第124話 値段の話では済まない
会議室に落ちた沈黙は、短かった。
けれど、その短さのわりに妙に重かった。
イギリス側の監査員が口にした問い――
相場の十倍で買い取ると言ったら、買い占めは可能か。
それは単なる値段交渉ではなかった。
言い換えれば、こうだ。
その通信機を、まず自分たちの手の中へ囲い込めるか。
他国へ回る前に、独占できるか。
国家資産として先に押さえられるか。
教育交流だとか、実地研修だとか、そういう言葉で薄めていた空気が、その一言で一気に剥がれた気がした。
会議室の中には、イギリスの学園関係者、日本側の引率、それからイギリス政府の監査員。
こちらは相良がクラン代表代理人として立っていて、俺たち学生はその少し後ろに控えている形だ。
だが、控えていると言っても、今の話題の中心はどう考えても俺たちが持ち込んだ試作トランシーバーだ。
優奈たちの救助成功と、俺のチームの常時通信を使ったボス戦。
その二つが、この場にいる全員へ「これは便利な小道具ではない」と理解させてしまった。
だからこそ、監査員は十倍という数字を躊躇なく口にしたのだろう。
相良は顔色一つ変えずに、その問いを受け止めていた。
俺は横顔だけで、ああ、今この人間はすでにその先まで考えているなと分かった。
けれど、答えが返るより先に、俺の中へ一つの疑問が浮かんだ。
いや、疑問というより、読者がいたら多分最初に思うだろうことだ。
だったら――。
俺は小さく息を吐いて、相良より一歩だけ前へ出た。
「一つ聞いていいですか」
監査員の視線がこちらへ向く。
周囲も少しだけざわついた。
学生が、政府側の話へ口を挟んだのだから当然だ。
だが、相良は止めなかった。
だからそのまま続ける。
「アメリカの特級魔法使い、《資本主義》に依頼するのはどうなんですか?」
会議室の何人かが、ほんのわずかに表情を変えた。
この話が通じる程度には、この場の人間は情報を持っているらしい。
「彼なら、ダンジョンへ入れば普通のトランシーバーくらい買えるでしょ」
「だったら、わざわざ未完成の試作品を欲しがるより、そっちへ依頼した方が早いんじゃないですか」
言ってから、自分でもかなりまっすぐな問いだと思った。
でも、聞く価値はある。
実際、それは一つの代替案だ。
リアム――アメリカの特級魔法使い。
《資本主義》。
あいつの魔法は、ダンジョン内に限って言えば、現代社会の物資を「買う」という形でかなり無茶を通せる。
普通のトランシーバー程度なら、理屈の上では十分用意できるはずだ。
だったら、なぜわざわざこちらの試作品へ食いつくのか。
監査員は一瞬だけ黙り、それから静かに言った。
「いい質問だ」
抑揚の少ない声だった。
だが、その声色には「その程度は考えた上でここへいる」という感触があった。
「アメリカは、魔法を金儲けできる存在として考えている」
それは遠回しな言い方に見えて、実際にはかなり直接的だった。
「海外諸国から依頼された場合、《資本主義》でダンジョン内において購入する物品の価格は大幅に上がる」
「少なくとも、通常時の倍額は見ている。増やした分は当然、手数料だ」
俺は少しだけ眉をひそめた。
「倍で済むんですか」
「依頼内容による」
監査員は淡々と答える。
「だが、国家間依頼で、しかも継続運用を前提にするなら“通常価格の何倍か”という考え方になるのは避けられない」
そりゃそうだろうなと思う。
アメリカ側から見れば、それは特級魔法使いの市場価値そのものだ。
安く売る理由がない。
むしろ“他国が喉から手が出るほど欲しいもの”ほど、値段は吊り上がる。
監査員はそのまま続けた。
「しかも、購入後にダンジョンの外へ持ち出した物は、再び内へ持ち込めない可能性が高い」
そこは、俺も小さく頷いた。
結局そこへ戻る。
ダンジョン内で買えたとしても、普通の機械構造を持つトランシーバーは、再入場時のフィルターに弾かれる公算が高い。
つまり、その場しのぎでは使える。
だが、恒常的な運用には向かない。
「毎回ダンジョンへ入るたびに、アメリカの特級魔法使いを呼びつけるわけにもいかない」
監査員の口調は冷静だった。
「一人の特級魔法使いへ国家運用を依存する形は、あまりにも脆い」
その一言には、妙な説得力があった。
便利かどうかで言えば、リアムの《資本主義》は便利だ。
だが便利だからこそ、依存した瞬間に弱点になる。
本人が不在なら終わり。
本人が拒否したら終わり。
本人が値段を釣り上げたら、それでも払うしかない。
そんなものを、国家インフラの一部へ組み込むのは危険すぎる。
「ダンジョンの外と内を自由に出し入れできる、継続運用可能な通信手段が欲しい」
監査員は結論を言った。
「その条件を考えると、君たちの通信機が最も現実的だ」
俺はそこで、ようやく完全に納得した。
なるほど。
リアムでいいじゃないか、というのは、あくまで単発の発想だ。
国家が欲しいのは、毎回誰かを雇って呼ぶ一回限りの便利さじゃない。
自分たちの管理下で、継続的に使えるものだ。
そういう意味では、未完成でも、こちらの虹色魔石の通信機の方がよほど価値がある。
「……納得しました」
俺がそう言うと、監査員は小さく頷いた。
だがその目は、納得したこちらよりさらに先を見ている。
次は、どう確保するか。
その段階だ。
そこで今度こそ、相良が口を開いた。
「相場の十倍で売る、という提案についてですが」
会議室の空気がぴたりと引き締まる。
相良は机の上の書類へすら目を落とさず、監査員を真正面から見たまま言った。
「早くても、開発終了後になります」
監査員がわずかに目を細める。
「つまり、今は売れないと」
「そうです」
相良は一拍も置かずに答えた。
「初期バージョンが正式決定して、ライセンスを取得し、最低限の安全基準と供給体制を確保してからです」
それは、あまりにも事務的な回答だった。
だが、逆に言えば隙がない。
監査員はそこで、少し言葉を変えた。
「十倍でも?」
「十倍でもです」
「二十倍でも?」
「同じことです」
そのやり取りを聞きながら、俺は内心で一つの理由へすぐに辿り着いていた。
――中の魔石だけ取り出されるからだ。
虹色魔石の通信機の価値は、通信機の形にしていること自体にもある。
共鳴の仕組み。
構造の単純化。
持ち込みフィルターを通る程度まで削った設計。
そういう“製品”としての工夫があって初めて意味がある。
だが、もし今ここで、開発途中の状態を高値で売ったらどうなるか。
分解される。
中の虹色魔石だけ抜かれる。
転売される。
あるいは似たような外装だけ被せた粗悪な模倣品が出回る。
そして、下手をすれば“日本発の危険な未完成品で事故が起きた”と、こっちの責任にされる。
相良がそこまで読んでいないはずがない。
「ライセンスというのは、商標と特許だけですか」
イギリス側の別の技術担当が聞いた。
「それだけではありません」
相良は冷静に返す。
「標準仕様の確定も含みます」
「標準仕様」
「ええ。最初に何を“正式な通信機”と定義するか、それを押さえなければ市場は崩れます」
「出力、通信距離、使用条件、通話優先、持ち込み許可の構造基準。どこまでを同一製品として扱うか、それを決める前に外へ流せば、模倣品と粗悪品が先に市場を埋めるでしょう」
なるほど。
相良は単に守りに入っているわけじゃない。
最初に“公式な形”を押さえようとしているのだ。
最初に出た仕様が、そのまま業界標準になる。
標準を握った側が、主導権を握る。
それは企業の話であり、同時に国家の話でもある。
監査員は、その説明を聞いても顔色を変えなかった。
変えなかったが、視線だけが少し鋭くなった。
「つまり、こちらが先行投資を申し出ても、現段階では受けない」
「現段階では受けません」
「完成後も、一般販売を優先する、と?」
「販売方式は検討中です」
相良は一切濁さない。
「ですが少なくとも、現時点で特定国へ独占的に渡すことはありません」
その返答に、会議室の空気がまた少し変わった。
監査員の質問は、単に高く買うと言っているのではない。
“最初の独占権”を買おうとしていた。
相良はそこを、言外に切ったのだ。
少しだけ、気まずい沈黙が落ちる。
そこで、イギリス学園側の教員が空気を変えるように言った。
「正直に言えば、今日の実地を見た限り、我々も通信機の価値は理解した」
「救助が早まった一因がそれにあるのは事実だし、ボス戦の連携は、あれがなければ成立しなかっただろう」
俺は小さく息を吐いた。
事実として、そこは認めざるを得ない。
トランシーバーがなければ、優奈たちは地中からの声を拾えなかったかもしれない。
反応があっても、確信を持てなかったかもしれない。
俺のチームだって、あれほど綺麗に散開しながら、同じ敵へ火力を合わせるのは難しかった。
つまり、これはもう“便利な試作道具”ではない。
人命を救い、戦術を変えるものだ。
そして、その価値を見抜いた相手が、次に何を考えるかといえば、決まっている。
欲しがる。
囲い込もうとする。
先に押さえようとする。
技術というのは、そういう段階へ入ると一気に面倒になる。
俺は会議室の隅に置かれた試作通信機をちらりと見た。
最初は、虹色魔石の可能性を探るための一歩だった。
深層で見つかった、加工が難しすぎる変な石。
そこからまず小さく形にしよう、と考えた結果が通信機だった。
それが、今や各国が金額をぶつけてくる対象になっている。
「なんか、すげえ話になってきましたね……」
優奈が本当に小さな声でそう呟いた。
誰に聞かせるでもない独り言だったが、俺にははっきり聞こえた。
「そうだな」
俺も同じくらい小さく返す。
便利な試作品だったものが、もう国家間交渉の対象になっている。
ついさっきまで、イギリスダンジョンの罠と救助で頭がいっぱいだったのに、いつの間にか話が金と独占とライセンスへ移っている。
この切り替わりの速さが、かえって現実味を持っていた。
監査員は最後に、もう一度だけ確認するように言った。
「では、現段階では購入は不可能」
「正式版の決定とライセンス取得後に、改めて交渉の余地がある。そう理解してよいか」
「それで問題ありません」
相良は静かに答えた。
監査員はそれ以上は踏み込まなかった。
ただ、引いたわけでもない。
今日はここまでにしておく。
だが次は、もっと具体的な条件を持ってくる。
そんな空気があった。
会議はそこで一度区切られたが、空気が軽くなることはなかった。
イギリス側は通信機の必要性を理解した。
日本側は、それがもう簡単に差し出せるものではなくなったと再確認した。
そして俺は、また一つ余計なことを理解してしまった。
この通信機は、たぶんここから先、単なる商品ではなくなる。
探索者が使う道具。
救助を助ける装備。
そういう側面はもちろんある。
でもそれだけじゃない。
若手の生存率を上げる。
戦術連携を変える。
現場の主導権を握る。
そういう意味で、国家が欲しがるのは当然だった。
会議室を出る時、優奈が隣でぼそっと言った。
「ユウマくん」
「何だ」
「すごいの作っちゃいましたね……」
その言い方が他人事みたいで、少しだけ笑いそうになる。
「俺が一人で作ったわけじゃないだろ」
「でも、最初にトランシーバー案出したのはユウマくんですし」
「そうだけど」
俺は短く息を吐いた。
「正直、ここまで早くこうなるとは思ってなかった」
優奈は少し考えるように黙ってから、小さく笑った。
「でも、役に立ったのは本当です」
「それはな」
そこだけは、はっきりしている。
優奈たちの救助。
俺のチームの戦闘。
今日だけで、もう二度も結果を出した。
だからこそ面倒になった。
面倒になったのは、価値がある証拠でもある。
それが分かっているから、なおさらややこしい。
廊下を歩きながら、俺はふと、ガラス窓の向こうに見えるイギリスの曇り空を見た。
修学旅行なんて軽い言葉で始まったはずの話が、気づけば罠と救助と国際交渉に化けている。
まあ、今さらか。
俺の周りでは、大体いつもそうだった。
(つづく)




