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第146話 中層の入口

十一階層へ向かう前、主人公は珍しく何度も同じ確認をした。


「魔力は余裕あるか」


「あります」


「探知の維持は」


「今日は最初から意識してます」


「いい。じゃあ行くぞ」


 空下優奈は、いつもよりほんの少しだけ硬い表情で頷いた。


 十階層までは、なんだかんだで“低層の延長”だった。

 敵が強くなる。

 攻撃が痛くなる。

 ボスが厄介になる。

 でも、まだ“見えている脅威にどう対応するか”の範囲に収まっていた。


 だが十一階層から先は違う。


 ここからは、主人公の中でははっきりと中層だった。


 階層転移の光が消えた瞬間、空気の質が変わる。

 湿っているわけでも、熱いわけでもない。

 ただ、上から何かが落ちてきそうな圧がある。


 天井が高い。

 岩肌が複雑にせり出していて、死角が多い。

 通路自体は広いのに、見通しは悪い。

 つまり、「広いから安全」ではなく、「広いからどこから来るか分からない」構造だった。


 優奈は思わず周囲を見回した。


「……なんか、十階層までと空気違いません?」


「違う」

 主人公は即答した。

「ここからは難易度が段違いだ。気をつけろ」


「はい」


「いや、今の“気をつけろ”は、ただ警戒しろって意味じゃない」


 優奈がきょとんとする。

 主人公は十一階層の空気を探るように、薄く魔力探知を広げたまま言った。


「魔物に襲われる可能性があるなら、基本、魔力探知をしっぱなしにできるくらいの状態を維持しろって意味だ」


「そこまでなんですか⁉」


 優奈の驚きは当然だった。


 魔力探知は便利だ。

 でも、便利だからといって気軽に常時維持できるものじゃない。

 集中を使う。

 地味に疲れる。

 しかも慣れていないと、拾う情報が多すぎて逆に混乱する。


 主人公はそんな優奈の反応を見ても、顔色ひとつ変えなかった。


「そこまでだよ」

「十一階層は“見えたから避ける”じゃ遅い場面が普通にある」


「そんなに危ない敵なんですか?」


「危ない」


 主人公は短く答えた。


「ここで最初に当たるのは鳥型だ」


 優奈は少しだけ眉を寄せる。


「鳥……ですか?」


「ただの鳥じゃない」

「こいつら、自分に強化の魔力を纏って、一気に敵を貫通するために突っ込んでくる」


「……バードストライク、みたいな?」


「そのまんまだな」


 主人公は頷いた。


「で、当たれば死ぬ」


 優奈が一瞬だけ黙る。


「え」


「心臓持っていかれる可能性が高い」

「少なくとも、一発でもまともに食らえば、“痛い”じゃ済まない」


「ちょっと待ってください」

 優奈の声が半歩だけ上ずる。

「今の説明、さらっと言っていい内容じゃなくないですか⁉」


「だから今まで言ってただろ」

 主人公は平然としている。

「魔力探知の訓練は、できるうちにしておけって」


「いや、言ってましたけど! ここまでとは思わないじゃないですか!」


「思ってなくても現実は変わらない」


 その返しがあまりにもいつも通りで、優奈は思わず口を閉じた。


 でも、主人公の言っていることは正しい。

 正しすぎる。

 そして、こういう時のユウマくんは、大体盛っていない。

 むしろ説明が足りないことの方が多い。


 主人公は前方の見通しを確認しながら続けた。


「救いがあるとすれば、バードストライクの前にはちょっと分かりやすい挙動がある」


「分かりやすい挙動?」


「一瞬だけ、硬直する」

「魔力を纏うために、動きが止まるんだ。見えてる個体なら、そこを観察するのもいい」


「見えてる個体なら、ですか」


「そう。正面から見えてるなら、まだ優しい部類だ」

 主人公は言った。

「本当に危ないのは、探知を切った瞬間の死角から来るやつだ」


 その言葉で、優奈の表情がさらに引き締まる。


 なるほど、そういう階層か、と今さら実感したらしい。


「じゃあ……」

 優奈は少し迷ってから聞いた。

「盾、持った方がいいですか?」


 主人公は少しだけ考えた。


 普通の盾。

 物理の盾。

 それは確かに一つの答えではある。

 だが優奈にとっては、答えであると同時にかなり大きな弱点でもある。


「普通の盾は、お前には向かないな」


「ですよね……」


「機動力が落ちるからだ」


 優奈はすぐに何度も頷いた。


「嫌です! それだと機動力が落ちます」


「だろうな」


 そこで主人公は、少しだけ視線を横へ動かした。


「でも、《魔力盾》ならありだ」


 優奈が瞬きをする。


「魔力盾?」


「一発で壊れる」

 主人公ははっきり言った。

「逆に言えば、一発くらいなら耐えられる」


 優奈はそこで、ようやく意味を理解した顔になる。


「あ、保険」


「そうだ」

 主人公は頷く。

「常時構えるための盾じゃない。死角から来た時に“死なないための一枚”だ」

「ただし、連続で壊されると一時的に出しづらくなる。だから頼り切るな」


「わかりました」


「機動力は落としたくない。でも完全ノーガードも嫌だ。なら、お前にはこれが一番合ってる」


 優奈は小さく息を吸ってから、少しだけ口元を引き締めた。


「……魔力探知で行きます」

「でも、魔力盾は保険で準備しておきます」


「それでいい」


 主人公はそこで、ようやく前へ歩き出した。


「最初は慣れるまで十一階層の序盤で、安全ポイントを使う」


「安全ポイントって、本当に安全なんですか?」


「完全に安全なら“安全地帯”って呼ぶ」

 主人公は淡々と言う。

「ここで言う安全ポイントは、“比較的マシ”ってだけだ」


 実際、その場所は完全に守られた空間ではなかった。


 大きな岩柱が二本並んでいて、左右の死角が少ない。

 背後は壁。

 上も少しだけ低くなっていて、真上から一直線に突っ込まれにくい。

 さらに、敵が来るなら正面からの角度が多くなる。


 つまり、一度に警戒する方向を減らせる場所だ。


「実質、ここからは中層だからな」


 その言い方に、優奈は小さく唾を飲み込んだ。


 十階層までは、ボス戦も含めて、強敵への対処だった。

 でも十一階層からは、“普通に歩いているだけで死ぬ可能性がある環境へ慣れること”が訓練になる。


 別物だ。


 安全ポイントへ着いたところで、主人公は立ち止まった。


「ここで探知を広げろ」


 優奈は言われた通り、魔力探知を伸ばす。


 広すぎる。

 広げすぎると情報量で頭が詰まる。

 だからまずは狭く、濃く。


「もっと薄くでいい」

 主人公がすぐ指摘する。

「敵の全部を細かく見るな。“来る可能性がある動き”だけ拾え」


「……難しいです」


「当たり前だ」


 主人公は少しも慰めなかった。

 その代わり、すぐに続ける。


「だから訓練する」

「探知ってのは、全部を正確に見る魔法じゃない。必要な情報だけ選んで拾う技術だ」


 優奈は眉を寄せたまま、もう一度集中した。


 その時だった。


「来る」


 主人公が低く言う。


 優奈は反射的に顔を上げた。

 だが、目では見えない。


 次の瞬間、探知の端で何かが止まる。

 一瞬だけ、ぴたりと。


「これが……!」


「硬直だ」

 主人公は言う。

「バードストライク前の溜め」


 優奈がそちらへ視線を向けた瞬間、岩陰から鳥型魔物が飛び出した。


 速い。


 ただ飛ぶんじゃない。

 身体の前面へ魔力を凝縮し、自分自身を矢みたいにして撃ち込んでくる。


 優奈は咄嗟に《発射(自身)》を切った。

 身体を横へずらす。


 鳥型魔物は優奈の頬をかすめる寸前で通り抜け、そのまま背後の岩柱へ突き刺さった。


 岩が抉れる。


「うわっ……!」


 優奈の顔が引きつる。


「今の、岩に穴開きましたよ⁉」


「だから言っただろ」


 主人公は平然としているが、内心ではちゃんと見ていた。

 優奈は初見で避けた。

 今のは十分いい。


 鳥型魔物が岩から抜け出そうともがく。

 その隙に、主人公が短く言った。


「見えてる個体は優しい」


「優しくないです!」


「さっき言ったばかりだ」

「本当に怖いのは、見えてないやつだ」


 それを言った瞬間、主人公の身体が動いた。


 魔力盾。


 半透明の盾が、優奈の左斜め後ろへ一瞬で展開される。


 次の瞬間、死角から突っ込んできた二羽目が、その盾へ激突した。


 高い破砕音。

 魔力盾は一発で砕け散る。

 だが、鳥型魔物の勢いもわずかに鈍る。


「っ!」


 優奈はその音に反応し、振り返りざまに刀を抜いた。


 《延長(斬撃)》は使わない。

 まだそこまでの余裕はない。

 代わりに《発射(自身)》で前へ滑り込み、勢いの落ちた鳥型魔物の首を一閃で断った。


 地面へ落ちる。


 静寂。


 優奈は数秒、その場で固まっていた。


「……今の」


「だから保険だ」

 主人公は壊れた魔力盾の残滓を見ながら言う。

「一発で壊れる。逆に言えば、一発くらいなら耐えられる」


 優奈はゆっくりと息を吐いた。


「普通の盾じゃなくて、魔力盾ならありって、こういう意味ですか」


「そういう意味だ」

「見えてるやつは自分で避けろ。見えてないやつに一枚だけ割る。そのための盾」


 優奈はようやく納得した顔になる。


「……わかりました」


「もう一回探知を張れ」

 主人公は即座に言う。

「一羽来たからって終わりだと思うな」


「はいっ」


 優奈は今度こそ、本気で魔力探知を維持し始めた。


 さっきまでより集中が深い。

 ただし、その分だけ疲れる。


 額に汗が浮く。

 息も少しだけ浅くなる。

 それでも、切らない。


 主人公はそんな優奈を見ながら、少しだけ安心した。


 十一階層で一番駄目なのは、怖さに負けて探知を切ることだ。

 でも優奈は違う。

 怖いと分かったうえで、切らない。


 そこはちゃんと強い。


「今の感じ、どうだ」


「きついです」

 優奈は正直に言う。

「ずっと集中してると、頭が重くなる感じがします」


「それが普通だ」

 主人公は頷く。

「でも、その重さに慣れろ。ここから先は、その重さを“日常”にできるかどうかで生存率が変わる」


 優奈は返事の代わりに、小さく頷いた。


 その時、今度は三つの反応が探知へ触れた。


 高い位置。

 右。

 左上。


「三羽」


 優奈が言う。


「いい」


 主人公は即座に評価した。

 数を拾えている。

 位置も合っている。


「右上が止まった!」


 優奈が叫ぶと同時に、右上の鳥型魔物がバードストライクへ入る。


 今度は優奈が先に動いた。

 《発射(自身)》で一歩だけ角度をずらし、そのまま抜刀。

 鳥型魔物が通り抜ける軌道へ刃を置き、翼を切る。


 一羽、墜ちる。


 だが同時に、左上の個体も硬直していた。


「二羽目!」


 主人公が言う。


 優奈は完全には間に合わないと判断したのだろう。

 今度は迷わず《魔力盾》を展開する。


 衝撃。

 盾は砕ける。

 でも、その一瞬の抵抗で軌道がぶれた。


 優奈はそのズレへ自分から《発射》で飛び込み、今度は《延長(斬撃)》でまとめて切り払った。


 血が散る。

 羽が落ちる。

 もう一羽、上で旋回していた個体が逃げようとしたところを、主人公が投げたナイフが貫いた。


 地面へ落ちる三羽目。


 優奈は肩で息をしながらも、刀を下ろさない。


「……っ、まだ、来ますか」


「その確認の仕方はいい」


 主人公は答えながら、周囲を探る。


「今はいない」

「でも、“今はいない”と“もう来ない”は違う」


「はい……」


 優奈は息を整えつつ、探知を切らない。


 その姿を見て、主人公は少しだけ満足した。


 十一階層の入口で必要なのは、派手な勝利じゃない。

 まずは死なないこと。

 そのために、探知を維持し、見えてる個体と見えてない個体を分け、魔力盾を保険として使う。


 地味だ。

 でも、こういう積み上げが中層では一番大きい。


「今日はここで慣れろ」


 主人公が言う。


「十一階層を攻略するんじゃない」

「十一階層で生き残る感覚に身体を合わせる」


 優奈は静かに頷いた。


 怖い。

 痛い。

 油断したら死ぬ。

 それでも、自分の機動力は捨てたくない。

 なら、そのまま適応するしかない。


 主人公は岩柱の向こうを見ながら、淡々と続ける。


「盾を持って安全に行くやり方もある」

「でもお前はそれを選ばなかった」


「はい」


「なら、その代わりを探知と魔力盾で埋めろ」

「スタイルを変えないってのは、楽するって意味じゃない。別のところで要求が重くなるってことだ」


 優奈はそこで、少しだけ苦笑した。


「ユウマくんの教え方って、たまにすごく厳しいですよね」


「たまにじゃない」


「それはそうですけど」


 そのやり取りの途中でも、優奈は探知を切っていなかった。


 まだ粗い。

 まだ疲れている。

 でも、最初の一歩としては十分だった。


 十一階層の天井のどこかで、また羽音がした。


 優奈の目が、今度は迷わず上を向く。


 中層の入口。

 まだ、立っただけだ。


 でも、ここに立てたこと自体が、もう十階層までとは違う意味を持っていた。


(つづく)

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