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第132話 十発先まで読むための魔法

「……十分持つか、賭けだな」


 悠真は血の味が混じる息を吐きながら、そう呟いた。


 吸血鬼の姫は少し離れた位置で、赤い目を細めている。

 路地の壁。

 電柱。

 建物のひさし。

 そこら中へ張り巡らせた血液の糸が、夜の薄暗さの中でかすかに光を返していた。


 速い。

 血液の糸を使った物理加速と、高速移動。

 速度だけなら、互角。


 しかも相手は回復持ちだ。

 近づけば拘束。

 首筋を許せば吸血。

 初見で一番当たりたくない相手だった。


 だが、それでも時間を稼ぐしかない。


 朱衣はもう走っている。

 優奈と唯を呼ぶために。

 十分。

 いや、さっきの時点で「あと五分ある」と口では言ったが、実際にはどこまで保つか分からない。


 それでも、やるしかなかった。


「覚悟、できたか?」


 悠真が小さくそう言うと、吸血鬼の姫はくすりと笑った。


「それ、あなたが言うの?」


「俺が言うよ」

 悠真は口元だけで笑う。

「今日死ぬのがお前かもしれないんだからな」


 次の瞬間、二人の姿が同時にぶれた。


 高速移動。

 血液加速。


 音が遅れて追いかけてくる。

 悠真は正面から飛び込むように見せかけて軌道をずらし、吸血鬼の姫の横腹へ貫通を乗せた斬撃を叩き込んだ。


 斬れる。

 肉は裂ける。

 だが、止まらない。


 吸血鬼の姫は傷をものともせず、逆にその裂け目から血液を噴き出させ、糸状にして悠真の手首へ絡めようとした。


 悠真は高速移動で半歩だけ軸を外す。

 そのまま連撃。

 二発。

 三発。

 四発。


 首。

 肩。

 脇腹。

 膝裏。


 要所へ連続で刃を通す。


 だが吸血鬼の姫は、血を逆流させるみたいに傷を埋めていく。

 裂けたはずの肉が閉じる。

 削いだはずの肩口が、周囲に漂う血の粒を巻き込んで形を取り戻す。


「本当に面倒だな、お前」


「あなたも、かなりしつこいわよ?」


 吸血鬼の姫は笑いながら、また背後を取ろうとする。

 血液の糸が、夜の空気の中で細く鋭く伸びる。


 その時、悠真は初めて新しい魔法を切った。


「――《魔力連撃》」


 指先の動きとほとんど同時に、五発の魔力弾が空中へ現れた。


 小さい。

 だが密度が高い。

 単なる弾丸ではなく、凝縮した魔力の塊に近い。

 一発一発の威力は、普通の魔力弾より明らかに上。

 その上で、一度に五発。


 吸血鬼の姫がわずかに目を細める。


「へえ」


「感心してる場合か?」


 悠真はその五発を、正面へは飛ばさなかった。


 三発を左右へ散らし、二発を上へ。

 相手の身体ではなく、張り巡らされた血液の糸へ叩き込む。


 爆ぜる。

 魔力弾が血の糸を断ち切り、赤い線が宙でほどけた。


「っ……!」


 吸血鬼の姫が初めて、はっきりと苛立ちの混じった声を漏らした。


 血液の糸は、彼女の加速装置だ。

 建物や壁や路面へ絡め、それを引くことで速度を生む。

 なら、その糸自体を消せば、少なくとも“今と同じ速度”は出せなくなる。


 ただし、それだけでは足りない。

 吸血鬼の姫はすぐに次の血を伸ばそうとする。


 だから悠真は撃ち続けた。


「――《魔力連撃》」


 また五発。

 今度は糸が伸びようとした先へ先回りするように置く。

 四発で逃げ道を切り、一発を本命へ。

 そういう使い方だ。


 この魔法は、遠距離専用に取った札だった。


 一度に五発出せる。

 しかも追加で魔力を支払えば誘導もできる。

 だがコストが重い。

 普段ならまず使わない。

 緊急時専用だ。


 そして、今がその緊急時だった。


 吸血鬼の姫は速度を落とさずに糸を張り直そうとする。

 だが、張る先へ魔力弾が飛ぶ。

 あるいは張った瞬間に切断される。


 血。

 血。

 また血。


 路地の夜気へ、赤い線が生まれては消えていく。


 悠真は撃ちながら、高速移動を混ぜ、近づきすぎた時だけ貫通と連撃で押し返す。

 相手にとっても、今の距離はやりづらいはずだ。

 首筋へ入るにはもう一歩深く入る必要がある。

 だが、その一歩を踏み込むと、こっちの貫通圏へ入る。


 イタチごっこ。

 その言葉が一番近かった。


 斬っても治る。

 近づいても逃げる。

 遠ざかれば糸を張る。

 だからそれを撃ち落とす。


 その繰り返しだ。


 数分が過ぎた頃、吸血鬼の姫が口元を歪めた。


「時間稼ぎも、ここまで無様だと笑えるわね」


 その声には余裕があった。

 少なくとも、そう見せる余裕はまだある。


 悠真は荒くなりそうな呼吸を無理やり抑えた。

 内心では、かなりきつい。


 《魔力連撃》は重い。

 五発一組で出すだけでも重いのに、追加で誘導までかけている。

 しかも、高速移動を切らせば即死の距離感だ。

 両方を並行して回すのは、魔力だけでなく処理能力まで削ってくる。


 それでも、口から出す言葉は別だった。


「まだ三分ある」


「強がり?」


「事実だよ」


 その時、吸血鬼の姫が再び大きく距離を取った。

 逃げるためではない。

 血液の糸を一気に張り直すつもりだと分かる。


 悠真は、そこでようやく口元を吊り上げた。


「なあ」


 吸血鬼の姫が眉を動かす。


「気づいてるか?」


「何を?」


「もう、お前の血液の糸ないぞ」


 吸血鬼の姫の目が、ほんの一瞬だけ揺れた。


 反射的に周囲を見る。

 路地の壁。

 電柱。

 建物の陰。

 さっきまで自分の移動の基点になっていた血の線が、そこには一本も残っていない。


 全部切っていた。


 最初から、ただ無駄に弾を撃っていたわけじゃない。

 血液の糸の生成位置。

 よく使う支点。

 速度を乗せやすい角度。

 全部見ながら、そこへ五発ずつ散らして潰していたのだ。


 吸血鬼の姫の顔から、笑みが一瞬だけ消える。


「これから張り直しはもう無理だろ」

 悠真は低く言った。

「高速戦闘に対応しながらじゃな」


 それが、この魔法の本当の使い方だった。


 五発。

 その数には意味がある。


 一発は本命。

 残り四発は、支点になりそうな位置を潰す。

 あるいは逃げ道を切る。

 相手の動きの“次”を先読みして置くための数だ。


 そして、ただ撃って終わりじゃない。


 撃った後の全弾へ、悠真はずっと誘導制御をかけ続けていた。


 普通なら無理だ。

 高速移動の最中に、近接戦闘を回しながら、五発単位の魔力弾を何組も維持し、誘導し続ける。

 そんな処理、人間の頭では追いつかない。


 だが、悠真には《思考強化(分析寄-極)》がある。


 戦況を分解し、相手の次の支点を読む。

 そのための処理能力があったからこそ、成立した。


 吸血鬼の姫は舌打ちした。

 初めて、露骨な苛立ちが表へ出る。


 糸がない。

 正確には、張っても張っても切られる。

 そのせいで、彼女の動きから一つ、大きく削れたものがある。


 最高速だけじゃない。

 軌道変更の自由度。

 それに加えて――思考能力だ。


 血液の糸を張り巡らせた状態は、単なる移動手段ではない。

 血流そのものを制御しやすくなる。

 逆に言えば、糸を失うと体内の血の余裕が減る。


 貧血。

 頭に血が回らなくなる。

 ほんのわずかでも思考が鈍れば、この速度域では致命的だ。


 悠真はそこまで読んでいた。


「今、お前ちょっと頭回ってないだろ」


 吸血鬼の姫の表情が固まる。


「図星か」


「……うるさい!」


 怒声と同時に突っ込んでくる。


 だが、その動きは最初よりわずかに直線的だった。

 曲がり方が荒い。

 背後へ回るタイミングも甘い。


 悠真はそこへ貫通を混ぜた連撃を叩き込む。


 一撃。

 二撃。

 三撃。


 斬る。

 裂ける。

 治る。


 だが、さっきまでみたいな余裕はもうない。

 吸血鬼の姫は回復しながら、同時に周囲へ血液の糸を張り直そうとする。

 そこへ、空中に浮かんでいた魔力弾が追いかける。


「っ!?」


 吸血鬼の姫が咄嗟に首をひねる。

 避けた。

 だがその隙に、二発目が別角度から飛ぶ。


「ただ撃ってたわけじゃねえんだよ」


 悠真は吐き捨てるように言った。


 空中にストックしていた魔力連撃。

 全部の誘導制御を、ずっと裏で続けていた。

 相手が張り直そうとした瞬間だけ、そこへ流し込む。

 だから“弾が切れたように見えても”油断できない。


 吸血鬼の姫は、周囲に浮く大量の魔力弾を同時に相手しなければならなくなっていた。


 それだけで、十分に鬱陶しい。

 しかも糸は張れない。

 最高速も戻らない。

 頭も少し鈍っている。


 悠真にとっても、ここが勝負だった。


 あと一分。


 それを頭の片隅で数えながら、高速移動と連撃を止めない。

 だが、さすがに魔力の底が見え始めている。


 視界が少しぶれる。

 《魔力連撃》を撃つたびに、こめかみの奥が焼けるみたいに痛む。


 そしてついに、その時が来た。


 空中に残していた最後の魔力弾が、吸血鬼の姫の伸ばしかけた血液を撃ち抜いて消える。


 終わった。


 もう《魔力連撃》はない。

 魔力の都合上、これ以上は切れない。


 ここからは接近戦だけだ。


 吸血鬼の姫も、それを理解したらしい。

 赤い目が細くなる。


「もう終わり?」


「そう見えるか?」


 悠真は言いながら、足の感覚を確かめた。


 重い。

 高速移動の連発と、魔力連撃の制御で削られすぎている。

 吸血鬼の姫の方も同じだろう。

 移動へ持っていかれたエネルギーは、互いに馬鹿にならない。


 次の瞬間、二人とも一度、完全に止まった。


 止まらざるを得なかった。

 これ以上、無理に高速域を維持すればどちらかが先に崩れる。


 悠真は浅く息を吸い、口元の血を拭った。


「なあ」


 吸血鬼の姫を見ながら言う。


「ここで俺の血を吸って、俺の魔法コピーしたとして」


 吸血鬼の姫の目がわずかに揺れる。


「優奈と唯に、お前が勝てると思ってるのか?」


 挑発だった。

 だが半分は本気でもある。


「……何を言って」


「あいつらは二人なら、お前や俺より強い」


 吸血鬼の姫の唇が歪む。

 信じていない顔だ。

 でも、無視もできていない。


 今ここで悠真の血を吸えたとして、それで本当に全部解決するのか。

 その疑問を、一瞬でも植えつけられれば十分だった。


「証明してやるよ」


 悠真は震える手で、ポケットの中のトランシーバーを掴んだ。


 指先が少しぶれる。

 魔力連撃を使い切った反動で、視界も揺れている。

 それでも、握り潰さないように注意しながら、通信を入れる。


「近くにいるだろ⁉」

 声を張る。

「今すぐ来てくれ!」


 ざり、とノイズが返る。

 距離は近い。

 だが、戦闘音と息切れで少し乱れる。


 悠真は続けた。


「場所は――一層の、初めて優奈に魔法ガチャ飴について説明した場所だ!」


 ほんの一拍の沈黙。


 それから、はっきりした声が返ってきた。


『着きました! 合流します!』


 優奈だ。


 その声が聞こえた瞬間、吸血鬼の姫の目が変わる。

 焦り。

 警戒。

 そして、ほんのわずかな苛立ち。


 悠真はそこでようやく、口元に笑みを作った。


「役者はそろったな」


 路地の向こうから、足音が二つ。

 迷いのない速度で近づいてくる。


 一つは、発射を使い慣れた移動。

 もう一つは、静かで鋭い、無駄のない足音。


 優奈。

 唯。


 ここから先は、もう自分一人の戦いじゃない。


「ここからは――」


 悠真は吸血鬼の姫を見据えたまま、低く言った。


「優奈と唯、お前らの番だ」


 路地の入口へ、二つの影が現れる。


 吸血鬼の姫の笑みが、今度こそ完全に消えた。


 ここからは、優奈&唯 vs 吸血鬼。


 そういう戦いになる。


(つづく)

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