第125話 買い占める理由と、まだ見えていない次の国
イギリス側との反省会兼合同会議が終わったあとも、会場の空気はしばらく重かった。
重いのは当然だ。
ダンジョンの中で実際に人が死にかけた。
試作トランシーバーが、その現場で人命を救った。
しかも、その便利さを見た直後に、政府側の監査員が「相場の十倍で買い取るなら買い占めは可能か」と平然と口にしたのだ。
教育交流だとか、共同研修だとか、そういう綺麗な言葉で包んでいたものが、最後の最後で一気に剥がれた気がした。
技術。
独占。
優位性。
金。
国家。
要するに、そういう話だった。
会議室を出て、宿舎へ戻るための長い廊下を歩いている途中、俺は横を歩く相良へ、どうしても気になっていたことをそのままぶつけた。
「いや、便利なのは認めますよ」
俺がそう切り出すと、相良は歩幅も変えずにこちらを見た。
「だが?」
「トランシーバーが便利なのは分かる。でも、五十個もあれば十分でしょう」
俺は率直に言う。
「現場で回すだけなら、そんなに要らない。なのに、わざわざ買い占める必要ってあるんですか?」
五十個。
いや、正確には三十でも、四十でも、運用次第では十分だろう。
全員へ配れなくても、班長と引率、上位生、救助担当に持たせれば最低限の網は作れる。
それはもう、今日の実地で証明されていた。
だったら、十倍だの買い占めだの、そこまでの話になる理由は何だ。
相良は、少しだけ黙ってから答えた。
「おそらくイギリスは、ダンジョン攻略において他国より優位に立ちたい」
その一言で、ほぼ答えは出ていた。
「ダンジョン攻略でいろいろやっているのは、それが一番の理由だ」
相良は続ける。
「若手の合同研修もそうだ。日本の学園を呼んだのもそう。自国の学生を死なせたくないのは事実だろうが、それだけじゃない。今後を見据えた時、“どの国が先にダンジョン攻略を体系化するか”で立ち位置が変わると見ている」
「……で、その通信機が他国へ渡ると困ると」
「困るだろうな」
相良は頷いた。
「他の国へトランシーバーが渡ってしまえば、ダンジョン攻略が大きく進む。救助速度も、連携も、探索速度も上がる。イギリスはただでさえ、初見殺しのオンパレードで超不利だ」
その言い方には、妙な現実味があった。
実際、イギリスダンジョンは、少なくとも学生を育てる環境として見れば最悪に近い。
一層から低確率でランダム転移。
閉鎖式の落とし穴。
宝箱の高確率トラップ。
角を曲がるだけで死ぬかもしれない。
ああいうダンジョンで、他国と同じペースで攻略を進めようとする時点で、もともとの条件が悪すぎる。
そこへ“通信”みたいな札まで全員へ配られたらどうなるか。
イギリス側から見れば、ただでさえ不利な初見殺し環境の価値が相対的に下がる。
それが気に入らないのだろう。
「つまり、必要数の問題じゃないんですね」
俺がそう言うと、相良は短く答えた。
「そういうことだ」
「足りる足りないの話ではない。自分たち以外に持たせたくない。あるいは、持たせるとしても、自分たちの管理下で配りたい。そういう発想だろう」
国家ってのは面倒だなと、改めて思う。
でも、面倒だからこそ分かりやすくもある。
欲しい。
でも、自分たちだけが欲しい。
それだけの話なのだ。
俺は少しだけ鼻で笑った。
「欲張りすぎでしょう」
「国家は大体そうだ」
相良の返しは、妙に即答だった。
まあ、その通りだ。
しばらく黙って廊下を歩く。
窓の外には、イギリスらしい曇天が広がっていた。
晴れ切らない空だ。
それが妙にこの国らしくて、少しだけ嫌になる。
そして、その曇り空を見ながら、俺はふと、もう一つ別のことを口にした。
「近いうち、オーストラリアで超危険なダンジョンが発生する可能性が高いです」
相良の足が、ほんのわずかだけ止まった。
「……なぜ分かる?」
その聞き返しは短かったが、声の温度が少しだけ変わっていた。
冗談として流すかどうかを、一瞬だけ測ったのだろう。
俺はそこで、わざとらしく肩をすくめてみせた。
「未来予知があるからです」
相良は無言で俺を見た。
「……本気で言っているのか?」
「大嘘です」
「だろうな」
即座に切られた。
まあ、そうなる。
でも、あの相良が一瞬だけでも可能性を検討したのなら、それはそれで面白かった。
「なら、本当の理由は?」
問われて、俺は少しだけ口元を引き締める。
ここから先は、冗談では済まない。
ただの勘でもない。
「まだ推測です」
俺はそう前置きした。
「でも、多分当たってます」
相良は続きを促さなかった。
だから、俺もそこでは言わなかった。
全部をここで話してしまうと、話が広がりすぎる。
それに、今の段階では確証の出しようがない。
だから、その場ではそれ以上を飲み込み、俺たちはそのまま宿舎へ戻った。
日本へ戻ったのは、その二日後だった。
行きより帰りの飛行機の方が、全体に静かだった気がする。
疲れているのもある。
実際にイギリスダンジョンへ入ったせいで、全員の中であの国への印象が“噂”から“体験”へ変わったのもあるだろう。
学園へ戻ってからも、その余韻はしばらく消えなかった。
授業中でも、食堂でも、廊下でも、話題はイギリスダンジョンのことばかりだ。
宝箱に触れるな。
転移後は三分動くな。
床の色を見ろ。
角を曲がる前に死ぬかもしれない。
そんなマニュアルを事前に読まされて、実際に行ってみれば、だいたいその通りだったのだから印象に残らない方がおかしい。
放課後、俺と優奈はいつものように訓練場へ向かう前に、校舎裏の自販機前で足を止めていた。
優奈が買ったペットボトルを受け取りながら、しばらく黙っていたかと思うと、ようやく口を開いた。
「ユウマくん」
「何だ」
「あれ」
「どれだ」
「イギリスで相良さんに言ってたやつです」
優奈は俺を見上げる。
「未来予知があるからって、あれ嘘ですよね?」
「嘘だな」
「ですよね」
そこは一秒も迷わなかった。
優奈は少しだけ頬を膨らませる。
「やっぱりです」
「本当は、なんでオーストラリアなんですか?」
その問いは、前から来ると思っていた。
優奈は、気になったことをそのまま飲み込めるタイプじゃない。
しかも今回は、ただの思いつきに見える話じゃなかった。
俺は自販機の横へ寄りかかりながら、少しだけ空を見上げる。
「この世界のダンジョンの難易度の括りってさ」
俺はゆっくり言った。
「どうも、現代の国境線で止まってないっぽいんだよ」
優奈が目を瞬かせる。
「現代の国境線、じゃない?」
「ああ。もっと正確に言うと、第二次世界大戦期の勢力圏とか、旧宗主国圏みたいな括りで止まってる感じがする」
「……えっと」
優奈はすぐには飲み込めなかったらしく、少し困った顔になる。
それはそうだ。
いきなりそんなことを言われて、すぐ分かる話じゃない。
だから俺は、順番に説明することにした。
「前から、なんかおかしいと思ってたんだよ」
「国ごとのダンジョン難易度が、今の国力とか、今の政治状況だけで決まってるなら、説明がつかないズレが多い」
「ズレ?」
「例えばカナダ」
俺は言う。
「カナダ単体で見れば、あそこまで極端な式神ダンジョンが出る理由が薄い。アメリカと近いけど、アメリカと同型でもない。今の国境で考えると、むしろ半端なんだよ」
優奈は小さく頷いた。
「たしかに、カナダだけちょっと変でした」
「でも、あれを“カナダという国”じゃなく、“旧大英帝国圏”とか“第二次大戦期の英連邦圏”で見ると、急に筋が通る」
「イギリス本国が、あの殺意高すぎる初見殺しダンジョンだろ。カナダも、別系統だけどやたら面倒で適応力の高いダンジョンだった。難易度の方向は違っても、“初見殺しが強い”“正攻法が噛み合いにくい”っていう性格は似てる」
優奈の表情が、少しずつ真面目なものへ変わっていく。
「なるほど……」
「今まで、国ごとの情報を地図に落として、ちょくちょく思考強化で整理してた」
俺は続けた。
「その時は確信まではいかなかった。でもカナダでだいぶ濃くなった。イギリス本国と別の国なのに、妙に同じ“系統の嫌さ”がある。しかも、今の国家単位で見るより、旧宗主国圏の方が綺麗に説明できる」
「それで、オーストラリア……」
「そう」
俺は頷く。
「次に危ないのがどこかって考えた時、旧大英帝国圏で、まだ本格的にでかい話が出てない主要国がそこなんだよ」
オーストラリア。
地理的には離れている。
でも歴史的には、イギリスの影響圏のど真ん中だ。
第二次大戦期の勢力圏で見ても、英連邦の重要地域だった。
「もちろん、確定じゃない」
俺はそう釘を刺す。
「でも、今までの傾向だけ見るなら、かなり怪しい」
優奈はペットボトルを両手で持ちながら、小さく言った。
「なるほど……」
「だから次はオーストラリア。イギリス領だったから、というか……」
「旧大英帝国圏、だな」
俺は補足する。
「国境そのものじゃない。どの勢力圏に属してたか。どの宗主国の下にいたか。そっちでダンジョン難易度の括りが残ってるっぽい」
「それ、すごく嫌な法則ですね」
「めちゃくちゃ嫌だよ」
本音だった。
現代の世界が、今のルールで動いているならまだ分かる。
でもダンジョンが参照しているのが、古い戦争期の勢力圏とか、旧宗主国圏みたいなものだとしたら、話は一気に面倒になる。
今の国家関係だけ見ても意味がない。
歴史まで引っ張り出さないと、次の危険地帯が読めない。
優奈はしばらく黙っていた。
頭の中で、イギリスとカナダとオーストラリアを並べているのだろう。
「じゃあ、逆に言うと」
やがて優奈が言った。
「国ごとに見てたら分からないものが、昔の勢力圏で見ると分かるかもしれないってことですよね」
「そういうことだ」
「うわあ……」
優奈は心底嫌そうな顔をした。
「それ、知っちゃうと今後ニュース見るたびに嫌な想像しちゃいます」
「俺は前からしてる」
「それも嫌です」
少しだけ笑いそうになったが、実際、笑えない話でもある。
もしこの推測が当たっているなら、オーストラリアだけで終わらない。
他の旧勢力圏も、その括りの中で何かしら連動している可能性がある。
今までの発生順。
本格始動のタイミング。
難易度の方向性。
全部、見直さなきゃいけない。
「相良さんには、ちゃんと本当のこと言うんですか?」
優奈の問いに、俺は少しだけ考えた。
「いずれは言う」
「でも、今の段階じゃまだ推測が多い。未来予知よりはましだけど、それでも“思考強化でそう見えた”だけじゃ、根拠として弱い」
「未来予知よりはましって、基準が変です」
「でも嘘よりはいいだろ」
「それはそうですけど」
優奈は苦笑してから、少しだけ真面目な顔で言った。
「ユウマくんって、そういうの一人で考えすぎるところありますよね」
「そうか?」
「あります」
優奈はきっぱり言った。
「一人で整理して、一人で納得して、一人で“まだ言う段階じゃない”って決めるところ」
その言い方に、少しだけ言葉が詰まる。
自覚がないわけじゃない。
でも、誰かへ話す前に自分の中である程度形にしたいのも事実だった。
曖昧なまま口にして、無駄に周囲を動かしたくない。
「まあ……」
俺は視線を逸らして言った。
「外したら面倒だし」
「当たっても面倒そうですけど」
「それはそう」
否定できなかった。
オーストラリアで危険なダンジョンが発生する。
もしそれが本当に当たったら、今度は“なんで分かった”が重くなる。
外しても面倒。
当たっても面倒。
結局どっちに転んでも面倒なのだから、少し笑うしかなかった。
優奈もそれを見て、ふっと肩の力を抜く。
「でも、分かりました」
「イギリスとカナダで確信したんですね」
「ああ」
「じゃあ、次にニュースでオーストラリアの変な話が出たら、私、先にユウマくんの顔見ます」
「やめろ。嫌な確認のされ方だな」
「でも多分、合ってるんですよね?」
その問いに、俺はすぐには答えなかった。
青空でも曇り空でもない、中途半端な夕方の空を少しだけ見上げる。
今の段階では、確信九割。
でも一割はまだ勘だ。
だからこそ、言葉にする時は慎重になる。
「……多分な」
そう答えると、優奈は小さく頷いた。
多分。
でも、その“多分”が今まで何度も現実になってきたことを、こいつはもう知っている。
だからこそ、そこで軽く流さなかった。
「じゃあ、当たった時のためにも」
優奈はペットボトルの蓋を閉めながら言う。
「こっちも強くならないとですね」
「結論がそこに戻るのか」
「戻ります」
優奈は少しだけ笑った。
「だって、どこで何が起きても、おかしくないってことですから」
その返しは、妙に真っ当だった。
結局、未来予知なんて大嘘を吐いて誤魔化したところで、やるべきことは変わらない。
次の危険がどこに来るかを読んでも、読まなくても、今できることは強くなることだけだ。
「……まあ、そうだな」
俺はそう答えて、自販機の横から身体を起こした。
オーストラリア。
旧大英帝国圏。
第二次大戦期の勢力圏。
まだ点と線でしかない仮説。
でも、その仮説がもし当たりなら、世界はまた別の形で荒れ始める。
嫌な話だ。
でも、嫌だからといって目を逸らしても、どうせそのうち現実の方から顔を出す。
なら、今のうちに少しでも考えておいた方がいい。
優奈が一歩先に歩き出す。
「行きましょう、ユウマくん」
「どこへ」
「特訓です」
優奈は振り返って言った。
「未来予知がなくても、忙しくなりそうなので」
「だから未来予知じゃない」
「大嘘でしたね」
「そこだけ妙に擦るな」
そんなやり取りをしながら、俺たちは訓練場の方へ向かった。
結局、面倒ごとは減らない。
でも、減らないなら減らないで、せめて先に気づいている分だけ、まだましかもしれない。
そう思うくらいには、俺ももう、この世界の嫌な法則に慣れ始めていた。
(つづく)




