第127話 メンヘラは観察力が高い
二期生の受け入れが始まった日、悠真は朝から妙に落ち着かなかった。
理由は分かっている。
北海道組と九州組が本格的に入ってくるからだ。
九州の槍使いたちも面倒そうだが、そっちはまだ分かりやすい。戦い方も目的も、ある程度は見えている。
問題は、北海道のピンク髪だった。
神野朱衣。
見た目はゆるふわ。中身は距離感が壊れている。
そして、魔力量だけなら明らかに異常。
その上で、学園へ来た理由が「yumaと友達になりたいから」という、どう考えても普通じゃない女子。
前に相良へ相談した時の返答が頭に残っている。
――小細工は必要ない。
――向こうはyumaの知識と思考能力を見ている。そこが本物なら、下手に演じる方が危ない。
理屈は分かる。
分かるが、だからといって「メンヘラとの正しい距離感」が身につくわけじゃない。
「ユウマくん、朝から顔が固いです」
隣を歩いていた優奈が、少しだけおかしそうに言った。
「固くもなるだろ」
「やっぱり朱衣さんのことですか?」
「それ以外に何がある」
そう返すと、優奈は小さく笑った。
「大丈夫ですよ。少なくとも、いきなり刺されたりはしないと思います」
「基準が怖い」
でも、その軽口のおかげで少しだけ気が紛れたのも事実だった。
今日は二期生の顔合わせがある。
形式としては簡単な歓迎とオリエンテーション。
けれど実態は、“新しい厄介ごとが学園へ正式に流れ込んでくる日”みたいなものだ。
講堂へ入ると、二期生側はすでにそこそこ人が集まっていた。
九州勢は相変わらず槍使いらしい空気がある。姿勢が妙に整っていて、立ち姿だけで「訓練されてるな」と分かるやつが何人もいる。
北海道勢は逆だ。
武器も雰囲気もばらばら。
だが、そのばらばらの中に、“各自が勝手に完成してきた”感じがある。
そして、やっぱりすぐ見つかった。
ピンク髪のセミロング。
人混みの中でも、あいつは妙に目立つ。
「……いたな」
悠真がそう呟いたのと、朱衣の視線がこちらを捉えたのはほぼ同時だった。
一瞬、目が合う。
その次の瞬間には、朱衣はぱっと顔を明るくして、まっすぐ優奈の方へ歩いてきた。
「優奈ちゃん!」
いきなり距離が近い。
近いどころか、最初から友達の続きみたいなテンションだった。
優奈も少しだけ驚きながら反応する。
「え、あ、はい」
「配信いつも見てるよ! 友達になろ!」
速い。
さすがに速すぎる。
だが、ここで優奈が引かないのもまた優奈らしかった。少し困った顔をしながらも、ちゃんと返す。
「えっと……よろしくお願いします」
「やった!」
朱衣は本気で嬉しそうに笑った。
その笑顔だけ見れば、ただ距離感の近い明るい子にしか見えない。
でも、そのあとすぐに視線が横へずれる。
「あれ?」
朱衣は悠真の方を見た。
「結城くんは?」
「何だよ」
「優奈ちゃんの彼氏?」
周囲の空気が、ほんの少しだけ止まった。
優奈が「えっ」と変な声を出し、悠真は思わず眉をひそめる。
「違う」
答えは即答だった。
「ただの同級生だ。裏方で荷物持ちしてるだけ」
それは、いつものように自分を低く見せるための逃がし方だった。
下手に否定へ力を入れると、かえって変な勘繰りを呼ぶ。
なら、最初から自分を雑に扱っておけばいい。
朱衣は「ふーん」と言って、数秒だけ悠真の顔を見た。
その視線は、一見すると軽い。
でも、何かを測っている気配がある。
「そっか」
そして次の瞬間には、またふっと柔らかく笑った。
「よろしくね、結城くん!」
態度が軽い。
いや、軽く見せるのが上手いのかもしれない。
朱衣はそのまま両手を合わせるみたいにして言った。
「ねえねえ、連絡先交換しようよ」
断った方が面倒になるのは明白だった。
悠真と優奈は顔を見合わせ、それからほぼ同時に諦めたようにスマホを取り出す。
交換自体は一瞬で終わる。
「ありがと!」
朱衣は機嫌よく笑った。
「じゃあまたあとでね!」
そう言って去っていく背中を見送りながら、悠真は小さく息を吐いた。
「思ったより普通だったですね」
優奈がそう言う。
「入口だけならな」
そう返しながらも、悠真自身も少しだけ同じことを思っていた。
思っていたのだが。
普通じゃなかったのは、その後だった。
昼休みの時点で、スマホが震える。
放課後にも震える。
帰宅途中にも震える。
夜になっても震える。
送り主は全部、神野朱衣。
「……多いな」
思わずそう呟く。
優奈と別れたあと、一人で帰りながらチャットを開いてみる。
最初の方は、まだ普通だった。
朱衣:ねえねえ、優奈ちゃんって配信外でもあんな感じ?
朱衣:友達ってどうやって作るのが正解なんだろ
朱衣:結城くんって昔から優奈ちゃんと仲いいの?
朱衣:北海道だと私ちょっと距離感近いって言われるんだけど、東京でもやっぱそうかな?
ここまではまだいい。
いや、良くはないが、まだ話題の方向としては理解できる。
問題は、その頻度だった。
既読がつくと、ほぼ間を置かず次が来る。
返すと、さらに増える。
朱衣:ねえ、どうやったら友達できると思う?
朱衣:やっぱり最初に重いって思われない方がいいのかな
朱衣:でも最初から距離置くと、そのまま友達になれなくない?
朱衣:結城くんはどう思う?
朱衣:あ、今忙しい?
朱衣:既読早いね
「最後が一番怖いな……」
呟いて、思わずスマホを少し離した。
しかもチャット内容は、半分くらいが本気で友達の作り方について悩んでいるっぽいのに、残り半分は妙に鋭い方向へ寄ってくる。
朱衣:優奈ちゃんってさ、配信中と配信外でちょっと判断速さ変わる時ない?
朱衣:あれって誰か横で指示してる時と、してない時の差だよね?
朱衣:結城くんって、優奈ちゃんの配信にたまに出てる?
朱衣:荷物持ちって言ってたけど、それだけ?
読んでいるうちに、悠真の眉間の皺がだんだん深くなっていく。
「観察してるな……」
ただの勘のいい女子じゃない。
こいつ、配信を見て“分析”している。
しかも、配信者の視聴者としてというより、もっと粘着質な観察に近い。
どの回に誰が近くにいるか。
優奈の判断速度の変化。
画面外の気配。
そういうものを断片で拾い集めている。
それでも、まだこの時点では決定打じゃない。
だから悠真も、返事はなるべく無難に流していた。
悠真:友達は急ぎすぎない方がいいんじゃないか
悠真:配信は見てるだけだ
悠真:優奈は元からあんな感じだろ
だが、数日経った頃。
ついに、そのチャットが来た。
夜。
風呂上がりにスマホを確認した時、通知欄の一番上にそれがあった。
朱衣:ねえねえ絶対yumaの正体って結城くんだよね?
「……来たか」
思ったより早かった、というのが正直な感想だった。
ただ怪しんでいるだけなら流せる。
でも、こいつはもうかなりのところまで詰めてきている気がする。
悠真は数秒だけ画面を見つめ、それから返信した。
悠真:なんでだ?
否定しない。
肯定もしない。
まずは相手の根拠を吐かせる。
返事は驚くほど早かった。
朱衣:だって優奈ちゃんの近くには基本yumaがいるよね?
朱衣:それは間違いない
そこで一度、悠真の指が止まる。
やっぱり、そこから来るか。
次のメッセージが続いた。
朱衣:yumaが指導するなら、常に近くにいないとイレギュラーに対処できないじゃん
朱衣:ダンジョンって常に状況変化するし、配信しながら離れた位置から教えるの無理だよね
朱衣:つまり常に配信中、優奈ちゃんの近くにいる“軍師”って呼ばれてる男の人=yuma
そこまで読んだところで、悠真は小さく息を吐いた。
軍師。
たしかに、一部の視聴者はそういう言い方をしていた。
配信画面へはあまり映らず、でも優奈の判断が急に鋭くなる時、その近くにいる誰か。
それが軍師呼ばわりされているのは知っている。
問題は、その次だった。
朱衣:で、結城くん=優奈ちゃんの近くにいる“軍師”って呼ばれてる男性
朱衣:ここまででかなり怪しい
悠真はそこで、一度だけ笑いそうになった。
かなり怪しい、で済ませるのかと思った。
でも朱衣は、そこで止まらなかった。
朱衣:しかもね、配信中ボイスチェンジャーとかモザイク使ってるっぽいけど、話し方とか歩き方で分かるんだよ
「歩き方で分かるって何だよ……」
思わず声が出た。
けれど、出たところで現実は変わらない。
朱衣はさらに続ける。
朱衣:優奈ちゃんが危ない時の直前、結城くんっぽい人が少しだけカメラ外で動く回がある
朱衣:そのあと優奈ちゃんの判断が急に最適化されることが多い
朱衣:あと、結城くんが学校で歩く時の重心移動と、配信に映る“軍師”の歩き方がかなり似てる
そこまで読み切って、悠真は天井を見た。
「重いなあ……」
相良の言っていた“観察される側”というのは、多分こういうことだったのだろう。
ただのファンなら、声や顔だけで終わる。
でも朱衣は違う。
画面外の気配。
歩き方。
判断が変わるタイミング。
それを全部繋いでいる。
つまり、もう確信に近い。
この質問は“知りたい”じゃなく、“確認したい”側の聞き方だ。
悠真は少しだけ考えて、それから返信を打った。
悠真:そう思う根拠は分かった
悠真:でも証拠にはならないだろ
数秒。
既読。
すぐに返ってくる。
朱衣:うん、だから今確認してるの
そこが怖い。
断定して責めるんじゃなくて、まだ揺さぶりの範囲へ留めている。
つまり、本人の反応も材料にする気なのだ。
朱衣:でも、結城くんって否定の仕方がちょっと変だよね
朱衣:普通なら“違うよ”って先に言わない?
朱衣:根拠は分かった、って返し方するの、なんかyumaっぽい
「うわ、やりづら……」
ここで雑に否定すると、多分逆効果だ。
でも認めるわけにもいかない。
悠真はスマホを持ったまま、少しだけ考え込んだ。
否定しきれない。
でも、証拠はない。
朱衣は今、“確信七割くらいの状態で、残りを本人の反応から埋めにきている”。
それが分かるからこそ、余計に面倒だった。
そこで、今度は逆に質問を返す。
悠真:仮にそうだったとして、どうするつもりなんだ
この返しも、肯定ではない。
ただ、向こうの出方を見たい。
朱衣の返信は、また少しだけ間を置いて返ってきた。
朱衣:え、どうもしないよ?
朱衣:だって私はyumaと友達になりたいだけだもん
その一文を見た瞬間、悠真は思わず目を閉じた。
ああ、そうか。
そういうことか。
朱衣にとって、この問いは暴露でも脅しでもない。
“友達になりたい相手が、本当にその人か確認したい”だけなのだ。
だから余計に厄介だった。
朱衣:もし結城くんがyumaなら、もう半分くらい友達になれてるってことになるし
朱衣:違うなら違うで、結城くんとは結城くんで友達になりたいし
「それ、逃げ道ないやつじゃないか……」
ぼそっと呟く。
否定しても友達。
肯定しても友達。
どう転んでも逃げられない理屈だった。
しかも、その文章の裏に変な悪意はない。
本気でそう思っているのが分かる。
だからこそ、下手に切れない。
悠真はしばらく考えてから、なるべく平坦な文で返した。
悠真:少なくとも、ダンジョンの話なら答えられることは答える
悠真:それで十分だろ
それは、相良の助言にかなり近い返しだった。
小細工はしない。
変に理想の友達を演じない。
ダンジョンのことを聞かれたら答える。
返答はすぐ来た。
朱衣:うん、それでいいよ
朱衣:やっぱり結城くん、思ってた通りだね
その“思ってた通り”が何を指しているのかは、聞かない方がいい気がした。
スマホを伏せる。
静かになった部屋で、悠真は天井を見上げながら、小さく息を吐いた。
「面倒くさい……」
でも同時に、少しだけ認めるしかないこともある。
神野朱衣は、ただ重いだけのメンヘラじゃない。
あれは観察者だ。
執着する対象を、異様な精度で見続けるタイプだ。
だからこそ、yumaの正体へも近づいた。
偶然ではなく、必然で。
翌日。
教室へ入ると、朱衣は昨日までと同じように、いや、昨日まで以上に自然な顔で手を振ってきた。
「おはよ、結城くん!」
声は明るい。
態度も軽い。
昨日のチャットの重さが嘘みたいだった。
優奈が横で、少しだけ不思議そうな顔をする。
「……何かあったんですか?」
「何もない」
「顔が、何かあった顔してます」
「気のせいだ」
だが、そのやり取りの最中にも、朱衣の視線は一瞬だけ悠真を捉えていた。
軽い笑顔の奥で、あいつはきっとまだ観察している。
話し方。
歩き方。
優奈との距離。
ダンジョンの反応。
面倒な二期生が入ってきた。
その認識は、もう修正しない方がいいだろう。
でも同時に、危険な原石が、かなり鋭い観察者でもあると分かった以上、雑に扱うのはもっと危ない。
「ユウマくん」
優奈が小声で言う。
「何だ」
「朱衣さん、普通に馴染んでますね」
「今のところはな」
「今のところ?」
「……なんでもない」
そう返しながら、悠真は小さく思う。
正体バレは、偶然じゃない。
この先、隠し続けられるかどうかは分からない。
でも少なくとも今は、まだ“確認中”の段階だ。
だったら、こちらもまだ動ける。
それに――。
神野朱衣が求めているのが、本当にyumaの知識と思考能力なら。
変に逃げるより、相良の言う通り、答えを出し続ける方がまだましかもしれない。
そう思えるくらいには、悠真ももう、この手の厄介ごとに慣れ始めていた。
(つづく)




