第116話 世界が動く音と、虹色の魔石
その日の朝、学園へ行く前に何となくテレビをつけたのが、そもそもの始まりだった。
普段ならニュース番組なんて流し見しかしない。
だが最近は、ダンジョン関連の報道が妙に増えている。
しかも俺に関係しそうな話題ほど、嫌なタイミングで飛び込んでくる。
だからというわけでもないが、コップに水を注ぎながら、ぼんやりと画面へ目を向けていた。
次の瞬間、俺は思わずその手を止めた。
『アメリカ政府、九州地方の大規模クランへ正式依頼――』
「……は?」
思わず声が出た。
ニュースキャスターは、こちらの動揺なんて知る由もなく、整った口調で読み上げていく。
『依頼内容は、カナダの式神ダンジョン攻略における近接戦闘技術の共有。特に、貫通魔法と槍を用いた対高耐久召喚体への対処法について、実戦的な訓練体系と運用ノウハウの提供を求めているとのことです』
俺は完全に水を注ぐ手を止めたまま、画面を見つめた。
寝間着のまま居間へ出てきた唯が、不思議そうに俺を見る。
「どうしたの」
「いや……」
俺はテレビを指さした。
「アメリカ、九州に依頼出してる」
唯もそのまま画面を見て、小さく目を見開く。
テレビには続報として、九州側の探索者映像が流れていた。
槍。
貫通。
最小限のシールド。
第二次試験で見た、あの完成された接近戦の系統だ。
『アメリカ側は、九州の探索者たちが見せた槍術の技術水準が群を抜いていたことを重視しており、単に戦力を借りるのではなく、“技術を大きく底上げするための訓練法そのもの”を学びたい意向を示しています』
「なるほどな……」
思わず小さく呟いた。
またyumaへ個別依頼が飛んでくると思っていた。
少なくともカナダの式神ダンジョン絡みなら、そうなってもおかしくなかった。
だが、アメリカは別の答えを選んだ。
九州の槍術。
貫通の運用。
そして、誰でも再現しやすい形へ“技術として落とし込まれている”点。
そこに目をつけたのだろう。
安居楽業一式を倒すために必要なのは、一人の天才の超火力だけじゃない。
貫通の魔法をどう使うか。
槍をどう扱うか。
その技術を、多人数へ広げられる形にしなければ意味がない。
そういう意味では、九州はあまりにも適任だった。
技術体系が統一されている。
武器が揃っている。
魔法の使い方も絞られている。
つまり、“教えれば伸びる”前提が最初からある。
「やられた……」
聞き慣れた声が横からして、俺は反射で振り向いた。
いつの間にか、スマホのビデオ通話越しに相良が映っていた。
どうせ朝から何か言ってくる気だったのだろう。
「まさかその手があったか」
「朝から重いな」
「重くもなる」
相良は珍しく、少しだけ悔しそうな顔をしていた。
「てっきり、またyumaへ依頼が来ると思っていた。少なくともカナダ絡みならそう読むのが自然だった」
「俺としては、今の忙しさでまた仕事が増えなくて安心してますけどね」
率直にそう言うと、相良は一瞬だけ黙った。
その間に、唯が横からぼそっと言う。
「兄さん、最近本当に忙しそうだもんね」
「授業中は他人のフォローとサポート」
「放課後はお前と優奈の特訓」
「その上、学園の外ではクラン絡みの話が飛んでくる」
「これでカナダ再出張まで入ったら、さすがに俺が壊れる」
そう言うと、唯は少しだけ苦笑した。
相良もそれには反論しなかった。
実際、今の俺の生活はかなり詰まっている。
母さんの件が一段落したからこそ動けているが、逆に言えば今さら世界中のダンジョンまで全部俺へ背負わせるなという話でもある。
「もっとも」
俺は画面のニュースを見たまま続ける。
「俺としては、世界中で深層に突入してるのが日本だけだから、深層対策の依頼がいつ来るか気が気でないんですけど」
相良はそこで、ようやくいつもの無駄のない顔へ戻った。
「それについては、しばらく大丈夫だろう」
「根拠は?」
「大半の国家政府では、まだ魔法の存在自体をまともに公にしていない」
相良は淡々と言う。
「公にせず、ダンジョン攻略をどう進めるかを第一に考えている。深層の存在まで広く表へ出せば、国内統制が面倒になる。だから、表向きはまだ“浅層攻略の延長”として扱いたい国が多い」
「なるほどな」
そこはたしかに、海外勢の戦い方を見ても感じていた。
中国もロシアも、発想は面白いのに、魔力管理の文化そのものは日本ほど共有されていない。
情報が抱え込まれ、上から下へ下りてきにくい構造なのだろう。
その点、日本は十年前の攻略配信以降、少なくとも“魔力は有限で、使い方で差が出る”という感覚だけはかなり表へ出た。
もちろん全部が開かれているわけじゃない。
上位クランの情報独占なんて、今でも普通にある。
でも、それでも土台が違う。
「だから、すぐに世界中から深層依頼が雪崩れ込むことはない」
相良はそう言ってから、少しだけ声の調子を変えた。
「……ただし」
「はい来ました」
「話は本題に入る」
やっぱりそっちがあるのか、と朝からうんざりした気分になる。
だが相良は、こちらの気持ちなんて気にせず続けた。
「シュウたちが深層で、とんでもないアイテムを見つけた」
その一言で、俺の意識が少しだけ切り替わる。
シュウたちは今、日本の中でもかなり深い層へ潜っている。
正直、学園だの第二次試験だのに意識を取られていると忘れそうになるが、あいつらはあいつらでずっと最前線のその先をやっている。
「何を見つけた」
俺がそう聞くと、相良は画面の向こうで、別の資料をこちらへ送ってきた。
メッセージ通知と同時に、スマホへ画像が表示される。
そこに写っていたのは、小さな石だった。
形は不揃い。
サイズも大きくない。
指先でつまめる程度。
だが色が、どう見ても普通じゃない。
虹色だった。
いや、虹色というのも少し違う。
表面が単純に七色を反射しているのではなく、石そのものの内側で色が流れている。
赤、青、緑、紫、金。
見る角度でその配分が変わる。
属性魔石みたいに色が固定されていない。
「……何だこれ」
「新種の魔石だ」
相良が答える。
「深層モブから取れる」
そこで俺は少しだけ身を乗り出した。
「モブから?」
「ああ」
深層ボスの限定報酬でも、特殊イベントでもない。
深層の雑魚から取れる。
その時点で価値が跳ね上がる。
相良はそのまま説明を続ける。
「従来の魔石は、大きく分けて武器強化魔石と、ロシアが持ち込んだ罠魔石の系統が有名だった」
「それ以外にも細かい用途の魔石はあるが、基本的にサイズが小さい上に、ものによって属性が決まっている。安定して同じものが手に入らない」
「しかも、エネルギーが長持ちしない」
俺が続きを言うと、相良は頷いた。
「そうだ。ダンジョンの外へ持ち出した途端に出力が落ちる。長時間の実用品として使い物になるケースが少ない」
だからこれまで、魔石はずっと“ダンジョン内の補助素材”止まりだった。
面白い。
珍しい。
でも、世界を変えるほどではない。
だが、相良の次の言葉で、その認識が一気にひっくり返る。
「今回見つかった虹色の魔石は、小さい」
「長持ちする」
「しかも属性が固定されていない」
俺は黙った。
唯もさっきまでの眠そうな顔を消して、真剣に聞いている。
「……おいおい」
思わず口から漏れる。
小さくて、長持ちして、属性がない。
それはつまり、従来の魔石が持っていた不便さを、まとめて裏返しているようなものだ。
「今のところ、深層モブから比較的安定して取れる」
「量産というほどではないが、ボス限定ではない。だから供給の希望はある」
「希望、はな」
俺はすぐにそう返した。
相良が言いたいことは分かる。
だが、分かるからこそ問題も見える。
「加工できるのか、それ」
そこで相良は、初めて少しだけ苦い顔をした。
「そこが一番の問題だ」
「やっぱりな」
「難しい、ではない。難しすぎる」
相良ははっきり言った。
「現状では、ほぼ不可能と言っていい」
その言い方に、優奈も会話へ加わってきた。
「そんなにですか?」
「そんなにだ」
相良は答える。
「従来の属性魔石なら、部分的に切り出したり、属性ごとに向きを揃えたりして加工の余地があった。だがこの虹色の魔石は違う」
そこで相良は、送ってきた画像をさらに拡大した。
「魔力が、魔石全体から均一に出力されている」
「全体から……?」
「そうだ」
相良は頷く。
「つまり、どこか一部分だけを使うとバランスが崩れる可能性が高い。加工するなら、“全体から出力される現状の状態を変えずに、製品へ落とし込む”必要がある」
俺はそこで、本気で顔をしかめた。
難しいどころの話じゃない。
普通の素材なら、削る。
埋める。
繋ぐ。
そうやって形にする。
だが、この虹色の魔石は、触った時点で魔力の流れを壊す可能性がある。
つまり、加工するなら“全体性を維持したまま製品化する”という、訳の分からない条件がつく。
「ほぼ無理じゃないか」
「今のままだとそうだ」
相良は認めた。
「だから、お前に依頼が来ている」
「俺?」
嫌な予感しかしない返答だった。
「シュウたちの希望は二つ」
相良は指を二本立てる。
「一つは、この虹色の魔石の使い道を一緒に考えること」
「それはまだ分かる」
「もう一つは、商品の販売にyumaの名前を借りたいという依頼だ」
そこで、俺は数秒、完全に黙った。
「……は?」
「革新的すぎるんだよ」
相良は珍しく、説明の最初に感情の色を混ぜた。
「No.1クランが出した新素材、というだけでは、逆に胡散臭いレベルだ。従来の魔石の常識をまとめて壊している。そんなもの、業界の人間でも簡単には信用しない」
たしかにそうだ。
深層由来。
小さい。
長持ちする。
属性がない。
安定供給の見込みがある。
そんな夢みたいな話、普通はまず疑う。
詐欺か、誇張か、あるいは危険物扱いされるのが先だ。
「だから、出来るだけ信用できる後ろ盾と協力が欲しい」
相良は続ける。
「深層に関わる名前。実績。表へ出しても説得力のある人間。その条件を満たすのが、今のところお前だ」
「いや……」
俺は額へ手を当てたくなった。
相良の理屈は分かる。
分かるからこそ厄介だ。
俺が関わっている。
yumaの名前が乗る。
それだけで、少なくとも“完全な与太話ではない”という後ろ盾にはなる。
特に探索者界隈では効果が大きいだろう。
企業もクランも、一度は話を聞く。
でも、それはつまり。
「また俺が面倒ごとの窓口になるってことだろ」
「言い方はともかく、概ねそうだ」
「やっぱりそうなるのかよ……」
思わず天井を見る。
ニュースを見て“九州へ依頼が流れたなら、俺の仕事は増えないかもしれない”と一瞬だけ安心した朝の自分を殴りたい。
違う方向から、ちゃんと仕事は増えるらしい。
唯が横からぽつりと言った。
「兄さん、最近ほんとに休めてないね」
「誰のせいだと思ってる」
「半分くらい私じゃない」
「半分くらいは自覚あるんだな」
そう返すと、唯は少しだけむっとした顔をした。
相良はそんなやり取りを流しながら、最後に一枚のメモを出した。
「今回は、深層新素材の使い道検討と、表に出す時の後ろ盾。それだけでいい」
「それだけって言うなよ」
俺は即座に突っ込む。
「虹色の魔石が本物なら、それこそ世界が動くレベルの案件だろ」
「だからこそ、早い段階で手綱を握る必要がある」
正論だった。
放っておけば、上位クランが取り合う。
企業が噛みつく。
政府が黙っていない。
そうなる前に、最低限の形だけでも作っておかなければ、多分もっと面倒になる。
優奈が慎重に聞く。
「それって、商品化まで行くんですか?」
「現時点では、そこまで確定じゃない」
相良は答える。
「だが、使い道が見つかれば一気に進む。だから今のうちに、どういう方向なら現実的かを絞りたい」
俺はそこで、もう一度スマホの画像を見る。
虹色の魔石。
小さい。
長持ちする。
属性がない。
加工が不可能に近い。
だから難しい。
でも、逆に言えば、“加工しない使い道”から考えればいいのかもしれない。
「……埋め込み前提じゃなくて、単体運用か」
無意識にそう呟く。
相良がすぐに反応した。
「そういう発想を含めて考えろ、という依頼だ」
「朝から重い話ばっかだな」
「お前が普通の仕事だけで済むと思うな」
「最近その傾向ひどくないか?」
「今に始まったことではない」
それを言われると否定しづらいのが嫌だった。
テレビではまだ、アメリカと九州クランの依頼話が続いている。
九州は技術を輸出し始めた。
深層では虹色の魔石が見つかった。
世界は主人公一人の手から、少しずつ別の方向にも広がり始めている。
それ自体は悪くない。
むしろ望んでいたことでもある。
でも、その広がりのどこかで結局また自分の名前が必要になるのだから、世の中うまくできていない。
「とりあえず」
俺は小さく息を吐いた。
「使い道を考えるだけ考える。名前を貸すかどうかは、その後だ」
「それでいい」
相良は即答した。
「最初から全部を飲めとは言わない」
そこまで言うなら、今回は本当に“出来る範囲”なのだろう。
たぶん。
俺は水を一口飲んでから、テレビを消した。
九州が技術で世界と繋がり始める朝。
その裏で、深層のモブから世界を変えそうな石が見つかった。
面白い。
正直、かなり面白い。
でも、それと同じくらい面倒でもある。
「兄さん」
「何だ」
「顔、ちょっと楽しそう」
唯がそう言ってくる。
「気のせいだ」
「いや、絶対そう」
優奈もいれば、たぶん同じことを言っただろう。
否定はしない。
知らない素材。
未知の使い道。
世界が変わるかもしれない発見。
そういうものを前にして、何も感じないほど枯れてはいない。
だからこそ、たぶんまた巻き込まれる。
そして、その巻き込まれ方が、これから先の流れを少しずつ変えていくのだろう。
(つづく)




