第145話 使い古された騎士、二層に立つ
ドイツの特級魔法使い――マルク・シュミットは、主人公が想像していたよりずっと普通の見た目をしていた。
背はそこそこ高い。
体格も細すぎず太すぎず、鍛えているのは分かるが、アメリカのサムたちみたいな分かりやすい“圧”はない。
金髪は短く整えられていて、青い目は落ち着いている。
制服の上から見える限りでは、ただの真面目な高校生だ。
問題は、その足元に置かれたケースの方だった。
縦長のハードケース。
片手で運べる大きさではあるが、明らかに中身は軽くない。
そしてその中に、ドイツが一般公開した特級魔法《使い古された騎士》の発動条件となる鎧と武器が入っている。
「日本のダンジョンって、どんな感じなんですか?」
集合場所の前で、マルクは驚くほど素直にそう聞いてきた。
変に気負ったところがない。
ドイツから公式に送り出された特級魔法持ちという肩書のわりに、気取った感じもなければ、舐めた感じもない。
むしろ、知らないからこそ、ちゃんと聞いておこうという姿勢が見えた。
主人公は少しだけ考えてから答える。
「どんな感じって言われると、難しいな」
「難しい?」
「ランダム要素が多いからだ」
主人公は言う。
「階層ごとの傾向はあっても、実際はイレギュラーが混ざる。敵の数も位置も、想定通りにならないことが多い」
マルクは真剣に聞いている。
「じゃあ、何が一番大事なんですか?」
「強いて言えば」
主人公は少しだけ間を置いた。
「速度が速いと有利、ってくらいだな」
その答えに、マルクは一度だけ静かに頷いた。
「分かりました」
その返事には迷いがなかった。
「やってみます」
そのまま二人はダンジョンへ向かった。
今回の目的は、ドイツ側の依頼に応じた実地評価だ。
マルク・シュミットが《使い古された騎士》を発動した時、どの程度ダンジョンで通用するのか。
ドイツ国内だけでは評価が歪む。
だから日本側の視点で、一度見ておきたい。
主人公が最初の舞台に選んだのは、二層だった。
理由は単純だ。
二層のゴブリンは使う武器がばらける。
棍棒、短剣、槍、盾。
個体によって持ち物が違い、動きも少し変わる。
単なる地力ではなく、“どう対応するか”を見るには丁度いい。
つまり主人公の狙いは、間違っていなかった。
ただし、ひとつだけ間違っているとすれば。
マルクの強さは、そんな次元の強さじゃなかった。
二層へ入る前、マルクはケースを地面へ下ろした。
中を開く。
現れたのは、見た目だけなら装飾の少ない実用寄りの装備だった。
胸当て。
腕甲。
脛当て。
そして片手剣と、やや大きめの盾。
いかにも騎士らしい。
ただ、いかにも“博物館的な騎士”ではない。
余計な意匠が削ぎ落とされていて、使うための道具に寄っている。
主人公はその装備を見ながら、ひとつだけ確認した。
「発動条件は、全部装備してからか?」
「はい」
マルクは素直に答える。
「武器と鎧が揃っていないと、発動しません」
「盾もか」
「盾もです」
そこはやはり、完全な武装前提らしい。
マルクは慣れた手つきで装備を身に着けた。
その最後に剣を腰へ差し、盾を左腕へ通す。
そして、小さく息を吸う。
「《使い古された騎士》」
空気が変わった。
目に見えて魔力が噴き上がるわけじゃない。
派手な光もない。
なのに、一瞬で“中身が変わった”と分かる。
立ち方だ。
足の開き。
重心。
盾の角度。
右手の剣の収まり。
さっきまで普通の高校生だったはずの少年が、ただそこへ立っているだけで、“戦える人間”の形になっていた。
「……なるほど」
主人公は思わず小さく呟く。
これは確かに、説明だけでは分からない。
単なる速度強化でも筋力強化でもない。
身体の使い方そのものが、別のものへ置き換わっている。
「行きましょうか」
マルクはそれだけ言って、迷いなく二層へ足を踏み入れた。
最初に出たのは、三体のゴブリンだった。
一体は棍棒。
一体は短槍。
もう一体は小型の盾と短剣。
構成としては悪くない。
盾持ちが前へ出て、槍が間合いを取り、棍棒が横から叩く。
二層のゴブリンにしては、そこそこ嫌らしい並びだ。
だが、その程度でマルクの動きは一切揺れなかった。
盾持ちが前へ出る。
短槍が突く。
棍棒が横から回り込む。
その一連に対して、マルクはまず一歩だけ前へ出た。
受けるのではなく、踏み込む。
槍の穂先が来る。
マルクは左手の盾をわずかに傾け、その斜面で穂先を外へ流した。
弾いた、というより、通る道を勝手にずらした感じに近い。
その動きの流れのまま、右手の剣が走る。
一撃。
盾持ちゴブリンの首が飛んだ。
主人公はそこで、一瞬だけ目を細めた。
無駄がない。
いや、正確には、無駄がなさすぎる。
普通、ゴブリン相手にそこまで綺麗な受け流しは要らない。
盾で弾くにしても、もっと荒くていい。
なのにマルクは全部、“騎士の対人戦術”で処理している。
本来なら人間相手に使うような技術体系を、そのままゴブリンへ流し込んでいる。
それでも成立するレベルで、インストールされた技術が高すぎるのだ。
棍棒ゴブリンが横から入る。
マルクは半歩だけ下がり、今度は盾の縁で手首を打ち、そのまま剣を返して首筋を断つ。
さらに短槍持ちがもう一度突いてくる。
今度は躱さない。
盾で真正面から受け、穂先を止めたまま足払い気味に前へ踏み込んで間合いを潰し、喉を突いた。
三体。
終わり。
速いというより、片づき方が異常だった。
主人公は何も言わず、次の集団が現れるのを待った。
今度は五体。
短剣、棍棒、槍、弓、そして盾持ち。
さっきより構成は嫌らしい。
弓が後ろから圧をかけ、盾持ちが前へ出て、左右から槍と棍棒が挟む。
だが、それでもマルクは揺れなかった。
主人公の予想では、せいぜい“うまい一年生”の範囲かと思っていた。
ところが違う。
十層未満の地上型近接魔物が相手なら、もはや勝負になっていない。
盾で敵の攻撃を弾く。
剣で首を落とす。
それをひたすら繰り返す。
正面から来る攻撃は技術で捌き、死角から来る攻撃は反射で角度を変え、最後はほぼ全部、一撃で終わらせる。
戦闘技術が高すぎた。
しかも、速度と筋力の十倍強化が乗っている。
技術だけならまだしも、身体がその通りに動くせいで、“分かっていても止められない”動きになっている。
「……おいおい」
主人公は思わず口の中で呟いた。
二層で様子を見る。
判断としては間違っていない。
でも、二層だと逆に弱すぎる。
マルクの評価という意味では、ここではほとんど何も分からない。
少なくとも、“武器を持って近づいてくる相手を裁く能力”に関しては、過剰戦力だ。
ただし、完全に穴がないわけでもなかった。
時々、一瞬だけ動きに迷いが出る。
迷うというより、最適解の検索に一拍だけ空白があると言った方が近い。
槍持ちと弓持ちの位置関係が少し複雑になった時。
盾持ちが倒れた死体を踏んで足場がずれた時。
そういう“想定の中にない微妙な状況”で、マルクの動きにほんの僅かなラグが入るのだ。
止まるほどじゃない。
でも、見ていれば分かる。
頭の中にインストールされた膨大な経験から、「この状況にはこの答え」という検索をかけて、それを出力するまでに、一瞬だけ間がある。
完璧な自動戦闘じゃない。
あくまで“完璧な技術を持った人間”なのだ。
そこは大きかった。
逆に言えば、このラグは慣れたらかなり減るだろう。
日本ダンジョン特有のランダムさ。
武器持ちのゴブリン。
死体を踏む足場。
囲まれ方。
そういうものへ何度か触れれば、“検索にかかる時間”は短くなる。
つまり、今のマルクは完成していない状態でこれなのだ。
主人公はそこで、本気で嫌な予感がしてきた。
「……十層未満じゃ、勝負にならないな」
声に出してそう言うと、最後のゴブリンを首ごと切り飛ばしたマルクが振り返る。
「何か問題ありましたか?」
「いや」
主人公は率直に答えた。
「お前が思ったより強すぎた」
マルクは少しだけ困ったように笑った。
「褒め言葉として受け取っていいんですか?」
「一応な」
主人公は腕を組む。
「ただ、今のままだと日本ダンジョンでの“本当の評価”にならない」
「それは、敵が弱いからですか?」
「弱いというより、お前の得意分野に寄りすぎてる」
主人公は言った。
「地上型。近接。武器持ち。そういう相手なら、騎士の技術がそのまま刺さる」
マルクは納得したように頷く。
「じゃあ、次はどうします?」
そこが問題だった。
主人公は頭の中で階層を並べる。
三層。
まだ近い。
四層。
環境が少し悪いが、まだ本質は見えにくい。
五層以降。
相手によっては面倒になるが、騎士技術だけで押せる場面も多い。
もっと上。
十一層以上。
だがそこまで行くと、今度は魔力探知の問題が出る。
マルクは今のところ、探知系の魔法を持っていない。
技術と反射で強引に対応できる範囲にも限界がある。
十一層より上へいきなり連れて行くのは、正直、死なせそうで怖い。
だから、境目だ。
そして、主人公の頭の中で一つの階層が浮かび上がる。
「……空飛ぶ敵への対処ってあるか?」
主人公がそう聞くと、マルクは一瞬だけ目を瞬いた。
だがすぐに、わずかに自信のある顔になった。
「ありますよ」
「本当か?」
「騎士は空を飛ぶ相手とも戦いますから」
その言い方は、冗談には聞こえなかった。
というか、多分本人の中では完全に真実なのだろう。
インストールされた“最強の騎士”の経験の中に、そういう対処法が含まれているらしい。
主人公はそこで決めた。
「なら、十階層に行こう」
「十階層」
「あそこなら、空飛ぶ敵が出る」
主人公は言う。
「近接だけじゃなく、空への対応が必要になる。魔法の使い方としても、いい経験になるはずだ」
マルクは短く頷いた。
「分かりました」
迷いがない。
この辺は本当に扱いやすい。
主人公は少しだけ息を吐く。
二層で見えたのは、マルクの“騎士としての完成度”だ。
だが、十階層で見るのは別だ。
空を飛ぶ相手。
不規則な位置取り。
立体的な対処。
そこに、《使い古された騎士》がどこまで通じるか。
そして、時々見える一拍のラグが、もっと厄介な状況でどう出るか。
「移動するぞ」
主人公がそう言うと、マルクは剣を軽く振って血を払い、静かに頷いた。
その動作一つも、やはり妙に洗練されている。
高校一年の挙動じゃない。
武装した瞬間だけ、別の時間を生きてきた人間みたいだった。
主人公はその背中を見ながら、改めて思う。
この特級、かなり危ない。
強い。
でも、だからこそ危ない。
環境が噛み合えば、低層から中層まではほとんど作業になるかもしれない。
その一方で、噛み合わない場所へ入った瞬間、インストールされた技術と現実の状況が食い違って、変な死に方をする可能性もある。
極端だ。
だから、見る価値がある。
十階層への転移陣の前で、主人公は最後に一度だけマルクへ聞いた。
「怖くないのか」
「何がです?」
「日本ダンジョン」
「お前にとっては、ほぼ未知だろ」
マルクはそこで少しだけ考えてから、静かに答えた。
「怖いですよ」
あまりにもあっさりしていて、主人公は逆に少しだけ驚いた。
「でも」
マルクは続ける。
「分からないから、見ないといけない」
「そうしないと、自分の強さが何なのか、ずっと分からないままになる気がするんです」
その言葉に、主人公は少しだけ口元を緩めた。
「……なるほどな」
それなら、少なくとも“試す相手”としては悪くない。
主人公は転移陣へ足を乗せた。
「行くぞ」
「はい」
十階層。
そこからが、多分本当の評価になる。
(つづく)




