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第15話 名義だけの公開と、震える手

相良はいつも通りの笑顔で、いつも通りの整った声で言った。


「“yuma”が再燃しています。明日の台本を全面差し替えます」


 その文面を見た瞬間から、俺の中で何かが少しずつ削れていた。

 台本が変わる、というのはつまり――「お前も動け」という意味だ。


 だから俺は、クラン施設の会議室に呼び出される前に、先に要求をまとめた。


 要求は一つ。


 俺は表舞台に出ない。


 会議室のドアを開けると、相良がすでに座っていた。机の上にはタブレットと書類。向こう側の壁にはモニターがあり、そこには例の切り抜きと“yuma考察”が並んでいる。


 優奈も同席していた。

 椅子に座っているのに、背筋がやけに伸びている。手は膝の上で握りしめられていた。


 相良が微笑む。


「結城さん。お時間ありがとうございます」

「用件は分かってる」

「ええ。――ですが、まずはこちらを」


 相良がモニターを操作し、画面を切り替える。

 そこには、拡散中の投稿が表示された。


『軍師=yuma説』

『“yuma”って10年前の例のやつ?』

『顔が似てる気がする』

『学校特定班動いてる』


 優奈が「ひっ……」と小さく息を吸った。


「……学校特定班って、なんですか!?」

 声に「!」が混ざる。

 混ざってしまう。


 相良は笑顔のまま答えた。


「身元特定を娯楽にする人たちです」

 言い方は柔らかい。内容は冷たい。

「放置すると、空下さんの生活にも影響が出ます」


 優奈が唇を噛む。

 そして、俺を見る。

 「どうするんですか?」という目。


 俺は相良に視線を戻した。


「結論から言う」

 相良が頷いた。


「言ってください」

「俺は配信に出ない。表舞台にも出ない」

 俺は一息で言った。

「それだけは譲れない」


 一瞬だけ、会議室の空気が止まった。

 優奈が息を止める音が聞こえる。


 相良の笑顔は崩れない。

 崩れないまま、声の温度だけが少し下がる。


「現状、世論は“後ろにいる人物”を求めています」

「求めるからって、出す義務はない」

「企業としては、沈静化のために――」

「俺は出ない」


 相良が一拍置く。

 そして、静かに質問した。


「それは、空下さんを守るためですか?それとも、ご自身を守るためですか?」


 優奈がびくっとした。

 俺はすぐ答えない。


 守るため、という言葉は便利だ。

 でも、その便利さは人を縛る。


「両方だ」

 俺は正直に言った。

「俺が表に出たら、優奈の火種が増える」


 相良が頷く。

 それを“正しい”と評価している顔だ。


「では、代案は?」

 相良が促す。


 俺はそこで、あらかじめ用意していた“一歩引く条件”を出した。


「公表するなら、名義だけだ」

「名義?」

「“軍師”と呼ばれてるのが、yumaだという事実は公表していい」

 俺は淡々と言う。

「ただし、俺の顔や個人情報は出さない。配信に出るのも無し。声も無し」


 優奈が「えっ……」と小さく声を漏らす。

 そして、遅れて理解する。


「……yumaって……結城くんの……」

 優奈は言いかけて、慌てて口を押さえた。

 相良の視線が優奈に向く。


「空下さん。今は会議です。落ち着いて」

「は、はい……!」


 俺は相良に続けた。


「そもそも優奈をクランに入れる取引で、俺は毎月“効率的な運用の協力”をしている」

 相良の目がわずかに細くなる。

 核心に触れた反応。


「それ以上の協力を要求するのはおかしい」

 俺は言った。

「毎月の協力でチャラになるべきだ。追加で顔出しだの表舞台だのは契約外だろ」


 優奈が目を丸くする。


「……私の時の取引って、そういうことだったんですね……」

 声が小さい。

 気づいてしまった声だ。


 相良は笑顔のまま、タブレットを操作した。

 おそらく契約条項を確認している。


 沈黙が数秒。

 その間、優奈は机の下で指を握りしめ、ほどき、また握りしめる。


 そして相良が顔を上げた。


「結城さんの主張は、筋が通っています」

 淡々と。

「追加要求は、確かに契約の範囲外です」


 優奈が息を吐く。

 俺も、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。


 相良は続ける。


「ただし、こちらも企業です。世論の沈静化は必要です」

「分かってる」

「だから“名義だけの公表”を採用します」

 相良がモニターを切り替える。

 そこに声明文の草案が映った。


『空下優奈の運用監修として、外部顧問“yuma”が関与しています。

顧問本人の個人情報は安全上の理由から非公開です。

危険情報・武器・持ち込み範囲に関する質問には回答しません。

当配信はギルド指導の安全ガイドラインを遵守します。』


 優奈がぽかんとしたまま読む。

 そして、ゆっくり俺を見る。


「……結城くん……守れました?」

「まだ」

 俺は正直に言った。

「守りの形が一つ増えただけだ」


 相良が微笑む。


「これで“後ろの人間はいる”が公式になります」

「……」

「公式になれば、憶測の方向をこちらが管理できます」

 相良は淡々と結論づけた。

「あなたが表に出る必要はありません。――ただし、今後も“運用協力”は継続してください」


「それは契約通りだ」

「ええ」


 こうして、俺の条件は通った。


 通ったのに、胸の奥は軽くならなかった。

 名義を出せば、過去が掘られる。掘られれば、いつか繋がる。


 俺が表舞台に出ない――その言い訳が、どこまで持つ?


 そんな疑問が頭の片隅に残ったまま、会議は終わった。


 次の日。


 クランの公式が声明を出した。

 “外部顧問yumaが関与”。個人情報は非公開。危険情報は回答しない。


 ネットはさらに燃えた。

 でも、燃え方が変わった。


『軍師いるの確定w』

『yumaってあのyuma?』

『顔出ししないのかよ』

『顧問ってことは企業案件確定』

『妹説消えた?兄妹説は?』


 兄妹説は残った。

 残るに決まっている。ネットは面白い方を捨てない。


 そして学校も、当然燃えた。


 昼休み。

 俺はまた、人の少ない階段の踊り場にいた。

 優奈は教室で囲まれている。本人の性格上、逃げ切れない。

 だから俺は距離を取る。取っているふりをする。


 そこへ、足音。


 振り向く前から分かった。

 軽い足音。迷いがない。カメラ映えする歩き方。


 クラン所属の女子高生配信者だ。


「やっほ」

 彼女は笑って、壁にもたれた。

「声明、出たね。“yuma”って」


 俺は表情を動かさない。


「……だから何だ」

「いや、聞きたいだけ」

 彼女は笑う。

「なんであんなにすごかったのに、表舞台に出なくなったの?」


 俺は息を吐いた。


「昔のことはよく覚えてない」

「覚えてないわけないでしょ」

 彼女の笑顔が消える。

 声が少しだけ低くなる。

「自分のことなんだから」


 その一言が、胸の奥に刺さった。

 正論だ。正論だから痛い。


 彼女は続けた。


「当時、yumaの助言に救われた人がいた」

 言葉が、急に重くなる。

「だから“いなくなった”喪失が大きい」


 喪失。


 その単語に、俺の呼吸が一瞬止まった。


「あなたがダンジョンに関わらなくなって、どれだけの人が死んでいったか」

 彼女は淡々と言う。

 淡々と言えるのが怖い。

「考えたことある?」


 指先が震えた。


 机の角を掴もうとして、掴めない。

 息が詰まる。

 喉が鳴るのに、声が出ない。


「……」

 何か言わなきゃいけない。

 でも言葉が、胸の奥で詰まって動かない。


 彼女は俺の沈黙を“肯定”として受け取ったみたいに、さらに踏み込んだ。


「逃げたんでしょ」

「……っ」


 その瞬間、視界が狭くなった。


 十年前の匂いがする。

 鉄の匂い。湿った土。

 ――血の匂い。


 手が震える。

 息が吸えない。

 声が、うまく出ない。


 俺は、拳を握った。

 握って、ようやく声を引っ張り出した。


「……違う」

 声が掠れる。

 でも出た。


 彼女が眉を上げる。


「じゃあ何?」

「父さんの心配して……勝手にダンジョンに入った」

 言葉が、喉から無理やり出ていく。

「そしたら――父の死体があった」


 彼女の表情が一瞬だけ止まる。

 でも俺は止まれなかった。


「それを見るシュウたちがいた」

 息が荒くなる。

「だから……なんとかしたくて必死だっただけだ!」


 胸が熱い。

 痛い。

 怒りじゃない。痛みだ。


「それなのに有名になった後、政治がらみの知らない人たちが街中でよく分からない勧誘してくるし!」

 言葉が溢れる。止められない。

「苗字が変わって引っ越ししたら平和になったと思ったら、知らない同級生女子にライバル認定されて!」

「自己肯定感を保つためにダンジョン攻略して無双していようと思ったら、すごい勢いで追いつかれそうになるし……!」


 俺は息を吸って、叫ぶように言った。


「俺だってわけわからなかったんだよ!」

 喉が痛い。

「仕方ないだろ⁉」

「どうすりゃいいんだよ⁉」


 階段の踊り場が、静まり返った。


 彼女は黙って俺を見ている。

 責める目でも、同情の目でもない。

 ただ、観察する目。


 ――配信者の目だ。


 俺はその視線に気づいて、遅れて青ざめた。


 言いすぎた。

 ここは学校だ。

 誰が聞いているか分からない。


 彼女が、ゆっくりスマホを取り出す。


「……今の、やばいね」

 小さく言う。

「でも“使える”」


 血の気が引いた。


「……やめろ」

 声が低くなる。

 震えが止まらない。


 彼女は笑わなかった。


「やめるかどうかは、君次第」

 淡々と。

「yuma。――また逃げる?」


 その言葉が、胸を刺した。


 逃げてない。

 逃げてないはずだ。

 でも、表に出ないという言い訳で、ずっと逃げてきたのも事実だ。


 俺は息を整えようとして、整わなかった。


(つづく)

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