第140話 強くなるには、まず金がいる
ハワイのダンジョンを出たあと、サムたちはそのまま入口近くの休憩スペースまで主人公を連れていった。
海の近い島らしく、湿った風が吹いている。
ダンジョンの中の重い空気を抜くにはちょうどよかったが、さっきまで戦っていたせいで、全員の服にはまだ汗が張りついていた。
自販機の前で立ったまま飲み物を開けるやつ。
壁にもたれて息を整えるやつ。
ダナは足首を軽く回し、レオは棍棒を肩から下ろして地面へ立てかけている。
マイクは魔力剣を消したあとも、まだ右手を何度か握ったり開いたりして感覚を戻していた。
その中で、サムだけが真正面から主人公を見ていた。
さっき聞いた問いの続きを、まだ欲しがっている目だった。
「で」
サムが口を開く。
「魔法ガチャ飴が必要でいいなら、強くなり方を教えられるって言ったよな」
「ああ」
「だったら教えろ」
主人公はそこで少しだけ考えてから、近くのベンチへ腰を下ろした。
こういう話は、勢いで言うと変に誤解される。
特に相手がアメリカ側ならなおさらだ。
魔法の捉え方も、装備の考え方も、金の感覚も、日本とはかなり違う。
だから順番が大事だった。
「まず最初に言っておくけど」
主人公はゆっくり言った。
「レア魔法を引けば強くなる、みたいな話を期待してるなら違う」
「じゃあ何だ?」
マイクが聞く。
「まずやるべきことは、《付与》と《拡張付与》を使えるようになることだ」
数秒、全員が黙った。
そして次の瞬間、レオが露骨に顔をしかめた。
「一体どれだけのキャンディを使わせる気だ」
「ん?」
主人公は素で聞き返した。
「せいぜい五十から六十個くらいだろ」
「多少きついけど、魔法取得するならそういうものじゃないのか?」
今度は、アメリカ組の四人がそろって変な顔になった。
「……最低七千五百ドルか」
サムが、嫌な計算を口にするみたいに言う。
主人公は一瞬、本気で意味が分からなかった。
だが頭の中で数字がつながった瞬間、思わず声が大きくなる。
「はあ⁉」
サムたちが少しだけ首をすくめる。
「一個あたり百二十五ドルってことだろ⁉」
主人公は本気で驚いていた。
「日本円で二万円近いぞ⁉ 日本だと五千円でもぼったくり扱いされるのに、そんな高値で売れるのか⁉」
「売れるというか、売られてる」
ダナが肩をすくめる。
「そして買うやつがいる」
「いや、でも」
主人公は本気で納得できない顔になる。
「さすがに生活はできるだろ? 学生でも、そこまで切羽詰まるか?」
その言葉に、サムたちは一斉に「何も分かってないな」という顔になった。
それが少し癪だった。
「その顔やめろ」
「いや、その反応になる」
サムは即答した。
「ダンジョン学園に通う学生の大半は金がない」
「……なんでだ」
「逆だよ」
今度はマイクが答える。
「金がないから、命がけで稼ごうとして学園に入るんだ」
主人公は黙った。
そういう発想自体が、日本の感覚だと少し薄い。
もちろん日本でも、金のためにダンジョンへ入るやつはいる。
でも、学園に来る連中の中心は、それだけじゃない。
強くなりたい。
地元を守りたい。
情報が欲しい。
そういう理由もかなり多い。
だが、アメリカは違うのかもしれない。
サムが缶を片手で潰すみたいに握りながら言う。
「こっちは金の匂いが早すぎたんだよ」
「金の匂い?」
「ダンジョンが出た。規制された。侵入は禁止。武器も魔法も管理対象。そこまではいい」
サムは指を折りながら続ける。
「でも、規制されたって勝手に入るやつはいる。魔法も広まる。キャンディの価値も、ダンジョンから持ち帰れるものの価値も、どんどん上がる」
「そこへ投資が集まる」
レオが短く補足した。
「ダンジョン装備、輸送、警備、保険、医療、育成。全部だ」
主人公はそこでようやく、少しずつ話の輪郭が見えてくるのを感じた。
ダンジョンが危険だから規制する。
でも危険だからこそ、そこを突破できる奴の市場価値が上がる。
キャンディが高く売れる。
装備も高くなる。
稼げる、というイメージが先に広がる。
結果、金がないやつほど、そこへ夢を見る。
「で、学生は?」
「金がない」
サムはもう一度言った。
「だから強くなりたい。強くなるにはキャンディが要る。でもキャンディは高い。だから命がけでダンジョンへ入る。そういう循環だ」
嫌な循環だな、と主人公は思う。
だが、その嫌さが逆に現実味でもあった。
「しかも装備も高い」
ダナが足を組み替えながら言う。
「日本より全然高い。そもそも武器や防具を持つこと自体に規制が絡むから、手続きも、流通も、保険も全部乗る」
「なるほど……」
主人公は腕を組む。
「アメリカでダンジョンが最も大きな影響を与えたことは何か」
サムが唐突にそう聞いた。
主人公は少し考えてから答える。
「銃以外の武器への規制、とか?」
「魔法や剣を持ってダンジョンへ入ることそのものの規制が、アメリカだと特に大きいって聞いたから」
「違う」
サムは首を振った。
「インフレだ」
その答えに、主人公は眉を寄せる。
「ダンジョンが出て、規制されて、どうしてインフレが起きる?」
そこがまだ繋がらなかった。
規制が強いなら、むしろ経済活動は鈍るんじゃないか。
そう考えるのが普通だ。
だが、アメリカ勢は違う反応をする。
マイクが缶を飲み干してから言った。
「規制されても潜るやつはいる」
「そして魔法はある程度広まる」
「そうなると、キャンディの価値と、ダンジョンから持ち帰れるものの経済効果がどんどん上がる」
「結果、ダンジョン市場へ投資が集中する」
レオが引き取る。
「装備、育成、輸送、施設、学費、仲介、回収。なんでもだ」
ダナが続けた。
「しかも、ダンジョンを肯定する勢力と、否定する勢力が、どっちも別方向から金を動かす」
「……どういうことだ?」
主人公が聞くと、サムが少しだけ皮肉っぽく笑った。
「肯定派は、“危険でも金になるからもっと投資しろ”って動く」
「否定派は、“危険だから規制しろ、代替制度を作れ、保護しろ、監視しろ”って動く」
「どっちも金を使うのか」
「そういうこと」
サムは頷く。
「しかもキャンディ自体の市場価値が高いから、ダンジョンまわりの価格が全体的に引っ張られる。装備も、学費も、保険も、日本よりだいぶ高い」
主人公はそこで、ようやく全体像を理解した。
規制がある。
でも完全には止まらない。
止まらないどころか、危険だからこそ一部の価値が跳ね上がる。
その価値へ資本が群がる。
群がった資本に対して、否定派もまた別方向から制度と金を投じる。
その結果、ダンジョン関連だけじゃなく、周辺の価格帯まで巻き込んで膨らむ。
「だから、日本より大幅なインフレが起きたのか」
「そう」
ダナが頷く。
「今のアメリカ、ダンジョン否定派は“ダンジョンなんてなくなればいい”って言うけど、同時に“ダンジョンがないと金がなくて生きていけない”って状態の人間も多い」
「肯定派は逆に、“危険すぎる”って分かってるのに、そこへ金が集中してるから止められない」
マイクがそう補足する。
主人公は思わず小さく息を吐いた。
「地獄だな」
「割とそう」
サムはあっさり認めた。
しばらく、誰も喋らなかった。
ハワイの湿った風が吹く。
遠くで、別のグループの笑い声が聞こえる。
この島自体は明るくて、空も高くて、自由時間の空気は軽い。
なのに今話している中身だけは、まるで笑えない。
「で」
ダナが、少しだけ足を組み直してから言った。
「そのうえで、あんたは最初に“付与と拡張付与を取れ”って言ったわけか」
「ああ」
主人公は頷く。
「一見地味だから、後回しにされやすいけどな」
「でも、付与はどんな武器に対しても有効だ。剣でも槍でも、棍棒でも、銃以外のほとんど全部に乗る」
「それは分かる」
マイクがすぐに言う。
「でも拡張付与まで?」
「必要だ」
主人公は答えた。
「付与は“底上げ”だ。拡張付与は“役割を足す”。強化、頑丈、速度、いろいろあるけど、どれか一つ取れるだけで戦い方の幅が増える」
「それだけじゃなくて」
主人公はそこでダナを見る。
「素手にも乗る」
ダナの目がわずかに動いた。
「蹴りを主力にしてるお前なら分かるだろ」
「付与で脚そのものを強化できる。拡張付与が乗れば、蹴りの質まで変えられる」
「武器がいらないっていうのは、金がない環境だとかなりでかい」
ダナは数秒黙ってから、素直に頷いた。
「……たしかに」
「レア魔法を狙うのはそのあとだ」
主人公は続ける。
「付与と拡張付与があるだけで、武器でも素手でも伸びる。つまり、どの戦い方を選んでも腐りにくい」
サムが腕を組んだ。
「理屈は分かる」
「でも高い」
レオがぼそっと言う。
「だから最初に戻るんだよ」
主人公は言った。
「五十から六十個は、多少きつくても通る道だと思ってた」
「日本の五十個と、アメリカの五十個は重さが違うんだよ」
サムの返しは、冗談っぽいのに冗談になっていなかった。
主人公はその言葉を受けて、少しだけ考え込む。
たしかにそうだ。
同じ五十個でも、値段が違えば意味が変わる。
しかも生活基盤の不安まで絡むなら、単なる努力量では済まない。
「……そうなると」
主人公はゆっくり言う。
「強くなるための理屈が分かってても、入口の時点で詰むやつが多いのか」
「多い」
サムは即答した。
「だからみんな、どこかで賭ける」
「賭ける?」
「一発で高い魔法を引く方に寄せるやつもいる。武器を後回しにするやつもいる。命がけで潜って、キャンディを増やしてから考えるやつもいる」
それは、主人公からするとかなり危うい。
だが、金がないならそうなるのも分かる。
長期の育成プランを組む余裕がない。
だから短い勝ち筋へ飛びつく。
「だから、お前みたいなやつの話は価値があるんだよ」
サムが真面目な顔で言った。
「強くなる理屈を持ってるやつの話はな」
主人公はその言葉に、少しだけ困った。
自分の中では、これは当たり前の整理だ。
でも、環境が違えば、当たり前じゃなくなる。
「別に万能じゃないぞ」
主人公は言う。
「付与と拡張付与を取れば、誰でもすぐ強くなるわけじゃない」
「でも土台にはなる」
「そうだ」
そこははっきり認める。
レア魔法は魅力的だ。
強い。
派手だ。
だが、それだけで戦い切れるほど世界は甘くない。
地味で、どの武器にも乗って、どの体にも乗る魔法。
そういう“土台”の方が、長い目で見れば強い。
しばらくして、サムがふっと笑った。
「なるほどな」
「何だよ」
「お前が強い理由、ちょっと分かった」
主人公は眉を上げる。
「戦い方がうまいとか、速いとか、そりゃそうなんだけどよ」
サムは続けた。
「お前、強さを“積み方”で見てるんだな」
その言い方は、たぶんかなり本質に近かった。
主人公はしばらく黙ってから、小さく肩をすくめる。
「そうかもな」
ダンジョンが出てきてから、時間はそこまで長くない。
それでも差はつく。
その差は、ひとつのレア魔法だけでは生まれない。
どう積むか。
どこを土台にするか。
何を先に取って、何を後回しにするか。
そういう順序の積み重ねが、結局は大きな差になる。
そして、その差は国の環境によって、さらに広がる。
日本とアメリカ。
同じダンジョン時代のはずなのに、強くなるまでの前提がもう違う。
それが、今日ここで初めてちゃんとはっきり見えた気がした。
サムはそこで、また主人公を見た。
「日本に、お前くらい強い奴は他にもいるって言ったよな」
「ああ」
「そいつらも、似たような積み方をしてるのか?」
その問いに、主人公は少しだけ笑う。
「似てるやつもいる」
「でも、同じじゃない」
「どう違う?」
「それを話し始めると長くなる」
「いいじゃねえか。自由時間だろ」
サムがそう言うと、マイクたちも黙っていなかった。
「たしかに」
「せっかくなんだから聞きたい」
「日本の上澄みの話ってことだろ?」
主人公はそこで、空を見上げた。
ハワイの空は明るい。
自由時間の終わりまでは、まだ少し余裕がある。
そして、ここで話すことは、たぶん自分の頭の整理にもなる。
「……分かった」
主人公は小さく息を吐いた。
「じゃあ次は、“強さの積み方”の話をする」
サムが、いかにも楽しそうに笑う。
「それだ」
その反応を見ながら、主人公は少しだけ思った。
この自由時間、たぶんまだ終わらない。
でもそれでいい。
こういう話こそ、今のうちにしておく価値がある。
(つづく)




