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第120話 戻らない一時間

イギリス行き当日。

 空港から移動し、学園側が用意した宿舎へ通され、そこからさらに説明会場へ案内された時点で、日本側の生徒たちの顔はもう半分くらい死んでいた。


 無理もない。


 これが本当に修学旅行めいた国際交流なら、もっとこう、歓迎とか、観光案内とか、最低限の愛想くらいはあるはずだ。

 だが、イギリス側にそんな余裕は最初からなかった。


 説明会場に入った瞬間、正面モニターへ大きく映し出されていたのは、観光地でも校舎でもなく――数字だった。


 行方不明者数。

 日別死亡者数。

 日別生死不明者数。


「……うわ」


 誰かが小さく漏らした声が、妙に広い会場の中でよく響いた。


 俺も、さすがに少しだけ眉をひそめた。

 覚悟はしていた。

 していたが、初手でそれを真正面から叩きつけてくるとは思っていなかった。


 壇上には、イギリス側の学園責任者らしき中年男と、日本側の引率教師、それから通訳役が立っている。

 責任者の表情は硬い。

 厳しいというより、余裕がない顔だ。


「本日の目的は、国際合同実地研修における安全確保のための事前共有です」


 通訳を通して流れる声も、妙に平板だった。

 感情を削ぎ落としていないと、この話を何度も繰り返せないのだろう。


「イギリスダンジョンでは、低確率ながら、一層突入直後にランダム転移が発生します」


 その瞬間、日本側の空気がざわついた。


 やっぱり、そこか。


 俺と優奈の中でのイギリスダンジョンの印象は、もう前からそのイメージしかなかった。

 一層からいきなりランダム転移。

 トラップ。

 誘導罠。

 初見殺し。

 要するに、最初から殺す気で作られている。


「ランダム転移の発生率は高くありません」

 責任者は続ける。

「しかし、ゼロではない。そして、一度発生した場合、合流は極めて困難です」


 モニターの表示が切り替わる。


 そこには、いかにもイギリスらしい、嫌になるほど細かいフローチャートが映っていた。


 転移発生時の初動行動。

 三分待機。

 周囲確認。

 罠判定。

 再合流優先順位。


 会場のあちこちで、小さなざわめきが漏れる。


「なんだこの説明……」

「ダンジョン入りたくねえ……」

「協力してもらう気あるのか……?」


 その反応はもっともだった。

 歓迎ではない。

 脅しでもない。

 ただひたすら、“甘く見るな。普通に死ぬぞ”という説明だけが続いている。


 優奈が俺の隣で、かなり小さな声で言った。


「ユウマくん」


「何だ」


「これ、始まる前に帰りたくなるやつです」


「分かる」


 俺も正直そう思う。


 責任者はさらに続けた。


「イギリスダンジョンでは、一日平均で複数名が死亡、もしくは生死不明となっています」


 その言葉を、通訳が日本語に直す。

 直したところで、重さはまったく軽くならない。


 平均。

 複数。

 一日。


 その三つが並んでいる時点で、普通の感覚なら十分おかしい。


「特に学園生徒のような若年層においては、経験不足による初動の遅れが致命傷となります」


 つまり、要するに。


 お前たちは若い。

 経験が浅い。

 このダンジョンでは、それだけで死ぬ。


 そういう意味だった。


 日本側の生徒たちは、さっきまでのざわめきよりさらに一段階、空気を冷やしていた。


「まだ早ぇよ……」

「いやほんとに……」

「これ高校生にやらせる説明じゃねえだろ……」


 前の方の席で、誰かが本気で頭を抱えている。

 ジョンは逆に面白がっている顔をしていたが、さすがに口元の笑みは薄い。

 音葉は資料へ目を落としたまま、一言も喋らない。

 唯はいつもの無表情に近い顔だが、ノートを持つ手に少しだけ力が入っているのが分かる。


 俺は会場の空気を見ながら、改めて一つ理解した。


 イギリス側は、協力してもらうために場を和ませようとはしていない。

 そんな余裕がない。

 むしろ最初に恐怖を共有しておかないと、それこそ死人が増えると思っている。


 その意味では、誠実だ。

 嫌になるほど。


 説明はそのあと、班行動の流れへ移った。


 いきなり全員を同時突入させない。

 六人一組。

 イギリスチームが先行。

 帰還確認後、日本チーム。

 その後、またイギリスチーム。

 一時間ごとに区切って順番を回す。


 なるほど。

 俺の読み通りだ。


 一斉突入にしないのは、事故った時の救難が困難になるからだ。

 それに、低確率とはいえ初手ランダム転移がある以上、人数を絞った方が状況把握がまだしやすい。


 だが、それでも問題は残る。


「一時間、ですか」


 優奈が小さく呟く。


「そうだな」


「長くないですか?」


「長い」


 俺は即答した。

「でも、短すぎても駄目だ。戻ってこない理由が多すぎる」


 敵にやられた。

 ボスまで辿り着いて、攻略に時間がかかっている。

 最初からランダム転移でバラバラになった。

 そのどれもあり得る。


 だからこそ、一時間という妙に中途半端な区切りになっているのだろう。

 短すぎれば、ただ攻略が遅れているだけなのに異常扱いになる。

 長すぎれば、本当に死ぬ。


 絶妙に気持ち悪い長さだった。


 説明会が終わり、日本側の生徒たちは半ば青ざめたまま一度解散になった。

 だが、俺はそのまま優奈を連れて、別室にいた相良のところへ向かった。


「来たか」


 相良は壁際で腕を組んだまま、こちらを見た。

 たぶん、俺が来ると思っていたのだろう。


「トランシーバー、持たせるんだろ」


 俺が開口一番そう言うと、相良は小さく頷いた。


「日本クラン側から、日本チームには持たせるべきだとダンジョン学園へ提案した」


「イギリス側は?」


「最初は渋った」

 相良は淡々と答える。

「だが、試作品であること、日本側が責任を持つこと、日本側の生徒に限定することを条件に許可が出た」


 優奈がそこで少しだけ目を丸くする。


「日本チームだけ、なんですね」


「そうだ」

 相良は答える。

「イギリス組は持たない。あくまで日本クランが持ち込んだ独自対策という扱いだ」


 それは少しだけ後ろめたくもあった。

 だが、今はそういう感情より現実だ。


 試作品の数には限りがある。

 運用もまだ確立しきっていない。

 なら、最初の実戦投入は自分たちの側へ優先するしかない。


 相良は小型の箱を机の上へ置いた。


「六人分だ」


 蓋を開けると、中には石札に近い形の通信機が六つ並んでいた。

 完全な機械には見えない。

 むしろ、平たい金属枠に小さな虹色魔石を固定しただけの、極端に単純な作りだ。


 これなら、ダンジョンに持ち込む時のフィルターも通る。

 通るように、わざとそこまで単純化したのだろう。


「操作は最低限だ」

 相良が説明する。

「押して話す。離して聞く。長押しで緊急優先通話。以上」


「距離が長すぎると音が乱れる」


「同時通話が多いと混線する」

 優奈が続ける。


 俺は頷いた。


「運用ルールは前に決めた通りだ。必要な時だけ使え。雑談は禁止。優先通話は本当に危ない時だけ」


 相良はそのまま六つをこちらへ押し出した。


「入る予定の日本チームへ渡せ」


「くじで優奈のチームだったな」


「そうだ」


 優奈は一瞬だけ息を呑んだ。

 だがすぐに表情を引き締める。


 今回、日本側のチーム分けは事前抽選だった。

 誰がどの班へ入るか、完全な実力固定ではない。

 ただし、上位生は最低一人ずつ散らされている。


 そして、優奈はそのうちの一つを率いる側へ入っていた。


 正直、適任だと思う。


 発射。

 延長斬撃。

 十階層ボス単独討伐の実績。

 加えて、新しく手に入れた《魔力盾》まである。

 未知のイギリスダンジョンで六人組の中心をやるなら、今の優奈はかなり信頼できる。


 俺は箱から一つ手に取り、優奈へ渡した。


「お前なら使い方は分かるな」


「はい」


「班の全員に渡せ。使い方も説明しろ」


「分かりました」


 優奈は一つ一つ丁寧に通信機を受け取った。

 六人分。

 その手つきに、少しだけ責任の重さが見える。


 俺は最後に、優奈をまっすぐ見た。


「何かあったら迷わず使え」


 優奈はその言葉を、一拍置いてから受け止めるように頷いた。


「はい」


「遠慮するな。試作品だからとか、様子を見ようとか考えるな」

「危ないと思ったら使え。分かったな」


「分かりました」


 その返事は、いつもより少し低かった。

 たぶん、意味が分かっているのだろう。


 これは開発データ取りでもある。

 だが、それ以上に保険だ。

 持っていかなかった時に後悔するやつだ。


 集合時間が来て、班ごとに呼び出される。


 最初に入るのは、イギリス側六人組だった。

 全員が緊張した顔をしている。

 日本側の生徒たちは、その背中を黙って見送った。


 イギリス側はトランシーバーを持っていない。

 この時点で、妙に嫌な気持ちになる。

 だが、どうしようもない。


 ゲートが開く。

 六人が入る。

 閉じる。


 会場には、妙に乾いた沈黙が落ちた。


 時計が動く。

 十分。

 二十分。

 三十分。


 説明では、一時間単位で交代だ。

 だからこの時点で戻ってこないこと自体は異常じゃない。

 異常じゃないが、安心できる材料にもならない。


「戻ってこないなんてこと、ないよな……」


 思わず心の中でそう思う。


 だが、すぐに理性がそれを否定した。


 ある。

 普通にある。


 一層からランダム転移の可能性。

 そこから再合流に時間がかかる可能性。

 そもそも攻略を試みていて、一時間では間に合わない可能性。


 問題は、それが“まだ生きていて遅れている”のか、“既にどうしようもなくなっている”のか、外からではまったく分からないことだった。


 四十分。

 五十分。

 誰も軽口を叩かない。


 ジョンですら黙っていた。

 音葉はじっとゲートを見ている。

 唯は腕を組んだまま、微動だにしない。

 優奈は六人分の通信機を抱え、何も言わずに呼吸を整えていた。


 そして、一時間。


 ――戻らない。


 会場の空気が、はっきりと変わった。


 ざわめきが走る。

 だが、それは大きくならない。

 大きくしたところで、答えが出るわけじゃないと全員分かっているからだ。


 教師たちもイギリス側スタッフも、顔は変えない。

 変えないが、その無表情の中に“想定内”が混ざっているのが逆に怖かった。


「……やっぱり、こうなるんですね」


 優奈が小さく言う。


「だろうな」


「でも、これって」

 優奈は唇を引き結ぶ。

「攻略しようとしてて遅いのか、最初から転移でばらばらなのか、それすら分からないんですよね」


「そうだ」


 それが、一番嫌だった。


 帰ってこない。

 だが、それだけでは判断できない。

 だからすぐ救助へも入れない。

 イギリスダンジョンの悪質さは、まさにそこにある。


 その時、スタッフが日本側第二組の準備を始めた。


 つまり次が、優奈たちの班だった。


 俺はその瞬間、優奈へもう一度箱を押しつけるように渡した。


「今だ。班に配れ」


 優奈はすぐに動いた。

 自分の班の五人を集め、ひそひそ声で通信機の使い方を説明していく。


「これ、押して話すだけです」

「長押しは本当に危ない時だけ。雑談禁止」

「距離が長すぎると音が乱れます。同時に喋ると混線します」

「でも、ないよりずっといいです。持っててください」


 班の生徒たちの顔には、驚きと、少しの安心が同時に浮かんでいた。

 そりゃそうだ。

 今しがた、先行したイギリス組が戻ってきていない。

 そんな状況で“連絡手段があります”と言われれば、握りしめたくもなる。


 優奈は最後に、自分の通信機を制服のポケットへ収めた。


 その動作を見て、俺は短く言う。


「優奈」


「はい」


「お前なら大丈夫だとは思う」

「でも、何かあったら迷わず使え」


「はい」


「躊躇するな。試作品とか、遠慮とか、そういうの全部いらない」


 優奈は、今度は少しだけ笑った。


「分かってます」


「あと」


「はい?」


「戻ってこい」


 その一言に、優奈の表情がほんのわずかだけ変わった。


 ふざけた返事はしない。

 軽くも返さない。

 ただ、真っすぐ頷いた。


「絶対戻ります」


 班が呼ばれる。


 イギリス組は、まだ戻らない。

 それでも予定は進む。

 それが、このダンジョンのルールなのだろう。


 優奈が先頭に立って歩き出す。

 日本チーム六人。

 その背中を見ながら、俺は自分の中の嫌な予感を押し込めた。


 イギリス組は通信機を持っていない。

 だから、もし何か起きたとしても、こちらに届く声はない。

 だが優奈たちは違う。


 声が届く可能性がある。

 それだけが、今の救いだった。


 ゲートが開く。

 日本チームが入る。


 優奈の背中が消える直前、ほんの一瞬だけこちらを振り返った。

 俺は何も言わなかった。

 言う必要もなかった。


 扉が閉じる。


 次は、優奈視点だ。


(つづく)

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