第123話 声が届く距離、金が動く距離
優奈たちのチームが、先行したイギリスチーム六人を全員生還させて戻ってきたことで、イギリス側の空気は目に見えて変わった。
最初は半信半疑だったはずだ。
日本側が持ち込んだ、見たこともない小型の通信機。
しかも機械らしい機械でもなく、魔石を簡素な枠へ固定しただけの、妙に原始的な形をしている。
それが実際に人命を救った。
ランダム転移。
閉鎖式落とし穴。
地面の下で閉じ込められた六人。
普通なら見つからない。
見つかっても、見つけるまでにもっと時間がかかる。
それを三十分で引き上げて戻ってきたのだから、イギリス側がざわつかないはずがなかった。
もっとも、それでいきなり全体の流れが崩れたわけではない。
むしろ逆だった。
先行イギリスチームの救助が成功したことで、以降のチームは明らかに慎重になった。
慎重になったが、それは萎縮とは少し違う。
宝箱へ近づく前に確認する。
角を曲がる前に止まる。
床の色差を見る。
単独行動を避ける。
そして、帰還予定時刻を少しでも超えそうなら、無理に深追いしない。
イギリス側の学生たちも、日本側の学生たちも、少なくとも“このダンジョンは本当に人を殺す”と、頭だけでなく身体で理解したらしい。
その理解が入ってからの進行は、思ったより順調だった。
イギリスチームが入り、戻る。
日本チームが入り、戻る。
またイギリスチームが入り、戻る。
全滅こそない。
怪我人や消耗は出る。
でも、優奈たちが引き上げた一件以降、“戻ってこないまま消息不明”の最悪だけは回避されていた。
そして、ようやく俺の番が来た。
「結城チーム、準備を」
係員の声がかかる。
俺は立ち上がりながら、腰の小型通信機へ手を触れた。
試作品。
虹色魔石を使った簡易共鳴通信機。
押して話す。
離して聞く。
長押しで優先通話。
機能は最低限。
だが最低限だからこそ、ダンジョンのフィルターを通ってここへ来られた。
今回の俺のチームは、運がいいのか悪いのか、魔法火力寄りの構成だった。
火属性一名。
風属性一名。
水属性一名。
補助寄りの光属性一名。
物理寄りだが魔力斬が使える前衛が一名。
そこへ俺。
近接だけで押し切るには少し火力が散る。
逆に言えば、散開しながら連携して削るには向いている。
だから俺は、入る前から一つだけ決めていた。
「今回は、通信を切るな」
五人が一斉にこちらを見る。
「切らない、ですか」
「ああ」
俺は頷いた。
「救助用として使えるのは分かった。なら次は、戦闘で使った時どうなるかを見たい」
班員の一人が少しだけ不安そうな顔をする。
「でも、同時通話すると混線するんですよね」
「する」
俺は即答した。
「だから、好き勝手喋るな。今からルールを決める」
こういう道具は、持っているだけでは強くない。
使い方を決めないと、むしろ混乱を増やす。
俺は指を折りながら、簡潔に決めていく。
「コールサインは番号」
「俺がゼロ。お前らは一から五。自分の番号だけ覚えろ」
頷きが返る。
「位置報告は時計で言え。ボス正面を十二時。右が三時、左が九時」
「長い説明は禁止。『三時、高台』『九時、罠あり』『六時、通路』その程度でいい」
「発言優先は?」
光属性の女子が聞く。
「緊急時は見つけたやつが言え」
「それ以外は、俺の指示のあと。被せるな」
「混線したら、俺が切る」
それで十分だった。
完璧じゃなくていい。
むしろ最初から完璧を目指すと、実戦では回らない。
俺は最後に通信機を一度押した。
「テスト。ゼロ」
『一、聞こえます』
『二、問題なし』
『三、少しざらつくけど大丈夫』
『四、問題なしです』
『五、聞こえます』
よし。
短距離なら安定している。
「行くぞ」
ゲートが開く。
イギリスダンジョンの冷たい空気が、肌へぴたりと張りついた。
入った瞬間、まず確認する。
視界。
班員。
床。
天井。
ランダム転移は、なし。
「全員いるな」
通信機越しに小さな応答が返る。
『一、いる』
『二、確認』
『三、います』
『四、五も確認』
「よし。前進。足元見ろ」
通路を進みながら、通信機はつけっぱなしのままだ。
呼吸音が微かに混ざる。
靴音も乗る。
完全な静寂より、こっちの方がマシだ。
角へ差しかかる前に、三番が低く言う。
『九時、色差あり』
「止まれ」
全員が止まる。
俺はそのまま壁際から少し身体をずらし、魔力探知を薄く流した。
床下に、罠の反応。
踏めば何か起きるタイプだ。
「三、正解。そこ踏むな」
「二、右から回り込めるか」
『見ます』
こういう時、通信があると早い。
視界に入っていないやつの確認を、口だけで回せる。
正直、思った以上だった。
救助だけじゃない。
このダンジョンみたいに“確認の手数”が多い場所では、通信そのものが探索速度を変える。
数分後、最初の群れと接触した。
小型の甲冑魔物が三体。
その後ろに、中型が一体。
金属鎧に近い質感だ。
物理では面倒。
だが、マニュアルにもあった通り、こいつらは物理より魔法へ弱い。
「散開」
俺は即座に言う。
「一、三時の柱へ。二、九時の壁沿い。三、後衛維持。四、六時で補助。五、正面は取るな、十一時へ回れ」
全員が動く。
ばらける。
そして、ばらけながら一つの敵を見ている。
普通なら、ここで崩れる。
位置が散れば、誰がどこを見ているか分からなくなる。
でも通信があると、それがかなりマシになる。
『一、三時着いた』
『二、九時、射線通る』
『五、十一時、側面取れます』
「撃て」
火が走る。
風が押す。
水が足元を滑らせる。
光属性の補助で一瞬だけ敵の動きが鈍る。
俺は正面へ出ず、少し外した位置から魔力斬を飛ばした。
狙いは首じゃない。
膝だ。
鎧の魔物がよろめく。
そこへ横から火球が叩き込まれ、最後に風で押し倒される。
一方的だった。
「……なるほどな」
思わずそう呟く。
これだ。
トランシーバーの強さは、単に“声が届く”ことじゃない。
有利な位置を取りながら、同時に一つの敵へ圧力を集中できることだ。
イギリスダンジョンの魔物は、物理を受ける想定が強い。
だから魔法への反応が少し遅い。
そこへ散開した複数人から、連携した火力が飛んでくる。
しかも声があるせいで、タイミングまで揃う。
「もう一体来る」
俺はすぐに言う。
「五、上」
『見えた!』
五番の声と同時に、天井側の影が動く。
飛びかかり型だ。
普通なら不意打ちになる。
でも通信があると、“見えた”の一声だけで全員の意識が上を向く。
三番の水弾が先に飛び、一番の火がそこへ重なる。
落ちた。
「これ、強いですね……!」
三番の女子が少しだけ興奮した声で言う。
「喋るな、次」
そう返したが、正直、気持ちは分かる。
強い。
かなり強い。
それから先の道中も、通信を切らなかった。
罠位置の共有。
視界外の敵の発見。
散開と再集合。
全部が速い。
もちろん欠点が消えたわけじゃない。
曲がり角が多い場所では、少し音がざらつく。
距離が開きすぎると、声が途切れ途切れになる。
だから万能ではない。
だが、それでも十分すぎる。
そしてボス部屋の前で、俺は最後に一度だけ全員へ言った。
「ここから本番だ」
「相手は物理より魔法に弱い。だから接近で欲張るな。散って、取り続けろ」
全員の応答が短く返る。
扉が開いた。
中にいたのは、黒い甲冑に包まれた大型だった。
騎士に近い。
だが中身が空洞なのか、動きが妙に軽い。
大剣を持っているが、その大剣も物理の圧を押しつけるための形であって、魔力防御は薄い。
つまり、相手にする側から見れば“魔法で削るのが正解”のボスだった。
「散開!」
俺の声で、全員が一斉に散る。
ここで通信を切っていたら、たぶん無理だった。
六人がばらけた瞬間、誰がどこにいるか分からなくなる。
でも今は違う。
『一、三時高台』
『二、九時柱裏』
『三、六時後方』
『四、十時支援位置』
『五、十一時、射線通る!』
「二、足止め。三、合わせろ」
氷ではない。
水を使った滑り。
それだけで十分だった。
ボスの踏み込みが一瞬だけずれる。
そこへ火。
光。
魔力斬。
横から、後ろから、正面以外から火力が集中する。
ボスは強い。
だが“どこを向けばいいか”を見失っていた。
右を見れば左から飛ぶ。
後ろを追えば前から削られる。
誰か一人へ詰めようとした瞬間に、別方向から支援が入る。
「十一時、押される!」
「五、引け。三、カバー」
『了解!』
その連携が、声だけで回る。
これだ。
救助用の保険として使えるのは前提だ。
でも戦闘で常時通信を回した時、ここまで変わるとは思っていなかった。
ボスが大剣を振るう。
だが、誰も受けない。
位置をずらす。
避ける。
どこか一人が危なくなれば、別の位置から魔法が飛ぶ。
一方的だった。
正面から殴り合っていたら、もっと時間がかかっただろう。
でも今は違う。
通信があるから、位置取りそのものが武器になっている。
「今だ、撃て!」
最後は、六方向ではなく三方向に絞った。
三時。
九時。
六時。
そこから同時に魔法が叩き込まれる。
ボスの鎧が砕け、黒い内部が露出し、そのまま崩れ落ちた。
静寂。
数秒遅れて、班員の一人が低く息を吐く。
「……勝った」
「勝ったな」
俺はそう答えたが、頭の中では別のことを考えていた。
トランシーバー。
これ、便利とかいう次元じゃない。
戦術そのものを変える。
終了後の反省会兼合同会議は、予想通り妙な空気だった。
救助成功。
その後の各班の安定した帰還。
そして俺たちのチームの、通信を使ったボス戦の一方的な勝ち方。
イギリス側から見れば、気になることだらけだろう。
会議室には、イギリス学園側の教員、日本側の引率、それからイギリスの監査員まで来ていた。
監査員という名目だが、要するに政治家へ報告するための監視役兼代理人だ。
最初に話題になったのは、案の定そこだった。
「そもそもの疑問なのだが」
イギリス側の教員が、こちらを見て言った。
「なぜ、その通信機をダンジョン内に持ち込めた?」
そこを聞くのは自然だ。
便利さ以前に、まず“持ち込めたこと”自体が異常だ。
俺が答える前に、相良が一歩前へ出た。
「構造を極限まで単純化したからです」
「一般的な機械構造を入れ込めば、ダンジョン侵入時のフィルターへ弾かれる可能性が高い。だから内部構造を最小限にし、魔石そのものの共鳴を主軸にしました」
イギリス側の技術担当らしい男が眉を寄せる。
「つまり、我々が思っているような“無線機”ではない、と」
「ええ。あくまで魔石共鳴型の簡易通信具です」
その答えに、相手は納得半分、理解半分といった顔をした。
すると、今度は別の方向から声が飛ぶ。
「そんなに便利なものがあるなら、なぜイギリス人には使わせないのか」
やっぱりそこを言うやつは出る。
俺は正直に答えた。
「それは、そっちのトップが拒否したからだ」
会議室が少し静かになる。
俺はそのまま続けた。
「可能なら俺だってそうしたかった。実際、今日みたいな状況なら全員持ってた方がいいに決まってる」
「でも、許可が出なかった。試作品で、安全保証も供給保証もない。国外へ出していいものなのかも不明。下手すれば国際問題まっしぐらだ」
イギリス側の一人が苦い顔をする。
図星なのだろう。
「もっとも」
俺は肩をすくめた。
「仮に許可が出てたとして、結果どうなったかは分からないけどな」
そこで相良が、事務的な声で補足した。
「試作品です。国外提供前提の法整理も契約も済んでいない。軽率な提供はできません」
俺が現場の事情を言い、相良が制度と責任の言葉で切る。
役割分担としては悪くない。
すると、会議の空気が少し変わった。
便利な道具の話から、技術そのものの価値の話へ移ったのだ。
イギリス側の若い教員が、半ば呆然とした顔で言う。
「これは単なる通信機ではない」
「連携速度が違いすぎる。救助もそうだが、あの戦い方……あれは戦術優位そのものだ」
その言葉に、何人かが頷いた。
たしかにそうだ。
救助用の保険としても強い。
でも今日のボス戦を見れば、それ以上だと分かる。
散開しながら連携できる。
有利な位置を取り続けられる。
声が届くことで、ポジションそのものが武器になる。
それはもう、装備品の便利さではなく、戦術レベルの変化だった。
そこへ、監査員が初めて口を開いた。
年配の男だった。
声は低く、抑揚が少ない。
だが、その一言一言には“個人の興味”ではなく“国家としての計算”が乗っていた。
「もし購入したいと言えば、いくらで売るのか」
直球だった。
会議室の空気が一瞬だけ止まる。
だが相良は顔色一つ変えない。
「開発中につき、非売品です」
その回答は、拍子抜けするほどシンプルだった。
監査員はわずかに目を細める。
「一般販売開始を待て、と?」
「その通りです」
「なるほど」
監査員は頷いた。
だが引かない。
「では、相場の十倍の価格で買い取ると言ったら」
その場の何人かが息を呑む。
「買い占めは可能か?」
その質問に、会議室の空気は完全に別のものへ変わった。
教育交流でもない。
現場の便利道具でもない。
技術。
戦術。
そして政治と金。
そこまで来たのだと、全員が理解した。
俺は隣で、小さく息を吐いた。
来ると思った。
でも、やっぱり早い。
相良は、その問いに対してすぐには答えなかった。
ほんの数秒。
沈黙が落ちる。
だが、その数秒が妙に長く感じられた。
十倍の価格。
買い占め。
要するに、“自分たちだけが持ちたい”という話だ。
それはつまり、価値を見抜かれたということでもある。
俺はそこで、改めて理解した。
虹色魔石の通信機は、もう“試作してみた面白い道具”では済まない。
人命を救った。
戦術を変えた。
その時点で、各国が欲しがるのは当然だった。
面倒な段階へ、ちゃんと入ったらしい。
(つづく)




