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第122話 穴の底から戻る方法

 イギリスチーム六人が閉鎖式の落とし穴の底で生き延びている。

 しかも、持ってあと十分あるかないか。


 その現実を前にして、優奈は一つだけ、ユウマに言われたことを思い出していた。


 ――イギリスの穴は深い。

 ――落ちた時のための道具は絶対持っていけ。


 その時は、半分くらい「また始まった」と思った。

 ユウマはこういう時、妙に具体的すぎる。

 しかも、だいたい嫌な方向で当たる。


 でも今は、その異様な具体性に心の底から助けられていた。


「待っててください!」


 優奈は穴の縁から叫ぶと、すぐに背負っていたリュックを前へ回した。


 見た目は普通の学生用リュックだ。

 だが、中身は普通じゃない。


 教科書の代わりに入っているのは、応急用の魔石、補助ロープ、予備の食料、簡易医療用品。

 そして、普通の高校生が持ち歩くはずのないものが二つ。


 優奈は迷わずそれを引っ張り出した。


 一つ目は、超高強度のワイヤーウィンチ。

 二つ目は、携帯型の足場固定アンカー。


 どちらもリュックに収まるよう小型化された代物で、現場用の本格装備に比べれば頑丈さは劣る。

 だが、逆に言えば“学生が持って走れるサイズ”の限界まで無理やり削った装備だった。


 穴の底から優奈の手元を見ていたイギリスチームの一人が、本気で目を剥いた。


「なんでそんな重機みたいなものが、その小さなカバンから出てくるんだ!?」


 その声には驚愕しかなかった。


 優奈は真顔で答える。


「ユウマくんが『イギリスの穴は深いから落ちた時の為絶対持っていけ』って言ったので!」


 一瞬、場が止まった。


 それから、穴の下のイギリス人たちが一斉にざわつく。


「日本人ってすげえな⁉」

「普通にそんなの持ち歩いているのか……!」

「学生の装備じゃないだろ、それ!」


 だが、優奈の背後にいた日本チームの男子がすぐに全力で否定した。


「いやいや普通じゃないから⁉」

「それうちの基準じゃないから⁉」

「結城先輩周りだけだからな、それ!」


 あまりにも正しいツッコミだったので、優奈は思わず少しだけ笑いそうになった。

 でも、今は笑っている場合じゃない。


 イギリスチームの足場を支えている岩魔法の男子の顔色は、さっきよりさらに悪くなっていた。

 額の汗がひどい。

 膝も震えている。

 魔力が尽きれば、その瞬間に六人まとめて棘の上だ。


 優奈はすぐに頭を切り替えた。


「まず、上に固定します」


「固定って、どこに⁉」


「床です!」


 優奈は携帯型アンカーを穴の縁から少し離れた石床へ置き、魔力で補助しながら一気に打ち込んだ。


 ごん、と鈍い音が響く。

 アンカーの爪が石へ食い込み、外れないよう四方向へ固定される。


「……よし」


 ユウマに何度も言われてきた。

 こういう道具は、“一応固定できた”で信用するな。

 二重確認。

 三重確認。

 そのくらいでちょうどいい。


 優奈は手で軽く引っ張り、さらに体重をかけて揺らした。

 多少きしむが、外れる気配はない。


 次に、ワイヤーウィンチを接続する。

 こちらも小型だ。

 本来ならせいぜい一人ずつ、短時間の吊り上げに使う想定でしかない。

 だが今は、それで足りる。


 班員たちも、優奈の動きを見てすぐに理解したらしい。

 何も言われる前に、二人がアンカー側の補助へ回り、別の二人が穴の周囲の警戒へ散る。

 残った一人が優奈の横へ来て言った。


「何から手伝う!?」


「引き上げです!」

 優奈は即答する。

「一人ずつ上げます! でも先に一番魔力が切れそうな人から!」


 その時、穴の底から声が飛んできた。


「いや、違う! 先に岩のやつを上げろ!」

 イギリスチームのリーダー格らしい男子が叫ぶ。

「こいつが落ちたら足場が消える!」


 優奈は即座に頷いた。


「分かりました!」


 判断は正しい。

 魔力切れ寸前のやつを先に上げたくなるが、足場を維持している本人が落ちれば全員終わる。


「ハーネス代わりになりますか?」


 優奈がワイヤーの先端を見せると、下のイギリス人たちはすぐに理解した。

 多少乱暴でも、今は選んでいられない。


「いける!」

「早く寄こせ!」


 優奈はワイヤーを下ろした。

 だが、ただ真下へ垂らすだけでは揺れて棘へ触れる危険がある。

 そこで優奈は左手に《魔力盾》を展開し、穴の縁の一角へ薄く斜めに置く。


 ワイヤーがその盾の面を滑り、真ん中へまっすぐ落ちる。

 簡易のガイド代わりだ。


 下のイギリス人が、その動きに一瞬だけ呆けた。


「盾が……角度を変えた……?」


「今それ気にしてる場合じゃないです!」


 優奈は即座に切った。

 相手もそうだなとばかりに口を閉じる。


 岩魔法の男子へワイヤーが届く。

 周囲の仲間がそれを身体へ巻きつけ、脇と腰を固定する。

 顔色は悪い。

 かなり限界だ。


「上げます!」


 優奈が言うと、班員たちも一斉に力を込めた。

 ウィンチが回る。

 小型で、そこまで速くはない。

 だからこそ、人力の補助がいる。


 じり、じり、とワイヤーが巻かれていく。


 穴の底から、棘へ身体が触れそうになった瞬間、優奈は《発射》で半歩だけ横へ跳び、《魔力盾》の角度を変えた。

 ワイヤーの軌道がわずかに修正され、岩魔法の男子が棘を避けたまま上がってくる。


「見えてきた!」

「そのまま!」

「あと少し!」


 上がってきたイギリス人の腕を、日本チームの男子が掴み、引きずり上げた。

 その瞬間、穴の底の空気が少しだけ変わる。


 足場維持の負担が消えた分、下の五人にもまだ希望が残ると分かったのだろう。


 だが、優奈はそこでも安心しなかった。


「次!」


 間を空けない。

 ここで“助かった”空気を作ると、作業が遅れる。


 次は体格の軽い女子。

 その次は負傷の少ない男子。

 一人ずつ上げるたびに、ワイヤーは悲鳴みたいな音を立てた。

 小型だからこそ、荷重の限界が近いのだろう。

 だが、まだ保つ。


 班員たちも息を切らしながら必死に引く。


「日本の学生って、みんなこんなことできるのか⁉」

 下から上がってきたイギリス人の一人が、本気で混乱した顔で聞いてくる。


 優奈が答えるより早く、日本チームの女子がまた全力で否定した。


「できないです! 普通はできません!」

「うちがちょっとおかしいだけです!」


「ちょっとじゃないと思うけど……!」


 そのやり取りに、一瞬だけ場の緊張が緩む。

 でもそれも、すぐに次の救助で消えた。


 四人目。

 五人目。


 最後に残ったのは、最初に助けを求めていたリーダー格の男子だった。

 その頃には、ワイヤーウィンチの回転も明らかに重くなっている。

 班員の腕も限界に近い。


 優奈は歯を食いしばりながら、最後の一人を上げる。


 そして、穴の底が空になったのを見届けた瞬間、ようやく全員が一斉に息を吐いた。


「……助かった」


 それは、誰が言ったのか分からない。

 たぶん、全員が同じことを思っていた。


 優奈はその場へ座り込みそうになるのを堪えて、トランシーバーを握った。


「日本チーム二組から報告!」

「先行イギリスチーム六名、全員救助完了! 負傷軽中度! 移動可能です!」


 返ってくる音はざりついていた。

 距離があるせいで、ところどころ聞き取りづらい。

 でも、ちゃんと通った。


『……確認……』

『……帰還誘導……そのまま……撤退……』


 ノイズ混じりでも十分だった。

 連絡がつく。

 それだけで、今は価値がある。


 優奈はイギリスチームを見た。


「歩けますか?」


「歩ける……!」

 リーダー格の男子が頷く。

「歩けるが、正直かなりきつい」


「なら戻ります」

 優奈ははっきり言った。

「ここで無理して先へ行く理由はありません」


 イギリス側の六人は、一瞬だけ驚いた顔をした。

 たぶん、“日本チームはそのまま攻略を続ける”と思っていたのだろう。


 でも優奈に迷いはなかった。


 このダンジョンは、日本の感覚で深追いしていい場所じゃない。

 しかも今は、救助が最優先だ。


「全員で戻ります」


 そう言うと、日本チームの班員たちもすぐに頷いた。

 異論は出ない。

 あれだけのものを見せられたあとで、“予定通り訓練を継続しよう”なんて言える方がおかしい。


 帰り道は行きより慎重になった。

 優奈は魔力探知をこまめに挟み、床の色差を見て、角を曲がる前に《魔力盾》を薄く出して死角を切る。

 トランシーバーは必要最低限だけ使う。

 距離が長くなると音が乱れる。

 同時通話が多ければ混線する。

 だから、“いざという時の保険”として温存しつつ、必要な確認だけを入れる。


 結果として、帰還は驚くほど早かった。


 一方、その頃。


 外で待機していた悠真は、時計を見て眉をひそめていた。


「……三十分?」


 思わずそう呟く。


 優奈たちが入ってから、まだ三十分しか経っていない。

 さすがに早すぎる。


 悠真の予想では、もっとかかるはずだった。


 優奈は探知を覚えてからまだそこまで長くない。

 しかも、相手はイギリスダンジョンだ。

 クソ広い上に、罠だらけ。

 そんな場所で人探しなんて、かなり苦労すると思っていた。


 だから、仮に見つけられたとしても、帰還まで一時間近くはかかると読んでいた。


「早くね⁉」


 その声は思わず口をついて出た。


 周囲の日本側教師も、イギリス側スタッフも、同じような顔をしている。

 ざわめきが広がる。


「戻ってきたぞ……!」

「六人じゃない、増えてる!」

「イギリス組も一緒だ!」


 ゲートの向こうから現れたのは、日本チーム六人。

 そして、その後ろから、泥と汗と疲労でぼろぼろになったイギリスチーム六人だった。


 生きている。

 しかも全員だ。


 悠真はその光景を見た瞬間、まず安堵して、それからすぐに別のことを考えた。


 ――トランシーバーだ。


 もちろん、優奈の判断もある。

 探知もある。

 救助用装備を持たせた自分の準備もある。


 だが、あの広いイギリスダンジョンで、“普通なら見つからない場所にいた避難者”を見つけられた一因に、トランシーバーがあるのは間違いない。


 なければ、地中からの助けを拾えなかったかもしれない。

 反応がある場所へ確信を持てなかったかもしれない。


「……試作品のくせに、もう人命救ってるじゃねえか」


 小さくそう呟くと、隣にいた相良が視線だけを動かした。


「記録しておく」


「それどころじゃないと思うが」


「こういう時だからこそだ」

 相良は短く返す。

「結果が出た以上、価値は証明された」


 その言葉に、悠真は小さく息を吐いた。


 確かにその通りだ。


 まだ距離が長いと音が乱れる。

 同時通話が多ければ混線する。

 万能ではない。

 欠点も多い。

 それでも、“あるだけで助かった命がある”という事実は重い。


 そして、それ以上に。


 優奈が戻ってきた。


 そのこと自体が、悠真にとってはまず一番大きかった。


 ゲートを抜けた優奈は、さすがに疲れた顔をしていた。

 でも、歩いている。

 血まみれでも、崩れてもいない。


 その姿を見て、悠真はようやく肩の力を少しだけ抜いた。


「戻ったか」


 優奈は悠真を見つけると、ほんの少しだけ笑った。


「戻りました」


「早すぎる」


「そうですか?」


「早い」

 悠真は即答した。

「もっとかかると思ってた」


 優奈はそこで、少しだけ誇らしそうに、それでいて本気で疲れた顔のまま答える。


「トランシーバー、役に立ちました」


 その一言に、悠真は頷いた。


 ああ、やっぱりそうか。

 そう思うと同時に、胸の奥の何かが少しだけ熱くなる。


 試作品。

 未完成。

 まだ粗い。

 それでも、“持たせてよかった”が、もう結果になっている。


 イギリスダンジョンの異常さ。

 優奈の判断。

 自分の準備。

 虹色魔石の通信機。


 その全部が噛み合って、ようやく十二人が戻ってきた。


 それは、十分すぎる成果だった。


(つづく)

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