる。
でも――。
(優奈さん、大丈夫かな……)
優奈は強い。
でも強さの種類が違う。
英国の殺意に慣れていない。
ルールと型を持っているのは分かる。
だけど、想定外が来た時の“割り切り”は、英国で磨かれる。
アメリアは深呼吸を一回だけして、歩き出した。
(まず、生きる)
(そして合流)
それが、英国の基本だ。
――優奈視点に戻る。
気づけば、通路の空気が少しだけ違っていた。
湿り気が薄い。
水滴の音が遠い。
そして、壁に小さな灯りがある。
「……あれ?」
曲がり角を曲がると、そこには“リラックスエリア”みたいな空間があった。
暖かい。
床が乾いている。
壁際に簡易ベンチ。
そして、中央に小さな光――焚き火みたいな、でも火じゃない光源が揺れている。
(……休憩ポイント?)
英国ダンジョンにも、こういう“優しさ”があるんだ。
そう思った瞬間、逆に怖くなる。
(優しさの後に、殺意が来るやつ)
でも、今は休むべきだ。
心臓が速い。
汗が冷えて、指先が震える。
私はベンチに座り込み、頭を抱えた。
「……結城くん……」
名前が漏れる。
涙は出ない。出したら戻れなくなる。
深呼吸をして、端末の地図アプリ……じゃない。
ダンジョン用の簡易マップ機能を開く。
――そして、固まった。
「……え?」
矢印が、入口と逆を向いている。
「……まさか……」
指が震える。
画面を拡大して、もう一度見る。
「逆方向に進んでた……!?」
入り口に戻って帰るつもりだった。
結城くんとアメリアさんに合流するつもりだった。
なのに、私は“奥”へ進んでいた。
しかも、ボス部屋の手前まで来ている。
笑えない。
でも、笑うしかないほどひどい。
「……どうしよう……」
戻る?
今来た道を全部戻る?
落とし穴二回。感圧板。岩。宝箱。アンデッド。
同じ道を戻るのは、危険が増える。
罠は“慣れた頃”に刺してくる。
戻る途中で魔力が枯れたら終わる。
そして、何より――。
(このまま戻ったら、心配かける)
結城くんは、絶対に探しに来る。
アメリアさんも、たぶん探しに来る。
探してくれたら嬉しい。
でも、探す行為そのものが危険だ。
英国のダンジョンで“探す”は、死にに行く行為になることがある。
私はベンチから立ち上がった。
(こうなったら、やることは一つ)
ボスを倒す。
階層をクリアすれば、入口に戻れる。
英国の仕様はまだ全部分からないけど、少なくとも“クリア報酬で帰還”はある。
アメリアさんの配信でも、扉が開いて戻っていた。
なら、今ここでやるべきは、迷って戻ることじゃない。
――さっさとクリアして戻ること。
怖い。
でも、怖いからこそ、最短で終わらせる。
私は端末を取り出した。
配信アプリを開く。
指が震える。
でも、配信は“記録”でもある。
生きて帰るための記録。
迷った時に自分を保つための記録。
(番外編なら、台本はない)
台本はない。
でも、ルールはある。
危険情報は言わない。
宝箱の位置も言わない。
具体的な罠の仕組みも言わない。
私は生き残るだけ。
端末を、ボス部屋の扉の前に設置した。
角度を調整する。
手が震えて、何度かやり直す。
「……よし」
深呼吸を一回。
いつもの開始の言葉。
明るく、でも、明るすぎないように。
配信開始。
「こんにちは!空下優奈です!」
声が少し裏返った。
でも言い切る。
「今回は番外編――イギリスダンジョン単独攻略です!」
コメントが一気に流れる。
『え!?』
『単独!?』
『英国!?』
『今どこ!?』
『大丈夫!?』
『yumaいないの!?』
私は、勢いのまま言ってしまう。
「しかも!yumaさんの協力なし!」
言った瞬間、心臓が跳ねた。
(やばい、言った……)
でも今さら戻れない。
「電撃的初見攻略!やってみます!」
笑顔を作る。
怖いのに、笑顔を作る。
いつも通りだ。
「安全第一です!無理はしません!危なかったら撤退もします!」
撤退――と言った瞬間、自分で思う。
ここで撤退したら、戻る地獄がある。
だから、撤退は“最後の最後”だ。
扉の向こうから、低い音がした。
……何かが、動いた音。
空気が変わる。
さっきまでの通路の空気じゃない。
重い。
湿った鉄の匂いが混じっている。
私は刀の柄を握り、もう一度深呼吸した。
「……行きます!」
声に「!」を付ける。
付けないと、足が止まる。
ボス部屋の扉に手をかける。
そして、開けた。
(つづく)




