第128話 隠すつもりで隠せない
二期生が入ってきてから数日。
学園の空気は、目に見えて変わっていた。
九州組が入ったことで訓練場の熱量は上がり、北海道組が入ったことで授業中の発想の飛び方が増えた。
どちらも面倒だが、どちらも無視できない。
その中でも、一番分かりやすく俺の生活へ食い込んできたのは、やっぱり神野朱衣だった。
休み時間に話しかけてくる。
昼休みに隣へ来る。
授業後に当然みたいな顔で一緒に歩こうとする。
そして、スマホのチャットは相変わらず多い。
どうやったら友達ができるのか。
優奈の配信はどう見ればいいのか。
北海道だとこうだったけど東京ではどうなのか。
その辺の、一見すると普通っぽい質問に混ざって、時々yuma関連の探りが入る。
あのチャット以来、朱衣は露骨に「あなたがyumaでしょ」とは言わなくなった。
だが、言わなくなっただけで諦めたわけではないのが分かる。
視線。
距離。
話を振るタイミング。
全部が、まだ観察の途中だ。
だからこそ、俺は適度に相手をして、適度に流す、という何とも言えない距離感を維持しようとしていたのだが――。
「結城くん」
その日も放課後、教室で帰り支度をしていると、朱衣が当然みたいな顔で近寄ってきた。
「何だ」
「一緒にダンジョン潜ろうよ」
言い方が軽い。
軽いのに、内容は全然軽くない。
俺は手を止めて、朱衣を見る。
「急だな」
「急かな?」
朱衣は首を傾げた。
「だって、友達って一緒にどこか行ったりするでしょ?」
「その基準でダンジョン選ぶやつ初めて見た」
そう返したが、朱衣は気にした様子もない。
「それに、結城くんが戦ってるところ見たいし」
その一言で、俺の中に軽い警戒が走る。
やっぱりそこか。
優奈がちょうど鞄を持ってこちらへ来たところで、その会話を聞いたらしい。
少し困ったように俺を見る。
「えっと……どうするんですか?」
断りたい。
正直、かなり断りたい。
でも、ここで断り続けるのも不自然だった。
もともと、朱衣は俺を疑っている。
その状態で「一緒に潜ろう」という誘いを何度も躱せば、逆に怪しさが増す。
しかも、相良に相談した時も言われた。
――小細工は必要ない。
――変に距離を取る方が面倒だ。
なら、一度は普通に組んでおくべきだろう。
ついでに、朱衣の実戦経験の薄さも見ておきたい。
あいつの魔力量は危険なレベルだが、戦い方そのものはまだ荒い。
今後関わる以上、一度見ておく価値はある。
「……分かった」
そう言うと、朱衣の顔がぱっと明るくなった。
「ほんと!?」
「ただし、深いところは行かない」
「うん!」
「勝手に突っ込むな」
「分かった!」
「多分分かってないな」
そうぼやいたところで、優奈が小さく苦笑した。
「ユウマくん、気を付けてくださいね」
「その言い方、俺が悪いみたいだな」
「半分くらいそうです」
「半分で済むか?」
「済みませんね」
即答だった。
まあ、その通りでもある。
潜る階層は浅めにした。
敵がそこそこ多く、かといって一撃で死ぬほどの危険は薄い層。
朱衣の実力を見るにはちょうどいいし、こちらも“普通の探索者っぽく戦う”余地がまだある。
……少なくとも、入る前まではそう思っていた。
「じゃあ、行こっか」
ダンジョンの入口前で、朱衣は妙に機嫌がよかった。
背負っているのは、例の魔力矢主体の戦い方に合わせた軽装のリュック。
見た目は可愛い。
でも、中身は多分あんまり可愛くない。
「先に言っとくけど」
俺は一応釘を刺す。
「今日は見るのが目的だ。無理に前へ出るな」
「えー」
朱衣は少しだけ不満そうに頬を膨らませた。
「でも私だって戦えるよ?」
「知ってる」
「知ってるけど、今日は俺も動き方を調整する」
「調整?」
「ただの荷物持ちってやつをやる」
そう言うと、朱衣はじっと俺を見た。
その視線には、「ほんとか?」という色がはっきり混ざっている。
だが、そこへ踏み込んではこなかった。
「ふーん」
「じゃあ、見てるね」
それが、あんまり良くなかった。
俺はこの時点で、まだ甘く見ていたのだ。
高速移動を使わなければ、何とか誤魔化せる。
最悪でも、二、三回ならごまかしが効く。
そう思っていた。
だが実際には、俺の戦い方そのものが、もう高速移動ありきで組み上がってしまっていた。
敵との間合い。
踏み込みのタイミング。
引く速度。
数が多い相手への対処。
全部が“速く動ける前提”で染みついている。
それを、普通の速度へ落とした状態で、いきなりダンジョンの魔物相手に戦う。
そのリスクを、俺は甘く見ていた。
入ってすぐ、小型魔物が三体。
その奥に中型が二体。
浅い層らしい構成だ。
普通なら何の問題もない。
俺はまず、なるべく“普通っぽく”剣を構えた。
高速移動なし。
踏み込みも控えめ。
必要最低限だけでさばく。
……つもりだった。
最初の一体を切る。
そこまではいい。
二体目へ行こうとした瞬間、自分の中で妙なズレが起きた。
遅い。
自分が思っているより、身体が前へ出ていない。
本来なら、そこはもう終わっている位置だ。
でも今はまだ届いていない。
「っ」
その一瞬の遅れで、三体目の位置がずれる。
朱衣が後ろから魔力矢を飛ばすが、俺の前を抜ける形になるので角度が悪い。
二手、遅い。
そう理解した時には、もう中型が前へ出てきていた。
「結城くん、右!」
朱衣が叫ぶ。
右から爪。
左から体当たり。
しかも後ろでは別の小型が跳ぶ気配がある。
普通の速度では、間に合わない。
その瞬間、俺の身体はもう勝手に動いていた。
考えるより先に、高速移動を切る。
世界が一瞬だけ遅く見える。
自分だけが、本来のテンポへ戻る。
右の爪を躱し、そのまま左の中型の死角へ潜り込み、小型の喉を斬り抜ける。
その流れで位置をずらし、最後に中型の攻撃軸を外す。
――やばい。
そう思った時には、もう遅かった。
朱衣の目が、明らかに見開いている。
だが、まだそれだけなら誤魔化せたかもしれない。
問題は次だった。
躱した先に、もう一体。
しかも今度は、朱衣の立ち位置が悪い。
魔力矢で対処するには近すぎる。
普通の速度で割り込めば、また二手遅れる。
中途半端に切れば、逆に朱衣が巻き込まれる。
なら、一番確実なのは一つだ。
俺は踏み込みと同時に、反射みたいに口の中で唱えていた。
――貫通。
剣先がそのまま魔物の防御を無視して深く刺さる。
カウンター気味に入った一撃は、そのまま中型の中心線を断ち、後ろの小型ごと貫いて止まった。
沈黙。
魔物が崩れる音だけが、やけに大きく響いた。
俺はその場で数秒、動けなかった。
やってしまった、という感覚が遅れて身体へ落ちてくる。
高速移動。
その上、貫通。
昔の俺を知っているやつが見れば、もう十分すぎる。
そして、案の定だった。
「その戦い方……」
朱衣の声が、震えていた。
振り向くと、あいつは少しだけ息を詰めた顔で俺を見ている。
驚き。
納得。
そして、それ以上の何か。
「間違いない」
朱衣はゆっくり言った。
「やっぱり結城さんがyumaだったんだ……!」
“結城くん”じゃなく、“結城さん”になっている。
そこに、今の一言の重さがそのまま出ていた。
俺は反射的に否定を探した。
でも、すぐに分かった。
ここで誤魔化す方が不自然だ。
高速移動だけなら、まだ何か別の言い訳もあったかもしれない。
でも、その直後のカウンター貫通まで見せてしまった。
しかも、この一連の流れ。
昔の配信を見ていたやつなら、確信してもおかしくない。
「……何でそう思う」
せめて、それだけは聞いた。
すると朱衣は、まるでその質問を待っていたみたいに、胸の前で手を握った。
「ずっと会いたかった……」
その言葉に、まず俺の背筋が少しだけ寒くなる。
「ずっとファンでした」
「初めて昔の配信アーカイブで見た時、戦い方も、声も、全部に惹かれてて……」
「お、重い……」
思わず心の声が漏れた。
十年前。
俺が本格的に配信へ出ていた時期なんて、本当に短い。
巫女服のあいつに会う前。
父さんの件を引きずりながら、必死で先へ進もうとしていた、あの少しだけの期間だ。
それを、何で今さら。
何でそこまで。
朱衣はそんな俺の内心なんて知るはずもなく、言葉を続けた。
「動画、消されてたのも多かったから、ミラーとか切り抜きとか、残ってるやつ全部集めたの」
「は?」
「何度も見返した」
「戦い方、真似しようともした」
「でも、何かが足りなくて、全然うまくいかなかった」
そこまで聞いて、俺はようやく少しだけ納得した。
ああ、そういうことか。
高速移動。
貫通。
カウンター。
たしかに見た目だけなら真似できる。
でも、それを成立させていた本当の核は別だ。
思考強化。
敵の動きの先読み。
位置の計算。
最適解を一瞬で選ぶ頭。
そこが足りなければ、同じ形だけ真似ても噛み合わない。
「……それで、歩き方とか話し方まで見てたのか」
俺がそう言うと、朱衣は少しだけ頬を染めた。
嬉しそうなのが、逆に怖い。
「うん」
「だって、声は変えられても、話し方の癖とか、歩く時の重心移動とか、そういうのって消しきれないでしょ?」
「消しきれない、って言うな」
「結城さん、優奈ちゃんの近くにいる“軍師”の人とすごく似てたから」
「でも、今日ので確信した。高速移動してから、あのタイミングで貫通のカウンター入れるの、昔の配信と同じだった」
俺はそこで、つい天井を見上げた。
そういえばあった。
最後の方、配信へ顔を出した時期。
貫通を取って、新しい戦い方を初披露した回が。
正直、自分ではあまり覚えていなかった。
あの頃の俺は、配信そのものより、生き残ることと、父さんを越えることと、自分の無力感を何とか押し込めることしか考えていなかったからだ。
それを何で、十年経った今も。
何でそんなに覚えているんだ。
「……いつの話だよ」
思わずそう呟くと、朱衣は小さく笑った。
「十年前だよ」
「分かってる」
「でも、私にとっては“その時”のままだったから」
その言い方が、また重い。
俺は本気でどう返していいか分からなくなった。
否定はもう無理だ。
でも、肯定したところで、朱衣が求めているものにどう応えればいいのかが分からない。
ただ、少なくとも一つだけは分かった。
神野朱衣が正体へ辿り着いたのは、偶然でも勘でもない。
執着して。
観察して。
消えた配信を追いかけて。
切り抜きとミラーを拾って。
何度も見返して。
自分でも真似しようとして、それでも足りない何かに引っかかって。
その積み重ねの果てに、ようやく今日ここへ繋がった。
つまり、必然だった。
「……とりあえず」
俺はようやく声を絞り出した。
「その話は、ここで大声でするな」
朱衣はぱちぱちと瞬きをしてから、すぐに真剣な顔で頷いた。
「うん。分かってる」
「あと、別にお前の期待通りの人間じゃないぞ」
その言い方は、自分でも少しだけ情けないと思った。
でも、先に言っておきたかった。
配信の中のyumaと、現実の俺は一致しない。
少なくとも、十年前の映像のままではない。
すると朱衣は、少しだけ不思議そうな顔をした。
「そんなの、最初から分かってるよ?」
「……は?」
「だって十年経ってるんだし」
「私が会いたかったのは、“昔の動画の中の人”じゃなくて、その続きにいる今のyumaだから」
その返しが、あまりにも真っ直ぐで、一瞬だけ言葉に詰まる。
重い。
やっぱり重い。
でも、その重さの中に変な打算がないのが余計にやりづらい。
「なんか、思ったより冷静だな」
「興奮はしてるよ?」
朱衣は少しだけ笑った。
「でも、やっと本当に会えたって思ったら、逆に変に騒いだら嫌われる気がして」
それはそれで自己分析ができているのが怖い。
俺は小さく息を吐いた。
「……友達の定義、重いな」
「そうかな?」
「かなりだよ」
そう返すと、朱衣は嬉しそうに笑った。
その笑い方がまた、何とも言えず扱いに困る。
結局、その日の探索はそこで終わりにした。
これ以上続けても、俺の方が落ち着いて戦えない。
帰り道。
朱衣はあまり多くを喋らなかった。
妙に静かで、でも機嫌はいい。
だから余計に怖い。
別れ際、朱衣はいつもの軽い口調で言った。
「じゃあまた明日ね、結城さん」
結城“くん”じゃない。
そこに、もう前とは違う認識がはっきり入っていた。
俺は短く手を上げて、それだけで返した。
その夜、案の定チャットが来た。
朱衣:今日、ありがとう
朱衣:やっと本当に会えた感じがした
俺はしばらく画面を見つめたあと、短く返す。
悠真:大げさだ
すぐに既読がつく。
朱衣:大げさじゃないよ
朱衣:ずっと会いたかったから
やっぱり重い。
でも、不思議と、前ほどの“どうしようもない面倒さ”だけではなくなっていた。
神野朱衣が厄介なのは変わらない。
メンヘラで、距離感が壊れていて、執着が強い。
でもそれだけじゃない。
あいつはちゃんと見ていた。
十年前の戦い方を。
足りないものまで含めて、理解しようとしていた。
それを知ってしまうと、雑には扱いづらい。
「……最悪だな」
独り言のようにそう呟いて、スマホを伏せる。
正体バレは、偶然じゃなかった。
そして、どうやらもう取り返しはつかない。
でも、それならそれで、やることは一つだ。
下手に誤魔化さない。
変に演じない。
ダンジョンのことは答える。
必要な時は手を貸す。
結局、相良に言われた通りだった。
面倒ごとは増えた。
けれど、少なくとも今はまだ、完全に悪い方向へ転がったわけじゃない。
そう思うしかない程度には、俺ももう、この手の厄介ごとに慣れすぎていた。
(つづく)




