第145話 使い古された騎士の限界
十階層へ移動した直後、悠真はまず空気の重さを確かめた。
二層までとは違う。
魔力の密度も、敵意の濃さも、目に見えない圧として肌へ張りついてくる。
ここから先は、近接の技術だけでは誤魔化しきれない階層だ。
地上の敵を捌けるだけでは足りない。
空を飛ぶ相手へどう触るか。
そこに答えを持っているかどうかで、評価は大きく変わる。
隣では、マルク・シュミットが静かに装備を整えていた。
二層では片手剣と盾だけを前提に見ていたが、よく見ると武装はそれだけじゃない。
腰に長剣が一本。
その反対側に、左右へ振り分けるように短剣が二本。
いかにも“騎士”らしい主武装と、予備の短剣。
無駄がない。
ただ、同時に少しだけ現代離れしている。
「短剣も使うのか」
悠真が聞くと、マルクは素直に頷いた。
「はい。空を飛ぶ相手や、距離が噛み合わない相手への対応用です」
「なるほどな」
口ではそう返しながら、悠真は内心で少しだけ感心していた。
騎士の技術をインストールする特級魔法だとは聞いていたが、そこまで体系立っているなら話は変わる。
発動条件は相変わらず明確だ。
鎧を着て、武器を持っていること。
逆に言えば、それを満たさない限り《使い古された騎士》は発動しない。
マルクは胸当てを締め、腕甲を固定し、盾を左腕へ通した。
長剣の柄へ手を置き、小さく息を吸う。
「《使い古された騎士》」
その一言で、やはり空気が変わる。
魔力が爆ぜるわけではない。
派手な光もない。
なのに、立ち姿の密度だけが一瞬で変わる。
視線の置き方。
足幅。
盾の角度。
重心。
どれもが“今すぐ戦える形”へ収束していた。
「行きましょう」
マルクが言う。
その声には、武装前の高校一年らしい柔らかさが少し残っている。
だが、身体の方はもう違う。
悠真はその違和感を頭の片隅に置いたまま、十階層の通路を進んだ。
最初に現れたのは、二体のリトルデーモンだった。
小柄な悪魔のような姿。
羽があり、牙があり、空中で静止するにはあまりにも鬱陶しい軌道を取る。
速い。
そして、人間の武器の間合いを嫌らしく外してくる。
十階層で多くの近接探索者が最初にぶつかる壁だ。
悠真はあえて、最初の一手をマルクへ任せた。
リトルデーモンが左右へ散る。
片方が高く上がり、もう片方が低く回り込む。
地上へ意識を寄せれば上から来るし、上を見れば横から刺してくる。
よくできた初見殺しだ。
だが、マルクは迷わなかった。
長剣の柄から手を離す。
代わりに、腰から短剣を二本、ほとんど同時に引き抜く。
「――っ」
投げた。
一投目が右へ逃げたリトルデーモンの羽の付け根を裂く。
二投目が高く上がった個体の片翼を断つ。
羽を切られた二体が、同時にバランスを崩した。
「は?」
悠真の口から、思わず素の声が漏れる。
落ちる。
だが墜落の仕方まで読んでいるらしい。
マルクはすでに長剣を抜いていた。
一体目が地面へ叩きつけられるより早く、その首を斬る。
返す刃で二体目の喉を裂く。
そのまま前へ踏み込み、落ちた短剣を拾う。
次のリトルデーモンの群れが来る前に、何事もなかったみたいに二本とも腰へ戻した。
「……なるほど」
悠真は小さく呟く。
空飛ぶ敵への対処が“ある”とは聞いた。
だが想像よりずっと洗練されていた。
短剣で羽を切って墜落させる。
落ちたところを長剣で仕留める。
その流れがあまりにも自然すぎて、“特別な対空戦術”というより、“騎士の技術の一部”として最初から組み込まれているように見える。
次のリトルデーモンが三体。
今度は一体が正面から囮のように飛び込み、残る二体が左右から回り込む。
マルクは盾を上げた。
正面の爪を受ける。
受けた瞬間に角度をずらして弾き、空いた右手でまた短剣を投げる。
右の羽を切る。
墜ちる。
長剣で一撃。
返す流れで左の個体の翼を浅く斬り、そのまま盾で顔面を打って落下軌道を狂わせる。
最後に踏み込み、地面へ叩きつけられた瞬間に喉を貫く。
悠真はその動きを見ながら、ようやく理解した。
この特級、十階層でも普通に成立する。
しかも短時間だけではない。
五分。
十分。
もっと続けて見ても、マルクの動きに大きなブレは出ない。
リトルデーモンが増える。
軌道が散る。
羽音が重なる。
それでもマルクは一つずつ処理していく。
羽を断つ。
墜とす。
仕留める。
短剣を拾う。
また投げる。
長剣の振りも、盾の受けも、足の運びも、最初から最後まで“崩れない”。
対人戦の技術体系をそのまま魔物へ流し込んでいる。
本来なら、人間相手にそこまで綺麗な受け流しは必要でも、空飛ぶ悪魔もどき相手には過剰なはずだ。
なのに過剰技術が、そのまま成立している。
成立してしまうほど、技術そのものが高すぎた。
問題があるとすれば、一つだけ。
スタミナだ。
十五分ほど見たところで、悠真ははっきりそれを認識した。
マルクの技術は落ちていない。
刃筋も、盾の角度も、短剣を投げる手の迷いもない。
でも、呼吸だけがじわじわ重くなっている。
当然だ。
鎧を着ている。
盾も持っている。
長剣と短剣もある。
筋力が十倍になっていようと、それはあくまで“重さを扱える”という話であって、消耗がゼロになるわけではない。
そして、特級魔法の強化項目に“スタミナ”という項目はない。
速度。
筋力。
技術。
反射神経。
そこはある。
だが、持久力そのものを直接伸ばしているわけではない。
つまり、普通にチームで潜るなら敵なしだ。
前衛として、いや切り札として、これ以上なく強い。
でも単独で長く潜るなら話は変わる。
悠真はそこで、リトルデーモンの最後の一体を斬り落としたマルクへ声をかけた。
「もういい」
マルクは剣を払ってから振り返る。
「評価はどうですか?」
「強い」
悠真は即答した。
「十階層までなら、お前はかなり安定してる。少なくとも“鎧と武器を持っている限り”近接の完成度は異常だ」
マルクは少しだけ表情を緩めた。
だが、そこで悠真は続ける。
「ただし、単独で潜るならスタミナ強化系の魔法を取った方がいい」
その一言に、マルクが目を細める。
「やはり、そこですか」
「自覚あるのか」
「少し」
マルクは正直に答える。
「動きそのものはまだ崩れていないつもりですが、長く続けるほど、身体の重さは感じます」
「それで合ってる」
悠真は頷いた。
「チームでダンジョン攻略を進めるなら、正直かなりのところまで敵なしだ。でも一人なら、消耗の壁は確実に来る」
マルクは短く息を吐いた。
「ありがとうございます。そこは本国でも、まだ結論が出ていませんでした」
「そりゃドイツのダンジョンがギミック寄りなら、正面から長時間斬り続ける状況自体が少ないんだろ」
「そうですね」
そこで一度、ダンジョン攻略としての評価は一区切りついた。
そして残るのが、ドイツ側の二つ目の要望だ。
できればダンジョンへの知識があって、なおかつ強い探索者と一対一で戦わせ、その強さに評価を下してほしい。
つまり、PVP。
主人公は深く息を吐いてから言った。
「じゃあ、次だな」
「はい」
マルクも分かっている顔だった。
「一対一でお願いします」
十階層から戻ったあと、場所はクラン側の訓練施設へ移した。
広い。
障害物は少ない。
足場は安定している。
純粋な一対一を見るには悪くない環境だ。
相良も来ている。
優奈も来たがっていたらしいが、今回は見学のみ。
唯は無言で壁際に立ち、じっと見ていた。
マルクは再び武装を整え、《使い古された騎士》を発動する。
主人公は軽装のままだ。
いつも通り。
武器も最低限。
開始の合図は簡単だった。
「いつでもいい」
相良がそう言う。
その瞬間、悠真は高速移動を切った。
狙いは単純。
見えてなければ、戦闘技術も意味がない。
どれだけ完璧な技術が頭と身体に入っていようが、認識できない攻撃へは遅れるはずだ。
そう思ったからこそ、最初の一手は背後から取った。
空気を裂く。
一瞬で回り込み、首筋へ刃を入れる――はずだった。
だが。
「っ!」
金属音。
マルクの盾が、背後からの一撃を受けていた。
「防ぐのかよ⁉」
思わず悠真の口から出る。
見えていなかったはずだ。
少なくとも、視線は前を向いていた。
それでもマルクは、危険方向の推定と身体の反射だけで、防御姿勢を割り込ませてきた。
完全な未来予知じゃない。
でも、間合い、気配、踏み込みの圧、その全部から“来る”と判断して、自動的に正解へ寄せている。
厄介だ。
マルクはそのまま振り向きざまに剣を返す。
悠真は高速移動で引く。
「今の、見えてたのか?」
「見えてはいません」
マルクは落ち着いて答える。
「ですが、来ると思った方向に、防御は置けます」
「置けます、で済ませるなよ……」
だが、そこで分かった。
正面から技術戦をしても、多分きつい。
なら、やり方を変える。
悠真は一度距離を取り、右手を上げた。
「《魔力連撃》」
五発。
さらにもう五発。
さらに追加。
魔力弾の雨が、訓練場の空気を一気に埋める。
派手な火力押しに見える。
だが、本命はそこじゃない。
マルクはすぐに盾を上げ、防ぐことへ意識を切り替えた。
正面。
斜め。
足元。
飛んでくる弾を、剣ではなく盾と最小限の体捌きで凌ぐ。
長期戦狙いだ。
こちらが魔力を吐ききるまで受けに回るつもりなのだろう。
だが、それが狙いだった。
悠真は最初から、“盾で防がせるために”撃っている。
魔力連撃は火力のためじゃない。
視界を潰すため。
音を散らすため。
マルクの戦闘技術を、“受けに最適化”させるためだ。
相手に見えている情報が減る。
派手な光と衝撃で周囲が分かりづらくなる。
そうなると、インストールされた戦闘技術はまず“どうやって安定した環境を作るか”へ寄る。
攻めるより先に、防ぐ。
視界を確保する。
姿勢を崩さない。
つまり、警戒の方向が固定される。
「……っ」
マルクが、ひたすら盾を使って魔力連撃を凌ぐ。
ノーダメージ。
そこはさすがだった。
角度も重心も完璧に近い。
だが、その一瞬一瞬、周囲は見えていない。
そして悠真は、魔力連撃を放ったあとも、それで終わってはいない。
弾の誘導制御を続けながら、高速移動で外側を回っていた。
魔力弾の雨の中。
視界の外。
音の隙間。
そこを使って、背後へ潜る。
決死の奇襲だった。
普通なら、こんなやり方は自分で自分の視界も潰す。
でも悠真は思考強化で全体を把握している。
だから自分だけは動ける。
マルクが最後の一発を盾で受けた、その瞬間。
悠真は背後にいた。
高速移動。
貫通。
連撃。
一撃目は防がせないための浅い牽制。
二撃目は反応を引き出すための位置ずらし。
三撃目が本命。
マルクの背中、首筋へ届く角度で刃を止める。
寸止め。
金属の擦れる音だけが残る。
訓練場が静まった。
マルクは数秒、そのまま動かなかった。
やがて小さく息を吐き、ゆっくり盾を下ろす。
「……負けました」
その声に、ようやく周囲の空気が戻る。
相良が腕を組んだまま言う。
「勝者、悠真」
優奈が思わず息を吐き、唯は壁際でほんの少しだけ目を細めた。
マルクは振り返り、まず最初にこう言った。
「今のは、見えていませんでした」
「だろうな」
悠真は刃を下ろして答える。
「魔力連撃で周りを潰した」
「はい」
マルクは頷く。
「最初は火力押しだと思いました。ですが違った。盾で防いでいるうちに、意識が“どこから来るか”ではなく、“どうやって安定した環境を作るか”へ寄っていた」
「それが狙いだ」
悠真は率直に言った。
「お前の技術は、環境が整ってるほど強い。逆に、見えない・散る・煩いって条件が重なると、一瞬だけ“正解の検索”が遅れる」
マルクはその言葉を、否定しなかった。
「自覚はあります」
「ダンジョンでも、時々ありました。答えが出るまでの、ごく短い空白が」
「それ自体は慣れれば埋まる」
悠真は言う。
「でも、環境を乱された状態での対人戦は、まだ甘い」
「なるほど」
マルクはそこで、真剣な顔になった。
「では、僕の評価は?」
悠真は少しだけ考えてから答える。
「チーム戦ならかなり強い」
「前衛としては破格だ。少なくとも十階層までなら、近接処理は安定しすぎてる」
マルクは黙って聞いている。
「単独なら課題は二つ」
悠真は指を二本立てた。
「一つ、スタミナ。特級が強化してないから、長期戦だと絶対に響く」
「二つ、環境が乱れた時の対応。見えてる前提、整ってる前提から外れた時に、まだ一拍だけ遅れる」
「……はい」
「逆に言えば、その二つが埋まったらかなり危ない」
そこまで言うと、マルクはほんの少しだけ苦笑した。
「危ない、ですか」
「強すぎるって意味だよ」
悠真は正直に言った。
事実だった。
武装している時しか発動できない。
それは明確な制約だ。
でも、その制約を満たした状態では、マルクはかなり完成に近い。
だからこそ、怖い。
もしスタミナを補い、環境が崩れた時のラグまで消したら。
その時、この特級は日本のダンジョンでもかなり深いところまで通用するかもしれない。
マルクは長剣を鞘へ戻しながら、静かに言った。
「ありがとうございます」
「礼を言われるほど優しく評価してない」
「でも、知りたかったことは分かりました」
その声は、最初より少しだけ軽かった。
自分の強さが何で、どこが足りないのか。
それを知るためにドイツはマルクを外へ出した。
なら今回の評価戦は、ちゃんと意味があったのだろう。
相良が最後にまとめるように言う。
「ドイツ側にはそのまま返す」
「近接処理能力は高い。武装条件は厳しいが、発動中の戦闘完成度は異常。単独攻略にはスタミナ系の補強が必要。対人では視界妨害や環境乱しに弱点あり、だ」
「厳しいですね」
マルクが少し笑う。
「妥当だろ」
悠真は答えた。
厳しい。
でも、それが評価だ。
そして、それを真正面から受け止められるなら、マルク・シュミットという高校一年は、まだもっと伸びる。
その予感だけは、はっきりあった。
(つづく)




