第25話 慣れろ、何回目だ――そして英国の夏休み
七月の初旬。
梅雨の湿気がまだ残っているのに、校舎の空気はどこか“夏休みの匂い”を先取りしていた。
――もうすぐ夏休み。
その言葉だけで、普通なら少しだけ気が軽くなる。
普通なら。
俺が教室のドアを開けた瞬間、空気が一拍止まり、次の瞬間にざわめきが走った。
「三層、やばすぎだろ」
「鎧付きだったってマジ?」
「数分で終わったらしいぞ」
「しかも途中からだったのに、圧倒的だったって」
「いや途中からとか関係ないだろ、あの勝ち方」
――ああ、今日もか。
席に着く前から、すでに噂の中心に置かれている感覚。
慣れない。慣れるわけがない。
でも、同じ下りを何度もやっているのは事実だった。
(いい加減慣れろよ。何回目だよ、この下り)
心の中で自分に毒づきながら、俺はいつもの顔を作って席に座った。
教科書を開いて、授業を受ける。
“普通”のふりをする。
――無駄だ。
教室のあちこちで、スマホの画面が光っているのが分かる。
優奈の三階層ボス討伐。
切り抜き。
コメント。
そして、今回は妙な方向に噂がねじれていた。
「てか、yumaの作戦なしで勝った説あるよな」
「わかる。配信でyuma、明らかに慌ててたし」
「途中からの鎧見て『やばい出直す』みたいな雰囲気だったのにさ」
「優奈が『大丈夫です!行けます!』で押し切って、そのまま勝った」
……最悪の褒められ方だ。
優奈が強い、という事実が広まるのはいい。
でもその反動で「yuma=大したことない」みたいな空気が出ると、次に起きるのは決まっている。
“じゃあyumaは何者なんだ”が、また燃える。
しかも学校は、そういう燃え方を楽しむ。
安全圏から石を投げる遊びが、いちばん盛り上がる。
チャイムが鳴り、授業が始まっても、視線は消えなかった。
俺はノートを取りながら、ひたすら心を無にする。
(今日はクランの打ち合わせがある)
(そこでまた面倒が増える)
確信に近い予感が、ずっと頭の隅で鳴っていた。
放課後。
校門を出ると、空気が少しだけ軽くなる。
軽くなるだけで、自由じゃない。
クラン施設の会議室に入ると、相良がいつもの笑顔で待っていた。
笑顔なのに圧がある。
それだけで、今日の用件が重いと分かる。
「お疲れさまです、結城さん」
「用件は」
「はい。まずは、こちらをご覧ください」
相良がモニターを点ける。
そこに映ったのは英語の文面――英国の有名クランのロゴと、正式な依頼書だった。
『Request: Operational Tuning for UK Dungeon Runs(Summer Intensive)』
相良が要点を噛み砕く。
「英国より依頼です。夏休み期間、現地ダンジョンに同行し、パーティが“安定して勝てるようになるまで”運用協力をしてほしい」
俺は反射で言った。
「無理」
早すぎる即答。
でも、遅い即答をしたら飲まされるのが目に見えている。
「貴重な夏休みをそんな面倒ごとに費やしたくない」
口に出した瞬間、自分でも子供みたいな言い分だと分かった。
でも、子供でいい。高校生なんだから。
相良は笑顔を崩さない。
「反対は想定しています」
淡々と言う。
「ですが、依頼内容が“面倒ごと”であることも事実です。だからこそ、報酬は破格です」
相良が端末を操作し、数字を映した。
――桁が一つ違う。
俺の喉が鳴った。
「……ふざけてるのか」
「ふざけていません」
相良は笑顔のまま即答する。
「英国側は本気です。理由は単純。英国のダンジョンは“配信殺し”だからです」
相良が続ける。
「ゲームで言うソウルシリーズのような方向性の悪質さ。初見殺し、床罠偏重、理不尽な視界、学習のための死が前提」
「……」
「結果、配信者が死に続ける。母数が育たない。戦力が底上げされない」
俺は嫌な予感の正体を口にする。
「だから“日本式”が欲しい」
「はい」
相良は頷いた。
「日本で型を作れたのは分かった。次は“UKの悪質さ”に合わせて型をチューニングしてほしい――という依頼です」
……そう来る。
机上の理屈じゃ足りない。
現場の空気、床の癖、罠の作動タイミング。
それらを見て“運用”を作り直せ、と。
相良はさらに言う。
「アメリアさんが順調なのが、結城さんにとって悪い方向に働きました」
笑顔のまま、容赦のない事実。
「『一人を強くできるなら、パーティも強くできるだろう』と判断された」
俺は思わず机を指で叩いた。
「無茶言うな」
「英国側から見れば、無茶ではありません」
相良は淡々と返す。
「彼らにとって“死者が減る可能性”は、それだけで投資対象です」
……投資。
俺は商品じゃない。
でも“yuma”という名義は、もう商品扱いされている。
俺は息を吐き、条件を確認する。
「俺は戦わない」
「承知しています」
相良は頷く。
「求められているのは“対ダンジョンの戦略担当”としての協力です。判断、導線、撤退基準、役割分担、初見殺しの回避ルール」
俺はすぐ釘を刺す。
「危険情報は教えない。再現性の高い手順は出さない。A以上の話も出さない」
「承知しています」
相良は笑顔で答える。
「その代わり、ログ提出があります」
相良が続けた。
「今回のログは、英国側にも共有されます」
笑顔のままの圧。
「あなたの指示、現場判断、撤退基準の根拠。すべて記録し、英国クランへ提出する契約です」
――首輪が、国境を越える。
俺は嫌な汗を感じながら言った。
「勝手に編集して、都合のいい英雄譚にするなよ」
「しません」
相良は即答した。
「むしろ逆です。英雄譚は危険です。再現しようとして死にます。共有するのは“安全運用の型”のみ」
そこは納得できる。
でも、共有先が英国というだけで胃が痛い。
「で、俺だけ行けばいいんだろ」
俺は投げやりに言った。
すると相良が首を横に振った。
「英国側は当初、『yumaだけ来い』と言いました」
相良の笑顔が少しだけ冷たくなる。
「ですが、それは危険すぎるので拒否しました。管理コストが跳ね上がります」
管理コスト。
つまり、護衛と監視と事故対応の費用と責任が爆増する、ということだ。
「結城さん一人を現地に出すのは、クランとして割に合いません」
相良は淡々と続ける。
「あなたは“表に出ない”という条件を持っている。現地で身元が揺らげば、取り返しがつかない」
俺は舌打ちしたくなった。
でも、正論だ。
「だから同行者が必要です」
相良が言う。
「現地で動ける戦力、そして“看板”」
看板。
その言葉だけで、誰の名前が出るか分かる。
「……優奈か」
「はい」
相良が頷く。
「空下さんは曲がりなりにも単独で攻略できる実力がある。最低限、まともに戦えるパーティを育成するには、現地で“動ける人材”が必要です」
つまり、俺が戦えない以上、現場の安全を担保する人間がいる。
そしてもう一つ、重要な意味がある。
優奈が前に立てば、yumaは後ろに隠れられる。
相良は最後に、さらっと恐ろしい要求を口にした。
「できれば、アメリアさんクラスを量産してほしい――英国側はそう言っています」
「無理だ」
俺は即答した。
「魔力量も才能も違う。量産できるもんじゃない」
「もちろん、“量産”は期待値の話です」
相良は笑顔で言う。
「ただ彼らは本気で戦力の底上げを望んでいる。だから報酬が破格です」
報酬。
またその話に戻る。
俺は、父親がいない。
その穴は、想像以上に生活の隅々に刺さってくる。
制服、教材、交通費、食費。
“困らない”ふりはできても、“困っていない”にはならない。
(……金は、あればあるほど助かる)
それが現実だ。
相良が畳みかけるように言った。
「夏休みの期間は限られています。英国側が求める成果も明確です」
スライドが映る。
『目標:UKダンジョンでのパーティ生存率改善』
『期間:夏休み内(短期集中)』
『範囲:安全運用の型のチューニング/危険情報は除外』
『提出:ログ共有(UK側)』
俺は額を押さえたくなるのをこらえた。
「……行かないって言ったら?」
相良が笑顔で言う。
「別ルートで情報を取りに来ます」
脅しじゃない。予告だ。
「結城さんの管理外で。クランの管理外で。――それが一番危険です」
俺は黙った。
つまり、断っても終わらない。
受けて枠に入れた方が、まだ安全、ということだ。
相良は最後に、淡々とまとめた。
「結城さん。あなたに求められているのは“戦略担当としての協力”です」
「……」
「あなたの条件――表舞台に出ない、危険情報は除外、安全運用のみ――は守ります」
「……」
「その代わり、英国の悪質さに合わせて型をチューニングしてほしい。ログは共有。同行者は必要。だから空下さんを連れて行く」
逃げ道がない。
いつも通りだ。
俺は長く息を吐いて、言った。
「……優奈に、話すのは俺か」
「はい」
相良が笑顔で頷く。
「あなたが言う方が、空下さんは逃げません」
最悪の信頼だ。
相良が最後に、さらっと付け足した。
「なお、英国側との契約書案は本日中に送ります」
そして笑顔のまま釘を刺す。
「ログ共有条項は必ず読み込んでください。あなたの言葉は、国境を越えます」
――言葉は刃。
今度は、海外に向けて振るう刃だ。
クラン施設を出る頃には、外はもう薄暗かった。
夏の夕方は長いのに、今日はやけに短く感じる。
スマホが震えた。
優奈からだ。
『結城くん!今日、放課後作戦会議できそうですか!?』
俺は画面を見つめたまま、数秒固まった。
どう言う?
「夏休み、イギリス行くぞ」って?
……ふざけるな。
俺が一番言いたい。
でも、言わなきゃ進まない。
俺は短く返した。
『できる。あと、夏休みの予定が変わる』
送信して、胸の奥で思う。
英国の悪質さに合わせて型をチューニング。
ログは英国に共有。
優奈も連れて行く。
また“枠”が増える。
増えた枠の中で、俺はどこまで踏ん張れる?
――夏休みは、休みじゃなくなる。
(つづく)




