第24話 鎧のキングオークと、首だけを削る戦い
第三階層の空気は、第二階層より軽い――はずだった。
通路の匂いも、湿り気も、敵の圧も。
雑魚は弱い。だからこそ、油断しやすい。
けれど今日の俺は、入口の罅割れをくぐった瞬間から落ち着かなかった。
(……嫌な感じがする)
理由は一つ。
第三階層のボス、キングオークは「点」で倒せない。
軽い傷は勝手に塞がる。
速度も筋肉もある。
そして、条件が揃うと――“装備”まで変わる。
優奈は、配信の開始ボタンを押す前に深呼吸した。
台本通り。いつも通り。怖いまま、いつも通り。
画面の右上に注意書きが出る。
『※当配信はクラン監修のもと、安全管理を実施しています』
『※危険情報・推測断定・個人特定につながる投稿は禁止です』
『※運用監修:外部顧問 yuma(個人情報非公開)』
名義だけの“yuma”が、今日も静かに視聴者の神経を逆撫でする。
「みなさん、こんにちは!空下優奈です!今日は――第三階層のボスに挑戦します!」
声は明るい。
でも「!」の裏側に、ちゃんと怖さがある。
『きた三層』
『二層よりボスやばいって聞いた』
『点ダメ無効ってマジ?』
『yuma見てる?(違)』
『※推測断定禁止って怒られるやつ』
モデレーターが即座に流す。
『※推測の断定は禁止です』
『※危険情報につながる質問には回答できません』
優奈は笑顔のまま言い切った。
「安全第一でいきます!無理はしません!撤退も選びます!」
俺はインカム越しに短く言う。
「行けるか」
『はい!行けます!』
いい。返事に「!」がある。
第三階層の雑魚は、確かに弱かった。
オーク……と呼ぶには小柄な個体が数体。
動きも遅い。攻撃も単調。
優奈は《発射(自身)》の速度を上げず、丁寧に距離を作り、必要最小限の《延長(斬撃)》でまとめて処理した。
無駄撃ちしない。
焦らない。
――ここまでは完璧だ。
「順調です!まだ余裕あります!」
配信用の言葉は台本の範囲。
でも息は乱れていない。
問題は、ボス部屋だ。
ボス部屋へ向かう通路の角を曲がった時、優奈が足を止めた。
「……えっ」
視界の先――ボス部屋の扉が、開いていた。
そして、中から“誰か”が出てくる。
六人。
パーティー最大人数ぴったり。
全員、息が荒い。
装備が擦れている。
片腕に包帯。
そして、誰もこちらを見ていないふりをしている。
――撤退直後のパーティー。
『え、他パーティいる?』
『先約?』
『ボスやってた?』
『配信に映ったw』
優奈が慌てて、台本の万能ワードを口にする。
「えっと!安全のため、少し整理します!」
つまり、映さない。話題にしない。
俺はインカムで言った。
「優奈、待て」
『はいっ』
撤退直後。
普通ならボスはリセットされる。
パーティーが出たら、ボスは“最初から”になる。
それが基本だ。
だが――日本のダンジョンは、ときどき“ぬるい”。
(……救済措置)
条件が揃うと、次のパーティーが“途中状態”で再開できる例外がある。
長時間の戦闘。
撤退直後。
そして、ボスが自己回復できる余地。
俺は、目の前の六人を見て確信した。
(……一時間以上、粘った)
体の揺れ方が、それを語っている。
撤退の仕方が、そうだ。
優奈が小声で言った。
『結城くん……あの人たち、すごい疲れてます……!』
「分かった。……入る前に、準備」
『はい!』
ボス部屋の扉が、ゆっくり閉まる。
向こうの空気が、また“ボスの空気”に戻る。
俺の嫌な予感は、さらに濃くなった。
優奈が扉を押し開けた瞬間、視聴者のコメントが跳ねた。
『きたあああ』
『三層ボス!』
『うわでっか』
中央に立っていたのは、キングオーク。
……そして、鎧。
黒い金属の胸当て。
腕に盾。
頭にも簡易なヘルム。
明らかに“最初から”装備している。
優奈が息を飲む音が、インカム越しに聞こえた。
俺の喉の奥が冷えた。
(……鎧、だと?)
十年前、最初の発生が隠蔽されていた頃のダンジョン。
あの時のオークは、最初から鎧を付けていた。
強すぎた。死にすぎた。
その結果を反映して、今の“公になったダンジョン”では弱体化された。
つまり本来――一年以内の仕様では、鎧は最初からじゃない。
HPが半分を切るあたりで“装備フェーズ”に移行する。
なのに、最初から。
……途中再開だ。
誰かが削った状態を、自己回復で“ギリギリ”戻した。
条件が揃って、救済措置が働いた。
そして、HPが50%以上のラインに乗ったまま――鎧フェーズが維持された。
俺は即座に言いかけた。
「やばい。出て――」
優奈が遮った。
『大丈夫です!行けます!』
声が強い。
強すぎるくらい強い。
優奈は、ボスへ直行した。
『えっ、突っ込む!?』
『鎧じゃん!?』
『盾持ってるぞ!?』
『うわ初心者殺し感』
俺は息を詰めた。
鎧があるなら、話が変わる。
こっちは“爆裂系消耗品で面で消す”作戦だった。
鎧が薄いなら押し切れる。
でも鎧が厚いなら――面が通らない。
そしてキングオークは、自動回復する。
通らない火力を投げ続けたら、こちらが先に枯れる。
勝ち目が薄い。
……それでも、優奈は止まらなかった。
『信じてください!』
優奈が言ったのは、配信に向けてじゃない。
俺に向けてだ。
キングオークが盾を前に出し、突進してくる。
優奈は《発射(自身)》で横へ跳ぶ。
着地前に、もう一度跳ぶ――その瞬間の“空白”が、今日はない。
クールタイム0≪初級≫。
移動系だけの空白を消す、初級の補助。
優奈の動きが切れない。
視線が追いつかない“連続”になる。
『え、今止まらなかった?』
『空中で曲がった?』
『うおおお何それ』
『※推測断定は禁止です』
モデレーターが必死に整える。
『※危険情報につながる推測はお控えください』
優奈は、キングオークの背後へ回り込む……ふりをして、距離を保つ。
真正面から削らない。
削る場所は最初から決まっている。
――首。
鎧がない部位。
盾で守りにくい部位。
そして、自動回復が追いつかない速度で“線”を重ねられる可能性がある部位。
だが、その前に。
優奈がポーチから、爆裂系の消耗品を取り出した。
投げる。
爆ぜる。
煙と閃光。
部屋が白くなる。
『うわっ』
『何投げた!?』
『見えねえ』
『※危険情報になるので詳細は答えません(テンプレ)』
当然、鎧には効かなかった。
キングオークは盾で受け、揺らいだだけで倒れない。
すぐに姿勢を戻し、そして――首元の傷が薄く塞がっていく。
優奈の爆裂は、ダメージ目的じゃない。
(目くらまし――盾を上げさせる)
盾が上がれば、首の角度が変わる。
視線が乱れる。
一瞬だけ“首が露出する”。
優奈は、爆煙の中へ飛び込んだ。
《発射(自身)》。
空中で方向転換。
空白ゼロ。
首元へ、刀の一閃――いや、届かない距離での“斬撃”。
線が走る。
キングオークの首元に、赤い線が刻まれた。
『今、首!?』
『首狙ってる?』
『回復するんじゃ?』
回復する。
実際、線はすぐ薄くなり始めた。
優奈は止まらない。
もう一度、方向転換。
もう一度、首。
もう一度、首。
回復が追いつく前に、線を重ねる。
線を重ねて“面”にする。
点は塞がる。
でも、線が重なれば“塞ぐ量”が増える。
塞ぐ速度を上回れば、削れる。
キングオークが適応する。
盾の角度を変える。
首を守るように顎を引く。
そして、突進の軌道を変える。
優奈の移動の“癖”を読みに来る。
優奈は、読ませない。
爆裂の煙をもう一度使う。
今度は当てない。
床に転がして、視界を切る。
煙の壁ができる。
キングオークが盾を上げる。
首が露出する。
優奈がそこへ滑り込む。
また首。
また首。
また首。
俺はインカム越しに、短くだけ言った。
「……いい。切れ目を作るな」
『はいっ!』
優奈の声が震えている。
怖い。
でも手は止まらない。
キングオークの首元の回復が、間に合わなくなる瞬間が来た。
線が薄くなる前に、次の線が入る。
薄くなる前に、また入る。
優奈は“計算”している。
回復より、削りの総量が上回るライン。
爆裂で盾を上げさせる頻度。
方向転換で首に入る角度。
そして――。
キングオークが、最後の適応を見せた。
煙の中へ、盾ごと突っ込む。
首を守りながら体当たりで潰しに来る。
優奈の位置を“面”で奪いに来る。
優奈は、空中で方向を変えた。
クールタイム0が、最後に効く。
首の横。
顎の下。
鎧の縁の、最も薄いライン。
そこへ、線を“重ねる”最後の一閃。
キングオークの動きが止まった。
首元の筋が、耐えきれずに――断たれる。
首が落ちる、とは言わない。
配信だ。
でも現象は明確だった。
キングオークは、前へ崩れた。
盾が床に落ち、鎧が鳴った。
そして、自動回復はもう追いつかない。
『うわああああ』
『倒した!?』
『三層ボス!?鎧付き!?』
『嘘だろ』
『あの煙、まじで目くらましだったのか』
『※推測断定禁止って言われるぞ』
優奈は膝に手をついて、息を吐いた。
「……倒しました……!」
声が震えている。
でも笑っている。
「第三階層ボス、突破です!!」
俺は、心の底から息を吐いた。
(……勝ったのは、優奈だ)
鎧のせいで作戦は崩れた。
爆裂は通じない。
点は塞がる。
それでも優奈は、作戦を“壊して”、その場で作り直した。
目くらまし。
首だけ。
線を重ねる。
切れ目を作らない。
――クールタイム0の使い方が、完璧だった。
配信は、台本の締めへ入る。
「みなさん、ありがとうございました!安全第一で、また次回――!」
『次回やばそう』
『yumaの指示聞きたい』
『※危険情報』
『※個人特定禁止』
テロップが出る。
『本日の配信は終了しました。ご視聴ありがとうございました』
ダンジョンの外。
優奈は、腕の汗を拭って、へたり込みそうになりながら立っていた。
口を開くと、いつもの敬語が戻る。
「結城くん……!勝てました!勝てましたよ!!」
「……勝てたな」
「鎧、びっくりしましたけど!」
「俺もだ」
相良からメッセージが入る。
『帰還後、報告会。配信では“途中再開”には触れないでください。救済措置の可能性が高い。ログ提出必須』
……やっぱりだ。
優奈が不安そうに言う。
「結城くん。あの人たち……先に戦ってた人たち……」
「……あれが原因だ」
「えっ」
「説明は後。今は帰る」
「はい!」
歩き出しながら、俺は思った。
十年前のダンジョンでは、オークは最初から鎧を付けていた。
その結果が反映されて、今の“公になったダンジョン”では弱体化された。
……なのに、今日のキングオークは鎧を付けていた。
つまり、ダンジョンはまだ“昔の牙”を捨て切れていない。
条件が揃えば、牙は戻る。
それは救済か。
それとも、罠か。
優奈が小さく呟いた。
「……三階層、怖いです」
「怖いまま進め」
「はい……!」
怖いまま勝つ。
今日、優奈はそれをやってのけた。
だからこそ、次が怖い。
(つづく)




