第129話 正体バレより重い案件
神野朱衣に正体がバレた、その事実を抱えたまま一晩寝たが、起きたところで状況が軽くなるわけではなかった。
むしろ朝になって、余計に実感が出た。
――ああ、本当にバレたんだな。
偶然の勘違いじゃない。
あいつは昔の配信アーカイブを、消された動画のミラーや切り抜きまで掘り返して見ていた。
何度も見返し、自分でも戦い方を真似しようとして、それでも足りない何かに引っかかっていた。
その上で、実戦の中で高速移動と貫通の組み合わせを見て、ようやく確信した。
つまり、あれは事故というより、時間の問題だった。
「……報告するか」
独り言のようにそう呟き、俺は朝からクラン本部へ向かった。
こういうのは、一人で抱えていてもどうにもならない。
少なくとも、相良と優奈には共有しておくべきだろう。
会議室へ入ると、相良はすでに席についていた。
数分遅れて優奈も来る。
三人だけのミーティングだ。いつもの空気ではあるが、今日は俺の方から切り出す話がある。
俺は席へ座るなり、前置きなしに言った。
「朱衣に、正体バレました」
数秒、部屋の空気が止まった。
最初に反応したのは相良だった。
「……マジか」
珍しく、その一言に本音がそのまま出ていた。
隣で優奈も、やっぱりなという顔と、実際そうなると重いなという顔を半々にしたみたいな表情になる。
「やっぱりばれちゃいましたね……」
優奈は小さく息を吐いた。
「あれだけ疑われてたら、そのうちバレるんじゃないかとは思ってましたけど」
「俺も、まあそうだろうなとは思ってた」
俺は正直に言った。
「でも想定より少し早かった」
「どういう流れでだ」
相良が聞く。
「一緒に潜ろうって言われて、断り続ける方が不自然だったから一回組んだ」
「高速移動を使わなければごまかせると思った。でも、俺がもう高速移動ありきで動きを作ってたのを甘く見てた」
そこまで言えば、相良にはもう大体伝わる。
「普通の速度では二手遅れた、か」
「そういうことです」
俺は頷いた。
「朱衣を巻き込む位置関係になって、結局、高速移動からのカウンターで貫通まで使った。そこで確信された」
相良は軽く目を閉じた。
責めるでもなく、呆れるでもなく、“それはもう仕方ないな”と判断している顔だった。
「で、向こうはどう出た」
「脅しとかじゃないです」
俺は答える。
「昔の配信アーカイブのファンだったらしいです。消された動画も、ミラーや切り抜きで集めて、何度も見返して、自分でも真似しようとしてたって」
優奈が目を瞬かせた。
「そこまで……」
「でも、何かが足りなくて上手くいかなかったらしい」
「多分、思考強化です。形だけ真似しても、あの頃の俺の戦い方は、敵の動きの先読みがないと噛み合わない」
「なるほど……」
優奈は少し納得したように頷いた。
相良はそこで、短く息を吐いてから言った。
「まあ、バレたのは仕方がない」
そこへ変な慰めはなかった。
だが逆に、その割り切り方がありがたくもある。
「朱衣の件は後回しにせざるを得ないくらい、今の案件が重い」
相良の声の温度が一段落ちる。
俺はそこで、ああ、今日はそっちが本題かと思った。
「オーストラリアですか」
「そうだ」
相良は机の上の資料を一枚、こちらへ滑らせた。
オーストラリアで発生したダンジョン。
現地政府の暫定報告。
そして、その下に赤線が引かれた一文。
ボス級個体の一体がダンジョン外へ出た可能性が高い。
「……うわ」
優奈が素直にそう漏らす。
俺も、表情までは崩さなかったが、内心ではかなり嫌な予感が強まっていた。
「前にも言っただろ」
俺は優奈へ視線を向けた。
「お前がクランに入った時、ダンジョンの外へ人間のふりして出る魔物もいるって」
「言ってました」
優奈はすぐ頷いた。
「その時は、そんなの本当にあるんだって思いましたけど……」
「ってことは」
俺は相良へ聞く。
「イギリスの魔物使役のツインテールのやつは死んだのか?」
オーストラリアの数の暴力型ダンジョン。
中型サイズのそこそこの強さの魔物が大量発生するタイプ。
そこへ、イギリスのツインテール少女――魔物使役の特級魔法持ちが一時的に引き抜かれた。
もし、ボス級が外へ出るほど現地が崩れているなら、真っ先に疑うのはその安否だ。
だが、相良は首を横に振った。
「いや、生きている」
「確認取れてるんですか?」
「使役魔物の反応で生死確認が取れている」
相良は即答した。
「少なくとも現時点では、本人の魔物使役が切れていない。つまり、生きている可能性が極めて高い」
そこは少し安心した。
安心したが、それで全部が良くなる話でもない。
「なら、外に出たやつがそいつを食ったわけじゃない、と」
「そうだな」
相良は資料をもう一枚めくる。
「しかも、外へ出た個体の目的は、単純な虐殺ではない可能性が高い」
「目的?」
優奈が聞き返す。
「ダンジョンの外へ出て、人間のふりをして暮らすことが目的っぽい」
会議室が、また少し静かになった。
俺は眉を寄せる。
「……最悪だな」
「最悪です」
優奈も小さく呟いた。
相良は続ける。
「見た目の姿を自由にいじれるらしい。詳しいことはまだ分からない。だが、イギリス側から来た注意喚起では、“怪しい人物がいれば警戒しろ”とある」
「怪しい人物って」
思わず俺は鼻で笑いそうになった。
笑えないのに。
「ノーヒントで人探しって言われても……」
「そこが問題だ」
相良も同意する。
「しかも厄介なのは見た目だけじゃない」
「まだあるんですか?」
優奈の問いに、相良は少しだけ間を置いてから答えた。
「魔物使役のツインテール少女へ何かしている可能性がある」
「何かって」
「記憶だ」
その一言で、俺は本気で嫌な気配を感じた。
「まさか」
「ツインテール少女の記憶をコピーしている可能性がある」
相良は静かに言う。
「つまり、見た目を似せるだけじゃなく、記憶の模倣までしている可能性があるということだ」
優奈が息を呑む。
「それって……」
「英語も日本語も話せる、ということだ」
俺が代わりに言った。
もし対象の記憶を読めるなら、言語も、癖も、関係性も、最低限はなぞれる。
外見だけの変装ならまだ救いがある。
だが記憶の模倣まで入ると、一気に見破りづらくなる。
「強さ測定不能のやつが、人間に紛れ込んでるわけだからな」
相良は淡々としていたが、言っている内容は冗談じゃなかった。
測定不能。
ボス級。
外へ出る。
人間のふり。
記憶模倣。
要素を並べるだけで最悪だ。
俺は思わず椅子へ深くもたれた。
「ヤバいな……」
「ヤバいです……」
優奈も完全に同じ感想だったらしい。
俺は頭の中で、カナダの一件を思い出す。
安居楽業一式。
あれはまだ分かりやすかった。
強い。
特殊。
厄介。
でもダンジョンの中にいて、敵として認識できた。
今回のこれは違う。
「カナダのパターンから言うと」
俺は低く言った。
「安居楽業一式クラスのやつが、人間のふりして自由に暮らしてる可能性があるのか」
その言葉に、優奈がわずかに肩を震わせる。
相良は否定しなかった。
「可能性としてはある」
「少なくとも、“普通の人間として見えているから安全”という判断はできなくなった」
「いや、でも」
俺は額に手を当てたくなった。
「それ、どう探すんですか。怪しいやつがいたら注意しろって、ノーヒントで言われても無理でしょう」
「無理だ」
相良はあっさり言った。
「だから注意喚起止まりなんだろう。イギリス側も、決定的な見分け方までは掴めていない」
「無茶すぎる……」
優奈がそう漏らすのも当然だった。
怪しいやつ。
でも外見は人間。
場合によっては記憶まで模倣。
言葉も自然。
なら、何を基準に警戒すればいい。
おかしい行動?
でも、おかしい人間なんていくらでもいる。
逆に、妙に自然すぎるやつを疑うべきなのか。
そんなの、日常の中ではほとんど無理だ。
相良はそこまで話してから、ようやく少しだけ声のトーンを落とした。
「現時点でこちらへ直接危害が来ると決まったわけではない」
「だが、英連邦圏の動き方を考えると、日本が完全に無関係で済むとも思えない」
「そこですよね」
俺は頷く。
オーストラリア。
イギリス。
カナダ。
旧大英帝国圏で、危険度の高いダンジョンが妙に連動している。
それが単なる偶然じゃないと思えてしまう時点で、もう面倒だ。
「オーストラリアの件、他にも動きはありますか」
「現地の封鎖と、内部調査の強化だな」
相良は言う。
「それから、イギリス側は例のツインテール少女をまだ帰していない。数の暴力型ダンジョンと魔物使役の相性が良すぎるからだ」
「本人は嫌がってないんですかね」
優奈がぼそっと言う。
「そこまでは不明だ」
相良は答えた。
「だが、少なくとも生きている。使役魔物の反応がまだ残っている以上、それはまず間違いない」
それは救いだった。
だが、救いがあることと、状況が悪くないことは別だ。
俺は小さく息を吐いた。
「朱衣に正体がバレた話、だいぶどうでもよくなってきましたね」
「そうなるだろうな」
相良は即答した。
「強さ測定不能のやつが人間に紛れ込んでる。そっちの方が重い」
「否定できないのが嫌だな……」
優奈はそこで、少しだけ考えてから言った。
「でも、そうなると余計に、身近な人間関係も雑にできないですね」
「どういう意味だ」
「だって、これから“人間かどうか分からない存在”まで疑わなきゃいけないなら」
優奈は慎重に言葉を選ぶ。
「朱衣さんみたいに、少なくとも人間で、しかも重い理由が分かってる相手の方が、まだマシなんじゃないかなって」
その発想は少し意外だった。
だが、言われてみればその通りでもある。
メンヘラ。
執着。
観察。
面倒。
でも、少なくとも人間だ。
動機もある程度見える。
外見も記憶も模倣したボス級魔物よりは、確かにまだ扱いやすい。
「……比較対象が悪すぎるだろ」
俺がそう言うと、優奈は苦笑した。
「それはそうです」
相良もそこへ少しだけ視線を落とした。
「いずれにせよ、朱衣の件は今すぐどうこうする話じゃない」
「向こうから暴露する気配がないなら、現状維持でいい。余計な刺激を与えるな」
「了解です」
「オーストラリアの件で何か追加があれば、また呼ぶ」
「最近その“また呼ぶ”が多いんですよ」
「仕方がない。世界が面倒な方向へ進んでいる」
それは本当にそうだった。
会議室を出る頃には、外はすっかり夕方になっていた。
空の色が少し重い。
日本へ戻ってきているはずなのに、イギリスやオーストラリアの影がまだ頭の中へ残っている。
廊下を歩きながら、優奈が小さく言った。
「ユウマくん」
「何だ」
「朱衣さんの件、正直ほっとしました」
「ほっと?」
「はい」
優奈は頷いた。
「正体バレは重いですけど、でも相手が誰か分かってるっていうだけで、まだ対処のしようがあるじゃないですか」
「……まあな」
「それに比べたら、顔も記憶も真似してるかもしれない魔物は、もっと嫌です」
「それは全面的に同意する」
そう返しながら、俺も少しだけ考える。
たしかにそうだ。
朱衣は重い。
面倒だ。
正体まで詰めてきた。
でも、それでもまだ“どういう相手か”は分かる。
未知のボス級魔物は違う。
こっちは何も分からない。
しかも、分からないまま人の顔をしている。
「なんかもう、最近の悩みの規模がおかしいですね」
優奈がぼやく。
「今に始まったことじゃない」
「それで済ませるには重すぎますよ……」
それもそうだった。
オーストラリアのダンジョン。
外へ出たボス級。
記憶模倣の可能性。
強さ測定不能の存在。
そして、神野朱衣に正体バレ。
大きい話と小さい話が同時に来る。
でも、この世界では大体いつもそうだった。
どれか一つずつ、順番に来てくれればまだ楽なのにと思う。
だが、現実はそうならない。
「とりあえず」
俺は廊下の先を見ながら言った。
「今は変に動かない。朱衣の件は現状維持。オーストラリアは追加情報待ち」
「はい」
「でも、怪しいやつを見たら一応警戒しろ」
「それ、すごく曖昧ですね」
「ノーヒントで人探ししろって言われてるんだから仕方ないだろ」
「それもそうです」
優奈は小さく笑った。
笑ったが、その笑いはすぐに消えた。
結局、笑って済む話じゃない。
だからこそ、こうして少しでも軽く言い換えないと、頭が重くなる。
窓の外には、もう夜に近い色が広がっていた。
世界はまた一段、面倒な方向へ進んだ。
それだけは、はっきりしている。
(つづく)




